エピローグ① しました
「うちな、何もそんなに先輩のこと追い詰めるつもりやなかったんよ?」
全然半笑いだったし、何なら「最終的に勝手に追い詰められてくれたから面白かった」という裏の意図を明け透けに晒しながら、狐目の後輩は言った。
迷宮都市からずっと離れた場所。
コンクロール侯爵領……と呼ぶだけでは王国の一体どのあたりなのかさっぱりわからない程度には国内に領地が点在しているけれど、今フェリシーがいるのは、いわゆる『本家』がある西の国境付近。
そのコンクロール領の、侯爵家本邸の、テラスの、真っ白なパラソルの下。
明るすぎるくらいの春の陽が注ぐ真昼の日。これもまた真っ白な椅子に座りながら、真っ白な机を挟んで、フェリシーは向き合っていた。
まだ、何かを言う前のこと。
おかげさまで耳を揃えて借金返済でございます、という報告をする前に、すでにこの後輩――コン・コンクロールは、全てを察した様子で早速そんな風に語り掛けてきた。
「なのに先輩、えらい苦労しはったみたいで……心苦しいわぁ。なんやお化けみたいなでっかいのを相手に大立ち回りとか。うちなら怖くて泣いてまうわ」
「あはは……。…………あの、もしかしてそれ、結構広まってる感じ?」
恐る恐る訊ねたのは、もちろん隠していたはずのことが伝わっているから。
まさかとは思うけれど、誰も彼もが知っている状態になっているのだろうか。それなら全くあの日姿を消した意味はなかった。そんな悲しいことは起こらないでほしい。
そういう危惧を込めて伝えると、コンはけらけらと笑って、
「まさか。副会長はんが本気になったら、そこらの貴族じゃ尻尾も捕まえられまへん。ただ……」
「ただ?」
「実名でしばらく迷宮都市で活動してたのがあかんわ。あないなことしとったら、ちょっと鼻の利く犬ならいくらでも嗅げてまうよ」
うちもそう、と言って彼女は自分の鼻に指を当てる。
くんくん、と冗談めかして、目を三日月にして笑う。
「まあ、証拠はあらへん。次からうち以外の人にこう訊かれたら、『何のことですか?』って答えたらええんちゃう?」
「あー…………」
「うちにはちゃんと『やっぱりわかる?』って答えてな?」
鎌かけだったのか、と。
わかれば、がくりと力が抜ける。
「……私、こういうの下手だなー……」
「せやなあ。ええと思うわ。扱いやすいし、可愛くて」
「ちょっといい加減勉強しておきます……」
しかし、まあいいとフェリシーは思う。
言質を取られたのは彼女だけ。というか実際『夜の風』から手に入れた魔晶を捌く先をどうしようかと困っていたところなので、相談先として適任な彼女には遅かれ早かれ打ち明けていただろう。なら、失われたものは何もない。
そもそも彼女は、纏っている雰囲気ほど邪悪な人間ではないのだ。どちらかと言うと良い人……というかちゃんと良い人だと、フェリシーは信じている。
だから、素直に。
「あんまり言わないでもらえると助かります……。最悪、私の分だけならいいけど、他の人の分だけでも」
「言わんよぉ。うち、先輩のこと好きやもん。今でも覚えとるわ。うちが体育祭で足挫いたときのあれ。カッコよかったわあ」
いい、いい、とフェリシーは手を振って遮った。
本当に些細な話だ。それを切っ掛けに濃い交友を築いたというわけでもないし、どう考えてもそんな間柄でありながらなお三億テリオンの借金を整理してくれた恩には及ばない。
……そこまでしてもらって返済し切れなければ、かなり気まずいというか、どうにもやるせないことになるところだったけれど、何とか返済し切れた。ので、このか細い友情の線は断ち切られずに済んだ。
「でも、そんなに先輩も下手ばっかやないよ」
「え、」
「あの大お化けから出た魔晶、全部は取らんかったやろ。あれで残った分が国に回って……副会長はんを通したら復興支援と冒険者ギルドの機能強化やろ。分配も恩売りもきっちりして、あれなら早々つつかれへんよ」
「…………ほんま?」
「ほんま。ギルドが味方なら情報漏れもしにくなるし、額も上手いわ。野心のなさも上手に嗅がしとる」
それでも目を付けられるのはどうしようもないけれど、しかし目を付けられるくらいで済むなら全然マシだろう、とコンが言うので。
心の中で、フェリシーは感謝を捧げる――サンキュー、ダブル先輩。
「よかった……全部取っていかなくて。あ、じゃあそろそろいい? 一応さっき事務の人と話して手続きは終わったんだけど、正式に報告ってことで」
「ええよ~」
軽い調子で、笑って言ってくれたので。
フェリシーは改めて、居住まいを正して、
「――借金、全額完済しました!
色々相談に乗ってもらって、ありがとうございました。どうぞこれからもフェリアーモをよろしくお願いします」
深く深く、頭を下げて言えば。
どうもご丁寧に、とコンも頭を下げ返してくれた。
「こないにおもろい債務者ならいつでも歓迎やわ。先輩、いくらでもお金に困ってもええよ。これからもずうっとうちが貸したる」
「いや、もう困る予定はないんで……」
「予定にないから困るんよ」
ごもっともなことを言われて、うぐ、とフェリシーは言葉に詰まる。
あれだけの大金を得た以上、もうお金に困ることはないはず……ないはずだと思うがしかし、ある日突然三億の借金が降ってくる世界に生きているのである。
ないはずだが。
ない、とは言い切れない。
「……そのときは、またよろしくお願いします」
「あはは。素直素直」
可愛えわ、と楽しそうに彼女は笑って、
「でも……あんまり危ないことばっかせんとってな。なんや先輩、いつの間にかぽっくり死んでそうで心配やわ」
「どういうイメージ?」
「だっていくら返せへんいうても、いきなりお化けと取っ組み合わんでもええやんか。仲良い副会長はんを出張らせてうちと交渉させるとか。正直、ちょっとそっちのパイプも期待してたんよ」
あー、と。
彼女の言うことに、まあそうだよな、とフェリシーは思う。潰れかけの木っ端の子爵家に三億ポン。そういうことをしてくれる裏には、公爵家との橋渡しとか、そういう役割の期待があってもおかしくない。というか、それがメインだったのではないかとすら思う。
案外、その目的だけ達成すれば、さらりと借金をチャラにしてくれた可能性すらある。
流石にないかもしれない。ないが、返済期限は大幅に延ばしてくれたかもしれない。
ただ、一応。
そういうことを考え込むより先に、修正しておくべき点があったので、
「夜の――ああいや。そのお化けと戦ったのって、別に借金が返せなかったからじゃないよ」
「…………?」
「あの時点で三億は確保できてたから。あのあと戦ったのは、何て言うか……」
何と言おう、とフェリシーは悩んで。
まあ何でもいいか、どうせバレてはいるんだし、と開き直って。
「趣味、みたいな」
「しゅ――」
二秒、待った後に。
「――――あはっ」
コンは、堰を切ったように笑い出した。
詳しいことを訊かれるのかと思ったけれど、何も訊かれない。とにかく彼女は笑う。あはあは笑う。うふうふ笑う。大して鍛えたこともなさそうな腹筋のあたりに手を当てて、本当におかしげに笑う。
それから、彼女は。
いかにも侯爵令嬢らしく、扇子を口元に当てて、にっこり笑ってこう告げる。
「先輩、うちな」
「う、うん」
「おもろい人が好きなんよ」
春の陽射しの、とても鮮やかな日のことである。
昼の光が降り注いで、日向にあるあらゆるものが真っ白に輝いて見える。
「だからな、うち……せやから……」
そして、それだけに。
パラソルの下、影は際立って濃く映る。
真昼の暗闇の中。
口元を隠して、狐のように目を細めて、整えられた爪の先で、扇子の骨をなぞりながら。
うふ、と笑って。
彼女は、言った。
「また、おいでやす」