14章 春の雨
せっかく咲いた桜の花は、夕べの雨でほとんどが散ってしまった。無残にアスファルトの上に張り付いているピンク色の花弁は、これから始まる新しい出会いを待つ笑顏よりも、別れを惜しみ涙の様だった。
松川が卒業した。地元に帰っていった様だと、紗耶の彼氏から聞いた。
澤村からは連絡が途絶えた。
この前まで寒かった冬の名残りの風は、凪を去年よりも強くさせた。
「成人式は帰ってきなさい。」
母からくる電話は、最近何度もその事を頼まれた。
「お姉ちゃんの成人式の時に買った着物、凪にも着せようと思って。」
「それっておばあちゃんが買ったやつ?」
「そうよ。凪の分も買うって言ってきたけど、お母さんは断ったの。振袖を着れる期間なんてそんなに長くないからね。おばあちゃんはおばあちゃんなりに、お父さんのした事の責任を取ろうとしているよ。」
「お母さん。」
「何?」
「何でもない。」
時々会っている父の事は、母には伝えてはいない。もしかしたら、母はそれを知っているのかもしれないけれど、何も言わないでいる事は、影で母を裏切っているようで、凪にはもどかしかった。
誰も何も悪くない。
ちょっとタイミングが悪かっただけ。
あれだけ許せなかった父の事が、今では少し、気の毒になってきた。
「藤澤。」
振り返ると雅紀が立っていた。
「佐藤くん?」
「久しぶりだな。元気だったか?」
「佐藤くんこそ元気?なんかすっかり印象が変わったね。」
金髪に染めた髪は、大きな瞳を隠す様に、前に真っすぐ下がっている。
「あっ、これか?」
雅紀は髪を触った。
「そう。」
「藤澤も少し大人びた様に思うけど。渋谷とは続いてるのか?」
「ううん。卒業の前に別れた。」
「今、彼氏はいるのか?」
「ううん。雅紀くんは?」
「俺はいるよ。」
「そっか。今は何もかも自由だもんね。」
凪はそう言って雅紀を見た。
「これから授業か?」
「うん。佐藤くんはこっちには何で?」
「本学じゃないととれない単位があるからさ。1週間、通いだよ。」
「そっか。大変だね。」
「お昼一緒に食べないか?」
「いいよ。友達も一緒でいい?」
「もちろんいいよ。じゃあ、食堂で待ってる。」
高校の頃は、あんなにぎこちない会話だったのに、雅紀はいつの間にか、周りに気を使う人間になっていた。
「藤澤、成人式は出るのか?」
「うん。」
「俺も母ちゃんがうるさくて。」
「みんな、変わってしまったのかな。」
「どうだろうな。A組はクラス会はないんだろう?」
「そうみたい。」
「前からそうだったよな。A組は卒業したらそれっきり。頭のいい奴らなんて、高校はただの踏み台なんだろうな。大学だって、きっと肩書きのためだけ。」
「本当は思い出なんていらないんだよ。私も時々、そう思うし。」
「寂しい事言うんだな。」
「忘れられないって、けっこう辛いから。」
「也の事か?」
「ううん、そればっかりじゃなくて。」
「4人で集まったクリスマス、楽しかったなぁ。」
「そうだね。楽しかった。」
「ずっと一緒にいられると思ったのに。」
「本当?」
「本当だよ。」
「心のどこかでは守られないかもって、そう思っていたでしょう?」
「今となれば、そう思ってたのかも。」
「藤澤。」
「ん?」
「よく笑うようになったな。」
「何それ。」
「笑っていると、かえって辛そうに見える。」
「愛想笑いなんかじゃないよ。」
「その笑いは本心を隠す鎧か?」
「何言ってんの、違うよ。」
「無理すんなって。也の事、まだ好きなんだろう?」
「いろいろあったの。吐き出せないのは、也の事じゃくて、別の事。」
バイトへと向かう途中。
夜空に上がった花火を見て、1年前に澤村と会った日の事を思い出した。澤村は、落とした手袋の事で嘘をつき、本の主人公は自分の祖母だと言って嘘をついた。何度か話しているうちに、そんなバレる嘘さえも澤村の優しさだと勘違いをした。
曇り空に上がった形のわからない花火は、その先の自分達を予想していたのかもしれない。何一つもわからないまま、あっという間に終わってしまった花火は、音だけが今も胸の奥で鳴り響いている。
バイトが終わり、コンビニで買い物をしていると、澤村が入ってきた。
凪は目を合わせないように棚に隠れると、澤村はいつの間にかいなくなっていた。追いかけるつもりもないくせに、気持ちが急いでいる。レジを済ませ、足早に玄関に向かう。
生暖かい空気が、扉のむこうから凪を包む。
澤村はすでにいなかった。
自分から連絡先を消したくせに、未練がましい。
凪はトボトボと歩いて家に帰ると、自分を後をつける足音が聞こえた。立ち止まり振り返ると、誰もいない。また歩き始めると足音がついてくる。
急に怖くなり、スマホを取り出して誰でもいいから電話をしようとすると、後ろからその手を捕まえられた。
恐怖のあまり、手の先を見る事ができない。
体中が震え出し、凪は息を止めた。
「凪ちゃん、俺だよ。」
固く閉じた目をゆっくり開けると、澤村が笑っていた。
「相変わらず、臆病な狸。」
澤村は言った。
「ひどい。」
凪は涙声になっていた。
「ごめん、驚かすつもりはなかったんだ。」
「嘘つき、そのつもりだったくせに。」
「罠にかかったのは凪ちゃんの方だろう。」
「罠を仕掛けたのは澤村さんじゃないですか。私、捕まえられる様な事、なんかしました?」
「したよ。たくさん。こうでもしなけりゃ、ちゃんと話してくれなかっただろう。」
「私、面倒くさいのはもう嫌です。」
「わかってるよ。じゃあ、これから凪ちゃんの家に行こうか。」
「私の家?」
「そう。明日も来てって言ってただろう。」
「それは昔の話しです。」
「2回目はないって、誰から聞いたんだ?」
「キレイな女の人。」
「俺は都合のいいように女の子を呼びつけたりしないだけだよ。」
「忘れられないくらいに体を触るくせに?」
「そっか。凪ちゃんも忘れられないのか。」
「違います。」
真っ赤になった凪は、澤村の胸を押した。
「ちゃんと話そうよ。」
凪のアパートについた2人は、テーブルの前に向かい合った。
「どっちから話す?」
「澤村さんから、どうぞ。」
「俺の周りにいた女の子達はさ、みんな切ったよ。友達でいようなんて、都合のいい話しだからね。」
「あの人達は澤村さんとお付き合いしていたの?」
「付き合ってはいないさ。俺が初めてできた彼女は高校生の時。好きだって言われて、嬉しくて付き合ったけど、そのうち冷めていくばっかりで。自分は恋愛にはむいてないと思いながら、また好きだって言われる度に、会って話して、そんな事を繰り返した。」
「なんか、複雑な気持ち。」
「凪ちゃんは、俺の方が好きになった。だから、なんて言ったらわかってもらえるか、言い訳ばかり考えて。どうせ何を言ったって信じてもらえないないだろうけど、連絡先にあった女の子達とは、きちんと話しをした。」
凪は両腕をさすりながら少し遠くを見た。
「手、良くなったね。」
「あっ、これ。石鹸を変えたの。泡が出るタイプに。」
「そっか。」
「澤村さん。弟さんは今はどうしてるの?」
「凪ちゃんと同じ年で、大学の2年生。」
「希望してた大学には入れたの?」
「ちゃんと入ったよ。」
「それは良かった。」
澤村はそう言って凪を抱きしめた。
「私、前より少し心が広くなったんです。」
澤村は凪の顔を両手で包むと、
「俺には、まぬけな狸のままに見えるけど。」
そう言って凪の唇に近づいた。
2人は離れるのが惜しいくらいに唇を重ねると、いつの間にかひとつの影になっていく。
「凪ちゃん。」
「何?」
黙ってて凪の顔を見ている澤村に、
「最後の一言を言ったら、きっと後悔しますよ。」
凪は言った。
「後悔なんかしないよ。凪ちゃん、」
「言わない方がいい。」
凪は澤村の口を手で塞いだ。




