01. 異世界への召喚
「おぉ、成功です!」
「本当に召喚できるとは素晴らしい!」
「でかした! これで我が公爵家も安泰だ!」
手足にはザラリとした土の感触、耳からは複数人の男性の声が飛び込んでくる。
「あれ? カフェから帰ろうとしたところなのにおかしいな」と思いながら、私は恐る恐るまぶたを持ち上げた。
するとそこは陰気な雰囲気の古びた小屋の中で、私はそこに座り込んでいた。
目の前にはまるで舞台役者のような西洋風の衣装を来た数人の男性が立っている。
この場所にも、この人達にも全く心当たりがない。
……なにここ。それにこの人達のこの格好は仮装? 髪色も金髪、茶髪、グレーとか奇抜な色だし、まるで中世ヨーロッパみたいな出立ち!
いかにも貴族という感じの上質な布地に金銀の刺繍が贅沢に施された服に身を包む男性、甲冑に身を包んだ騎士っぽい男性、魔法使いのようなローブを着た男性が、それぞれ一人ずつ。
歓喜の声を上げながら、珍獣を見るような目で私を眺めていた。
じっと観察していると、髪色だけでなく、瞳の色もブルーやパープルなどまるでカラーコンタクトのような色をしている。
……今日ってハロウィンだっけ? いやいや、普通の三連休前だったはず。それにしても皆さんパッと見良い歳した大人なんだけど……?
違和感に首を傾げながら黙って様子を窺っていた私に、集まっている人達の中でも一際偉そうな雰囲気のでっぷりした中年の男性が話しかけてきた。
「それで、お前たちが聖女か?」
「……お前たち? 聖女?」
おうむ返しのように言葉を呟いたと同時に、私はその場に男性たちと私以外の存在がいることに気がついた。
私と同じように状況が分からず唖然とした表情をしている女の子だ。
丸顔で、クリクリとした大きな黒目が印象的な、いわゆるたぬき顔のとても可愛らしい子だ。おそらく大学生くらいだろう。
コスプレのような男性たちとは違って、彼女は至って普通――私にとって見慣れた服装をしている。ということは、おそらく彼女も私と同じような立場であると推測できる。
意味不明な事態に彼女は混乱しているようで、小さく震えているようだ。
……私も混乱してるけど、ここは年上の私がなんとかするべきね。
仕事でも不明点は放置せずしっかり確認することが重要だ。
私はでっぷりした中年男性が先程発した不可解な言葉をまずは取っ掛かりに質問してみることにした。
「あの、聖女ってなんのことですか?」
“聖女”なんて物語の中でしか聞いたことがなく、そんな突拍子もない厨二病みたいな言葉を言われて眉を寄せざるをえない。
私の様子を見てその中年男性は疑心に満ちた顔を浮かべ、こちらの質問は無視して隣の男性に視線を向ける。
「……ロベルト、聖女の召喚は成功したとおぬしは申したな? 間違いないか?」
「はい、エンゲル公爵様! このロベルト、嘘は申しませぬ。なにより魔法陣から現れたのがその証拠でございます」
「ふむ。確かにこの娘たちは魔法陣から現れたからな。それに聖女にふさわしい美しい容姿ではあるし、衣装も見慣れぬものだ。それで娘たち、名はなんと言う?」
「……そちらは?」
名前を聞くならそっちから名乗って欲しいものだと思いながら尋ね返す。
一応、友好的に事が進むように愛想の良い笑顔は作った。
だが、その私の気遣い虚しく、ロベルトと呼ばれていた男が慌てたように声を荒げた。
「こら、お前! 公爵様に名乗れとは失礼な! こちらのお方は、サウザンド王国の三大公爵家の一つ、エンゲル公爵家の当主でいらっしゃるぞ!」
「サウザンド王国……? エンゲル公爵家……?」
聖女に続き、またまた全く聴き馴染みのない単語が飛び出す。
チラリと隣にいる女の子を見れば、彼女も心当たりはないようで訳がわかないという顔をしていた。
……私は夢でも見てるのかな? 現実とは思えないんだけど。
思わずほっぺたをつねってみたが、普通に痛い。これはやはり夢ではないようだ。
「私は玲奈と言います」
「わ、わたしは凛です」
「ほう。レイナとリンと申すのか」
「あの、ここはどこですか? サウザンド王国なんて聞いたことがないんですけど。それに私、カフェを出たところだったはずなんですが……?」
「わ、わたしもカフェに入ろうとしたところだったんですけど……」
この際だから聞いてみようと思い、名前を名乗った後に疑問に思ったことを口に出してみる。
凛と名乗った女の子も私に続き、小さく言葉を発した。
どうやら彼女は私と同じくあのカフェにいたようだ。そういえばあの時、カフェに入ってくる人とすれ違った気がする。
「なんと、サウザンド王国を知らないとは田舎者だな。まあ異世界人だからしょうがないのか」
ロベルトさんはちょっとバカにしたような表情をしながら鼻を鳴らした。
一応説明はしてくれるようだ。
「我が国は大陸で一番の大国。そして私は召喚魔法を代々受け継ぐユンゲラー伯爵家の者だ。この度エンゲル公爵様の命令と支援を受けて、数百年前に一度だけしか成功したことのないこの大規模な召喚魔法を執行したのだ」
「大規模な召喚魔法ですか?」
「そうだ。異世界から聖女を召喚した。そして現れたのがお前たちだ。そこに魔法陣もあるだろう」
「聖女の召喚……」
これは悪い冗談だろうか。
彼の言うことは正気じゃない。
でも確かに私たちが座り込んでいる場所にはファンタジー映画で見たことがあるような魔法陣が描かれている。
そういえば、さっきカフェの出入口でも、魔法陣を見かけたような気がする。
……聖女召喚とか、まるで今流行りの異世界系のラノベのような話じゃない!
もう一度ほっぺたをつねってみるが、やはり痛い。
何度も何度もつねってみるものの、ただ痛いだけで、いっこうに夢から覚める気配はなかった。
……夢じゃないっていうんなら、ラノベのように召喚されて異世界転移しちゃったっていうの⁉︎ ウソでしょ⁉︎
まさか自分の身にこんな奇想天外な出来事が降りかかるなんて。
信じられない思いでいっぱいだ。
……とにかく落ち着こう。まずは情報収集!現状把握のためにもっと情報を引き出さないと!
私は必死で自分に喝を入れ、冷静に以前読んだ異世界系のライトノベルを思い出してみる。
こういう異世界から勇者や聖女を召喚する話もあったはずだ。
……そういえば、そういう話って確か召喚する理由があったよね? それに召喚された人にはチート能力があったはず。
「あの、おっしゃってることは理解しました。それで、サウザンド王国が聖女召喚を試みられた理由はなんですか?」
「ふむ。よかろう、教えてやろう」
ロベルトさんに代わり、今度はこの場で一番偉そうなでっぷり中年男性が再び口を開いた。
先程の説明を踏まえると、このエンゲル公爵様は偉そうというより、実際偉いのだろう。上流階級の人間らしい豪華な服装だし、権力者らしい傲慢な態度が見え隠れする。
あまり好感が持てる人ではないが、今は情報が欲しいので私は大人しく頷いた。
「我が国は長年の歴史の中で領土を増やし、今や大陸一の大国だ。近年は戦争もなく平和そのものであるが、敵国とは異なる脅威が存在している。それが病だ」
「なるほど、病気ですか」
「実際に二年前にはサウザンド王国の辺境領で流行病が蔓延して多くの死亡者が出た。だが、聖女がいればその脅威に我々はもはや怯える必要はない。聖女の治癒により我が国は安泰だ。そのために、資料に残っていただけで近年誰も成し遂げていない召喚魔法を我が公爵家がロベルトを支援して実現させたのだ。さぞや王族も喜んでくれるであろう」
どうやら、ロベルトさんは大層な偉業を成し遂げたらしい。チラッと視線を送ると自慢気に胸を張っていた。
なんというかこのロベルトさんは誰かの腰巾着をしているような小悪党っぽい雰囲気だが、能力はある人のようだ。
また、エンゲル公爵の話によってこの国がどうやら病気に対する対抗手段を欲しているらしい事情は理解できた。
でも未だ謎なことがある。
「それで、聖女による治癒って具体的にどうやるんですか?」
そう、これだ。
隣で女の子も私の疑問に同意するようにウンウンと頷いている。
当たり前のように話されるが、私たちにそんな能力があるなんて到底思えないのだ。
……だって私普通のOLなんだもん。彼女も普通の大学生っぽいし。それとも何か異世界に転移してチート能力でも備わっているのかな?
「聖女は治癒魔法が使えるそうだ。我らもそれを実際に見たことはない。なにしろ大規模な召喚魔法なんぞ、ここ数百年以上行われていない幻のようなものだからな」
治癒魔法というワードが飛び出し、ますますファンタジー色が濃くなる。
どうやら私は本当に異世界召喚というとんでもない事態に直面しているようだ。
……でもちょっと疑問なのがこの場所かな。普通ラノベだと、召喚される場所って王宮とか教会が多いけど。ここ、明らかに違うよね? 人目を盗んでるっぽい陰気な小屋だし。
そのちょっとした疑問はすぐに解消された。
「数日以内に陛下への謁見の場を設ける。我らが国のために聖女召喚に成功したことを報告するためだ。その際に王族のみが保有する鑑定水晶でお前たちの治癒魔法の適性を確認する」
今はこんな場所だけど、近日中に王宮に連れて行かれるようだ。
察するにエンゲル公爵やロベルトさんは功績を上げるためにこっそり召喚魔法を実行したのではないだろうか。
権力者のご機嫌を取りたい人がやりそうなことだ。
その後、私と女の子は言われるがまま馬車に乗って移動し、用意された屋敷で数日を過ごすことになった。
彼らを完全には信用できないけれど、未知の場所ゆえに指示に従うほかなかったからだ。
馬車の中から見た街並みは、やはり日本とは全く違うものだった。
どうやら私は本当に異世界へ来てしまったらしい。
女の子――凛ちゃんとも話したけど、彼女も私と同じ見解のようだった。
凛ちゃんは二十歳の大学生で、今どきの可愛くてオシャレな感じの子だ。
彼女曰く、オタクの読み物であるライトノベルは全く興味がないから知らないけど、以前男性ファンの勧めで異世界に聖女として召喚される話のアニメを少しだけ観たことがあるという。
なんでもその聖女が「凛ちゃんに似ていてすごく可愛い」と言われたから、SNSのネタに利用できるかもと思ったそうだ。
そのアニメの雰囲気と似ているから、ここが異世界だと思ったらしい。
ちなみに凛ちゃんは大学のミスコンで二連覇。大学内に非公式のファンクラブまであるという。
生まれも育ちも東京で、県外や海外へは旅行で数日行くくらいしか経験がないそうだ。この未知の世界に私以上に戸惑っているようである。
ただ、聖女と言われるのは満更でもない様子が窺える。
屋敷で使用人たちに「聖女様」と呼ばれて丁重に扱われたことで、自尊心が満たされ警戒も緩んできたのだろう。
一方の私はまだまだ絶賛警戒中。今は良くともこれからの扱いがどうなるか先行きが不透明だからだ。
すっかり懐柔されてしまっている凛ちゃんを見ていると、まだ二十歳で若いからしょうがないと感じるし、同時に年上の私がしっかりしなきゃなと思わされた。
ただ、当初は目の前ことでいっぱいいっぱいだった私も、数日経てば警戒はしつつも次第に少し冷静になってくる。
……それにしても私がこんな事態に巻き込まれて、三連休のPRイベントに行けなくなっちゃったけど大丈夫かな? 迷惑かけてそう。でもどうしようもないもんね。
意識が召喚された時の自分の状況に向き始めるくらいの余裕が出てきた。
エンゲル公爵とロベルトさんに王宮へ連れて行かれたのはちょうどそんな頃のことだった。