愛情は枯れ果てた
終わる恋。
愛しています。
だから何でもできます。
誰もが祈っていた。
祈る以外できなかった。
その時に届いた声――。
「了解しました。わたくしがお役に立てるのなら」
その言葉に近くに居た妃陛下は慟哭の声を上げる。
「リュシアンヌ。そなたの献身忘れないでおこう」
陛下が頭を下げてくる。
「ありがとう。リュシアンヌ」
王太子であるレディウスが礼を述べてくる。そのそばでは、じっと王太子に支えられつつもじっとこちらを見ている王太子の婚約者であるフリージア侯爵令嬢カリンカ様がおられた。
「いえ、わたくしのすべき事でしたので」
淡々と告げる声に感情はない。
表情も動かない。
首元には先ほどまでなかった大きな宝玉のはまった首飾りが着いている。
それを見て妃殿下は悲しげに視線を下に向ける。
あの声。
神に捧げたのはわたくしの感情。
その日からわたくし。リュシアンヌ・オールブランから感情と言うものが消え去っていて、感情の無い【氷の令嬢】と呼ばれるようになった。
「リュシアンヌ!! お前の起こした数々の非道。余が知らぬと思っているのかっ!!」
婚約者であるアシルド第二王子殿下がそんな事を言い出したのは卒業記念式典で行われたパーティーだった。
アシルド殿下の傍らには涙目でしっかりとアシルド殿下に縋りついている御令嬢。
……確か、バーミリアン男爵令嬢だったような。
「聞いているのかリュシアンヌ!!」
怒鳴るアシルド殿下に視線を向けると、
「きゃっ」
と涙目になってますますアシルド殿下にくっつくバーミリアン男爵令嬢。
「どうしたメリッサ!!」
「い、いま、リュシアンヌ様に睨まれて……」
ぶるぶると怖いと震えながら縋りつくバーミリアン男爵令嬢。メリッサって名前でしたねそういえばと貴族謄本を思い出しているとアシルド殿下はまるで危険な物からバーミリアン男爵令嬢を守るように背中に隠していく。
その時一瞬だけバーミリアン男爵令嬢がにやりと笑ったように見えたのですが、気のせいでしょうか。
「お前のした事の行いで可愛いメリッサが怯えているだろう!! この魔女め!!」
「リュ…リュシアンヌ様。今ならまだアシルド様もお許しになります。だから謝ってください」
背中に庇われながらもそんな事を告げてくるバーミリアン男爵令嬢を見て、
「謝る? わたくしが何を行ったというのでしょう?」
心当たりはありません。
バーミリアン男爵令嬢に行った事を思い出してみる。
礼儀作法がなっていないのを窘めた事とか。
「礼儀作法がなっていないと取り巻きと共に嘲笑ったそうだな!!」
取り巻き?
いえ、あれは授業中で礼儀作法のやり方を招待した側と招待された側で交互に替わって気付いた点を教え合うものだったので一対一であったのだが。
「あの授業は誰も組みたがらないバーミリアン男爵令嬢をリュシアンヌ様が気を利かせて組んでくださったのに」
ぼそっ
どこからかそんな声が聞こえたのでわたくしの記憶違いではなかったと判断して。
「誤解でございます」
どうしてそうなったのかと言葉を返すと。
「そうやって煙に巻く気かッ!! それだけではないぞ。テラスで足を引っかけて紅茶を零させたそうだな」
怪我をしていたらどうするつもりだったんだと叫ばれて。思い出す。
足を引っかける?
「自分で転んだのではありませんか」
倒れかかったのを見て、手を差し出したら。
『ひどいわ!! 足を引っかけるなんて!!』
と大きな声で去っていったの見たのだが。
「そんな……あんなひどい事をしたのに……」
涙ぐんでいるバーミリアン男爵令嬢をアシルド殿下が抱きしめる。
それにしても先程から涙ぐむたびに抱きしめられて、痛くないだろうか。
………何か変な感じがするむかむかと胃もたれのような。
「ここまで来ていいわけか!! 見苦しいぞ!!」
「恐れながら証拠はございますか?」
先ほどからバーミリアン男爵令嬢の言葉のみで証拠を出していない。
「証拠など!! メリッサの言葉で十分だろう!!」
………こんなに愚かな人だっただろうか。
「この場を以てお前との婚約を破棄する!!」
アシルド殿下の声がはっきり耳に届き、ああ、こんなはっきり声を出せるようになったのだとどこか現実逃避のような事を考えていた。
第二王子アシルド殿下はかつて病弱だった。
特に何か病を患っているわけではなく、身体が弱く、ほとんどベッドの住民であった。
『外で自由に走り回れたらどんな気分だろう』
ずっと窓の外を見詰めながら、悲しげに呟いたのをずっと傍で聞いていた。
アシルド殿下がいつまで生きられるか分からないが、せめて生活に潤いを与えて、生きる意欲が湧けば気力が漲って健康に近付くのではないかと思われたからだ。
そんな思惑でかわされた婚約。
『こんな余の婚約者になって辛いだろう』
自分の命の儚さを嘆き、こちらを気付かう優しさに、神がいるのならわたくしの持っている物を差し出してでも助けてくれないだろうかと毎日祈っていた。
そんな彼の周りにいた人々の祈りが通じて、アシルド殿下の体質(体調?)がよくなり、健康になったのだが、ずっとベッドの中で望んだ外の世界を知り、彼は自分の周りの世界の狭さを知った。
。
つまり、自分の婚約者……わたくしが外の世界で知った女性たちと違って、魅力が無く面白みのないつまらない存在だと気付いたのだ。
つまらない女性であるわたくしとの婚約。
そして、アシルド殿下は外の楽しみを知った事で、王族としてすべき事は自分を拘束するものに思えて、その時間に抜け出すようになった。
かちゃっ
首飾りの揺れる音が異様に耳に響く。
こんな耳障りな音がするものだっただろうか。いつもは気にならないのに。
「――アシルド」
アシルド殿下を呼ぶ声がする。
卒業式典には卒業生の身内が招待されている。そして、何よりも卒業の祝いの言葉を述べるのは王族だ。
王太子であるレディウス殿下。半年前に結婚為されて王太子妃になられたカリンカ様がそこにはおられた。
お二人の後ろには陛下と妃殿下も。
「兄上」
アシルド殿下は王太子殿下には敬意を払っている。
「本当に婚約を破棄するのか?」
「ええ。そうです。こんな性悪な女。王族に相応しくありませんからね」
静かに尋ねる声が自分を責める物ではないから堂々とした言いようだ。
「………彼女はお前が病弱だった時からずっと傍に居て、王族の教育と同時にお前のお見舞いをして、看病も行っていたのにか」
「兄上」
王太子殿下の声を遮るように。
「そんな幼い時の事をいつまでも恩にきせての傍若無人の行いを許せるとでも!!」
びしっ
「たかが幼い頃の恩で婚約をそのまま行う事がおかしいのです!! 今のこの女はまさしく悪女と呼ぶしかない汚物なのですからっ!!」
「…………」
「現に私の言葉に一切この女は表情一つ変えないで、気にもしていないではありませんかっ!!」
兄弟同士の言い合いにおろおろとしているバーミリアン男爵令嬢。だけど、勝ち誇った顔をこちらに向けるのは忘れない。
「――陛下」
ずっと黙っていた妃陛下が口を開く。
「アシルドの好きにさせたらどうですか」
「し、しかし……」
「そこまで言うのなら望みを叶えてあげましょう」
慌てる陛下に我が意を得たとばかりに勝ち誇ったように笑うアシルド殿下。
…………妃殿下は表に出さないが、怒っているのを陛下を含む数人しか気づいていない。
「では、婚約の証であった首飾りを外してもらいますよ。リュシアンヌ」
「妃殿下……」
「妃殿下。いえ、義母上。リュシアンヌが外すのは哀れなのでわたくしが外してまいります」
カリンカ様が告げるとそっと近づいてくる。
「カリンカ様」
「今までよく耐えてくれましたね。――もういいのですよ」
耳元で囁かれたと同時にカリンカ王太子妃の細い白い腕が背中に回り、首に下げられていた重みが消える。
と同時に、今まで塞き止めていた何かが溢れてくるのが抑えられない。
目から何かが零れ落ちるのをカリンカ様がそっと慰めるように抱きしめてくれる。
「カ…カリンカ様……」
「いいのですよ。思う存分吐き出してしまいなさい」
わたくしはいくらでも受け止めますから。
優しい声に誘われるように縋るように強く掴まって涙を流し続ける。
そんなわたくしの後ろでは、
「な…。どういう……」
アシルド殿下が急に力が抜けていくかのように床に崩れるように座り込む。
胸を押さえて、水の中から地上に連れてこられた魚のように苦しげに呼吸を行っている。
「あ、兄上……」
「――病弱だったお前の身体がよくなった時の事を覚えているか」
静かな口調だが、眼差しには怒りを宿していた。
それは妃殿下も同様。
陛下は少し悲しげに見ていたが、為政者として冷酷な判断をする事に躊躇う事をしない覚悟を持っていた。
「リュシアンヌ……オールブラン侯爵令嬢はお前の身体を治してもらいたいと祈り続けて、神の啓示を受け取った」
そう。あの時の事は今も鮮明に覚えている。
ある急に寒くなった日。アシルド殿下の体調が急変した。
生まれつき身体が弱く、体力のないアシルド殿下は急な高熱で苦しみ続けた。
誰もが死を覚悟した。
それでも医師は命を繋ぎ止めようとすべき事を行い、何もできない者は神に祈る事しかできなかった。
そんな祈りが通じたのだ。
「リュシアンヌの感情と引き換えにアシルドの身体を回復させようと。首飾りがリュシアンヌの感情を抜き取り、お前の身体を健康にするための力に変換させると告げて、リュシアンヌはすべての感情を消し去った」
そう。
どんなに嬉しくても悲しくても感情は動かない。
氷の令嬢と呼ばれる所以はそこから。
だから、嫉妬のままに身体が動く事もないし、我が儘と言う行動すらまずする意味がない。
バーミリアン男爵令嬢を虐げる理由も非道な行いをする動機すら思い浮かばないのだ。
感情を喪った経緯を知っているから王族は皆責められる理由がおかしい事も気付いていたし、それだけの対価を払い続けているわたくしに優しくしてくださった。
その優しさすら心に響かなかったが。
「そ…そんな……」
呆然と呟くアシルド殿下。
アシルド殿下にずっと抱き付いていたバーミリアン男爵令嬢は倒れる直前にアシルド殿下から離れて側で蒼褪めて小刻みに震えている。
「ならば、その首飾りをもう一度嵌めれば」
息も耐え耐えに、手を伸ばして来るアシルド殿下に感情を取り戻して怯えてしまったわたくしを庇うようにカリンカ様は間に入り、
「優しいリュシアンヌならその言葉に頷いてしまったでしょう」
だから、わたくしが外したのです。
カリンカ様が首飾りをしっかり見えるように掲げる。
「健康になりたいのならそこに居る男爵令嬢に頼んだらいかが? 真実の愛があるのなら受け入れてくれるでしょう」
カリンカ様の言葉に、
「む、無理よ…。なんでそんなの……」
蒼褪めて震えて必死に首輪から避けるように後ずさる。
「メリッサ……」
信じられないという目でバーミリアン男爵令嬢を見詰めるアシルド殿下。そんなアシルド殿下を数人の従者がどこかに運んで行った。
アシルド殿下は直轄地で病気療養する事になった。
病弱でなければ廃嫡して、処分したのだがと陛下の言。
男爵令嬢はどこかの修道院に送られたそうだ。
「臣下の献身を無下にするような者は国を支える事などできないだろう」
カリンカ様が個人として行うお茶会で王太子はわたくしに話をされる。
お茶会と言いつつも呼ばれているのはわたくしと王太子殿下のみ。
「ですが、アシルド様は気付かれていなかったのですから」
「首飾りの件より以前にずっと看病されていたのにあの態度だ。王族としてすべき事を行わず、証拠も集めずにお粗末な結果だ」
病弱だから甘やかしすぎたかと王太子殿下が告げる。
「それに、いくら感情が首飾りに吸収されているとはいえ、感情は生まれていただろう」
「そう、ですね………」
首飾りを外してから思い返すとアシルド殿下に向けていた想いが擦り切れていったのだと思う。
怒りとか悲しみとか。
感情が吸い取られていてよかったと思う。吸い取られていなかったら耐えられなかっただろう。
そして。
「ずっと捧げていた愛情も枯れ果てて消えていったでしょうね」
もしかしたら、枯れていたのかもしれないと思いつつ、ぼんやりと庭を見ながら呟いた。
『リュシアンヌ。これが花なんだな』
健康になってすぐに自らの足で庭を走って歓喜の声を上げていたアシルド殿下の姿を思い出す。
そして、枯れてもう出ないと思っていた涙が再び零れ落ちた。
タイトルが最初に浮かんだので、難しかった