1-3 とにかく早く、今すぐに!
なんだ今のやりとり。
フェリシーはそう思いながらも、しかし時間は待ってくれない。そしてもちろん、借金返済までのカウントダウンも全然止まってはくれない。
というわけで彼女はそのあたりのことは一旦横に置いて、蹴っ飛ばして、窓から庭にかっぽって、存在も綺麗さっぱり忘れてから、次の行動に移ることにした。
「はい。それじゃあアルマさんについてはこのあたりで」
それでは次の方、と病院の受付よろしく綺麗な抑揚をつけて言って、アルマの隣、涼やかな黒髪の少年に目を向ける。
するとまず少年はさらり、と結った長い髪を揺らすようにして礼をした。
それからこちらを射貫くように、青い目でまっすぐに見つめてくる。
「シオ。十六歳」
「はい、シオさん。あ、同い年なんですね」
「ああ。年上か年下かで言うと同い年が好みだ」
「………………」
何かがおかしくないか、とフェリシーは少しだけ思った。
が、現状途轍もなく追い詰められている彼女は、その多少の違和感を誤魔化すことを選んだ。
「そうなんですね」
訊いてないし、そもそもそれ年上か年下かで言ってないじゃん――そういう気持ちを抑え込んで、彼女はとりあえず相槌を打つ。
「それじゃあ、経歴の方は……」
「僕もだいたい右に同じだ」
「え、」
「え、」
一個目の「え、」がフェリシーで、二個目はアルマ。
さっき少しだけアルマに対して抱いた「こいつ何言ってんだ?」という気持ちが、フェリシーの中で多少収まった。同じ困惑を共有したために。
面接の場で経歴を「右に同じ」で済ませようとする人間を初めて見た、というのが困惑の半分。
もう半分は――
「え、あ、っていうことは、四大ですか?」
「ああ。僕は『青』にいた。ただ、期間は彼より短い。三ヶ月くらいだ」
その後は短期契約のところを転々としていた、と。
静かに、澄んだ声で語る彼にフェリシーは驚き、そして喜ぶ――、
四大出身が、ふたりも。
これは本当に、追い風が吹いているのかもしれない。
「特技は移動。自分より足の速い人間を見たことがない。志望動機は、だいたい右に同じ」
「自分に合うところを見つけるために?」
そう、と頷くシオ。
やはりどう考えても志望動機を「右に同じ」で済ませるのはおかしい――それが許されるなら自分も今後の就活を全部それで乗り切りたい――と思いながらも、それよりもずっと重要な情報が提供されているために、フェリシーの指が操るペンは、とにかくメモにプラスのことを書きつけている。
『青』。
四大冒険者パーティの中でも最速と称される、超スピーディ忍者集団。
そこに所属していて、出てきた言葉が『自分より足の速い人間を見たことがない』。
こんなことがあるのだろうか、とフェリシーは感動に打ち震えている。ひもじくて近所の水溜まりに裁縫糸を垂らしたら本マグロが釣れたみたいな僥倖だ――と。
そして彼女は、喜びのあまり「どうしてそんな人間がこんなところで面接を受けているのか」という疑問を意識の下に抑え込んだ。「たぶん『右に同じ』とか言っちゃう性格のせいだよ」「そのくらいの性格の癖なら生徒会で慣れてるし全然大丈夫だよ」という無意識の判断が、さらにその疑問をぺらぺらに轢き潰してどこかに吹き飛ばしていった。
ありがとうございます、とフェリシーはシオに言う。
シオが「はい」と言って深く頭を下げるのを見て、「よし、性格にも問題はないな!」と結論付ける。人は見たいものしか見ない。
「それじゃあシオさんはこれで。次は……」
「俺だな」
ふ、と微笑みかけるように言葉を引き継いでくれたのは、三人目。
灰色の短髪に、ハシバミ色の瞳の青年だ。
「俺はオズウェン。年はこっちのふたりよりはちょっと上……二十一だ。で、悪いんだが四大の出身でもなければ、冒険者としてのキャリアも一年と少ししかない。魔術学園の修士の出でな」
「あ、へえ。もしかして王都の?」
ああ、とオズウェンが頷くのを、内心意外な気持ちでフェリシーは聞いていた。
集まった四人の中で、一番身長があって体格が良く見えるのがオズウェンなのだ。だから魔術学園修士――自分のいる学士課程を卒業後にだいたい二年程度研究する身分――の経験者とは思わなかった。あそこにいる人たちはみんな顔色が悪くて痩せ細っているイメージがある。修士論文の締め切り前に現実逃避に生徒会に来て駄々をこねるOB・OGばかりを見ているせいかもしれないが。
「それじゃあ先輩ですね。私、そこの学士課程なんです」
「へえ、奇遇だな。ところで豆知識なんだが、学園出身者同士は生活に関する価値観のすり合わせが楽だから、成婚後の幸福度が高くなる傾向があるらしいぞ」
「…………」
なんでいま要らない豆知識を披露されたんだろう。
その疑問の答えを確かめる前に、オズウェンは次の言葉を口にし始めてしまう。
「学園時代の専攻が魔力構造体分野だったから、特に『宝箱』の解析が得意だ。今のところ迷宮の中で『鍵開け』に失敗したことはない」
「えっ。それは……すごいですね。一年以上はやられてるんですよね?」
「ああ。まあ、中小を転々としながらだけどな」
都合が良すぎるだろ、と歓喜を隠しながらフェリシーは手元のメモに『鍵開け:☆』と書き込む。
『鍵開け』は忍者のジョブ試験でも必須の科目だ。そして現代冒険者界隈の基本戦術である『迷宮内をこそこそダッシュして宝箱をバカスカ開けて即帰宅』の『バカスカ開けて』の中核部分を担う技能でもある。
が、迷宮の中にある『宝箱』は構造が複雑かつ多岐にわたるため、全ての鍵を得意とする忍者はまずいない――単独での成功率は一流でも一割五分程度で、パーティを組むことでそれを十割に近付けていくのだ。
それが、いきなり単独で十割。
都合が良すぎる。
……いくらなんでも都合が良すぎて、流石にフェリシーも不安を覚え始めた。
「……あの、それだけの能力がありながら、どうして中小に?」
「俺の場合は中小の方が時給が良いからだ」
しかし、その不安を打ち消すようにきっぱりとオズウェンは言った。
「俺がいれば『鍵開け』のためだけに十人も二十人もパーティを組む必要はない。そうなると大手の低分配率を攻略回数で補うようなやり方よりは、中小の少人数チームで高分配率を狙う方がだいぶ時給が良い。時間は有限だからな。俺は『時間当たりにいくら発生するか』を労働の第一条件として見ている」
「な、なるほど……」
理路整然とした受け答えだった。
さっきまでの『なんか合わなかった』『右に同じ』よりは全然しっかりしている、流石年長者――いや年長者がどうとかじゃなくて前のふたりがおかしかっただけな気もする――しかし今更それを掘り返すとなんだか不安になりそう――流石年長者だなあ! 不安も綺麗さっぱり消えてしまった。
「短期契約は利益率が高い場合が多いから、そのあたりを転々と。今回の応募も利益分配率の高さで決めた。……っと、このあたりが志望動機だな。不足があれば、何でも訊いてくれ」
「いえいえ! 十分です。ありがとうございました」
将来就活するときは、今のを参考にしよう。
そう思いながら、やはりフェリシーは喜びを抑え切れない。
こんな単発で緊急で、怪しい小娘の出した求人に、四大出身者が食いついた。それだけでも出来すぎなのに、しかもそれがふたりもいた。さらに『鍵開け成功率十割』のメンバーが追加で見えた。これはもう、と思わずにはいられない。
これはもう、勝っただろう。
一世一代の賭けに、勝ってしまっただろう、と。
「それじゃあオズウェンさんもこのくらいで。最後は――」
言いながら、フェリシーは視線を動かしていく。
水色の編み髪に、水晶のように輝く瞳。
目が合えば、最後のひとりはにこり、と笑って。
「ミティリスです。年齢は十九歳。好きなタイプは一生懸命な人ですね」
やけに美しい青年だった。
アルマ、シオ、オズウェンの三人も整った容姿をしているが、ミティリスはその中にあってもさらに目立つ。絵に描いたような、というより絵の中でしか見られないような美形で、歌劇の舞台で主役を張っていると言われたら完全に納得してしまう。
最後の毒にも薬にもならないタイプ開陳は無視して――だいたい人間なんていざとなればみんな一生懸命になる、三億テリオンの借金を背負わされたりすればほぼ確実に――期待する気持ちからフェリシーは、ちょっと前のめりになってミティリスに向き合った。
面接会場に来た四人の内、三人が凄腕忍者だったのだ。
ここまで来れば四人目も、と。
「冒険者デビューから一ヶ月です。新米同士の簡易パーティにいくつか所属しました。得意なことは……まあ、一ヶ月ですから、これがというものは特に」
「…………なるほど」
そんなに甘くはなかった。
いやしかし、とフェリシーは思う。ここまでが都合が良すぎたのだ。というかむしろ自分の出した求人の内容からすれば、ミティリスくらいの忍者が来てくれただけでも出来すぎ、万々歳。ここでがっかりするような素振りを見せるのは人としてどうかと思う――――。
「志望動機は、率直ですが自分でも加入できる範囲で好条件だったからです。こんなに優秀な方々と一緒に面接になるとは思っていなかったので、ちょっと気後れしていますが――あ、すみません。この言い方はフェリシーさんに失礼でしたね」
「いえいえ! そんな、全然!」
気持ちはわかるので、フェリシーは心からそう言った。
どう考えてもあの求人票でこのメンバーと肩を並べることになるとは予想できない。ミティリスさん。ひょっとすると見た目に似合わず不憫気味の人なのかもしれない。
「強いて言えば、『忍者』の取得試験では主要三科目よりも選択科目の方が成績は良好でした。ですので、もし枠に余りがあれば裏方やサポート要員として採用していただけると」
これにもフェリシーは、もちろんです、と答えた。正直なところ、モチベーションさえ高ければ何でもいい。そこさえ条件に合うならいくらでも入ってもらいたい――こんな風にあらかじめ自分の役割を想定してアピールしてくれる人なら、尚更。
「サポート役も大事な役目ですから、よろしければぜひ! それにほら、『忍者』もこういう業界になる前は、陰からパーティを支える縁の下の力持ちのポジションだったそうですし!」
「そう言ってもらえると助かります。ぜひ、陰から支えさせてください」
よろしくお願いします、と頭を下げられればもう決まり。
最後の最後でちょっとした戸惑いこそあったけれど――いやよく考えると最初から戸惑いっぱなしだったけれど――面接は、無事終了した。
となれば、告げることはひとつ。
「では、簡易な面接になりましたが、全員採用ということで。契約書等々こちらで用意してあるので、後ほど確認をお願いしますね」
「お、マジか! やった!」
「……安心した」
「短い期間だが、これからどうぞよろしく。雇い主さんだけじゃなく、同僚の三人もな」
「ええ。よろしくお願いしますね、皆さん」
オズウェンとミティリスの年長者組が音頭を取って、(元)応募者四人も早速コミュニケーションを取り始める。チームワークの方も幸先が良さそうだ、とフェリシーは安心しつつ、しかしそれを適当なところで切り上げられないか、と機会を窺っている。
「あ、そうだ。フェリシーさん」
すると、ミティリスが言った。
「早速ですが、初攻略はいつになる予定ですか? 私としては早ければ早いほどいいんですが」
いいね、とフェリシーは思った。
スーパーナイスパス。
「――じゃあ、今から行きましょうか!」
「えっ、」「……?」「お、おお?」「はい!」
反応は、四者四様だった。
アルマは「何言ってんだこいつ」という顔でこちらを見ていて、一方でシオは「何言ってんだこいつ」という顔でこちらを見ている。そしてオズウェンは「何言ってんだこいつ」という顔でこちらを見ていて、ミティリスはにっこり笑っている。訂正。四者二様だった。
が、「何言ってんだこいつ」なんて視線に負けるようなフェリシーではない。
彼女は最近、自分自身から注がれる「なんだこいつの人生」という視線に耐えて日々を暮らしているのだから。
「難度が低いところを見繕っておいたんです! 皆さんの相性を見たり、これからのパーティの方針を固めるためにも今のうちに行っておいた方がいいかなって! どうですか!?」
「え、ああ。オレは別に、今からでも準備はできてるけど……シオは?」
「僕もいつでもいけるが……オズウェンはどうだ」
「俺も低難度なら問題ない……しかし流石に、ミティリスがきついんじゃないか?」
ルーキーだし、とオズウェンが言えば。
その場の八つの目が、全てミティリスに向いて。
それを受けて彼は、こう答えた。
「いえ、全然大丈夫ですよ。早ければ早いほどいいですから」
「ですよね! 気が合いますね、ミティリスさん!」
「はい! あ、気が合う人もタイプです」
そうですか!と叫んでフェリシーは立ち上がった。
そして早速部屋の扉に手をかけて、ぎいぃと開いて、他の四人に振り向いて、頭上でぐるぐる手を振った。
「そうと決まれば早く行きましょう! とにかく早く、今すぐに!」
肝心なのは勢いだ、とフェリシーは思っている。
来月末までに三億テリオン。正気の沙汰ではない。正気の沙汰ではないが、やるしかない。そして自分は優等生ではあるものの、一点を除けばあくまで学生の範疇での優秀さしか備えていない。
となると武器は、若さと勢いなのだ。
真面目に計画を考えて、真面目にこつこつ、なんてことをやっていたらどう考えてもどうにもならない。とにかく勢いに任せて突き進み、後になって「あのときは正気じゃなかったな」と振り返るくらいの若さで駆け抜けなければならないのだ。
というわけで早速、採用した四人の忍者たちにその勢いを叩きつけてみれば。
「……ま、確かに早ければ早いほどいいか。オッケー、了解!」
「……確かに。わかった。すぐに行こう」
「……そうだな。時間は有限だ」
とりあえず、四人のうちの三人が腰を上げてくれて。
「フェリシーさん。冒険用の荷物はありますか? この中だと私が雑用をするのが一番効率が良いでしょうし、運搬役は引き受けます」
「あ、入り口近くの部屋に準備してあります! 案内しますね!」
残りの一人なんか、もう早速仕事を始めてくれた。
いけるはずだ、とフェリシーは思っていた。
好条件ばかりが揃っている。募集に即反応があった上に、集まってくれたのは高スペックの三人と、もう現時点で「気が合いそうだ」とわかるくらいにサポートに長けた一人。だいぶ強引というか、頭の中でのシミュレーションでは一度も上手くいかなかった「今から行きましょう!」作戦まで成功した。
これならいける。
三億テリオンの返済だって、やれてしまうに違いない!
「皆さん、これからよろしくお願いしますね! いっぱいお金を稼ぎましょう!」
フェリシーはとびっきりの笑顔で、四人にそう告げた。
ところで外に出ると面白いくらいに黒雲が空に立ち込めて馬鹿みたいな勢いで天候が破滅し始めていたが、フェリシーはここ数ヶ月で『嫌なものから目を逸らす』という高等技術を身に付けていたので、それを綺麗に無視した。
そして、冒険は始まる。