10. 頭の痛い問題(Sideジェイル)
「いやぁ、旦那。そう言われてもオレらも奉仕活動をしてるわけではないんでね。利益が必要なわけなんですよ」
「それは俺も理解している。だが、なんとかもう一度考え直してくれないか?」
アールデルス領の中心部にある冒険者ギルドの一室。
俺は顔に傷のある厳つい大男――ギルドマスターのサイゴンと向き合っていた。
サイゴンは先程から腕組みをして渋い顔を崩さない。その様子からこちらの申し出を聞き入れてもらえそうにない気配が窺えた。
……もう何度もこの話をしているが、平行線だな。そろそろいい加減潮時だろうな。
俺がサイゴンとこの話をするのは一度や二度のことではない。もう幾度となくこうして話す機会を作っている。
領主である俺がなぜこれほど冒険者ギルドのギルマスと話し合いの場を設けているのかと言えば……彼らを引き止めるためだった。
実は冒険者ギルドがアールデルス領から撤退しようとしているのだ。
その原因は二年前の流行病だ。
あれ以前は、片田舎の領地といえども、アールデルス領には木材や薬草などを買い求めてそれなりに商人が訪れており、冒険者ギルドとしても護衛依頼や薬草の採取依頼などで潤っていた。
だが、流行病の発生以降はその状況が一変。収束して二年が経つというのに、領外から人が来なくなり、アールデルス領は閑散としている。
冒険者ギルドとしてはこの地で利益を見込めないとあって、これ以上ここで活動していく意義はないと判断しているのだ。
「オレもアールデルス領を見捨てたくはないんですぜ。前領主様の頃から世話になってますからな。ただギルドを存続させるためには利益が必要で、そうでないと冒険者ギルド本部も納得してくれねぇんですわ」
「まあ、そうだろうな……」
「以前のように外からの人の出入りがあれば考え直せますが、何か抜本的な解決策はあるんですかい? 先への明るい見通しがあるってんならオレも本部に掛け合えるんですがね」
サイゴンの言葉は至極もっともである。
これには俺も、俺の隣に控えるオリバーも返す台詞を失い、口を閉ざさざるを得なかった。
なにしろそんな都合の良い解決策などないからだ。
流行病でズタボロだった領内はようやく安定してきたばかり。この二年、内政に勤しむので手一杯であり、外に対しての施策などできるはずもなかった。
正直なところ、風評被害が著しく、アールデルスへ向けられる外からの目は非常に厳しい。
領外から人を招き入れるのは相当困難であるのは火を見るより明らかだ。
……木材や薬草を買い求めていた商人達もこの二年でもう新しい取引先を見つけてしまったからな。以前と同じようにはいかないのが難しいところだ。
結局この日の話し合いもなんとか撤退を考え直してくれと言い募るだけで終わってしまった。
ただの時間稼ぎに過ぎないが、やらないよりはマシというやつだ。
流行病で人口が減り、なにかと人手が足りていない今、冒険者ギルドに所属する冒険者達には助けられている。
だからこそ撤退されては困るのだ。たちまち人手不足で領内が立ち行かなくなる未来が見える。
「やはり話し合いは平行線ですね。分かってはいましたが、これと言った解決策がないのも頭が痛いところです」
領主館の執務室に戻って来てくるなり、オリバーは俺の気持ちを代弁しつつ、労うように紅茶を淹れてくれる。
香り高い紅茶にフッと少し肩の力を抜きながら、俺は椅子に深く腰掛け、背もたれに身を沈めた。
「本当にどうしたもんか。悩ましいな」
そう呟き、眉間に皺を寄せる。
もともと無愛想でいつも機嫌が悪そうな顔をしていると言われる俺だが、領主に就任してからのこの二年でますますそれが酷くなっている気がしなくもない。
目の前には問題が山積みであり、一つ解決すればまた一つと、際限なく現れる。
その中でも今回の冒険者ギルドの撤退の件は到底無視できないことであり、最大の山場だと言ってもいいだろう。
「そういえば、ヴィムから面白い報告がございましたよ。お聞きになります?」
オリバーは空になった俺のティーカップに再度紅茶を注いでくれながら、少し表情を緩めてそう問いかけてきた。
まるで「今これ以上考えても仕方がないから気分転換でもしましょう」と言うように。
その心遣いを察して俺は話に乗ることにした。
「ヴィムからということは、レイナ関係か?」
「ええ。なんでも最近レイナ様は突如ラジオタイソウやヨガという名の奇妙な儀式を始められたとか」
「……奇妙な儀式だと?」
「レイナ様曰く、健康のための運動とのことですが、走り込みや剣の素振りなど我々の知る運動とは全く様相が違うそうで、儀式にしか見えないらしいですよ」
「なんだそれは……」
思いもよらなかった報告に俺は呆気に取られた。
……また変な言動をしているのか。
定期的に様子を見に行っている執事のヴィムからオリバー経由で報告が上がってくるのだが、異世界からやって来たレイナはいつも周囲を唖然とさせているようだ。
メイドや執事と一緒に食事をしたり、昼過ぎまで寝ていて生存を心配されたり、飽きもせずに屋敷に籠っていたり。
別にこちらに迷惑をかけたりする人物ではない。至って友好的であり人柄としては好ましいと聞いている。
だが、常識が違う異世界人なのだと感じさせられる出来事が多々あるという。
聖女として召喚された王城にいるもう一人の異世界人もこのような感じなのだろうか。
もしそうであれば、王都に住まう貴族は気位が高く、自分達の常識に凝り固まった者が多いから、さぞや呆然とさせられているであろう。
「それで、どうやらその話をメイドや執事などが噂していたのを偶然耳にしてしまったらしく、セナート様とエミリア様がレイナ様に興味をお持ちになったらしいのです」
「セナートとエミリアが?」
「はい。レイナ様のお屋敷に会いに行きたいとおっしゃっているそうですが許可をお出ししてよろしいでしょうか?」
そう問われ、俺は一瞬だけ考え込む。
柔らかく微笑んだまま俺の返答を待っているオリバーが問題ないと考えているのは明らかだ。
なにかとセナートとエミリアに関して気にする俺に一応お伺いを立てているという感じだった。
……まあ、俺もオリバーに同感だけどな。
レイナは当初こそ警戒していたが、今ではすでに要注意人物ではなくなっている。
変な言動でセナートとエミリアに悪影響を与えないかだけが若干気掛かりだが、まあ心配しすぎることはないだろう。
「問題ない。ただし、二人だけで出歩かせるなよ。必ず誰かが帯同しろ」
「もちろんです。ヴィムを付き添わせますのでご安心ください」
俺の返答に予想通りだと言うようにオリバーはふっと笑う。
なにもかも見透かされているようで、やはりオリバーには頭が上がらない。
……それにしてもレイナか。俺も一度くらい様子を見に行くべきかもな。
アールデルス領に到着した時に顔を合わせて以来、報告を聞くだけで会ってはいない。
優秀な使用人達に任せておけば問題ない上に、レイナの方からも特に何も言ってこないのをいいことに放ったらかしという状態だった。
とはいえ、一応ニコラウスから引き受けた客人だから、たまには領主である俺自らが顔を出すべきだろう。
近いうちに時間を作るかと算段をつけながら、俺はふと思う。
常識から離れた言動をする異世界人のレイナなら、アールデルス領の抱える現状にも何かぶっ飛んだ解決策を示してるくれるのでは、と。
だが、そんな考えが頭をよぎったのはほんの一瞬のことで、俺は自分で即座に否定する。
……いや、ないな。俺は何を考えてるんだ。疲れて思考がおかしくなってるな。
レイナは聖女に巻き込まれただけであり、彼女自身には特別な力はない。
それにいくら言動が多少こちらの世界と違うとはいえ、俺と同じ年のただの女だ。
サウザンド王国で俺と同年代の女と言えば、すでに結婚して子を成し、今は子育て中の者が多い。
まあ貴族の場合は乳母に子供の養育は任せて、自身は夜会や茶会など社交界での人脈作りに勤しむ者がほとんどではあるが。
いずれにしても、俺が知る同年代の女がアールデルス領の現状に役立つ知恵を持つとは到底思えなかった。
……聖女、か。そんな存在と同じ世界から来た女に無意識に期待してしまうほど、俺は現状に参ってるらしい。末期だな。
俺はさらに眉間に皺を刻み難しい顔をしながら、冷めてしまった紅茶に口をつけるのだった。