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其ノ五

 彼女はそれとなく作った曲を弾き終えると、ギターを僕の座る一個隣のベンチにまた置いて、僕と同じベンチに座った。そしてポケットからアメリカンスピリットを取り出すと、唇に挟んだ。それからしばらく自分の体のポケットをあちこちいじっていた。ライターがないのがわかると、「少年、火持ってる?」と聞いた。僕は首を横に振ると「だよなぁ」と言って、煙のない煙草を咥えたまま天を仰いだ。

「歌い手でもやってるの?」とぼくは彼女にきいた。彼女は目を瞑って「いや」と答えただけだった。

「じゃあ、売れないバンドマン?」

「まさか」

「じゃあ、なんなの」

「だったら歌い手かな」

「バンドマンって呼ばれるのがそんなに嫌?」と僕が笑いながら言うと、彼女の咥えたタバコも揺れた。

「まあね」と言っただけだった。飛行機の遠吠えがずっと黄色い空の彼方で聞こえてくる。僕らはそれにうなされるようにどこかもどかしかった。あるいは僕だけだったかもしれないけど。

「バンドはさっき辞めてきたんだよ」彼女は煙草を口から外した。僕は「なんで辞めちゃったの」と何気なく聞いた。相手との距離感がまだ掴めていなくても、僕はその理由がどうしても知りたくなった。

「お客がただ突っ立ってるだけのライブなんかしたって意味ないからさ。いくらこっちが暴れても、みんなが応えてくれなきゃだめなんさ。それに名無しのマスクさん達に届かせるものなんて何もないことに気がついたんだ」彼女は傷んだ髪にゆっくりと指を通した。

「このご時世、仕方ないよ」

「確かにそうかもね。でも少年。あぁいうバカみたいな価値観や、ルールはあの病気と同じってことを覚えておきな。知らないうちに感染して、知らないうちにどっかの誰かに移していくもんなのさ。そしていつしか慢性的なもんになる」彼女はまた咥え直して、仮想の煙を吸った。そしてその重たげな煙を吐いてしまうと、煙草をしまった。

「でも、本当は違うんだ。多分。ホントはアタシがただやってられなかっただけなのかもね」

「メンバーとうまくいかなかったとか?」

「いや、最高に仲良しだよ。多分これからもツルんでいく」

「じゃあなんでさ。そのまま続けていてもよかったんじゃない?さっきあんなに上手に歌っていたのに」

「間に合わなかったんだよ。アタシがホンモノになるには遅すぎた」

「なんだそれ」彼女の言うホンモノがなんなのか僕にはわからなかった。そもそも何が偽物なのかさえも分からなかった。

「君はいくつ?」といきなり聞かれたので「17」と答える。でもそれはまだ数ヶ月先のことだった。

「そうか。君はチャタートンが死んだのと同じ歳なのか」と彼女はぼやいた。「何それ」と僕が聞き返すと「いや」と言ったまま、彼女の呟きはそのままどこかに漂流していった。

「別に歌が上手いなんて大したことじゃないさ。問題なのはいい音楽を作れるかどうかだよ」彼女はそう言って僕を見て微笑んだ。喫煙者とは思えないほど、綺麗な白い歯が光った。 

 僕は”いい音楽”について考えてみる。流行の曲。商業的に成功した音楽のこと。あるいは忘れられない曲。歴史的に意義を持つ曲もいい音楽なのか。僕は考えていると、答えが出る前に彼女は話し出してしまう。

「でもアタシは歌詞が全然書けなくてさ。リズムとメロディだけが持て余した頭の中を飛び回ってんの。君みたいに何か書けたらいいんだけど」と言って、陽の光が指すその先を見ていた。そして会話に間が生まれる。それは彼女にとっては話の余韻で、僕らにとっては思考の間で、僕にとっては決断の間であった。それで僕は思い切ったように「なら僕が」と彼女に向かって言いかけた。しかし、彼女の方が余韻から出てくるのが早かった。

「だったら、君が詩を書いてくれない?」と名案を思いついたかのように興奮して言った。僕は自分の予想に反して抜き去っていく彼女の姿に戸惑った。僕は落ちていたんじゃないのか。そして僕は救い出されたんじゃないのか。今度は僕が手を差し伸ばす番ではなかったか。全てが思い通りにいかない。

「君は詩人なんだろう。ならアタシがそれを歌にすればいい」彼女は僕の先をいってしまった。今の僕はそれをただ傍観するか、追いかけるしかなかった。

「いいけど、僕なんかにできるのかな。それにいつ書けるかも分からないし、さっきも見たと思うけど、内容も滅茶苦茶で何が何だか分からない。きっと聴く人は…」まだこの自信のなさが僕の足を引っ張っていた。だから彼女に先を越されたのだ。

「なぁに。意味なんてのは後から追いつくもんだよ。本当に大事なのはリズムと響きさ。ちょうど音楽と同じようにね」そう言って彼女は立ち上がって、僕に手を差し伸べた。

「別に君は好きな時に好きなだけ好きな詩を書けばいい。それで出来上がったのにアタシがメロディをつける。それでどう?」彼女は僕の事情なんて知らなかったし、知ろうともしなかった。逆にそれが僕には都合が良かった。もし彼女が僕を気にかけていたら、僕はひたすらに断る理由を並べていただろう。彼女のこの勢いと強さが、弱気な僕を立たせた。

「契約成立かな」僕と彼女は手で契りを結ぶ。


 こうして僕は彼女の詩人となった。彼女が言った通り、僕は好きな時に好きなように詩を書いた。どれにも一貫性がなく、言葉の赴くままに詩世界を船で旅した。ある時は僕の横で彼女はギターを弾いて、言葉を導いた。いつしか彼女は僕のミューズになっていた。その時から僕の行き先は決まってしまったのかもしれない。

 クロスロードで立ち止まっていた僕。時間だけが過ぎて、歩んできた後ろの道は崩れていく。進むにしても、どの道も僕にしてみれば気が引けるほどの悪路があるだけ。でも彼女はそんなクロスロードの真ん中に突然現れた悪魔だったのかもしれない。そして僕はその悪魔と契約を結んでしまったのだ。

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