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要はランコと遭遇する

      ♧


 黒いミニドレスの少女が外へ飛び出していったのを確認すると、(かなめ)はすぐさま硝子格子戸を閉めた。捻締り錠もきつく締め、カーテンも隙間なく引いた。そうして、ようやく安堵した。


 震える手を握りしめる。

 目が合った瞬間は、体の芯が凍るように冷えたのに汗が噴き出した。まさか自室に死せる者が入り込んでいるなど思いもしなかった。とっさにタオルを被り、髪を拭くふりをしたのは、我ながらいい判断だった。


 部屋には死せる者の匂いが残っている。静電気が起きた時のような、プールの消毒用塩素のような。たしか祖父は、この死せる者の匂いをオゾン臭と言っていた。実際にオゾンを発生させているのかどうかはわからない。だが、死せる者はもれなくオゾン臭、もしくはオゾンに似た臭いをまとっているという。

 ぶるりと体が震えた。戸を開けたせいで濡れたままの髪が冷えたのだ。

 急いで押入れの下段からドライヤーを取り出して髪を乾かし始める。


 こんな季節にわざわざ冷たい夜風を浴びたいわけがない。室内に紛れ込んだ虫を外へ逃がすように、死せる者を追い払っただけだ。あの少女はほかの死せる者より知性があるようだから、要の不自然な挙動に気づくかと思ったが、大丈夫だったみたいだ。

 部屋に入ってすぐ、目が合った時はあせったものの、すぐに髪を拭いて誤魔化したおかげで、要が視えることには気づかなかったのも助かった。動揺に泳いだ視線も震える手も誤魔化せたはずだ。


 髪を乾かし終えた要は、机の前の椅子に腰かけた。それから机の一番上の引き出しから紙の束を取り出し、目の高さに掲げた。表紙の題字を眺める。


『ヒガン考』


 祖父の書き付けだ。亡くなる直前に譲り受けた。

 このことを両親はもちろんのこと、祖母も知らない。それどころか、要が死せる者が視えることも知らない。そもそも死せる者の存在すら知るはずもないのだ。


 要は『ヒガン考』のページをぱらぱらとめくり、目に飛び込んできた文字を読み上げる。


「……蘭子」


 あの少女の名前だ。といっても、少女なのは姿だけだ。生年はおそらく、昭和の初めか大正の頃。祖父が昭和二十年代の生まれだから、それよりも前に命が尽きたとすればそんなところだろう。

 祖父によれば、死せる者の中で意思疎通をはかれるのは蘭子だけだ。


 祖父のいない今では、ヒガンの存在を知る生ける者は自分一人だ。

 シガンで生きていく上で、ヒガンなど知らなくても支障ない。むしろ知らない方が幸せに決まっている。わかってはいるが、その事実を誰とも共有できないのは耐え難い孤独感だった。


 祖父は、要をかわいがってくれた。孫というだけでなく、同士だからというのも理由の一つだろう。要の方も、自分と同じ世界を視ている祖父の存在に救われていた。


 祖父が亡くなって七年になる。

 いまだに要は、自分が「視える」ことを誰にも言えずにいる。祖父に対する周囲の態度を見てきたのだから当然だ。祖母も、父も、叔父も叔母も、親戚一同、近所の人さえ祖父を変人扱いしていた。変人扱いならまだマシな方で、歯に衣着せぬ言い方をするならば胡散臭い危険人物と見做していた節がある。


 小学生の頃は、周囲の祖父に対する視線を敏感に感じ取り、その理不尽さに怒りと悲しみが溢れていたが、今となっては、それも致し方ないとも思う。祖父が亡くなって周囲が落ち着きを取り戻し、また、要自身が十五歳という年齢になって、世間から見た「視える人」がいかに怪しいか理解できるようになった。


 それはたぶん、視えないのに視えているふりをする人がいたり、本当に視えていてもそれを証明し納得させるだけの証拠がなかったりするからだ。人は、知らないものを警戒する。理解できないものを排除したがる。それもわかる。生存本能のひとつなのだろう。


 十五歳の要にわかるのだ、祖父にわからなかったわけはないだろう。それでも視えることを隠さずにいたのは、祖父の強さなのだと要は思う。要にはとても真似できない。祖父は体が弱かったが、心は強かった。


 あるいは、祖父は生ける者のことなど気にしていなかった可能性もある。シガンとヒガンが重なり合う世界を知ってしまったら、親戚や知人の視線などちっぽけで、棘ほどの痛みにすらならなかったのかもしれない。そうでなければ拝み屋のようなことまでするはずがない。


 要が物心ついた頃には、すでに祖父は除霊や心霊相談をする拝み屋として知られていた。とはいえ、自ら看板を出したわけではないという。祖父は視えるというだけで、なにかができるわけではない。霊媒師でもなんでもないのだ。視えることを隠さなかったために、周りが勝手に祖父を拝み屋に仕立て上げたのだ。


 だが、家族や親戚にはそれがわからなかった。頼まれて断れずに引き受けていたとは露ほども思わず、ただひたすらに厄介な身内として扱っていたように思う。

 祖父の死は、天寿を全うしたというには早すぎたが、要の目には、親族の誰もがどこか安堵していたように見えた。




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