3-2 というわけで、ご用意いたしました
「待て待て待て待て!!!!」
「おかしいおかしいおかしい」
最初に反応したのがオズウェンで、次がアルマという順番だった。
雨は止むどころか、どんどん勢いを増している。もう天変地異なのではないかというくらいに降っている。屋敷は突然ものすごく巨大な水槽に放り込まれたような有様で、しかしその天候がもたらす圧迫感をものともせず、この面接室の中で事態はごりごりと動き始めている。
「三億テリオンの借金を来月まで!? 何をどうしたらそんなことになるんだ! 曲がりなりにも子爵家だろ!」
「ま、曲がってないし……ちゃんと子爵家だし……」
オズウェンの勢い込んだ質問を、ついっとフェリシーは躱す。ぴゅーぴゅーと口笛も吹く。目は合わせない。合わせると頭からバリバリ食べられそうで怖いから。
「おい。あらかじめ言っておくが……」
と思ったら、ズォッとオズウェンは立ち上がって、ずんずんと怪獣のようにこっちに詰め寄ってくる。
そしてぐぐっ、と。
人食い鬼がクローゼットに隠れた子どもを追い込むような、そんな恐ろしい顔つきで覗き込んできて、
「俺がこの世で一番嫌いな言葉は『タダ働き』だ……」
「い、言ってないですって! 払います払いますほんとに!!」
「なんだ。それならいいんだ」
「こ、こわ~……。なにその変わり身……」
払う、の一言でパッとオズウェンは身を起こす。そしてにっこりと穏やかな笑みも浮かべている。穏やかな笑顔を浮かべている人間を無条件に信頼してはいけないらしい、とフェリシーは学んだ。借金の一本化を請け負ってくれた狐目の後輩の顔も連鎖して浮かんだが、今は申し訳ないが考慮すべき変人の数を増やしたくなかったので、一旦頭の奥の方に帰ってもらう。
そして、その穏やかな笑顔のままでオズウェンが言う。
「とりあえず、今日の分までは人数割り……求人票通りに手数料諸々を差っ引いてからの五分の一が割り当てられるって認識でいいんだな?」
「はい。それはそうです」
「よし」
その笑みは、一層濃くなり。
「となるとここから雇用条件の変更があるんだと思うが、俺はその交渉に応じる気がない」
「え、」
「ただ、最後の金箱相手に三秒を超えたのは俺の落ち度だ。後輩が三億テリオンの借金苦だって言うなら、当初取り決めの五分の一じゃなく、迷惑料を差っ引いて七分の一程度に抑えてもらっても構わない」
「あの、先輩、ちょっと――」
「だがな、悪いが俺は対価のない労働がこの世で一番――」
「ちょっと待ってくださいって!」
ばっ、と両の掌を見せ付けるように。
大きく声を出せば、オズウェンの言葉が止まったので。
「言ってません。そんなこと、一言も」
その隙に、フェリシーは自分の言葉をしっかりと伝えた。
「……何?」
「雇用条件の変更とか、するつもりないです。最初に募集した通り、手数料だけ差し引いた後は完全人数割りで報酬分配します。初回だけじゃなく、ずっとです」
求人票には、決して嘘は書かない。
フェリシーにとっては、ごくごく当たり前のことだ――ただし、全ての真実を記載しているとも限らないが。
「いや、え――ちょっと待って。オレからも質問していい?」
控えめに挙手をしたのは、正座したままのアルマ。
はいどうぞ、とフェリシーが応えれば、彼はそこからゆっくり立ち上がって、
「いや……フェリシーって、三億の借金があるんだよね?」
「うん」
「で、雇用条件は人数割りで、変えるつもりはないんだよね?」
「うんうん」
「算数得意?」
失礼な、とフェリシーは思う。
こう見えて学園の生徒会では会計を任され、解任され、「字だけは綺麗だから字だけ書いてろ」と書記に配置換えされた経験だってあるのだ。
「わかってるって。二ヶ月で計十五億稼げば足りるんでしょ」
絶句、という表情をアルマはしていた。
そしてゆっくりと、氷が春の光に解けていくようにぎこちなく、彼はオズウェンの方を向いた。訴えかけるような目線で、そして実際に訴えかけるようなことを言う。
「逃げんの? この哀れな子を置いて」
「…………いや。流石にフェリアーモ子爵家が三億のうち幾分かは――」
「両親のバックアップが最大限あって三億の試算です」
「ないってよ」
「………………」
「学園の教育カリキュラムの問題じゃない?」
「……カリキュラムについての苦情は、俺じゃなく学長にでも言ってくれ」
「逃げるのか!?!!!?」
「お前は退職した小役人に国の政策の文句をつけるタイプか!?!?!」
そういう人って結構いるよなあ、とフェリシーがしみじみしていると。
アルマはオズウェンとの会話を切り上げて、こちらにくるりと向き直る。
「フェリシー。あのさ、物は提案なんだけど」
「うん?」
「ここで会ったのも何かの縁だしさ。長期雇用してくれるなら最初の二ヶ月は定額でいいから、オレのこと雇ってみない?」
え、と思わず声を上げる。
だって、急に情の深い人間みたいなことを言い始めたから。
「さっきオレも〈開闢剣〉をぶっ放したばっかりだから、二ヶ月くらいなら我慢できるし。貯金も合わせて十八テリオンしかないから、定額雇用でも全然助かるし」
「冒険中に全財産賭けるとか言ってたのは?」
「十八テリオン賭けた。嘘は吐いてない。で、それならふたりで三億……は無理でも、返済を待ってもらえるくらいの額は確保できるんじゃないかなって」
「僕もそれに賛成だ」
言って、すくっと立ち上がったのはシオ。
「いくらなんでも二ヶ月で十五億は無理だ。よくある衣食住保証に固定給を足した形の雇用ではどうだろう」
「あ、それそれ! オレもそれでいいよ」
「僕も肝心な食事部分さえ保証してもらえるなら、固定給自体は低くて構わない。それに……」
つい、とシオは目を伏せる。
それは何かを考え込むような、記憶を確かめるような仕草で……どうしたんだろう、とフェリシーが声をかけようとしたとき、
「フェリアーモ子爵家は、果樹生産で有名ですね」
「――やはり」
ミティリスが言って、シオが我が意を得たり、というように頷いた。
「聞いたことがある。そして覚えがあるということは、美味しかったということだ。美味しいものを作るところは守られるべきだと、僕は思う」
「ど、どうもご贔屓に……。私じゃなくて領民の頑張りだけど」
「よし、それじゃシオもオッケーで……ミティリスはどうだ?」
「もちろん。私もその条件で歓迎ですよ。困っている方がいたら、助けになりたいですから」
とんとん拍子で、話は進む。
四人のうち三人の忍者が――実際には問題まみれの三人だということは差し置いても――なんと「実際の実入りは少なくなってもいいから力になりたい」と申し出てきている。
すごい状況だ、とフェリシーは思った。
勢いで突き進んでいく中で、何らかの運がチャージされたとしか思えない。
でも、それでは困るのだ。
「よし! じゃあ最後はオズ――」
「す、ストッープ!!!」
会議は声の大きい者が制すると古今東西相場は決まっている。
だからフェリシーは、たいそう大きな声を上げて、その場の流れを止める……びっくりしたような顔で、四人ともがこちらを見ている。
チャンスだ。
「大変お気持ちはありがたいんですが! いつもの私だったら泣いて喜んで、泣き落としで無賃労働まで持っていけないかって頑張るところなんですが!」
「いいのかお前ら。こんな血も涙もない雇用主で」
「なんですが!!!」
オズウェンの横槍も、フェリシーはものともしない。
なぜならオズウェンよりも大きな声で喋っているからだ。
「でも、それだとちょっと困るっていうか……!」
「どのへんが? オレは結構、そっちの都合に合わせられるけど」
「僕もだ」「ええ、私もです」
さっきまでの好き放題は何だったんだ、というくらいにオズウェンを除いた三人は親切になっている。本当になんだったんだろう。悪霊に憑りつかれていたのか、それともどんな人間だって善良な面と邪悪な面の両方を備えているとか、そういう話なのか……。
「端的に言うと、なんだけど」
そんなことは、どうでもよくて。
「短期の固定給で、『三億の借金を返すために馬車馬のように働いてください!』って言われたら、どう思う!?」
かろうじて、アルマが「どうって……」と呟く声だけが返ってきた。
答えは出ているが、誰も口にはしない。そういう読み合い空間が発生しかけて、だからフェリシーはさらに畳みかけていく。
「『特にあなたたちに成果報酬はないけど、とにかく私はお金が欲しいから毎日迷宮に潜って死ぬような目に遭ってね☆』って言われたらどう思う!?」
「いいのかお前ら。毎日潜ってたら死ぬぞ。一般的には」
「どう思いますか、オズウェン先輩!!!」
「金庫を持ち逃げして街から姿をくらます。当たり前だろ」
平時であれば海溝レベルで雇用意欲が低下する回答が返ってきた。そもそもどう思うかを聞いているのに即行動なのも酷いし、普通に犯罪だし、本当に当然みたいな顔をしているし、この人の受け答えは絶対に就活の参考にしない、とフェリシーは心に誓う。
が、今この場――超緊急時に限れば、ひとつの指標になる。
「ですよね! つまり、人はお金が貰えないとやる気が出ないんですよ!!」
「いや、でもオレは二ヶ月くらいなら――」
「甘いな、アルマ。無賃労働は人の心を破壊するぞ」
そして、血も涙もない人間が得意とするタイプのサポートも入れてくれる。
「最初のうちはいいかもしれないな。陸に揚がった魚と同じで、親切心も最初だけは活きがいい。だが、やがて疲弊した頃にお前は思い始める。『なんでオレがこんなこと……』そろばんをぱちぱち弾いては『この時間を別のことに当ててたらこのくらい稼げてたのに……』カレンダーを見ては『オレの十代、こんなことのために……』挙句の果てにはフェリシーの生活履歴を調べ始めて『こんなボンボンのためにどうしてオレがこんなに身を粉にして……』」
「そして私を刺して本物の死刑囚になる」
「ならないよ!!」
大声で反駁するアルマだが、しかしオズウェンの怪談みたいな口調が効いたのか、声に力がない。
「なります、絶対に!!!!!!!!」
力がないなら、押し切れる!
「だから本当に、本当に皆さんからの『無賃でもいいから借金返済に協力したい』という申し出はありがたいんですが……」
「言ってない言ってない!」「僕も流石に……」「私はそれでも構いませんが」
「ありがたいんですが!! ここはやっぱり、みんなで同じ『お金』という目標のために頑張るのがいいのかなと思って!」
ようやく、とフェリシーは思う。
会議が二転三転してしまったけれど、ようやくここまで辿り着いた。
結局自分が言いたいのは、すごくシンプルなことなのだ。
お金とかそういうのが目当てで集まった四人に、『自分といると儲かる』ということを認識させたい……ただそれだけのこと。
だから、フェリシーはさっきみたいに変な流れにならないように。
素早く、切り札を見せることにした。
「というわけで、ご用意いたしました!」
机の引き出しを開く。
さっき席に着くときに、流れで一緒に入れておいたそれを取り出す。
「――金箱産の魔晶?」
オズウェンが一番先にそれに気付いたのは。
きっと、その翡翠の輝きを一番最初に、間近で目にした人だからで。
そして、それだけ確認してもらえたなら、全ての準備は整った。
「今から皆さんに」
フェリシーは、その輝く魔晶を四人に見えるよう、指先で挟み込む。
「『十五億』の根拠を、お見せしたいと思います」
それは、ひとつの魔術。
彼女が最も得意とし、そしてこれからの人生をともに渡り歩いていくだろうと思っていた、とっておきの技術。
その呪文を、彼女は。
「――――『リ・ファイン』」
古い友の名を呼ぶように、唱えた。