エピローグ② 戸棚
「ってことがこの間あったよ」
「いきなりホラー聞かせないでくれる!?」
「こわい」
最近はずっと晴れづくめで、物干し竿にかけたベッドシーツもゆるやかな風に揺れて、暖かく膨らんでいる。
迷宮都市、フェリアーモ屋敷、春の朝。
その廊下を歩きながら三人は――フェリシーとアルマ、そしてシオは話している。諸々解決して分配金の目途が立ったので一度説明しよう、ということで部屋から呼び出したのだ。
そしていつものダイニングへと移動する道中、折角だからこの時間も活用してしまおうとフェリシーは、愛すべき後輩コン・コンクロールと最近会ってきてこういう話をした、ということを語ったのだけけれど、
「ちゃんと怖い話はやめてほしい。夜、眠れなくなってしまう」
「そうだそうだ。てか、なんか学園にいる人っておかしくない? フェリシーにオズウェンにそのコンさんでしょ? 何らかの国益損なってない?」
反応はこれ。
損なってないよ失礼な、と言いながら扉を開けて、ダイニングの中へ。適当に座って、とふたりに言って、自分はキッチンの方へ。
何も出さないのもと思うから、コップを三つ取り出して、冷やしたフルーツジュースを注ぐ。いつもならこうした準備をしてくれるミティリスも、いま引き合いに出されたオズウェンも、今日はいない。ふたりはふたりで用事があって出掛けているからだ。
というわけで、フェリシーはテーブルの上にことりとそれを置いて、椅子に座って、三人でテーブルを囲んで、それから話し出した。
「で、早速本題なんだけど。お金の話ね」
「おっけ。……正直、オズウェンがいるところでしときたかったけど」
「ああ。オズウェンは頼りになる」
「先輩が『自分で決めろ』って言ってたんだから諦めて。ていうか、どっち取っても悪くはならないから」
ちょっと状況が変わるだけ、と言って。
用意しておいた紙を、フェリシーは差し出す。春の日差しで白く光る紙面を、手で少し覆ってふたりに見えやすいようにして、
「まず、稼いだお金の総額はこれだけね」
「六歳児の落書きみたい」
「もうお金というものがよくわからない」
そうだね、とフェリシーは頷く。
「で、これをぽんっと渡して後の処理はそっちでよろしく~でもいいんだけど」
「よくないよくない」
「助けてくれ」
「ってなると思って、ちょっと色々こっちで考えておきました」
ちょっと下の方見てね、『2』のとこ、と指差して、
「そもそもあの量の魔晶をばーっと市場に流しちゃうと値崩れして安く上がっちゃうから、段階的にちょっとずつ売っていこうと思ってるんだよね。どう? こっちの方が受け取りは遅くなるけど、最終的に貰える金額は多くなるよ。あと人からも恨まれない」
「好きにしてくれていい。僕にはもうわからない」
「オズウェンは何て言ってたの?」
「いや、先輩が言い出したやつ」
じゃあそれでいいや、とアルマは簡単に納得してしまう。
じゃあそれでいいやでいいのか、とフェリシーは思うが、好都合なのでそのまま流して進めていく。
「じゃあその先は……そう『3』のとこ。売却ルートがふたつあるわけ。この間まで使ってたのはお母さんの昔の職場のコネだったんだけど、ちょっとこの額になると厳しいから、新しいルートを使おうかなって」
「なんか『①イングレディオ経由』の下に『②コンクロール経由』とかいう言葉が見えるんだけど」
「だからコンちゃんの話したんだよ」
「だったらコンちゃんさんの話するなよ」
選ぶ余地なくなっちゃっただろ、とアルマは言った。
そしてシオは早速『①』の方を指差して「こっちがいい」と決めつけている。
が、最後までしっかり伝えるのも役目だろうとフェリシーは思うので、「まあ待て待て」と制して、
「①がそのまま副会長経由ね。普通にじわじわイングレディオ家のルートで売ってくれるよってやつ。サービスで手数料なし。そういう専門じゃないからちょっと売るのに時間がかかるけど、何かあっても割とねじ伏せてこっちの素性も隠してくれるよって感じ。今までのやり方の素直な延長がこっちかな」
「それでいい、それでいい」
「それがいい」
「②はコンちゃん経由なんだだけど、こっちはちょっと手数料がかかります。でも売値を交渉で上げてくれるからその分でお値段トントン。で、副会長のルートよりも早めに売り切ってくれそうだから、環境変化で一気に魔晶が値崩れして……みたいなリスクは避けられるかな。で、ふたりはどっちがいいかなって」
「あー……そっか。値崩れ」
「するのか?」
うーん、とフェリシーは腕を組む。
自分も実は、そこまで読み切れていないのだ。
「しない……とも言い切れない。これからの状況次第。副会長もそのあたりに噛んでるから、①でも少なくとも一括売却よりは利益出る……けど。けどけどけど、って感じ」
「なるほどね。普通に一長一短なんだ」
「そう聞くと、どちらを選んでも悪くなさそうだな」
なんだかんだ言って考える姿勢になってきたふたりを見ながら、よしよしとフェリシーは内心で手応えを感じる。オズウェンから「あいつらも自分のことを真剣に考えた方がいい」と放り投げられたときは、ちょっとどうなることかと思っていたのだ。
「後は、コンちゃんのところはお金の管理が専門みたいなものだから、個人的に相談すれば資産運用とかやってくれるって。そこでパイプができると、コンクロール侯爵領って結構色んなところにあるから、旅とかするとき便利かも」
「…………なんかフェリシー、コンちゃんさんの方を推してない? デメリットは?」
「パイプが直接になっちゃう。資産運用のところまで私が間に入ったらおかしいもん。……それで、あの家って人材マニアが高じてお金貸しみたいなところがあるから。色々そのあたりであるかも」
でも全体的には良い子だと思うよ、と念押しすると。
うーん、とふたりは大いに悩んで。
「オレはコンちゃんさんの方、ちょっとアリかも……」
「本気か、アルマ」
「この額だし、資産運用してもらえるのは正直楽……でもなあー……。駆り出される可能性がないでもないのか。……オズウェンはどうした?」
「ひみつ」
「あー! 悩むなー!」
「僕は副会長のところでいい気がするが。人柄は見て知っているし、悪いようにはならないと思う」
「でもそれ、自分でお金を管理するんだぜ?」
「む…………フェリシーは?」
「私は半々。顔立てもあるしね」
むーんむーん、とさらに悩む。
すっかり自分の分を決め終えたフェリシーは余裕の表情で、うなだれたふたりのつむじを見つめる。それに飽きたら立ち上がって、お茶を淹れて、それにフルーツジャムを添えて飲む。
しばらくすると、ぷすぷすと煙を上げてふたりの機能が停止するので。
じゃあこのへんで、と苦笑いをして。
「ゆっくり決めなよ。来週頭まではここにいるんだし。最悪、私が学園に戻ってからでも①とか②とかだけ書いた手紙送ってくれればいいから」
「うん、そうする。……シオ。ちょっと後で部屋行って話そうぜ」
「ああ。まあ、この手の話題で僕が役に立つとも思えんが」
胸を張るシオに、それでいいのか、とフェリシーはアルマとふたりで呆れつつ。
嫌なことから目を逸らすように、紙はさらりと伏せられて、後は他愛のない話。
「そういえば、次はどうするか決まったの?」
「僕は食べ歩きの旅に出ようと思っている」
「ああ……」
楽しそうだね、と言えば、楽しくなると思う、と彼は目を輝かせて答えた。
「好きなだけ走って、好きなだけ食べて、好きなだけ眠る。そういう生活がしたいと思っている」
「そっかそっか。できるよ。お金あるもん。……国からは出るの?」
「今のところは、そこまでは。走るだけならそれほど時間は要らないが、食べ尽くすには時間がかかる。お腹がいっぱいになったらまた別のことをしたくなるかもしれないし、それまでは保留する。……ところでフェリシー。そのフルーツジャムはどこに」
「戸棚」
「欲しい」
「いいよ」
ありがとう、とシオはいそいそ席を立って、キッチンの方へ引っ込んでいく。
すると自然、次の矛先は残ったもうひとりの方へ向き、
「アルマは?」
「んー……悩み中」
「食べ歩き?」
それもありかもなあ、と彼はテーブルに突っ伏した。
こちらはこちらでかなり悩んでいるらしい、ということが見て取れる。
「なんか、『赤』から戻ってこいって言われてるとか言ってなかった?」
「んー……そうなんだけど。まだ早いかなって」
「何それ」
シオがティーポットとジャム瓶を持って、嬉しそうに戻ってくる。
アルマはその姿勢のまま、オレも欲しい、とぼんやり言って、
「さっきフェリシーも言ってたけど、業界の動向とかわかんないじゃん? たぶんそのへん込みで『赤』もオレのこと呼び戻そうとしてるんだろうけど……」
「もうちょっと動き見てから決めたいか」
「そんな感じ。出遅れたら出遅れたで、適当にフリーの冒険者みたいなことやってもいいし。……あー、悩むなー! どっちにしよう、換金ルート」
まだ悩んでるんかい、そりゃ悩むよ、難しいことはいいからお茶を飲もう、と流れるように会話は進み。
最後は、彼女の番。
「フェリシーはどうすんの?」
「え、私? 別に、普通に学園に戻るけど。まだ私、高等科一年生……あ、もう二年生か。二年生だし」
「戻って学園で何をするんだ?」
「何って、普通に勉強したり、生徒会の仕事とかしたりするよ。借金も完済したし、後は穏やかな優等生としての生活に戻ります」
「…………普通に?」
「リーダーが穏やかに過ごせるとは思えないんだが」
「こらこらこらこら」
毒気がなければ何言ってもいいと思ったら大間違いだぞ、とフェリシーは特にシオの方を向いて言う。アルマの方はもうちょっと手の施しようがないけれど、シオは影響を受けやすい分まだ効果がありそうな気がする。
「そんなことを言われても……むしろリーダーが自分を省みた方がいいと思う」
「んな、」
「僕も大概危なっかしいと言われるが、リーダーの方がだいぶ酷い。もっと気を付けて生きた方がいい。というか、さっきのコンちゃんさんが言っていたとおりで、知らないところで死んでいそうで怖い」
畳みかけるような滅多打ち。
全部まともに食らって、フェリシーは何とも言えない状態になって、
「アルマも、そうは思わないか」
「思わないよねっ」
多数決で押し切れないかと、三人目の顔をシオと同時に見る。
「え、オレ? ……いや、うーん。死んでそうで怖い、とかは特にないんだけど」
頼りになるし、と。
彼が言うから、フェリシーは勝ち誇る。実際のところ自分がかなり危ない橋を渡ったということは自覚しているし、春休みにこういうことをやっていたと友人から聞かされたらドン引きする――が、別にこの場において真実は重要ではなく、勝つことが大事なのだ。
だから、彼女は言う。
「ほらね――」
「でも、そうだな。自分がピンチになったら呼びたくなる人ではあるけど――」
けれど、彼もまた、言う。
清々しいくらいに爽やかな笑顔で。
心からの言葉を、口にする。
「『ピンチだから助けに来て』って言われても、絶対駆け付けたくない!
次は死ぬもん!」