表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

何の才能もないのにプライドだけはあって、そんな自分を認めることすらできない最低な男がどんな女性とも付き合えずに死んでいく人生を送る原点となる物語

作者: みるる

感想をいただけると本当に嬉しいです。


 僕の初恋の相手は、小学校五年生の時の隣のクラスの学年で一番人気の女の子だ。

 

 かなり美化されている部分もあるのだろうが、彼女は華奢で、色白で、黒目が大きく、髪がふわふわしていて本当に可愛かった。また、他の女子みたいに偉そうでないうえに、絵が上手いという特別感を兼ね備えていて、小学生の男子に好かれるために形作られたような存在だった。


 彼女をA子と呼ぶことにしよう。


 同じ学年の男子はみんなA子のことが好きで、それに釣られるように僕も彼女のことを好きになった。


 恋をすると世界が違って見えるという言葉は後になってから知ったが、まさにこの時の感覚はその言葉通りだったと思う。


 A子を好きになってから、僕の生活はA子を中心に動くようになった。


 廊下でA子を見かけたら、すれ違う時は横目で追ったし、廊下に張り出された彼女の絵は、毎日目に納めていた。


 A子が近くにいるだけで、耳の後ろに血が集まるのがわかるほど興奮したし、遠目に見ているだけでも、鳩尾の下辺りが圧迫され、甘く苦しい思いをした。


 運動会など、違うクラスが一堂に会する行事の時はなんとかA子に近づけないかといろいろ考えたが、とうとう叶うことはなかった。


 そんなA子への恋は、何の動きもないまま終わりを迎えた。


 僕が中学受験をし、A子とは別の中学へ進んだからだ。同じ学校に通っていたからと言って僕の恋が成就したとは思えないが、違う学校へ行くことで僕と彼女がどうにかなる可能性は完全に断たれた。


 ある程度引きずったが、中学生が会話にすらこぎつけられなかった異性への想いを持ち続けるはずもなく、僕の初めての恋心は中学に入ってしばらくすると知らないうちに消えていた。


 僕の最初の恋は、僕以外の誰にも知られることなく終わりを迎えた。


 中学生になってからは、クラスが変わる度に別の女の子のことを好きになった。彼女たちはA子のように学年で一番の人気があったわけではないが、それでも他の男子と可愛い女子の話をするときに早々に名前が出る、いわゆる定番の女子だった。


 僕が通った中学校は、進学校ということもあり、交際相手がいる生徒は三年間を通して本当に少なかった。今思えば裏でいろいろやっている奴らはいたのだろうが、僕は小学生の時と同様に恋敵と呼べるかも怪しい、その他大勢の無力な男子と共に彼女らを遠巻きに盗み見るだけだった。

 

 そんな誰の目にも触れることのなかった僕の恋心が、他者に干渉し、また他者から干渉されるようになったのは高校生になってからだった。



 僕は、中学と高校がエスカレーター式になっている中高一貫校に通っていたため、高校受験をパスして高校に入学した。中学に入学する際、高校に入ると中だるみの時期が来ると教師たちが口酸っぱく言っていたが、その言葉通りにみんな一斉に勉強を捨てて青春に向かって走り出した。

僕の周りの男子も例外ではなく、バスケ、サッカー、バドミントンと、みんなが競うように運動部に入っていった。


 ただ、僕は例外だった。


 僕は高校入学の時点で、周りと頭一つ、下手をすれば二つ違うほどに背が伸びていた。僕は、それが気に入らなかった。


 僕の背が周りより高くなり始め、身長が高いということが知られていくにつれ、何度も何度もスポーツの勧誘を受けるようになった。自分が必要とされているようでなんだか嬉しかったが、どのスポーツにも興味がなく家で本や漫画を読んだりテレビを見たりする方が有意義で楽しい気がしたので断っていた。


 するとだんだんと、断る度に「もったいない」と言われることが増えていった。この言葉が非常に不愉快だった。


 興味のないことを断っただけなのにまるで怠惰だと言われているようで悔しかった。実際にそんな感じことを言ってくる奴らもいた。玉入れや玉けりをすることが読書や映画鑑賞よりも尊い行為という感覚は僕には到底理解できなかった。


 僕の通っていた学校が進学校で運動部があまり強くないのも良くなかったのかもしれない。普段偉そうにスポーツマンを気取っている奴らの多くは、体育の授業において僕の身長を前に無力だった。

毎日毎日、授業中に寝る言い訳に練習を使っているくせに、彼らは本当に下手くそだった。


 僕からすれば彼らの方が怠惰なのに、運動部に所属していないだけで怠惰というレッテルを貼りつけられた僕は、運動部、ひいてはスポーツそのものを嫌うようになった。


 それでも、中学の時はそんな奴らはごく一部だった。だから、同じように運動部に入っていない友人たちと仲良くしていたし、高校生になっても運動部には入らないでおこうと言い合ったりもしていた。ただ、実際は高校に入ると熱に浮かされたようにほとんど全員の男子が運動部に入っていった。


 意地だったのだと思う。死んでもあの中に混ざりたくはなかった。


 運動部にだけは入らないと決めた僕は、なるべく緩い部活動を探した。そして見つけたのが、写真部だ。


 この部の部員数は五十名を超えていて、一見すると活動が活発なように思えたが、とにかく幽霊部員の数が多かった。というか毎日集まって活動を行うということがなく、夏と秋、年に二回あるコンテストに一枚ずつ写真を出せば、在籍が許される部だった。


 そんな緩い部に入った僕は、そこそこ真面目に活動した。といっても、毎日写真を取りに町を散策するなんてことはせず、僕が自分に課していたのは、年二回のコンテスト以外のコンテストであっても、顧問が募集すれば写真を提出することと、写真を飾りに行く際には毎回設営に参加することだけであった。


 ただ、大したものではないとはいえ自らに課題を設けたのは、部活動に入ったのに最低限の活動すらしないのは弱小運動部でスポーツマンを気取るのと同じくらい低俗なことだと思ったからだ。


 そんな暗い動機で勉強に重きを置きながらものらりくらりと活動を続けていた僕に転機が訪れたのは、三年生が引退したタイミングだ。


 三年生が引退して初めての写真の設営に行った際、そこにいたのは学年が一つ上の女子先輩だけだった。


 彼女をB先輩と呼ぶことにしよう。彼女が僕の初めての交際相手になる。


 B先輩は、写真が好きで写真部にいる人だった。


 B先輩が撮った写真は素人目に見ても本当にきれいで、実際にコンテストで何度も賞をもらっていた。当時流行り始めていたSNSにアップされている写真に毛が生えた、もしくは毛が抜けた程度の写真しかコンテストに出していなかった僕は、B先輩の取る写真に対して少し劣等感を持っていた。ただそれ以上に、容姿が魅力的で才能もある彼女に対して好意的な感情を持っていた。


 B先輩は、可愛いよりは綺麗という言葉が似合う女性だった。彼女は僕ほどではないが身長が高く、手足がすらりと伸びていて、女子が憧れるスタイルをしていた。また、目が少し細く、目つきが悪く見られてしまうことを除けば顔に特別あげつらうような欠点はなく、度々盗み見ては目の保養としていた。

 

 ただ、写真において自分よりはるか上の能力を持つうえ、年上であること、僕と同じかそれ以上に無口で近寄りがたいこと、そして抱いていた劣等感が原因で、B先輩は恋愛対象ではなかった。今までの女の子に抱いたような浮ついた気持ちは、彼女に対しては抱かなかった。そのような感情を彼女に対して抱くのは、失礼だと思ったのかもしれない。たまに顔を盗み見る時も、胸がざわめくような衝動は湧き上がって来ず、単純に綺麗なものを見て得をしたという気分だった。


 まともに会話したことすらなかったが、それに何の疑問も悔しさも感じなかった。恋人にしてどうにかしてやろうなんて恐れ多いことは、妄想の中では時たまあっても、現実に起こり得ることとして認識することはほとんどなかった。


 三年生が卒業しても、そんなな関係が続くと僕は勝手に思っていたのだが、驚くことに、彼女から僕に接近してきた。その接近のきっかけになったのが、三年生が引退して初めての写真設営である。


 この写真設営でB先輩は僕に好意を持ったらしい。


 写真の上手さと活動態度からB先輩は部長になっていたのだが、同じ学年の女子部員が推薦入試のために部長を狙っていたらしく、それが原因で同学年の女子部員全員からやっかまれていたそうだ。


らしい、そうだと続くのはいまだにこの事の真偽が定かではないからであるが、とにかく彼女は孤立していた。


 自らが指揮を執る最初の写真設営で、やっかんだ女子部員の圧力のせいで僕の学年を含む全ての女子部員が不参加を表明し、男子部員はもともと少ないうえにほとんど幽霊部員。顧問の先生も毎年変わり、車を出してくれるぐらいで全く役に立たないため、一人でやることを覚悟していたそうだ。


 そこにやってきたのが僕というわけだ。こうして字面にすると僕が救世主のように見えて自分でも恥ずかしいが、この時彼女は実際に救世主だと感じたらしい。


 設営が始まる前に異常に感謝され、終わった後に連絡先を聞かれたことが、僕とB先輩の関係の始まりだった。


 B先輩はそれから、僕に連絡をよこすようになった。


 B先輩と連絡を取り合うようになると、僕はわかりやすく舞い上がった。


 僕はこの時、彼女がいないどころか友人もほとんどいなかった。中学の時に仲良くしていた奴らは運動部に入ってすっかり疎遠になっていたし、同学年の写真部の奴らも幽霊部員ばかりでつるむ気になれなかったからだ。


 メッセージアプリには親と、誰にとでも繋がりたがって連絡先を押し付けてくる奴らの連絡先しか登録されていない。友だちの登録数が多いことが人望ではないと強がってはいたが、やはり寂しかった。


 そんな僕にB先輩からの連絡が届くようになった。安っぽく高嶺の花なんて思っていた人から連絡が届くのが、当時の僕はたまらなく嬉しかった。


 だから、馬鹿みたいに舞い上がった。メッセージアプリの通知の緑色の光を心待ちにするようになり、学内で彼女の姿を探すようになった。


 B先輩からの連絡の内容は、写真に関することが七割、人間関係に関することが三割だった。今日はこんなところへ写真を取りに行って、こんな写真が撮れたと嬉しそうに伝えてくれるのは可愛かったし、B先輩のような強そうな女性が僕に愚痴を漏らしてくれるのも嬉しかった。


 僕は、とにかく彼女の機嫌を取った。恋人になりたいなんて大それたことは思ってなくて、彼女に少しでもよく思われたいだけだった。彼女からの連絡にはすぐ返したし、愚痴を否定することなく慰めた。写真を褒め称えることはもちろん、先輩が綺麗だから妬まれてるんですよなどと、気持ち悪がられるのを覚悟で容姿を褒めたりもした。


 メッセージのやり取りを見返すと、僕は目当ての女性相手に媚びる気持ちが悪い男そのものだったが、彼女からの連絡が嬉しくて、自分を惨めに思うことはなかった。


 毎日真面目に授業を聞いて、部活に行って、家に帰って勉強して、彼女と連絡を取る。この時の僕の毎日は、充実で満ち溢れていた。


 この後、僕はB先輩と正式に交際を始めることになる。彼女との交際は、僕の人生の中で最も美しく輝いている時間で、未だにこの思い出に縋りつくようにして日々をやり過ごすことがある。それほどに彼女との日々は楽しく、思い出は語りつくせないほどあるが、その内容について触れるとなると、ただただ僕が浮かれているということを書き連ねることになる。


 ただ醜態を晒しても仕方がないので、本題に入ることにする。





 僕とB先輩の関係に陰りが見え始めたのは、僕が高校三年生、B先輩が大学一年生になった夏のことだ。


 B先輩は、写真部での活動実績に加えて、成績も悪くなかったので、東京の有名な私立に指定校推薦で進学した。自分の彼女が有名大学に通っているのは誇らしく、僕の中の優越感はますます肥大していった。この優越感は次第に薄れていき、あるタイミングで跡形もなく弾け飛ぶことになり、それが僕がB先輩との関係を終わらせようと決心するきっかけになる。


 僕は、ずば抜けた天才ではなかったが、かなり成績が良く秀才と言っても差し支えなかった。それは、毎日の授業を居眠りせずに集中して受け、出された課題や宿題を一度もさぼることなく提出してきたからであり、それを支えていたのは不真面目な奴らを蔑む気持ちと、写真部という緩い部活動が生み出す時間的、体力的な余裕だった。


 B先輩と付き合っている間も、恋にうつつを抜かして勉強をさぼるということはなく、科目によっては僕が彼女に勉強を教えることもあったくらい、勉学には力を入れていた。


 それは、成績がいいうえに彼女がいるという事実が、僕が地に足をつけ、胸を張って表を歩くために必要不可欠なアイデンティティになっていたからだ。


 毎日さぼらずにやるべきことをやってきたおかげで、自分にはもったいないくらい魅力的な恋人ができた。将来につながらない部活動をしていて成績が悪い奴らも、そんな奴らを好む女も、みんな人間的に僕よりも下にいる。自分が正しくて周りが間違っている。


 僕はそう思い込んでいた。


 それが間違いだと気づいたのは、夏休みになって何度目かの模試の結果が返ってきた時だった。それがどんな模試で、いつ行われてものであるかはもう覚えていないが、人生初の挫折の鏑矢となったこの日のことは、今でも思い出して胸が締め付けられることがある。


 返却された模試の結果を見ると、各科目の点数自体はそこまで悲観するようなものではなかったが、偏差値が、校内偏差値と全国偏差の両方とも誤差では済まされないほど下がっていた。


 自分の点数が特別下がっていないのに偏差値が下がったという現象が意味することは、僕よりも周りの方が成績が伸びたということだ。偏差値は、その集団の中でどの位置にいるかを示すものであり、それが下がったということは、僕が周りからおいて行かれたことを意味する。


 今思えば、それは当然のことだった。夏休みぐらいから、校内でも全国でも、部活動を引退した生徒が一斉に受験勉強に力を入れ始める。


 焦る必要はなかった。少しギアを上げる必要はあったにしても、慌てふためく必要があるような結果ではなく、真摯に受け止めて、また気を引き締めなおして勉強すればよかった。


 でも、そうはできなかった。隣の席の男子生徒が僕よりもいい成績を取っていたからだ。


 僕は、彼を見下していた。夏までバスケ部に所属していた彼は、成績も生活態度も悪かった。彼は、自堕落で質の低い生活をしていることの言い訳に部活動を使っており、それでいて彼女だけはいっちょ前にいて、青春を謳歌していた。


 何様のつもりだと思っていた。


 彼のような人間はこの先の人生のどこかで必ず躓くと思っていたし、それは近いうちにある大学受験だと思っていた。


 そんな彼が、僕よりもいい成績を取った。僕は動揺した。


 自分の成績が良かったことを周囲に大きな声で自慢する彼への苛立ちと、あんなものに負けたという自分の情けなさが混ざりあって、血液のように僕の体を駆け巡った。


 下なのは僕の方だった。


 勝手に見下していた奴に負けて、悔しくて悔しくて仕方がなくて、この日は呆然としたまま家に帰った。いつもなら、家に帰ってB先輩からのメッセージに返信するのだが、到底そんな気にはなれなかった。


 次の日も、その次の日もメッセージを返さないでいると、夜にB先輩から電話がかかってきた。出ないわけにはいかなかったので出ると、彼女は連絡がなくて心配した、何かあったのではと思ったといった内容のことを喋った。


 彼女が心配してくれてうれしいはずだった。自分なんかを気にかけてくれて、ありがたいと思わなければならなかった。


 でも、彼女の声を聴いていて、無性に腹が立った。この感情の内訳は、後から気づいたのだが、大部分は嫉妬だったのだと思う。


 見下していた奴よりも劣っていることがわかって余裕をなくしている僕を心配してくれた彼女の余裕が、この時の僕にとっては腹立たしいものだった。


 胸を渦巻いている情けなさと劣等感がどんどん膨れ上がり、自分を飲み込んでいった。


 何もない、少し忙しくて返信できなかっただけだと返事をすると、彼女は、自分の近況について話し始めた。


 「写真サークルには高校と違って写真に本気な人がたくさんいて、その人たちと飲み屋で写真談義をするのが楽しくて仕方がない。大学に来てよかった。」

 

 彼女は、何となく僕が受験勉強で疲れているのを察して、発破をかけようとしたのだと思う。大学に来ればこんなに楽しいから頑張ってと、直接口には出さないが話の内容がそれを物語っていた。


 その見え透いた励ましが、僕をさらに情けなくさせた。何もないと言ったのが嘘なのがばれているのが恥ずかしかったし、ばれていることを気づかせないようにされているのがさらに恥ずかしかった。

 

 何より、成績が下降しているこの状況で、楽しい未来の事なんて到底考えられなかった。

大学で輝いている彼女がいることから生じていた優越感が瞬く間に劣等感に変わった。


 僕は、精一杯笑って相槌を打って、明日も早いから寝ると言って電話を切った。


 おやすみなさいと彼女が言い終わる前に電話を切ったのはこれが初めてだった。




 その後、B先輩と連絡を取る回数は目に見えて減っていった。


 彼女の声を聴くたびにあの時の劣等感が甦って苦しかったので、勉強に集中したいと言い訳をして、電話を切り上げることが増え、メッセージが届いても忙しいのでしばらく連絡が返せなくなると嘘をつくようになった。


 でもそれは、一時的なものだと思っていた。


 少しの間気合を入れて勉強すれば、成績がもとに戻ると信じていた。そうしたら息抜きに彼女と連絡を取り合おうと思っていた。


 その考えが甘かったと、すぐに思い知らされた。


 僕の成績は上がるどころか下がっていった。三年生の後半にもなると、どの教科でも新しい内容を習うことはなくなり、応用問題の演習に移行していく。僕はこれについていけなかった。きちんと授業を受けていますかということを問いかけるような今までの問題は解けても、それを使いこなさなければならない高度な問題には手も足も出なかった。


 今まで真面目に勉強してきたことは無駄ではなかったが、それだけでは不十分だった。この時初めて、僕は自分の地頭がさほど優れていないことを知った。


 こればっかりは気合や根性で解決できる問題ではなく、焦らず地道にできる問題を増やしていくしかなかった。それは僕もわかっていたし、この時期に成績が下がるのはよくあることで焦らなくていいと先生にも言われていたので、なるべく平常心を保つようにして勉強した。


 しかし、成績の下がり方はどんどん大きくなっていった。やってもやっても下降していく成績のグラフが僕のこの先の人生を暗示しているようで、不安で体中をかきむしりたい衝動に駆られた。追い詰められた僕は、自分の能力以外のものに原因を求めた。


 別れよう。


 彼女なんているから弛んでるんだ。すべてを捨てて勉強に集中しないと成績が上がるわけがない。


 短絡的にそう思った。


 帰り道にその考えに思い至った僕は、家に帰るとすぐに部屋に戻ってメッセージアプリを起動し、B先輩にメッセージを送った。


 「突然すみません。別れましょう。最近成績が思うように伸びなくて、このままではいけないと思いました。Bさんと付き合っているのは楽しいけど、気が緩んでしまって勉強に身が入りません。自分勝手な理由ですみません。今までありがとうございました。」


 文章を送信した後、すぐに彼女をブロックした。スマホを乗り換えるときにメッセージアプリのアカウントが消えたら困るからと電話番号も教え合っていたので、着信拒否にし、彼女の電話番号を消した。彼女が移っている写真も、彼女が僕に送ってきた写真もすべて消去し、卒業式の日にくれたちょっと高めのシャープペンシルと合格祈願のお守りも捨てて、僕の身の回りから彼女に関わるものを消し去った。


 B先輩と別れてから二か月ほどたつと、成績は上がり始めた。勝手に彼女との関係を捨てたくせに、自分には勉強しかないと被害者ぶって勉強に集中することができたからだと思う。      


 結局、成績は入試本番までゆるゆると上がり続け、僕はそこそこ良い地方の国立大学に合格した。そこは一応難関大学として括られている大学で、親や先生は喜んでくれたし、僕も嬉しかった。


 受験の成功は僕にとって高校生活の成功に等しかった。志望校に落ちて浪人生活に向かう自分の姿ばかり想像していたので、合格して本当に嬉しかったし、高校、ひいては今までの生き方が間違いではなかったことが証明できたと思った。


 受験期に別れはしたものの、彼女もいて、部活も三年間続けることができた。そんな高校生活の最後を合格という形で締めくくることができて本当に爽快な気分だった。


 大学が始まるまでの間、特に集まって遊ぶような友人がいなかった僕は、一人でゆっくりと過ごしていた。テレビ、漫画、小説など、受験中に断っていたありとあらゆる娯楽は麻薬のように魅力的だった。


 僕は、受験を終えた達成感と悠々自適な日々を楽しむ気持ちでいっぱいになっていた。


 だから、B先輩が悲しんでいるなんて想像すらしなかった。





 その日、僕は漫画や小説を探して近所の商業施設にある大きめの本屋をふらついていた。


 平積みになった漫画を眺めながら本棚の間を歩いていると、裾を引かれた。


 振り返ると、B先輩が咎めるような、縋るような目つきで僕のことを見ていた。


 彼女は口を堅く閉じ、鼻の穴を膨らませていてなんだか醜かった。

 

 僕が呆けて何も言えないでいると、彼女が絞り出すように声を発した。


  「話がしたい。」

 

 端的な要求だが、意味がよくわからなかった。

 

 僕と別れてから大学でよろしくやっているであろう彼女が、いまさら僕に何の用があるのかあるのだろうと思った。

 

 「話を、しようよ。」

 

 僕が面食らって何も言えないでいると、さらに同じ言葉が続いた。彼女は下から覗き込むように血走った眼で僕を見つめ、裾を掴んでいた手を離して手首を掴んだ。

 

 僕の右手首はかなり強い力で掴まれていたが、恋人として彼女と手をつないだときの胸の高まりは一切感じなかった。僕という生物の雄としての本能の部分が彼女のことを雌、女体として認識していない感じがした。

 

 ただ、体の一部に強い力が働いているという事実に対する不快感だけを覚えた。

 

 「とりあえずどこかに入りますか。」

 

 そう返す僕は情けない父親のようで、彼女は駄々をこねる子供のようだった。


 彼女は頷いて手首を掴んだまま歩き始めた。

 

 走って逃げたりしないから、手を離してほしかった。。図体の大きな男が女性に引きずられるようにして歩くさまはそれなりに人目を引いて、僕は恥ずかしかった。


 彼女は人目を恥ずかしく感じるどころか、僕以外のものは目に入っていない様子だった。


 彼女はそのまま無言で歩き続けた。僕は引きずられながらB先輩が何をしに来たのかを考えた。


 付き合っていた頃、彼女がこんな風に強引に行動することはなかった。何かのっぴきならない事情があるのだろうが、内容が全く想像できず、結局ただ引っ張られるままに歩くしかなかった。


 しばらく歩いて、僕らは商業施設内のカフェに入った


 「なんで別れたの。」


 席に座るなり、彼女は投げつけるようにそう言った。


 彼女が何をしに来たのかが分かった。


女性というものは一度別れた相手のことは早々に忘れて次の相手に移るものだと思っていた。別れた相手が自分のことをいつまでも好きでいると勘違いしている男が非難されている様子をいろんな場所で目にしてきたので、別れると決めた時、自分はそうはならないよう彼女のことはきっぱり忘れる決意をした。


 彼女が僕のことを忘れられないなんて全くの想定外だった。


 彼女、B先輩は欠けたところのない人だった。才色兼備がぴったり当てはまるような人物で、周りから妬まれてしまうといううのも彼女の魅力の裏返しだ。


 僕から彼女を引いた時、自尊心、優越感、自己肯定感、自信、彼女持ちというステータスなど、多くのものが同時に僕から引き抜かれていって、劣等感と恨み辛みだけを抱いた抜け殻で搾りカスのような本来の僕が残った。それを埋めるために必死になることができた一方で、僕の人としての価値は大暴落したと言っていい。


 反対に、彼女から僕を引いてもそのままの彼女が残ると思っていた。付き合っていた時、僕は彼女に好かれようと媚び続け、確かに彼女に少しばかりの利益をもたらしたかも知れないが、僕が彼女の足りないものを埋めたり、彼女に付加価値を与えることは全くなかった。


 彼女は魅力と才能に満ち溢れていて、僕程度の人間が影響を与えられるわけがないのだ。


 別れようとすんなり思えたのも、僕がいてもいないくても彼女に大した影響はないと思っていたからであるし、僕のような低次元な人間に彼女を縛り付けるよりも、彼女を本当の意味で支えたり高めたりする人物と出会うほうがいいと考えていた。


 こんなにも余裕をなくした彼女が僕のもとを訪ねてくるなど、万に一つも考えなかった。

 

 「受験が大変で集中したくて。」

 

 あの日のメッセージと同じことを答えた。

 

 「そんなの、相談してくれたたら良かったじゃん。」

 

 彼女は咎めるように言った。僕は無性に腹が立った。

 

 お金がかかる私立の大学に推薦で合格し、生活の心配をすることなく大学生活を謳歌している能力が高い美人に、どうやって僕の悩みを理解してもらえば良かったというのか。

 

 相談なんてできたはずもない。


 僕と彼女は何もかもが違って、同じ目線で会話をすることができないということを思い知らせてきたのは、あの日電話で僕に発破をかけてきた彼女なのに、なぜ僕が咎められなければならないのか。

 

 「学力は結局一人で勉強しないと上がらないと思って。」

 

 全部飲み込んで建前を言った。本音を言ったところで理解してもらえるはずがない。


「そんなことじゃ別れないでしょ。嫌なことがあったから私のことを振ったんだよ。」


 問い詰めてきた。


 断定的な口調にまた腹が立った。美しく、写真の才能にあふれる彼女にとって受験は大した出来事ではなかったのかもしれないが、勉強以外に取り柄がない僕にとっては他の何を差し置いても重要なことだった。


 確かに何の連絡もなく一方的に別れを告げたことは短絡的だったと思わなくもない。ただ、あの時彼女に相談して、大丈夫と励まされて安易に安心していたら、きっと大学に合格はできなかっただろう。


 あの電話で、彼女は僕に受験が終わった後のことを考えさせようとした。それは、この苦しい期間は頑張れば必ず終わると無条件に確信している、今まで勝ち続けてきた人間がすることだ。そういう人間にとっては、頑張れば結果が付いてくるのは当然で、疑うようなことではないのだろう。


 それに、彼女には写真という武器があった。たとえ勉強ができなくても、彼女の魅力は失われない。事実、彼女は推薦で大学への切符を勝ち取った。


 僕はそうじゃない。今までずっと勉強だけが取り柄で、振り落とされないように生きてきたし、その勉強も他の誰よりも優れているわけではなかった。ただ、できない奴よりできるだけで、できない側に回らないように必死だった。細い綱渡りで前に進みながらハードル走をしているような感覚で生きてきた僕にとって人生最大のハードルとして現れたのが受験だった。


 「嫌なことなんてないですよ。というか、それだけですか。」


 皮肉を込めてそう言うと、彼女はひどく傷ついた顔をした。驚いてもいるようだった。


 付き合っていた頃、僕は彼女に対してこんな口をきいたことはなかった。彼女のことが好きで、嫌われたくなかったからだ。


 Bは、そのまま何も言わなくなった。


 僕とBの間には気まずい空気が流れたが、別にそれを解消しようとは思わなかった。


 僕はこの時点でBに失望していた。あんなに才能があるのに僕程度に固執して貴重な時間を無駄にする意味が分からなかったし、何より生活から僕が抜けただけで取り乱す不完全な彼女に魅力を感じなかった。


 気を使って注文を取りに来ていなかった店員を呼び、カフェオレを一つ頼んで、ゆっくりと飲み干してから店を出た。


 Bは席に座ったままだったが、そんなことはどうでもよかった。



 それから死ぬまでずっと、僕がだれかと付き合うことはなかった。

読んでくださってありがとうございます。


感想をいただけると嬉しいです。





(生まれてこのかた 毎日 生きてていいこと なんにもない)

(生まれてこのかた 毎日 生きてて死ぬほど やなことない)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] うわー清々しいほどのクズでしたねー [一言] ただB先輩がその後、幸せになる話しが読みたいです。
[良い点] タイトル 俺か。 [一言] 私はあまり頭の良くない人間でプライドの在処も違いますが、この主人公には共感出来る部分を多く感じました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ