表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

3章 最後の一兵

〚 1人残った兵士は、丘の上から未だ戦火がくすぶっている町を眺めた。もうすぐ、さっきまで敵だった兵士達が、ここにやってくる。跪くはずの将軍はもういない。兵士は急に生きている事が怖くなった。将軍の高価な兜に手を掛けると、自分の身を守るようにそれを剥ぎ取った。 〛


 お昼休み。

 遥と一緒にお弁当を食べていた凪は、遥の白い腕に比べて、真っ黒に日に焼けた自分の腕が恥ずかしくて、ワイシャツの袖を下ろした。

「遥、部活はいつまであるの?」

「9月のコンクールで引退かな。」

「そっか、吹奏楽はこれから忙しいんだっけ。」

「凪は?」

「私は先週、引退した。」

「今年のソフト部は強いって言われてたのに、優勝候補と初戦で当たるなんて、残念だったね。」

「運も勝負のうちだよ。」

「凪はどこを守ってたの?」

「私はベンチ。大量に得点が入ってる試合とか、ボロ負けしている最後の打席に立つ要員。試合が終わっても笑えない役割を任させてるってわけ。」

「へぇ~、運動部って厳しいね。」

「本当、そう。」

 凪は笑った。心のどこかでは、試合の度に泣きそうになっていたはずなのに、改めて気持ちを聞かれるとヘラヘラと笑っている。

「凪にはプライドってないの?」

「私には必要ない。持ってても虚しいだけ。」


 1人で駅へ向かう途中。

 佐藤が後をついてきた。

「藤澤。」

 凪は佐藤から走って逃げた。

 すぐに追いつかれて肩を掴まれると、

「藤澤、足、遅っせーな。」

 佐藤にそう言われた。目を合わせずに振り返って歩き始めると、

「卑怯者。」

 佐藤からまたその言葉を言われた。

 私は将軍の鎧を奪い取ったりはしない。そのまま戦いのない国へ逃げて、目の前で起こった事を見なかった事にして暮らし続けたい。

 凪はそう思いながら足を速めた。

「待てよ。お前ら2人して俺を誂っているのか?」

 佐藤が言った。凪は足を止めて佐藤を見ると、

「遥は本気だったよ。」

 そう言って佐藤を見上げた。

「相性ってあるからな。俺は矢橋の事をそういう風には見れない。」

「高校生なのに、ずいぶん大人びた事言うんだね。」

 凪はまた歩き始めた。

「年なんて関係ないだろう。」

「自分1人では生活もできないくせに、どうしてそんな感情が先に出てくるのかな。」

「だったら藤澤は、働ける様になるまで、誰の事も好きにならないのかよ。」

「今はそんな気持ちを持つ余裕もないって事よ。」

「受験するのか?」

「うん。たぶん。」

「どこの学校、受けるんだよ。」

「それはまだ。」

「地元か?」

「それもまだ。」

「A組にいたら、選択肢がたくさんあるんだと思った。」

「それは一部の人達よ。その人達だって、皆と同じ時間しかないんだし。」

「渋谷の事、好きなのか?」

「はあ?」

「藤澤が唯一話す男って、渋谷くらいだろう。」

「そっか、藤澤くんと也は同じクラスだったね。」

「渋谷が羨ましいよ。欲しいものみんな手に入れて。」

「佐藤くんは何を手に入れたら満足するの?」

「そりゃ、そこそこ勉強もできて、部活でも活躍して、好きな子と仲良く話せたらいいなって。」

「3つも欲張りだね。ひとつにしたら?」

「藤澤は何がほしい?」

「私は何もいらないって言える気持ちかな。欲しいものを言い出したらキリがないもの。」

「それが一番難しいんだよな。なあ、藤澤。今度の土曜日空いてるか?」

「空いてるけど、空いてない。」

「なんだよ、それ。」

「佐藤くん、遥の気持ち考えてよ。」

「藤澤。」

「何?」

「矢橋の事がなかったら俺も付き合ってくれたのかよ。」

「そういうわけじゃないけど…。」

「受験があるって言ったって、恋愛したっていいんじゃないか?それが励みになる事もあるんだし。」

「私、こっちだから。」

 凪は交差点に立ち止まると、急に左に体をむけた。どうやって佐藤との話しを切り上げたら、誰も嫌な思いをしなくてもいいのだろう。点滅しかけた横断歩道を渡り切ると、反対側で立ち尽くしている佐藤にむかって手を振った。

 

〚 敵の将軍は、倒れている兵士達の死体を見て、「これは味方なのか」

 と生き残っている兵士に聞いた。

「ああ、そうだ。みんな味方だよ。戦いに勝った祝盃を上げたら、みんな死んでいった。」

 兵士は正直に答えた。

「お前は酒を飲まなかったのか?」

 敵の将軍はそこに残っている酒の瓶と杯を手に取った。

「そうか…、俺達は実に無駄な戦いをしたな。」

 そう言うと、最後の一兵を崖から突き落とした。 〛


 汽車の座席に深く腰を掛け、本の続きを読んでいると、也が隣りに座ってきた。

「今日も佐伯さんと一緒じゃないの?」 

 凪はそう言うと、也は凪の本をパタンと閉じた。

「あいつは他にもいたんだよ。」

 也が言った。

「どういう事?」

「俺は2番目だったって事。」

「そうなんだ。」

 凪は再び本を開いた。そういう話しは得意じゃない。自分の親がそうだった様に、どうして人を傷つける様な馬鹿げた恋が、平然と起こっているのだろう。傷が浅いとか深いとかそんな話しではなくて、誰かの心を辛くさせたら、それと同じだけの辛くさを味わうのが当然だ。自分はそんな面倒な付き合いはごめんだし、話しなんか聞きたくもない。

「凪、」

「何?」

「知らない事は知らないままの方が利口だな。」

「えっ?」

「そうだろう。風車の話し。」

「也はわかったんだ。」

「わかるよ。」

 也はそう言うと、額の汗を拭った。

 その日の汽車の中はものすごく暑いのに、観光客が動画を撮っているために、回っていたはずの扇風機は止まっていた。アスファルトで固められた町から来た人は、こんな田舎の夏なんてたいして暑くもないのだろうけれど、それに慣れて暮らしている自分達は、少しでも湿った風が通り抜けないと、たちまち干からびてしまうのに。ドアが開くたびに入ってくる心地良い風が、ワイシャツの袖から少しだけ体を冷やしてくれた。

「学校決めたのか?」

「まだ。」

「ここから出たいって思わないか?」

「ううん。新しい場所って苦手。」

「凪は怖がりだな。」

「そんな事はないけど。」

「お前の様な生き方が、一番いいのかもしれないな。」

「どうして?」

「なんとなく、そう思っただけ。」

 

 家に帰り、玄関を開けると、当たり前の様に夕食の匂いがする。

 母はたまに残業や会議で遅くなる事はあったけれど、父が帰ってこなくなってからは、それもあまりなくなった。私がこの家を出ていったら、母は昔の様に仕事に専念できるのだろうか。 

「ただいま。」

「おかえりなさい。ご飯、もう少しかかるから、先にお風呂入っちゃって。」

「うん。」

 

 湯船の中に入浴剤を入れると、透明な水があっという間に緑色に変わった。

 自分の日に焼けた腕や足が、ゆらゆらと歪んで見える。忘れた頃に漂ってくる森の香りは、心の底に溜まっていたやりきれない思いを、吐き出させてくれるようだ。

 憧れていた高校生活は、思っていた毎日とは違ったし、大学生活が始まったところで、自分では何も決められない今と同じような毎日の繰り返し。いつの間にか、社会に押し出されて、大人のいう大人になっていくだけ。

 也が言った、私の様な生き方が一番いいって、どういう意味?


「凪、お腹は治ったの?」

「うん。薬を飲めば大丈夫だから。」

「部活も終わったし、少し落ち着くといいね。」

「そうだね。」

「学校、この前の所でいいわね。」

「…。」

「推薦してもらうんだから、他の学校の受験は諦めてね。」

 母は何をそんなに急いでいるのだろう。確約のできない受験なんかするよりも、そこにある安易な安心を手に入れたいだけなのか。

「お母さんは、ここで1人で暮らすの?」

「実はね、凪がいなくなったならね、ここを売って職場の近くのアパートに引っ越そうかと思ってる。」

「そっか、そうなんだ。」

「1人でここは広すぎるよ。掃除も雪かきも大変だし。お母さん、もう少し楽がしたい。」

 鍋の蓋をあけて、湯気がふわ~っと立ち上ると、

「お母さん、」

 もう大嫌いなんでしょう?

 凪は父の事を聞こうとして言葉を飲んだ。

「何?」

「何でもない。」

 

 机の上に置かれた参考書は、結局最後のページを見ないまま、受験が終わってしまいそうだった。

 自分の力ではどうにもならない事を黙って受け入れて、何にも逆らわず生きていくしかないのか。

 最後の一兵になった恐怖は、戦いで命を落とす事よりもずっとずっと重い事だ。先に玉に当たってしまったほうが、もう少しマシな最後を迎えられたかもしれないのに。


〝起きてるか?〟

 也からラインがきた。

〝もうすぐ寝る〟

〝今度の土曜日空いてるか?〟

〝空いてるけど空いてない〟

〝それ、雅紀にも言っただろう〟

〝そうだったっけ〟

〝雅紀が佐伯も誘ったっていうから、凪もこいよ〟

〝行きたくない〟

〝図書館で勉強するだけだよ〟

〝そんなの1人で勉強すればいいでしょう〟

〝佐伯は頭いいから、教えてもらおうって話しになってさ〟

〝じゃあ、遥だけ誘えばいいじゃない〟

〝なんでそんなにひねくれてるんだよ〟

 也は遥と佐藤くんの事を知らないのだろうか。

〝別に〟

〝じゃあ、決まりだな〟


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ