19. 温泉作りの視察②
いざ視察が始まると、幸いにも私の心の騒めきは落ち着きを取り戻した。
馬車を降りれば物理的に距離を取ることができた上に、仕事モードのスイッチが入ったからだ。
冷静なった私は、ふぅと一息吐くと予定通りにジェイル様を案内しつつ視察を開始した。
まず最初の視察場所は、山、海、川、香りの四つのテーマの温泉のうち、『山の温泉』だ。ダイナミックな渓谷美を眺められ、山の雄大さを感じられる温泉である。
建築途中にも足を運んでいたが、やはり何度見ても素晴らしい出来栄えだ。ジェイル様が満足そうに頷いているのを視界に納め、私も嬉しくなる。
続いて二箇所目は『海の温泉』だ。
目の前には美しいエメラルドグリーンの海が広がっている。
「ここが海が見えるオンセンか。今までのオンセンとは確かに趣きがまったく違うな」
私の屋敷に作った温泉も、最初に視察した山の温泉も、どちらも緑豊かな景観を楽しむタイプだったからか、ジェイル様には殊更新鮮に映ったようだった。
ここのこだわりは、海との一体感を感じる開放的な露天風呂だ。
目線に遮るものが何もないように設計されており、湯面と海が溶け合ったような不思議な感覚を味わえる。
付帯する施設の客室も全室オーシャンビューになるよう建設中だ。
「どうですか? 一口に温泉と言っても全然違うのが分かりました?」
「ああ。これなら他も体験してみたいと、何度もアールデルス領に保養に来るヤツもいるだろうな」
「アールデルス領は自然豊かですからね。雄大な景色を眺めて、ゆっくり日頃の疲れを癒すのにぴったりな土地だと思います」
まさにリゾート地に最適。
上手くブランディングできれば、絶対外から人がやって来ると思う。
特に都会での日々に疲れた人が、心の安らぎを求めて足を運ぶに違いない。
……まさに日本にいた頃の私がそうだったもんね。
まだ数ヶ月前のことなのに、もはや懐かしい。数年前の出来事のような感覚だ。
辺りを一通り見て回った私達は、次に三箇所目の視察場所である『川の温泉』に向かう。
渓流沿いに建つここの温泉は、川のせせらぎと鳥のさえずりが心地良い癒し系の温泉だ。
より安らげるように浴槽はヒノキに似た木材を使用していて、木のぬくもりに包まれる仕様にしている。
「ここもまた他と雰囲気が違うな」
「景色はもちろんですが、音も楽しめる温泉です。私のいた国では、川のせせらぎはヒーリングミュージックとしても人気でした」
「なんだそれは?」
「えーっと、緊張を緩和するような癒しの音楽ってことです。耳を澄ませば聞こえてくるこの音に癒されませんか?」
ちょうど川沿いを歩いていたため、私はジェイル様に辺りの音に意識を向けるよう促す。
口を閉ざして軽く目を瞑ったジェイル様は、耳をそばだてた。
……ていうか、目を閉じてもイケメン。ホントにキレイな顔してるなぁ。
紺青の瞳が隠れ、鋭い印象がいつもより和らぐ。その分、目鼻立ちの整った顔立ちが際立つ気がした。
これほどの美貌を持つ人は日本ではめったにお目にかかれない。川のせせらぎそっちのけで、つい目が吸い込まれてしまう。
相手が目を瞑っているのをいいことに、不躾なほどまじまじと鑑賞していた私だったが、その時ふいにジェイル様の瞼が持ち上がった。
その瞬間、紫色を帯びた青い目に射抜かれる。咄嗟に視線を逸せないくらい、バッチリと目が合ってしまった。
「俺の顔になにか付いてるか?」
「あ、いえ! キレイな顔だなぁと思って、つい見惚れてました……! すみません」
取り繕おうと思えばできたのかもしれない。
でも私はなぜかバカ正直に事実をそのまんま口にしていた。
私の発言に意表を突かれたらしいジェイル様は、ほんの一瞬だけ目を見開く。
そしてニヤリと口元を歪めた。
「へぇ、俺みたいな顔が好みだとは知らなかったな」
「好みっていうか、ジェイル様は一般的にも容姿端麗じゃないですか。私でなくても、大概の女性は目を奪われると思いますよ」
「それはお前の好みではないって意味か?」
「いえ、まぁ、好みか好みじゃないかで言えば……」
……好みのタイプですよ! 顔はもちろんですが、特に長身で細マッチョな体つきとかめちゃくちゃ好みです!
こんな心の声はさすがに恥ずかして口にはできない。
ジェイル様の表情や口調に揶揄いが含まれているのは明らかだ。まともに返答しなくてもいいだろうと私は言葉を呑み込む。
「そろそろ四箇所目に行きましょうか」と話を逸らして、ふいと顔を背けた。
ちょうどそこへ周囲の警護にあたっている領内騎士団の一人がこちらに駆け寄ってきた。話題を変えるにはもってこいのタイミングだ。
「どうしたんですか?」
私は騎士様の登場を全力で歓迎しながら、彼に自ら声を掛けた。
誰かからの伝言を伝えに来たらしい騎士様は、いきなり私から笑顔を向けられて若干ビクッと体を震わせた。驚かせてしまったようだ。
「……はっ。オリバー様からお二方へご伝言です。セナート様とエミリア様も視察を強くご要望されているため、四箇所目で合流されるとのことです」
「セナートとエミリアが? まさか二人だけで来るわけじゃないだろうな?」
「ヴィムとアンネが護衛として同行するようです」
「まあ、それならまだマシか。まったくあの二人は」
ジェイル様は伝言内容を聞いて、やれやれと呆れながら息を吐く。
双子達が合流するなら早くそちらへ向かった方がいいだろうと判断した私達は、騎士様に御礼を告げてさっそく四箇所目の視察場所へ移動を始めた。
◇◇◇
「あ、来た来た! お兄さまー、レイナー!」
最後の視察地である『香りの温泉』に到着すると、すでにそこにはセナートとエミリアの姿があった。
エミリアはこちらの姿を認めるやいなや、ぶんぶんと元気よく手を振っている。
その隣にオドオドとしたセナート、背後には護衛兼付き添いのヴィムとアンネが控えていた。
「コラ。お前達、なんで来たんだ。視察は遊びじゃない」
合流して開口一番、ジェイル様は鋭い眼差しで双子を見据えて、厳しい口調で二人を叱る。
うっと言葉を一瞬詰まらせた双子だったが、こんな風に窘められるのは想定内だったのだろう。
すぐに持ち直すと、堂々とジェイル様に向かって言い募る。
「突然来たのはごめんなさい。でもね、これはアールデルス領のための取り組みなんでしょう? それならわたし達も関係あるもの!」
「うん、ぼく達は領主である兄さまの弟妹。領主一族のひとりだから。な、なにもできないけど、せめてちゃんと知っておきたいんだ……!」
自分達も領主一族だから他人事ではないと口にする双子の姿に胸をズキュンと撃ち抜かれた。
幼いながらに、特権階級である自覚と責任感も持っていてカッコ良すぎる。
役職に就いて高い給与と特権を享受しつつも、やる気もなく、仕事もできない世のおじさん達に見習わせたい。
……まだ八歳なのにすごい! 領地のためになにかしようと一生懸命なんだね……!
自分よりも頭数個分も背の高いジェイル様を見上げて胸を張る双子に、心の中で賞賛の拍手が鳴り止まない。
「……わかった。次からは事前に言うように。突然だと周りの者にも迷惑がかかるからな」
「はぁい」
「わ、わかった」
ジェイル様もさらなるお叱りの言葉を述べることはなく、最後に一言だけ注意すると、双子の頭を大きな手でわしわしと撫でた。
いつもは鋭利な眼差しも、今ばかりは慈愛の色が浮かんでいる。
……ジェイル様って双子には弱いのかな?
この歳の離れた兄弟が一緒にいるところを見るのは二回目だ。
お屋敷に温泉が完成した際の体験会で目にした時も、ジェイル様は双子を前にして表情を緩めていた記憶がある。
十八も歳が離れているから、兄弟というより、自分の子供のように可愛くて仕方ないのかもしれない。
「じゃあ見て回るか。レイナ、案内を頼む」
「あ、はい! セナートとエミリアも行くよー! 建設に関わる色んな人がこの場にはいるから、はぐれないようについてきてね」
みんなを先導して、私は香りをテーマにした温泉を案内する。
ここはアロマオイルを使った入浴剤でお湯に香り付けをするのが特徴だ。景観は他の温泉に比べて劣るが、その分香りを楽しめるような仕様になっている。
ローズ、ラベンダー、クラリセージ、ジャスミン、ゆずなど、香りの種類もいくつか用意していた。
「わぁ、お湯からお花の香りがするわ!」
「こ、こっちはハーブかな?」
「香りにも種類があるんだな」
香りを確かめながら、各々から驚きに満ちた感想が上がる。今日は実際に浴槽にお湯を張っていないため、みんなにはサンプルを嗅いでもらっていた。
「週替わりや月替わりで香りを変える予定です。訪れるたびに目新しさがあれば、ここの温泉だけでもリピーターを狙えるかなと思ってます」
ジェイル様には種類を作る意図についての補足も入れておく。
なるほどと相槌を打つと、ジェイル様は双子に視線を戻した。そしてまさに今、エミリアの腕が当たってお湯が溢れそうになっていたサンプル用の入れ物をすんでのところで止めた。
「エミリア、動きに気をつけろ。危うく溢れるところだったぞ」
「ごめんなさい。つい夢中になっちゃって」
「服は濡れてないか?」
「うん、大丈夫よ。お兄さま、ありがとう」
エミリアに注意すると、ジェイル様は乱雑だけど優しい手つきで頭を撫でる。
……優しい面もあるんだ。なんていうか意外と面倒見がいい感じ?
考えてみれば、三人の両親は二年前に他界している。セナートとエミリアは幼くして父と母を亡くしたのだ。
確かジェイル様は王都で国王様の護衛騎士をしていたらしいから、双子とは離れて暮らしていたはずだが、流行病が発生した大変な状況下で三人だけの家族となってしまったため、心の絆は強いのかもしれない。
その後もみんなで温泉に併設する施設の建設状況などを歩いて視察して回った。
途中、そこで働く職人さん達や冒険者さん達とも言葉を交わす。
彼らにとってこの地のトップである領主一族は雲上人であるはずだが、アールデルス領では以前から領主と領民の距離は近いらしい。
気さくに話し掛けてくる人も多かった。
それに対して不快さを滲ませることなく、ジェイル様や双子は応じている。
まあ、ジェイル様はいつも通り不機嫌そうな顔でぶっきらぼうな態度ではあるけれど。ただ、どことなくいつもより態度が柔らかい。
……そういえば、護衛を付けないのは領民にプレッシャーをかけないための配慮なんだっけ。
それを聞いた時は「へぇ、そうなんだ」くらいしか思わなかった。
でも今、実際にジェイル様が領民と接している姿をこの目で見ると、違う感想を抱く。
……ジェイル様って不器用なだけで、実は結構領民思いだよね。
家族思いで、領民思い。
今まで知らなかった優しい一面を垣間見て、胸がキュンとする。
傍若無人なだけの人ではないんだなと思い知った。優しく面倒見が良い部分は素敵だと思う。
……なんで独身なんだろ?
ジェイル様は二十六歳。この国の男性は、二十五歳頃までに結婚するのが一般的だ。
これでジェイル様が難ありの人物であれば独身でも不思議には思わない。
でも彼は容姿も良く、地位もあり、頭の回転が速く仕事もできる。騎士だったから腕っぷしだって強い。
客観的に判断してかなりのハイスペック。結婚相手として好物件だ。
王都にいたのなら、それこそ結婚話が多数舞い込みそうなのに。
この日、視察は無事に終わったが、私の頭の中には大きな疑問が残ったままとなったのだった。




