表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/35

09. 適度な運動

 翌日以降も私は全力でのんびり生活を楽しんだ。


 テラスに本を持ち込み外で読書をして過ごしたり、夜にテラスで星空を眺めたり、庭に生えていた草花をお屋敷に飾ってみたり、アンネに食材を教わった上で料理を作ったり、お酒を嗜んだり、二度寝をしたり、たまに近くを散歩してみたり。


 基本的には一人でのんびりしていたけど、完全に一人きりというわけではない。


 アンネや時折様子を見に来てくれるヴィムとは接していたから毎日少しは人と言葉を交わしている。


 散歩に出掛けた時には偶然不死鳥(フェニックス)のメンバーにも出会して、近況を聞いたりもした。


 彼らはまだしばらくアールデルス領に滞在する予定だという。私と同じで久しぶりにのんびりした時間を満喫しているそうだ。


 何もない田舎ではあるが、だからこそ身体を休めるのにはちょうどいいらしい。


 「分かる分かる!」と共感で頷く私に対し、一緒にいたアンネとヴィムは首を傾げていた。


 ……まぁ、二人は私がほとんど屋敷から出ずに引き篭もりのような生活をしているのが不思議でたまらないみたいだからね。変わり者を見る目で見られているのは感じてるし!


 とはいえ、私は気にしない。


 だって思い描いていた念願のスローライフを送れているのだから。


 そんなひたすらのんびりする生活を続けて約一ヶ月。


 ここでようやく私はある思いに駆られる。


 ……ていうか、ちょっと飽きたっ! もうこの何にもしないのほほんとした生活はお腹いっぱいかも!


 確かに最初は最高だった。

 心身ともに安らぎ、これ以上ないくらい整った。


 だけどそれが一ヶ月以上も続くと、どうにもこの生活に身体がウズウズしてくるのだ。


 何かもう少し身体を動かしたい、生産的なことがしたいと思ってくる。


 ……休みってたまにあるからこそ楽しめるのかも。怠け過ぎは性に合わないみたいね。のんびりした日々に飽きてくるなんて想定外! 


 日本にいた頃、たまたま休みが取れて十連休になったことがあったが、あの時はひたすらのんびりしても「これじゃ足りない! もっとゆっくりしたい!」と私は思った。


 でもよくよく考えてみれば、あの時は連休明けに仕事が待ち受けていることが決まっていた。仕事と仕事の隙間で得た貴重な休みだったからこそ、そう思ったのだろう。


 先の予定が何も決まっていない、毎日が休みの日々が続くのとは訳が違う。


 どうやら私にはただひたすらのんびりするだけの日々は一ヶ月で十分だったらしい。


 それ以上は過剰で、逆に心身のバランスを壊しそうだ。


 とはいえ、忙しい領主様に「何か労働をしたい!」といきなり訴えて、手を煩わせるのも躊躇われる。


 いずれ頼むかもと言われているから、向こうから指示があるまで待つべきだろう。


 なにしろ私は研修生のような立場なのだし、迷惑をかけないためにも受け入れ側の意向や指示には従うべきだ。


 ……よし、それならのんびりするだけの日々は終了して、これからは少し身体でも動かそうかな!


 そう思い立って、私はもはや定位置となっているテラスの椅子に腰掛けながら、目の前に広がる庭に目を向けた。


 すぐ近くに森があって、芝生が広がるこの庭はアレをするのにはもってこいだ。


 そうと決めれば、さっそく準備をしよう。


 私は屋敷の中から大きめのタオルと水を持ってくるとテーブルの上に置く。これでアレの準備は完了だ。


 ただ、アレを始める前にまずは軽く身体のウォーミングアップをしておきたい。


 ……そのためには、やっぱりこれっきゃないよね!


 意気揚々と私は頭の中で「タンタラタッタッタッタ~♪」とお馴染みのメロディーを刻む。


 そして勢いよく、息を吸いながら腕を前から上げ、背筋を伸ばし、息を吐きながら腕を横から下ろした。


 これを二回繰り返して、次は腕を振ってリズミカルに脚を曲げ伸ばす。


 続いて腕を回す運動、胸を反らす運動、身体を横に曲げる運動……と次々に決まった動きをしていった。


「……レイナ様、一体何をされているのですか?」


 近くで私の様子を見ていたらしいアンネが、非常に不可解そうな顔をして、聞かずにはいられないというように問いかけてくる。


 私は頭の中で音楽を奏でているが、実際には無音。傍から見れば確かに突然不思議な動きをし始めたように見えるのかもしれない。


「えっと、これはラジオ体操って言ってね、準備運動にはぴったりなの」


 そう、これは日本人なら誰しも知っていると言っても過言ではない体操だ。


 あの音楽を耳にすれば自然と身体が動き出してしまうほど、私達日本人の身体に染みついている。


 それもあって私は日本にいる頃から、このラジオ体操を普段から結構よくやっていた。


「ラジオタイソウ……?」


「アンネもやってみる?」


 アンネに誘いかけながら、私はあの音楽を今度は口ずさむ。


 こうやってリズムに合わせて身体を動かしてやるんだよと説明してみた。


 残念ながら「いえ、大丈夫です……」と若干引き攣った顔をしたアンネには断られてしまったが、私は気にせずそのまま音楽を口ずさみながら体操を続行する。


 アンネの表情から察するに、こちらの世界ではこんなふうにリズムに合わせて体操をする機会はないのかもしれない。


 ……まあ、音楽に合わせてと言えば、舞踏会でダンスとかなのかもね。


 治癒魔法は使えないけれど、その代わりにラジオ体操をこの世界に広めて健康増進に寄与するというのもありかもしれない。


 お上品で気位の高い貴族達がこの体操を忌避しない確信は持てないけど。


 そんなことをつらつらと考えていたら、あっという間にラジオ体操は終盤となる。


 最後はゆっくり深呼吸。これで約三分だ。

 短時間でかなり身体が温まり、筋肉や関節のストレッチができた。


 やっぱりラジオ体操は素晴らしい。ウォーミングアップに最適だ。


 ラジオ体操を終えた私は、本来の目的であるアレを始めるために、今度はテーブルの上に置いておいた物を手に持つ。


 そしてテラスから芝生へと繰り出した。


「レイナ様、今度はなにを……?」


 私が大きなタオルを芝生に敷くのを目にして、またまたアンネが不可解そうに眉を寄せた。


 初対面の時は無表情でサイボーグっぽいと思っていたアンネだが、最近はこの困惑ぎみな表情をよく浮かべている気がする。


 アンネの経験からでは私の行動は常軌を脱していて察しかねるらしく、無表情でいられないようだ。


 私も私でこの国の常識に対して細々とカルチャーショックを受けることがあるけど、私の近くにいるアンネは逆に私の行動からカルチャーショックを受けているのだろう。


 ……これこそ異文化コミュニケーション! アンネを通して自分の行動がこの世界でどう見られるのか知れて便利だけどね。


 私は密かに「ふふっ」と小さく笑い、アンネの問いに答えるべく口を開く。


「今からするのはね、“ヨガ”っていう呼吸、姿勢、瞑想を組み合わせたエクササイズなの。私のいた国ではとても人気があるのよ」


「ヨガ? エクササイズ……?」


「エクササイズっていうのは健康のための運動のことね。ヨガは……見てもらう方が分かりやすいかも。今からやるから見てて!」


 この説明だけではイマイチ要領を得れなかったらしいアンネは頷く。


 私はヨガマットの代わりに敷いたタオルの上に乗り、呼吸を意識しながらポーズを取った。


 まずは“キャット&カウのポーズ”だ。


 四つん這いの状態で、背骨を丸めるキャットのポーズと、背骨を反らすカウのポーズを息を吐いて吸ってゆっくり繰り返す。


 これは初心者でも実践しやすいポーズであり、背骨を動かすことによって、背骨まわりの緊張や凝りをほぐすことができる。


 パソコン仕事ばかりで肩こりが酷かった私にはもってこいのポーズだった。


 続いての“猫の背伸びのポーズ”も肩こり改善にぴったりだ。


 腕を前に伸ばして肩のまわりの筋肉をしっかりと伸ばしていく。


 やり慣れた感じで私が次々にヨガのポーズを決めていくのは、日本にいた頃ヨガを日常的に取り入れていたからだ。


 健康に良い上に、ダイエット効果やストレス解消にも役立つとあって、仕事に忙殺される中、心身のメンテナンスとして自宅で毎晩寝る前にやっていた。


 あれだけ仕事で忙しい日々を送っていても、なんだかんだで心身健康に過ごせていたのはヨガのおかげかもしれない。


 もはや懐かしい過ぎ去りし日本での生活を思い出しながら、私は続いて“三日月のポーズ”へと移行する。


 四つん這いの状態から片方の足を前に出して、手を上にあげ、ゆっくりと上体を反らしていく。


 普段は自宅の中でやっていたから、こうして外でヨガをするのが非常に気持ちいい。


 ……目の前は森があるし、森林浴もできて絶好のロケーション! これからは天気が悪い日以外はここで毎日ラジオ体操とヨガをしようっと!


 この一ヶ月ひたすらのんびりして怠けていた身体を程よく動かすことができて大満足だ。


 うっすら汗もかいて爽快さを感じる。


 日本で忙しくしていた反動で、この国に来てから極力なにもせずゆっくり過ごすことばかりに意識が向いていたが、やっぱり心身の健康のためには適度な運動は必須だと改めて認識した。


 手元の水を飲み、ふぅと息を吐き出した私はふとアンネの存在を思い出して後ろを振り返る。


 するとそこには無表情のまま目を点にしたアンネが佇んでいた。


 ラジオ体操の時以上に理解不能なものを見たという顔をしている。


 ……確かにラジオ体操はリズムに合わせるからちょっとダンスっぽいけど、ヨガは一見変なポーズを取ってるだけにも見えるもんね。やってみればその気持ち良さが分かるんだけどなぁ。


 どうやらアンネの様子から察するに、ヨガはラジオ体操以上にこの世界では不思議なもの扱いされそうだ。


「アンネ、ヨガはこんな感じのものなの。一見変なことしてるように見えるかもだけど、このポーズは身体の歪みが矯正され、柔軟性や体力が向上するなどの効果もあるのよ! ゆっくり呼吸することで気持ちも落ち着くし本当におすすめなんだからね!」


 若干引いている様子のアンネに私はヨガの良さを精一杯アピールする。


 やってみれば分かるからと「一緒にやってみない?」と誘ってみたが、やはり即座に首を横に振られてしまった。とても残念だ。


 ……でもこの屋敷内では私の自由に過ごさせてもらうんだから。アンナに引かれてるけど気にせず私は今日から毎日やるもんね!



 こうしてただのんびりするだけだった私の毎日に、ルーティンとしてラジオ体操とヨガが加わった。


 アンネに続き、様子を見に来たヴィムにも微妙な顔をされてしまったのだが、私は気にしない。


 だが、私の知らぬところで、このラジオ体操とヨガは領主館内の使用人達の間で密やかに噂される事態となる。


 世にも奇妙な儀式として。


 そしてその噂が思わぬ人を呼び寄せることになるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ