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2章 焦げたパン

 お金に余裕がある人達は、硬くて水分の少ないパンを好んで食べる。質の良い小麦などの材料にこだわり、詰め込むような朝ご飯を食べたりはせず、硬いパンをゆっくり噛んで優雅な1日を迎える事ができる。

 自分の様な鏡を見る時間さえ煩わしく感じる人間は、口いっぱいに食べ物を頬張って、たいして噛もうとしなくても、早く飲み込める柔らかいパンの方を好む。


「凪、パン焦げてるよ。」

 母が言った。

「いいの。焦げてる方が好きだから。」

「これじゃあ苦くて食べられないよ。」

「大丈夫。」

 焼き過ぎたパンの中は、空洞かと思うくらいスカスカになっている。凪が牛乳で流し込む様に食べていると、

「今日は仕事が終わったら、すぐに学校に行くから。」

 母が言った。

「じゃあ帰りはお母さんの車?」

「そうね、そうなるわね。」


 遥は学校を休んでいた。

 昨日、佐藤くんと遥がどんな話しをしたのか、少し気になっていたけれど、あのあと何も言わずに帰ってしまった遥に、なんとなく告白した結果を聞く気持ちににはなれなかった。好きな男の子に正々堂々と声を掛ける勇気のある遥に、嫉妬している自分はけっこう醜い。きっと2人はうまくいって、告白の後、一緒に帰っていったんだろう。隣りの教室にいた自分の事なんて、忘れてしまって当然だ。

 さっき、廊下で会った佐藤くんは、いつもの変わらない様子だったけれど、話した事もない人にわざわざ友達の様子を聞くなんて、なんだか気持ちが悪い。


「藤澤!」

 凪は名前を呼ばれて振り返ると、遥が告白した相手、佐藤雅紀さとうまさきが立っていた。

「なぁ、お前卑怯だぞ。」

 佐藤は凪にそう言うと、そのまま友人達の輪の中に戻っていった。

 何が卑怯なのよ。初めて会話した言葉がそれって、あり得ないんだけど。


 三者面談が始まるまで、図書室で自習をしていたら、也が凪の隣りに座った。

「本、持ってきたか?」

「うん。」

 凪は鞄から本を出して也に渡した。

「帰らないのか?」

「今日は三者面談だから。」

 也は凪の前に置かれた本を手に取った。

「今度はこれか?」

「うん。おもしろそうでしょう。」

 パラパラとページをめくった也は、

「これもまたひどい話しだぞ。」

 そう言って、本を閉じた。

 也が凪の方を見ようとした時、ズボンのポケットから着信が聞こえ、そのまま図書室を出ていった。


〚 戦いに勝った将軍が、兵士達と祝盃をあげると、それを飲んだ兵隊達が次々と苦しみ出してその場で亡くなっていった。同じ酒を飲んだはずの1人の兵士は、最後の1人が倒れても、痛みも苦しさもなくその場に呆然と立ち尽くしている。〛


 待機する教室で母を待っていると、別の親子が模試の結果について話しをしていた。

 学校推薦がもらえるらしいから、模試の点数は悪かったけれど、希望する大学に入る事ができそうだと。何か一つでも秀でた者がある人や、平均よりも少し上に位置する成績を保っていると、未来は案外簡単に開けて行くものなんだよ。自分の様な偏った人間は、どんなに平均に手を伸ばしても、凸凹をまっすぐに上に伸ばす事はできない。

「凪、どこに行くか決めてるの?」

 母が言った。

「できれば地元。」

「成績は足りてる?」

「ううん。模試はD判定。それしか見た事ないから、それ以上もそれ以上の人もいないんじゃないかって最近は思いようになった。」

「バカね。Aランクの人だってちゃんといるわよ。もう少し勉強しないと合格は難しいって事だね。そこがダメなら少し遠くてもいいから、入れる大学を探さないとね。」

「それじゃあ、余計なお金がかかるよ。」

「大丈夫。その時はあの人とちゃんと話しをつけてあるから。」

 母は少し前から父の事をあの人と呼ぶ。

 最後にあの人の姿を見たのは、春休みに入った日の午後だったかな。家に誰もいないと思って帰ってきたんだろうけれど、凪の姿を見るなり、バツが悪そうにそそくさと家を出ていった。  

 どうして一生幸せにすると誓った相手や、自分の血を分けた人間を裏切ってまでも、恋に溺れる愚かな感情を抑えられないんだろう。気持ちが求めるまま誰かを好きになるのって、けっこうよくある事で、動物の本能的には仕方ない事なのかな。

 結婚なんて、最初から霧のような愛情だったのなら、自分が存在した事すら否定された気分になる。誰かを不幸にするくらいなら、初めから自分だけを信じて生きていれば楽なのに。

「凪はガキだね。」

 姉はそう言って、今更家族ごっこなどするつもりはないと笑った。いつかは自分も、この家から離れて進んでいかなければならない事だけれども、普通というレールから外れるって、少し怖い。

 母もそんな気持ちなのかな。

 さっさとそんな男と離婚してしまえばいいものの、愚かなプライドや、当たり前の日常に縛り付けられている。

 両親がどんな風に出会って恋をしたのか知らないけれど、今はお互いの不幸を望む関係は、神様に背いた罰だよね。


「凪、今日は何か食べて帰ろうか。」

 母が言った。


「藤澤さん。希望している地元の大学の事なんだけど、今のままでは合格は非常に難しいわね。」

 担任はそう言うと、自宅から離れた大学をいくつか紹介した。

「藤澤さんさえ良かったら、学校推薦するわよ。その方が確実に入学できるから。もちろん、その時は地元の大学は諦めてちょうだい。」

 母は担任が見せたその中の一つの大学を指さした。

「ここがいいんじゃない?」

 凪にそう言うと、いつの間にかその大学にむけて、担任と具体的な話しを進めていた。


 帰りの車の中。

 少しふてくされていた凪は、

「お母さん、私は遠くへなんていかないよ。」

 そう追ってスマホを覗き込んだ。

「浪人はダメだからね。やりたい事なんて大学で見つければいいんだし、自分の身の丈に合わせた学校を選びなさいよ。収まるところに収まってくれないと、お母さんはいつまで経っても安心できないじゃない。」

 母がわざわざ費用のかかる場所にある大学を選んだのは、その全てをあの人に背負わせて、失った家族の時間の償いをさせるためだろう。子育てから解放された母は、今度は自分の時間を自分のためだけに使って生きるんだ。こんなに自分の存在が邪魔だったのかと思うと、抱えきれない思いが凪の肩を押さえつけた。

「どこで食べる?」

 母が凪に聞いた。

「疲れたからこのまま家に帰りたい。」

 凪はそう言って車の窓に寄りかかって目を閉じた。

「怒ってるの?」

「ううん。生理痛がひどいから。」


 家に帰って布団に潜り込んだ凪は、鎮痛剤を2粒口に放り込むと、目を閉じた。少しのお茶で流し込んだせいで、薬が喉の奥で引っ掛かっている。

「凪、ご飯は?」

 母が部屋に入ってきた。

「いらない。」

 母は凪の被っている布団を剥いだ。お腹を押さえうずくまっている凪を見ると、慌てて布団を掛けた。

「そんなにひどいの?」

「うん。」

「薬は飲んだ?」

「うん。」

 母は近くに置いてあるペットボトルのお茶を手に取ると、

「また、お茶で飲んだの?」

 そう言って何かぶつぶつ言っていた。

「凪、」

「ん?」

「そんなにひどいなら、病院に行こうか。」

「やだよ。」

 凪はまたうずくまった。

 痛む下腹を押さえながら、自分はなんで女になんて生まれて来てしまったんだろうと、やるせなくなる。

「後でおにぎり作って持ってくるね。」

 そう言って部屋を出ていこうとする母に、

「お母さん、ごめん。」

 凪は小さな声で謝った。

「なんで謝るの?」

「だって食べて帰ってきたら、お母さんは夕食なんて用意しなくても良かったのに。」

 凪は布団を被ったまま母に言った。

「そんな事気にしなくてもいいの。凪のご飯を用意するのだってあと少しなんだし。」

 現実的な母の話しに、とうとう家族という形が壊れてしまう明日が近くにきている事を実感した。

 本当の嘘つきは、幸せになろうと誓った約束を守らない両親なのか、こうなる事を知ってて夢を見せた神様なのか。


 スマホの着信がなった。

 凪は画面を覗くと、遥からのラインだった。

〝昨日はごめん〟

〝うん。〟

〝佐藤くんに振られちゃった〟

〝そうなんだ〟

〝佐藤くん、凪の事が好きみたいだよ〟

〝そんなの知らない〟

〝本当は凪が来るからって嘘ついて佐藤くんを呼び出したの〟

〝なんで?〟

〝佐藤くんが凪を好きだってバレー部の男子から聞いたから〟

〝どうでもいい事〟

〝凪がうらやましい〟

〝なんで?佐藤くんなんか話した事もないよ〟

〝慰めてくれなくてもいい〟

〝明日は学校くる?〟

〝このまま佐藤くんと付き合っちゃえば?〟

〝やだ〟

〝凪は好きな子いないの?〟

〝いない〟

〝渋谷くんは?〟

〝友達〟

〝本当?〟

〝本当だよ〟

 凪はスマホを枕元に置くと、痛む下腹をさすった。

 誰かを好きだとか嫌いだとかそんな感情を感じたら、その先はきっと不幸になるに決まっている。

 早く痛みが消え去ってくれないだろうか。

 女なんかに生まれるんじゃなかった。


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