12. 恋しくてたまらないもの
今日も朝からラジオ体操とヨガを済ませ、私は久しぶりに領主館の敷地を出て、外に散歩に出掛けていた。
特に目的地があるわけではない。
周囲の風景を眺めながら気の向くままに舗装されていない道を歩いているだけだ。
中心地ではないこの辺りは、高い建物は皆無で、森林に囲まれたのどかな田舎町が広がっている。
オフィスビルが建ち並ぶ東京のど真ん中で、毎日せかせかと過ごしていた私にとってはこの場にいるだけで心が洗われるような心地がする。
時間の流れは同じはずなのに、東京と比べてゆっくりに感じるから不思議だ。
日本の田舎町もここと似たような風景だと思うが、すれ違う領民の姿が目に入ると、「ああ、やっぱりここは異世界なんだな」と思わされる。
外見的特徴や服装が日本のそれとは全く違うからだ。
金髪や茶髪くらいならなんとも思わないものの、青や緑、ピンクといった鮮やかな色の髪はさすがに日本では珍しい。
それになんと言っても目の色だ。黒とは程遠い、宝石のような輝く色合いの瞳をした人がほとんどで、つい目が引き寄せられる。
……アンネは深い赤色、ヴィムはエメラルドだものね。ご領主様とエミリア、セナートは確か紫色を帯びた青色だったかな?
これほど外見的特徴が色彩豊かなのだから、きっと王都で開催されるような舞踏会などではそれに合わせたドレスなんかも華やかなんだろうなぁと思う。
出席する機会はないだろうけど、ちょっとばかり興味をくすぐられる。
……やっぱりイベントを開催するなら、そういう華やかさを活かした仕掛けを組み込みたいところよね。例えば、主賓の瞳の色に合わせて、衣装の色指定しちゃうとか! 海外ウエディングの時のブライズメイドみたいにね!
ついつい仕事をしていた時の思考が顔を出す。
今はそんなことを考える必要もないのに、PRとしてどう注目を集めるかを無意識に戦略立ててしまうあたり、スローライフを送りつつも私はまだまだ仕事に毒されているのかもしれない。
……やめやめ! それより今考えたいのは別のこと。アレよ、アレ!
今や恋しくてたまらないアレ――お風呂である。
身体を動かすようになって、ますますシャワーだけでは物足りなくなってしまった。
ゆっくりお湯に浸かって身体を癒したくてたまらない。
……異世界系のラノベでもよくお風呂や温泉を作ったりする展開あるもんね。ということは、ここでも実現可能かも、だよね?
フィクションであるラノベを鵜呑みにするわけではないが、まさにそれと似たような状況下に置かれている私にとって参考にはなる。
確かラノベではガッツリ魔法を活用して作っていたように思う。
残念ながらこの世界に魔法はないに等しい。でも魔道具は普及しているみたいだからそれでなんとかならないだろうか。
……簡単に地面の奥深くまで掘削できる魔道具があったりしないかな?
確か火山があるところに温泉はできやすい。
火山の下には、地球の深いところから上がってきたマグマがたまっていて、マグマからは熱い水や水蒸気、ガスが出ている。
それが地中に染み込んだ雨水と混ざり、地面にわいて温泉になるはずだ。
だけど、東京のど真ん中にも温泉があるように、必ずしも火山が必要なわけではない。
火山がない場所でも、すごく深く掘れば熱い水を取り出せるのだ。
……いつもヨガをやる時に使ってるテラス前のあの広いスペースに温泉ができれば、目の前に森もあって気持ち良い露天風呂になりそうなんだけどなぁ。
その場面を想像してみると、とても良いアイディアのように思えてくる。
なんとしても実現させてみたいところだ。
……あ、その前にそもそもあの屋敷はお借りしてるものだから、勝手にいじっちゃったらマズイかな?
ふと現実を思い出した私は、斜め後ろを振り返る。
「ねえ、アンネ。いつも私がヨガをしている庭だけど、あそこって私が自由に使っても大丈夫なの?」
散歩くらい一人でも大丈夫と言ったものの、今日も今日とてしれっと帯同してきたアンネに念のため問いかける。
「自由に、ですか? 今もヨガをしたり自由に使われていると思いますが?」
アンネは無表情のままコテリと首を傾げた。
どうやら私の言葉が足りずに聞きたい内容が正確に伝わっていないらしい。
「えっと、使うだけでなく、改造するというか。例えばあの場所に新たに何か建物を建てたり、穴を掘ったり、なんだけど」
「穴……? それはどういった理由ででしょうか?」
「う~ん、なんて説明すればいいかなぁ。えっと、穴を掘ってお湯を引き上げて貯めたいというか」
「お湯? 貯める……?」
「別に変なことをしようとしているわけじゃなくってね。ただ、私のいた世界で人気のあるものを再現してみたくて。とりあえず一目見てもらえれば素晴らしさが分かるとは思うんだけど」
温泉を知らない人に何をしようとしているのかを説明するのはなかなか難しい。
結局かなりザックリとした伝え方になってしまったが、私がまたラジオ体操やヨガのような異世界ならではの何かをしようとしていることは理解してもらえたらしい。
アンネは少し考えたのち、軽く頷く。
「あのお屋敷でどう過ごすかは客人の自由であり、何をしてもいいと許可は得ていますので、お庭もお好きにされて良いかと思います。穴を掘るのも問題ないかと」
「そう、それは良かった!」
領主様はまだ若いのに、客人に自由を与えてくれるなんてかなり太っ腹で度量の広い人なんだなと感心してしまう。
とりあえず場所の問題はなさそうだ。
となれば、やはりどうやって採掘するかがネックとなってくる。
……やっぱり適した魔道具があるかをまずは調べてみるのが良さそうかな?
「おーい! レイナさーん!」
再び一人で考え込んでいたその時、ふと遠くの方から私の名前を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。
目を凝らしてみれば、道の少し先の方から手を振っている人達の姿が見える。
不死鳥の面々だった。
「この前偶然出くわして以来だね。今日も散歩中? あたい達もだよ」
「王都と違ってのんびりできて良いよね」
姉御肌のヒルダさんがカラカラ笑いながら元気良く話しかけてくる。
続けて言葉を発した優男のカイさんはにこやかな笑顔を浮かべていて、どうやら田舎生活を満喫しているようだ。
「皆さんはアールデルス領でどんな風に過ごしてるんですか?」
「実はここのギルマスは元Sランクの冒険者で名の知れた人物でな。俺と地元が同じってことが分かって意気投合してさ。最近はギルマス直々に鍛えてもらってるんだ」
「ギルマスのサイゴンさんったら、顔に傷のある厳つい大男でね。ちょっと見た目はおっかない人なんだけど、とっても良い人なのよ」
ギルマスに鍛えてもらっていると話すウェルムさんは元々筋肉隆々だったけど、そういえば前よりもさらに筋肉がパワーアップしているような気がする。
シーラさんによると、その鍛えてくれている噂のギルマスは歴戦の猛者みたいな容貌の人のようだ。
顔に傷のある厳つい大男なんて、いかにも異世界ファンタジーに登場しそうな人物である。
……冒険者ギルドにも興味あるなぁ。用事がないから訪問する理由がなかったけど、今度ちょっと行ってみたいかも。
日本にはない冒険者ギルドという存在に好奇心がくすぐられる。
なにしろ異世界ファンタジー系のラノベでは物語の舞台になることも多い。実物を見てみたいと思ってしまうのも無理からぬことだろう。
……冒険者ギルドなら色んな人がいそうだし、魔道具の情報も何か得られるかも……? ていうか、その前にまず聞いてみるべき人が目の前にいるじゃないっ!
「シーラさんっ!!」
ハッとした私は物凄い勢いでシーラさんに歩み寄る。
シーラさんは不死鳥の中で魔道具&アイテムボックスの担当だ。
実力派のAランクパーティーなのだからきっと魔道具にも色々精通しているに違いない。
「……な、なにかしら?」
あまりの私の勢いにシーラさんは目を丸くして若干引き気味になっている。
まずい、驚かせてしまったみたいだ。
私は空気を変えるようにコホンっと軽く咳払いすると、今度は落ち着いた態度でシーラさんに問いかけた。
「実は私、探してる魔道具があるんです。シーラさんは魔道具の担当でしたよね? だから何か情報をお持ちじゃないかなぁと思って」
「そういうことなら力になれるかもしれないわね。どんな魔道具を探しているの?」
まともな質問だったことにホッとしたらしいシーラさんは優しげな笑顔で話の先を促してくれる。
ご厚意に甘えて、私はそのまま質問を重ねた。
「穴を掘りたいんです。ちょっとやそっとの穴じゃなく、かなり奥深くまで掘削したいと思ってて。そういった魔道具ってありますか?」
「掘削の魔道具ね。あるわよ」
「えっ! 存在するんですか! シーラさん、持ってたりします?」
「ごめんなさい。残念ながら私は所持してないわね。存在自体は知ってるけど、使ったことないの。高価なものだからあまり一般普及していないのよ。王都の魔道具屋に行けば売っていると思うわ」
「そうなんですか……」
王都まで行くのは現実的ではない。
聖女と同じ世界の人間ゆえにあちらでのいざこざに巻き込まれないためにアールデルス領に避難してきている身なのだから。
がっくり肩を落としていると、そこで私とシーラさんの会話に入ってきた人物がいた。
リーダーのウェルムさんだ。
「掘削の魔道具ならたぶん冒険者ギルドにあるはずだ。それに俺は地元にいた頃、井戸を作る事業に携わったことがあるんだが、その時にその魔道具を使った経験もあるしな」
「ほ、本当ですか……!!」
なんと思わぬ救世主が現れた。
魔道具がこのアールデルス領内に存在し、尚且つそれを扱える人も存在している。
……これはもうやるっきゃないでしょ! 神の啓示よね!
俄然やる気が漲ってきた私はウェルムさんに、冒険者ギルドの魔道具を借りて、今私が住んでいる屋敷の庭に穴を掘ってもらえないかを相談してみた。
冒険者ギルドではたぶんほとんど使われておらず常備しているだけだろうから、頼めば借りることは可能そうとのことだ。
そして掘削作業についても「なんだか面白そうだし身体を鍛えるのにちょうどいいから」と筋肉をムキムキしながら笑顔で了承してくれた。
しかも無報酬でいいという。
不死鳥の他のメンバーもなぜか興味津々な様子で、一緒に手伝ってくれるそうだ。
なんだかんだで皆さん少し暇を持て余していたのかもしれない。
こうして、散歩中に急遽、温泉づくり計画が始動する運びになったのだった。