06. 客人(Sideジェイル)
「面倒なことをおっしゃってくる方ではなくて良かったですね」
我が領地に客人として預かることになったレイナを屋敷まで送り届けて来たオリバーは再び執務室に戻ってくるとそう呟いた。
俺はそれに同意するように軽く頷き、オリバーに目を向ける。
「どう見た?」
「そうですね、こちらの話に素直に耳を傾けてくださる方のようにお見受けしました。領主館内ですれ違う使用人達に高圧的な態度や邪険に扱う素振りなどもなく、挨拶や会釈をされていました。無理難題を言ってこちらを困らせるような方ではなさそうです」
「そうか。それは良かった」
「それにジェイル様の妻の座を狙って迫ってくるような言動も見受けられませんでしたしね」
「確かにな」
これは受け入れる客人が女だと分かった時から俺とオリバーが懸念していた事項の一つだった。
二年前に流行病が蔓延した片田舎の辺境領に好んで嫁いでくる変わり者はいない。しかし、ここで暮らすことが確定している女であれば、権力を欲して領主である俺の妻になりたいと言ってくる可能性もあったからだ。
「オリバーの見立てを疑う気はないが、まだしばらくは様子を見た方がいい。最初だから本性を隠している可能性もあるからな。ニコラウスの頼みとはいえ、領地に厄介事を持ち込む存在は御免だ」
俺はそう口走りながら、国王であるニコラウスから先日突然連絡が入った時のことを思い出す。
◇◇◇
あれは約十日前のことだ。
いつものように執務室で仕事をしていたら、通信の魔道具を管理している臣下が王宮からの報せが届いたと部屋に飛び込んできた。
各領地には遠方でも王宮からの通達を受け取れるよう文書通信の魔道具が設置されている。
王宮からの通達は定刻が決まっており、何か連絡がある場合はその時間に文書が送られてくる決まりだった。
一応毎日定刻に文書の有無は担当が確認しているが、そもそも月に数度くらいの頻度のものである。
ちょうど二日前に「聖女が召喚され、王宮にて国賓待遇で受け入れることになった」と通達を受けたばかりだった。
……それなのに三日も経たずにまた王宮からの通達? 珍しいこともあるもんだな。
不思議に思いながら担当から文書を受け取れば、「話があるから午後に時間をもらいたい」という先触れだった。
「おや? これは国王陛下からジェイル様に何か個人的にお話があるということでしょうか?」
文書を横から覗き込んだオリバーが疑問を口にする。
オリバーの言う通り、これは明らかに王宮から全領地への通達ではない。
「おそらくそうだろうな。とりあえず午後の時間を空けておく必要があるが。確か今日の午後は冒険者ギルドのギルドマスターと会談だったな。オリバー、どうだ? 調整できそうか?」
「ええ、もちろんです。ギルドマスターには上手く埋め合わせもしておきますよ」
急な予定調整はそう簡単なことではないのだが、オリバーはといえば、全く問題なさそうにいい笑顔で頷く。
それが虚勢でもなんでもないことを俺はよく知っているから安心して任せた。
……オリバーには助けられてばかりだな。口煩いのは玉に瑕だが。
オリバーは領土管理や領主館管理を担当する家令であり、全使用人を取りまとめる長だ。
領主である俺の右腕として全幅の信頼をおいている人物である。
俺は二年前に前領主である父を亡くし、王都から戻って家督を継ぎ領主に就任したのだが、オリバーは父の時代からの家臣だ。
俺の幼少期も知っており、それゆえいまだに説教くさいのだ。
……まあ、それも俺を思ってのことであるとは理解している。
「分かった。では予定の調整はオリバーに任せる。俺は午後に向けて今着手している陳述書の確認を終わらせるとしよう。ああ、それと午後に向けて映像通信の魔道具の準備をしておいてくれ」
俺はオリバーと通信の魔道具の担当者に指示を告げて、再び執務机に向かう。
通信とはいえ国王と顔を合わすのだから、それに向けてある程度身なりは整えなければならないだろう。そのためには仕事を手早く終える必要がある。
それぞれが急遽決まった国王との通信による会談に向けて動き出す。
そうしてあっという間に午後がやってきた。
映像通信の魔道具が準備された部屋で、俺とオリバーは国王からの通信を待ち構える。
しばらくすると着信を報せる光が点滅し、受信を許可すると、魔道具の真上の空間に国王であるニコラウスの上半身が浮かび上がった。
「ジェイル、久しいな」
空間に映し出されニコラウスが親しげな口調で話し出す。
この映像通信の魔道具は、離れた場所にいる者同士がお互いの姿を見ながら会合ができる優れ物だ。
製造過程で使う魔石や素材が貴重なものらしく、おそろしく高価な魔道具として知られている。
これを所有しているのは各領地の領主と、ごく一部の裕福な貴族や商人だけだろう。
文書通達の魔道具の方が圧倒的に安価なため、そちらの方が流通しているのが現状だ。
「ニコラウス、元気そうだな。俺が王都にいた頃より太ったんじゃないか?」
「いやいや、むしろ痩せたに違いない。厄介事ばかりで心労が重なるばかりだ。唯一の癒しは息子と娘の存在だな。可愛くてたまらんぞ」
「そこは妻も含めとかないと問題発言になるんじゃないか?」
「も、もちろんではないか。まあ、あれだ。妻は当たり前すぎて言うに及ばずってやつだ! はははは」
……察するに、また最近喧嘩でもしたのだろうな。前から尻に敷かれ気味だったしな。
仮にも国王であるニコラウスを、このように俺が呼び捨てにし、軽口を叩き合うのには理由がある。
俺たちが幼い頃からの友人であるからだ。
父親同士が友人であり、父を訪ねて前国王様は度々アールデルス領に来られていた。その際毎回ニコラウスを伴われていたのだ。
年齢はニコラウスの方が二歳年上だが、同年代であるため親交を深めて欲しいという父親達の思惑もあったのだろう。
その思惑はぴたりとハマった。
ニコラウスは王宮では王子として人目を気にした振る舞いが求められ、同年代の貴族ともなんとなく距離があったらしい。
一方の俺もアールデルス領には同年代の高位貴族がおらず、同年代の存在自体が新鮮だった。
そんな二人がこの田舎の地で距離を縮めるのは至極自然な流れであったと言える。
そういった幼少期からの関係もあって、十八歳で王立学園を卒業して成人を迎えた時には当時第一王子であったニコラウスの側近となり、護衛騎士を務めることにしたのだ。
側近となってからは主従の関係になり、公の場では主として立てるものの、俺達の関係の本質は友人のままだ。
側近を辞任し、国王と領主となった今も関係は変わっていない。
「それで? 話があると連絡を受けていたが?」
映像通信を始めてしばらく取り留めもない会話をしていたが、ここで俺は雑談を切り上げて本題に話を戻す。
お互い忙しい身だ。貴重な時間は無駄にはできない。
ニコラウスも即座に国王の顔つきになり、本題を切り出す。
「ああ、極秘の話だ。昨日王宮から通達した内容はもう目を通したか?」
「昨日のうちに確認している。聖女を国賓待遇で王宮に迎えたっていう件だろ?」
「そう、それだ。それなんだが……」
一度言葉を切ったニコラウスは、なぜかそこで困ったように小さくため息を吐いた。
聖女は治癒魔法を使える非常に稀有な存在だと聞いている。
魔物の討伐等によって負傷した王宮騎士団への治療、さらには流行病への備えを必要とする王家にとって喉から手が出るほど欲しい存在に違いない。なのに、国王であるニコラウスがこの表情であることが違和感だった。
同じように感じたらしく、俺の隣にいるオリバーも不可解そうな顔をしている。
「実はここだけの話……聖女は二人召喚されたのだ。ただ、そのうちの一人は治癒魔法の適性がなく、本物に巻き込まれただけであると私達は結論付けている」
「巻き込まれただけ? それはなんというか災難だな。記憶に間違いがなければ、召喚された者を送り返すことはできないだろ?」
「ジェイルの言う通りだ。送り返すことが可能であったなら丸く収まったのだが……」
再びニコラウスは「はぁ」と深くため息を零すと、この召喚の裏側や王都での貴族達の権力争いの事情を話し出した。
ニコラウスによるとこの召喚は、三大公爵家の一つエンゲル公爵が没落寸前で困窮するユンゲラー伯爵家を支援してやらせたことらしい。
国に対して功績を上げ、王家にも恩を売ることで、王宮内で権力を握りたいという狙いのようだ。
エンゲル公爵家はニコラウスが国王に就任して以降、権力の中枢から遠ざかっている。
三大公爵家の中で近年最も勢いがないのは周知の事実だ。
それを挽回したいがための行動だとニコラウスは見ているという。
そして巻き込まれて召喚された者は、このまま王宮にいればそれらの権力闘争になんらかの形で利用されかねないらしい。
「そうなると厄介な事になって王家としても困る。そこでだ。アールデルス領で彼女の保護をお願いできないか?」
「保護だと?」
「客人としてアールデルス領で受け入れ、生活を保証してやって欲しい。そちらの領地であれば貴族も少ないし、なにより王都から遠く離れた地だ。利用される心配もないだろう」
「いや、そんなこといきなり言われてもな」
「一年間だけでいい。見知らぬ世界に来て今は右も左も分からないだろうが、一年もあれば彼女も身の振り方を模索できるはずだ」
どうやらこれが今回の話の着地点だったようだ。
……客人として一年間保護なんて、厄介事の匂いしかしない。やっと流行病の被害からの復興も落ち着いてきた今、アールデルス領に不和の種は不要だ。
できれば関わりたくないというのが偽らざる俺の本音だ。その気持ちは透けて見えていたのだろう。
拒否を口にしそうな俺を思いとどまらせるようにニコラウスが慌てて言葉を重ねる。
「さっきジェイルも巻き込まれるなんて災難だと言っただろう? そう、そうなのだ。しかも彼女は元いた場所に帰ることもできない。不憫だろう? 人助けだと思って頼まれてはくれないか?」
「ニコラウスの立場なら俺に命令できるだろ。それをしないってことはあくまで打診で、俺には拒否権があるんだろ?」
「いや、まぁ、そうなんだが。断られたら他の領地を当たることになる。ただ、私としてはアールデルス領でお願いしたいと思っている。ジェイルであれば私も安心して任せられるからな」
こう言われるとなかなか断りづらい。
俺は思わず口を閉ざし眉を顰める。
「ジェイル様、国王陛下の申し出を受け、アールデルス領で受け入れいたしましょう」
すると、ここまで黙っていたオリバーが俺たちの会話にするりと入ってきた。
「国王陛下もお困りのようですから、臣下である私どもは協力すべきだと思います。それに国王陛下が他の領地を頼られれば、それはその領主に貸しを作るということです。弱みにもなりかねません。その点、元側近であり、ご友人でもあるジェイル様であれば国王陛下も頼りやすいのではないですか? 一番良い選択だと私も愚考いたします」
オリバーが口にしたようにニコラウス視点で考えれば、確かに今回のことは俺に頼むのが一番妥当であるのが分かる。
……オリバーの言う通りかもな。サウザンド王国王家の臣下として、ニコラウスの元側近として、そして友人として、助けてやるか。
「……分かった。ニコラウスからの頼みを受け入れてアールデルス領で保護を引き受ける」
「ジェイル、恩に着る!」
ニコラウスは懸案事項が一つ片付いたからかパッと笑顔になり、頬を緩める。
それから受け入れにあたっての連絡事項を確認し、映像通信は終了となった。
終わると同時に、こちら側は慌ただしくなる。客人として迎える女の受け入れ準備を進めなければならないからだ。
「考えてもいなかった事態になったな」
「ええ、本当ですね。最短で七日後には到着されるとのことですし、使用人達にも説明して総出で準備を進めます」
こうしてニコラウスとの話し合い後、領主館にいる使用人はてんやわんやの忙しさになった。
そして七日後、くだんの客人がアールデルス領にやって来たのである。
◇◇◇
「様子を見るのでしたら、レイナ様につける使用人の人選も重要ですね」
ニコラウスと話した日のことを思い出していた俺は、オリバーの声で意識を現実に引き戻される。
そう、ちょうどレイナとの初対面を終え、その印象をオリバーとすり合わせていたところだった。
「そういえば、屋敷へご案内した際、レイナ様からご要望がございました」
「要望?」
「はい。基本的に身の回りのことは自分一人でできるのでメイドや護衛は不要だと。つける必要があるのなら最低限にしてもらえれば、との話でした」
オリバーによると、レイナの世界では使用人に世話をされるというのは一般的ではないらしい。レイナも長年一人で暮らしていたと言っていたそうだ。
こちらの常識では、そもそも一人で暮らすという環境が一般的ではない。貴族はもちろん、平民でも家族や職場単位で暮らしている。
貴族やそれに準ずる者、さらに平民の豪商などにおいては、使用人が身の回りを世話するのはごく当たり前のことだ。
……普通に言葉が交わせたから先程は特に感じなかったが、やはり聖女と同時に異世界から召喚された者なのだな。常識が違う。
「その要望はまぁ無理難題でもなんでもないから考慮すべきか。ただやはり様子見の監視のためにも全く使用人を付けないというわけにはいかないな」
当初はメイド二人と護衛二人の最低四人くらいを付ける想定でいたが、さてどうしたものか。
「そうですね。では、アンネはどうでしょう? 女性であるアンネならメイドと護衛の一人二役が務まるかと思います。戦闘力は申し分ないですし、護衛二人分に匹敵するでしょう」
そう言われて俺はアンネの顔を思い浮かべる。
確か代々アールデルス家に仕えてくれているメイドの娘だったはずだ。
なぜかメイドの娘なのに戦闘力強化に興味を示して鍛えていた変わり者だったと記憶している。
「ただアンネでは身の回りの世話や護衛はできても、レイナ様に関する必要な情報をこちらにきちんと報告してくるかは不安があります。若干抜けているところがあるので。ですので、執事のヴィムを相談係として定期的にレイナ様のもとに向かわせましょう。ヴィムは若いですが将来は私の後任として期待し育てている者ですので」
ヴィムは俺も将来有望な若手として認識している。使用人の人事を司るオリバーの采配だ、間違いないだろう。
「人選はそれでいい。二人には客人の対応ということで面倒をかけるが指示を出しておいてくれ」
「承知しました」
こうしてアールデルス領では国王から直々に依頼された客人を迎え入れた。
厄介事でしかないと思っていたこの出来事が、後に領地と俺自身に大きな変化をもたらすことになるとはこの時想像もしていなかった――。