本の妖精さん
みんながわたし達に気付かないだけで、どこにでもわたし達はいる。人間の言葉でわたし達を呼ぶなら、妖精さん、と呼ぶのが近いのかもしれない。お話にもたくさん出てくるから、知っているかな。その中でも、花の精、水の精といるけれど、わたしは本の精。ちょっと古くて、小さいけれど、あたたかい本屋さんで仕事をしている。
お仕事といっても、誰もわたし達に気付かないから、物音を立てたり、本を開いたりして、店員さんをびっくりさせちゃうことが多いかな。
この間は、学生の女の子がひとりで入ってきたから、その子の探している本の近くで音を立ててみたのだけれど、イヤホンで両耳をふさいでいたから、気付いてもらえなかった。カンの良い子はわたしが『こっちだよ』って言うだけで見つけてくれるんだけど……。
ここの本屋さんには他にも何人か妖精さんがいるけれど、お客さんが全然来ないから、近いうちに引っ越そうかしらって話も少ししている。前はもっと楽しかったんだけどな。
でもわたしはまだここに残る。最近入ったバイトのお兄さんがちょっと危なっかしくって、つい見守ってしまう。さっきだって、立てて並べる本をみんな平積みにしてしまって、店長さんに注意されていた……。だけど彼は本を心から愛してくれて、本当に楽しそう。
それと、もうひとり。こっちはお客さん。あのお兄さんは、フミちゃんと呼んでいる。小学生くらいの女の子。フミちゃんは耳が使えないみたいなのだけど、わたしが『こっちだよ』と言うと気付いてくれる。今どき珍しいカンの良い子。彼女も本が大好きで、お兄さんと楽しそうに話しているのを見てるのが、わたしの幸せ。
今日もフミちゃんが来てくれたみたい。お兄さんが小走りで出てきたのについていく。こんにちは。と大きく口をあけて言いながらお兄さんが手を振ると、フミちゃんも、ニッと笑って手を振り返した。お兄さんは手話がまだ上手に使えないから、口の動きと、身振り手振りと、メモに字を書いたりして、お話をする。最近は、フミちゃんがお手紙を書いてきてくれることも多くなった。本の感想がかわいい字で書かれているその紙は、わたしには何よりも綺麗なものに見える。
『きのう買った絵本おもしろかったよ。ありがとう』
うさぎの絵が描いてあるかわいい紙に幼い字が並んでいる。お兄さんは上手になった“ありがとう”の手話を返した。
『フミちゃんは“ようせいさん”のお話が好きそうだなって、ずっと思ってたから、よかった』
急いでメモに書いたお兄さんの言葉を目で読みながら、フミちゃんの顔がちょっと暗くなった。
『だけどね、大人になるとようせいさんが見えなくなっちゃうって本で読んだよ。フミ早く見ないと、見られないままかな、悲しいな……』
細かいところはわからなくてもお兄さんはだいたい手話がわかるようになっているから、すぐ首を横にふって、そんなことはないと思うよ、と声に出して言った。フミちゃんはちょっと首をかしげて、お兄さんが紙に字を書き終わるのを待っている。
わたしは確かに二人の近くにいるけれど、見られているかはわからない。目が合ったと思っても、それは一瞬で、わたし達の向こう側のものを見ている。仲間の中には、人間はみんな目が悪いとバカにする子もいる。
「ちょっと字が小っちゃくなっちゃった」
言いながらお兄さんが書き終えたものをフミちゃんに渡した。
『僕はもう大人だけれど、ときどき見るよ。ここでね。みんな本が好きみたいで、新しい本を並べると見に来るんだ。小さいのも大きいのもいるよ。ずっとは見えないけど、たまに見えると、いつも本のそばにいて、お客さんに声かけてるのも、見たことがあるよ』
わたしはびっくりした。お兄さんとは一度も目が合ったことがないのに、こんなにしっかり見られていたなんて。
「案外、この辺で見ているかもしれないね」
くちびるの動きが読みやすいようにゆっくり言って、確実にわたしの方をチラッと見て意味ありげにニッと笑った。
いや、それは勘違いで、フミちゃんの顔を見て笑ったのだろう。いつもそんなだから、今だってきっとそうだ。
『わたしも、ここにいれば見られるかな?』
『たぶんね』
と、お兄さんも身振りで答えて、ふたりは声をたてて笑った。
そのとき、わたしはお兄さんとしっかり目が合った気がした。