14. 露天風呂の体験会
「わぁ! なにこれ!」
「こ、この前の作業はこれを作っていたの?」
「こちらがレイナ様が熱望されていたオンセンというものですか」
露天風呂が完成した翌日、その噂をいち早く聞きつけたエミリアとセナートがヴィムを伴ってさっそく屋敷に遊びに来た。
ぜひとも自信作を見てもらいたくて、庭にある露天風呂用の小屋へ三人を引き連れ、お披露目だ。
初めて目にする温泉に三人は三者三様の反応を示す。
好奇心の塊みたいなエミリアは興味津々に目を輝かせ、慎重派なセナートは恐る恐る様子を窺うように、そしてヴィムは観察するように糸目をさらに細くしてしげしげと眺めている。
いずれにしてもお湯に浸かるという文化がないこちらの世界の人にとっては、とても珍しい光景のようで未知との遭遇といった様相だ。
「私のいた世界ではね、基本的にこれの簡易版みたいなものが家にあって、シャワーを浴びるだけでなくこうやって湯を沸かして入浴するのが普通だったの。で、これみたいに地面の下から湯を掘り当てた特別なものは温泉って言ってね。なかでも屋外に設置されたものは露天風呂と呼ばれてるの。景色を眺めながら入浴できるし、開放感もあってとっても人気なの!」
「ラジオタイソウやヨガの時も思ったけど、レイナのいた世界は色々変なものがあるのね」
「うん、こ、こんなの見たことない。きっと王都にもないよ」
「セナート様のおっしゃる通りでしょうね」
私の説明に耳を傾けながらも、三人の目線は露天風呂に未だに釘付けだ。よっぽど興味があるらしい。
「良かったら、露天風呂に入ってみない? ぜひ体験して見て欲しいな! 本当にすっごく気持ちいいから!」
「楽しそうね。わたし、入ってみたいわ!」
「ぼ、ぼくも……!」
「僕は仕事中ですので遠慮しておきます。またの機会にでも。それではエミリア様、セナート様のご入浴をお見守りしますね」
「あ、ヴィム、待って! 温泉は裸で入るものだから男女別に入るの。だからセナートの時はいいけど、エミリアの時はアンネに見守りをお願いした方がいいかも。それか私が一緒に入ってもいいけど」
「「「えっ、裸⁉︎」」」
どうやら大事な部分を伝え忘れていたようだ。
裸で入るのだと補足した途端、三人が目を丸くして驚きの声を上げた。
昨日不死鳥の皆さんにはすでにこの露天風呂を体験してもらったけど、その時はここまでの反応ではなかった。
それもそのはずだ。彼らは計画の段階から携わってくれていて、私が何を作りたいのかという完成形の構想を把握した上で手伝っていてくれていたのだから。
それに対してエミリア、セナート、ヴィムは何も事前情報なしだったのでビックリするのも無理からぬことかもしれない。
話し合いの結果、まずは私とエミリアの二人で入ることになった。
慎重な性格のセナートは様子見がしたいようだし、一方でエミリアは裸だろうとなんだろうと楽しそうだから早く体験したいと意気揚々だ。
男性陣には小屋から出て行ってもらい、脱衣所で服を脱ぎタオルを身体に巻き付け、エミリアの手を引いて浴室へ進む。
エミリアはワクワクした様子でキョロキョロと辺りを見回している。
「湯船に浸かる前にはこうやって必ず先に身体を洗い流してね」
「分かったわ! こんな感じ?」
「そうそう、それでバッチリ! あとタオルは身体を隠すものだけど、湯船に浸かる時には取るのがマナーね。じゃあさっそく入ろっか!」
私は見本を見せるようにタオルを外して先に湯船に浸かってみせた。
エミリアも私のマネをして、続いて湯船に入ってくる。
肩までお湯に浸かった瞬間、エミリアはほおっと恍惚の溜息を零した。
その様子だけでエミリアが温泉の気持ち良さを実感してくれているのが伝わってくる。
「ふふっ、温泉はどう?」
「すっごく気持ちいいわね! 温かいお湯に包まれてなんだかホワンとする感じがするわ!」
「外の景色も見てみて! すごくリラックスできるから」
「なんだか不思議! だっていつも見ていた景色が違って見えるんだもの」
「私のいた世界では至るところに色んな露天風呂があってね。海を眺めたり、雪景色を眺めたりしながらお湯に浸かれるところもあるのよ」
「色々あるのね。レイナのいた世界はこの国と全然違って面白いわ」
……良かった、エミリアはすっかり温泉を気に入ってくれたみたいね!
こちらの世界の貴族がどんな反応をするか密かに気になっていた私はほっと胸を撫で下ろす。
この様子なら領主館の敷地内に変なものを作ったと後から非難されるような事態にもならないだろう。
「そろそろ出ようか?」
「もう出ちゃうの? 気持ちいいからもっと入っていたいのだけど」
「長く入りすぎるとのぼせて気分が悪くなることもあるから入り過ぎは注意なの。特に今日は初めてだから、これくらいにしておこう?」
名残惜しそうに湯船を見つめるエミリアを促しつつ、脱衣所で着替えを済ませる。
服を着た後は、あらかじめ用意しておいた水を飲んでしっかり水分補給をするのも忘れない。
「本当に気持ちかったぁ~! それに温泉の後に飲む水も美味しいわね。身体に染み渡っていくみたい!」
頬を上気させたエミリアはご満悦な表情でゴクゴクと水を飲んでいる。
次は交代でセナートが入る番だ。
私達は身支度を整えると脱衣所を出て、セナートとヴィムが待つ屋敷の居間へ戻った。
「お待たせ! 次はセナート、どうぞ!」
居間に入るなりそう声を掛けた私だったが、ふとそこでその場にいるのが二人だけではないことに気づく。
むすっとした表情をした黒髪の美形がそこにはいた。
……えっ、この人って確か……領主様⁉︎
領主様と顔を合わせるのは、アールデルス領に到着した日以来だ。
それにしてもなぜ彼がここにいるのだろうか。
辺りをよく見渡せば領主様だけでなく、家令のオリバーさんも一緒だ。
好き勝手やっていたら、研修先の社長と副社長がいきなりやって来たというシチュエーションに、特にやましいことはないのになぜかギクリとしてしまう。
「お兄さま! どうしてこちらに?」
私の隣にいたエミリアは領主様の姿を目に留めるなり、パッと笑顔を浮かべて、彼に駆け寄っていく。
ひと回り以上歳の離れた兄妹だが、どうやら兄妹仲は良好らしい。
領主様は少しだけ表情を緩めてエミリアの頭を軽く撫でながら、視線だけジロリと私へ向けた。
「……ずいぶん面白いことをしているらしいな?」
初対面の時も思ったが、相変わらずぶっきらぼうな物言いだし、眼光が鋭い。そのせいか、なんだか尋問を受けている気分に陥りそうだ。
「……面白い、ことですか? いえ、特には。領主様のおかけで日々健やかに過ごさせて頂いております」
「聞いたぞ。ラジオタイソウやヨガなる儀式をしているそうじゃないか」
「ああ、あれは儀式ではなくただの運動です」
「そうらしいな。実際にエミリアとセナートが披露してくれたのを見たが実に珍妙だった。で、今度はまた違うことを始めたと聞いたが?」
顔を合わせたのは数ヶ月前に一度きりではあるものの、領主様は私の行動を把握していた。定期的に報告を受けているようだ。
……まぁ、そうだよね。親会社から預かった研修生の動向はチェックしたりするよね。
それにしても今までは特に顔を見せなかったのに、今回はどうしてわざわざこちらまで足を運んできたのだろうか。
やっぱり温泉の話を耳にして実物を見に来たという可能性が高そうだ。
「温泉のことですか? ちょうど昨日完成したばかりです。私のいた世界では広く普及していたもので、全然変なものではありませんよ。今ちょうどエミリアと一緒に入ってきたところで、次はセナートの番なのですが、良かったら領主様もセナートと一緒に体験されますか?」
見物に来たのだったら体験してもらった方が早いだろうと思い、私は流れでこう提案してみた。
私からの申し出に対して眉を寄せて一瞬考え込む素振りを見せた領主様だったが、横からエミリアが「絶対に体験した方がいい!」と強く推したのを受けて決心したようだ。
ヴィムの見守りはなしとなり、領主様とセナートの兄弟水入らずで入浴することになった。
私は二人を連れて庭の小屋へ案内する。一通り入り方をレクチャーして「では、ごゆっくり」と脱衣所の扉を閉めた。
ただ、しばらくして脱衣所内に水差しを置いておくのを失念しまったことを思い出した。
温泉初心者の二人だから、のぼせたり、脱水症状になったりする可能性もある。すぐ水分補給できるようにしておくべきだろう。
……きっともう温泉に浸かっていて、脱衣所にはいないよね。安全のためにもサッと水だけ置いてきちゃおっと。
私は水差しを手に、そろりと扉を開けて、脱衣所の中へ足を踏み入った。
だが、私の目算は甘かった。
「――ッ!!!」
もう誰もいないはずだと思っていた脱衣所には、上半身裸で腰にタオルを巻いた領主様がまだそこにいたのだ。
紺青の瞳とバッチリ目が合ってしまい、心臓が飛び出しそうになる。
「す、すみません……!! もう脱衣所にはいないかと思って! こ、この水を置きに来ただけです。温泉に入るとのぼせて気分が悪くなることがあるので水分補給は大切なんです。決して裸を見に来たとか、そういうのじゃありません……っ!!」
必死で言い訳しながら、視線を逸らす。
ササっと水だけ置いて、逃げるように即座にその場を後にした。
……あ~やっちゃったぁ……。絶対誤解されたよね。変態だと思われてそう。ううっ。
恥ずかしすぎて顔が赤くなる。
本当に裸を見るつもりなんてこれっぽっちもなかったのだ。
でも見てしまった。
記憶に焼きつくくらいハッキリと。
……ちょっとあれ、ビックリするぐらいすごい体だったよね。
国王様の元護衛騎士というだけあって普段から鍛えているのだろう。
無駄な肉は一片もない引き締まった身体はさすがの一言。お腹はシックスパックに割れていた。
……私、別に筋肉フェチとかじゃ全然ないけど、あの体にはちょっとドキドキしちゃうかも。特にあの長身で、あの美形だもんね。
無愛想ではあるが、日本にいたら間違いなくモデルや俳優のスカウトが押し寄せるであろう極上のイケメンだ。
そんなイケメンの上半身裸の威力は思った以上である。未だに胸の鼓動が鳴り止まない。
……はぁ。でも領主様が温泉から出て来た後を考えると怖いなぁ。何を言われるんだろう。変態認定されて警戒されそう。
私に対する心証が悪くなって、温泉を取り壊ししろとか言われたらどうしようか。
そんな嫌な想像をしてしまっていたからか、領主様とセナートが温泉からあがってくるまでの時間がやけに長く感じた。
実際にはそれほど長時間ではなく、お風呂上がりで頬を上気させた二人が居間へ戻ってきたのは、それから数分後のことだった。
居間に入って来た領主様はすぐさま私を一瞥し、少し眉を寄せたが、幸いにも特に先程の出来事については触れてこなかった。
なかったこととして水に流してくれるのだろう。こっそり安堵の息を吐いていると、領主様は違う言葉を私に投げかけてきた。
唐突にこんなことを言い出したのだ。
「あのオンセンとかいうやつだが、気に入った。俺も欲しい。あれと同じものを領主館にも作ってくれ」
なんと突然思わぬお仕事の依頼が舞い込んだ。