ワイバーンと食い意地
「やばい……やばいやばい……どうしよう……!」
目の前で唸り声をあげる巨大な影――ワイバーンが翼を広げ、今にも襲いかかってこようとしている。
対するこちらは、料理用の出刃包丁一本。しかも刃こぼれまでしている。
「ひとまず……こうなったら……!」
自分でも無謀だとわかっていた。それでも、じっとしているよりはマシだと思った。震える手で包丁を構え、大きく振りかぶってワイバーンに跳びかかる――!
……ガキィィンッ!!
重たい音を立てて、出刃包丁はワイバーンの額の鱗にはじき返された。
「ぐぅ……っ!」
手元がしびれる。出刃包丁はそのまま地面に落ち、カラン……と乾いた音を立てた。
「グルルルルル……」
ワイバーンの赤い瞳がギラリと光り、口元からは白い牙が覗く。
――もう、だめかもしれない。
テレジアはきゅっと目を閉じ、最期を覚悟した――そのとき。
――パシュッ!!
頬のすぐ横を、何か細長いものが鋭く通過していった。
「テレジア!! 無事か!?」
山の斜面の上から、ウェルナーが短弓を構えて飛び込んできた。その後ろには、息を切らしたアルスの姿もある。
「まったく……嫌な予感がして来てみれば、これだよ……!」
ウェルナーはすぐに次の矢を番え、無駄のない動作で弓を引き絞る。そして放たれた矢は――
ズバッ!
ワイバーンの片目に深々と突き刺さった。
「ギャアアアアアアアッ!!!!!」
ワイバーンは狂ったように咆哮をあげ、その場で身をよじると、羽ばたいて空の彼方へと逃げ去っていった。
残されたのは、山にこだまする鳴き声と、足元に転がった出刃包丁、そして呆然と立ち尽くすテレジア。
「あっぶねぇ……」
ウェルナーが額の汗を拭いながら呟く。
その横で、アルスはすぐにテレジアのもとへ駆け寄った。
「テレジア、大丈夫か!?」
「い、いえ……わたしは……なんとも……っ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
テレジアはそのまま、アルスの胸に飛び込むように倒れ込み、子どものようにしゃくりあげながら泣き出した。
無理もない。命を賭けて、食材を探しに来ただけなのだ。泣く理由なら山ほどある。
しかし――
「……やれやれ」
アルスは彼女の背中をそっと撫でながら、ふと目を伏せた。
テレジアの左手――そこには、しっかりとワイバーンの卵が握りしめられていた。
涙まみれの顔で謝りながらも、食材だけは絶対に逃さないその根性に、思わず苦笑がこぼれる。
(まったく……誰に似たのやら)