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8-3 最後の詰め




 通常の迷宮と、『夜の風』の『迷宮化』した体内構造との違いは何か。


 きっと、詳しく調べ上げれば非常に興味深い回答が得られ、またその中でさらに興味深い共通点も見つかることだろう――けれどそこまで深くを知るための時間はなく、だからこそここでフェリシーたちが問題にした違いは、ひとつだけ。


 高さである。


 通常の迷宮は、地下空間に広がっている。特に高ランクの迷宮では複数の階層に渡って深くに掘り進むように迷宮は構成されている――つまり、上から下に進み、最終的には地下深くで行き止まることになる。そこから先に冒険者たちに与えられる選択肢は、背を向けて、来た道を戻っていくだけ。


 しかし、今回は違う。

 上から下へと進むのは同じ……けれど、『夜の風』は地上から遥か高くに位置しているのだ。


 つまり、頭部を範囲として活動し続ける限り。

 最下層まで辿り着いたとしても、さらにその下に冒険者たちが『進むことのできる』空間が存在しているということになる。宙空。地面から『夜の風』の瞳に至るまでの、遥かなる風が吹き渡るための虚空が、そこにはある。


 だから、通常の迷宮と『夜の風』の体内構造との重要な違いは、次のように語られる。




 それは、『止まることなく進み続けることができる』ということ。

 迷宮の底を、ぶち抜く手段がある限り。




 子爵令嬢フェリシー・フェリアーモの華麗なる転落。

 本当に、呆れるほどそのままの作戦名である。




卍 卍 卍




「――――『命じるままに大挙せよ! ストーム・ブラスト』!!」

 これで八回目の発動だった。



 風属性の上級魔術――とてもこんな頻度で、こんな規模で、しかも単独で発動させる人間は現代にいない。この二ヶ月間で国内全ての魔術師を見渡してもこれほどの大暴れをしている人間は他にいないだろうという暴れっぷりで、何なら世界だって取れるかもしれない。そのくらいの勢いで、フェリシーはその魔術を放ち続けている。


 奇しくもそれは、『夜の風』が齎すような大風を引き起こす魔術だ。

 しかし、やはり魔獣が使うのと魔術師が使うのとでは、その洗練の具合はかけ離れている。


 フェリシーの引き起こす大風は、全て下方への圧力として展開される。

 そしてそれは、毎回魔獣に巻き込まれたそのときに、地面の上に敷き詰められた『宝箱』の床に向かって一息に叩きつけられる。


 彼女たちはすでに学んでいた――『宝箱』は魔力親和性の問題から、迷宮それ自体を容易に破壊しうるということ。だからその『宝箱』が上方からかけられた圧力に反応し、さらなる下方へと沈み込む動きを見せたとき、その場に起こるのはこんな動きになる。



 崩落。


 前後左右、四方八方三十二方を魔獣に取り囲まれた冒険者たちは、三十三方目、『下』のルートへと、崩れ落ちる床とともに進んでいく。



「――――『リ・ディ・レイ』!!」

 そして最初の突入でも使った落下速度減衰の魔術を使えば、後処理も全く問題なく。


 どすん、と一行は、ひとつ下の階層へと着地することになる。

 わらわらと、天井に開いた大穴から上階の魔獣たちが追いかけてくる前に、体勢は整えられて。


「シオくん! そのまま真っ直ぐ! セーフティルートを走ります!」

「了解。壁を走るのにも慣れてきたから、多少なら無理も効くぞ」

「どんどん賭け金が上がっていくな。流石に怖くなってきた……が、それより先に目の前の仕事か」

「ちょ、ちょっとオレ、しばらく乗ってんね……」

 すぐさま一行は、リスタートを切る。


 四人の忍者のうち、やはり一番疲労の色が濃いのはアルマらしかった。

 彼は積み上げられた『宝箱』を背に座り込み、汗まみれを通り越して乾き始めた手で真っ赤な髪をかき上げる。水筒の飲み口を貪るように水分補給をして、ぷはっと息を吐いて、それからようやく、



「フェリシーも水分――死んでる!!!」

「………………」

 疲労の色が濃いというか、元が何色だったのかもさっぱりわからなくなっている人間の存在が認められた。



 うつ伏せになって、湿気で膨らんだ髪の毛がぶわーっと広がって、全く顔が見えない。微動だにしない。握り締めている魔晶が微妙に輝いていることから完全な絶命は免れていることだけはかろうじてわかるが、しかし明らかに力がない。死にかけの蛍みたいだった。


 しっかりしろ、と言ってアルマがごろりと寝返りを打たせる。

 そして彼女の頭を膝に乗せて、水筒を逆さにして無理やり水を注ぎ込んでやる。


 どう考えても咳き込むだろう、という場面だったが不気味なことにフェリシーはスゥーッとその水を一滴も溢さず完璧に吸い切った。もう一本か、とアルマが気を利かせると、さらにそれも二秒と掛からないうちに空にした。


 そして、彼女は言う。


「や、痩せてきた……」

「だろうね」

「骨が……」

「あっ、マズい痩せ方してる!!」


 ゆっくりと彼女は身体を起こし始めるが、死にかけの小鹿を通り越して死に終えてなお痙攣する老いた狸のようだった。荷台の縁に両手を置いて、彼女はゲホゴホ咳き込んで、


「骨がスカスカになってる気がする……」

「え、魔晶ってそんな副作用あんの」

「ない……」

「じゃあ気持ちの問題じゃん! もっと頑張れ!」

「お前もな!!」

「お前もな!!!」


 目を合わせて、わっはははははと笑い合う。

 そして同じタイミングでごほげほ咳き込んで、顔を上げて、またワハハハハハと笑い合う。端的に言って異常なコンビだったが、しかしこの精神状態にある人間でなければこの死の行進にここまで耐えられたはずもなく、一概に悪いと切って捨てることもできなかった。

 

 もはや今がどのくらいの時間なのかもわからない――フェリシーは怖くなって途中から時計を見ていない。まだこれだけしか経っていないと知らされたら気絶するし、もうこれだけの時間を費やしてまだこの程度と知らされても気絶するし、気絶していたら仕事ができないからだ。


 体感的には一週間くらい経っている気がするけれど、流石にそこまでではないと思う。体感的には三時間か、五時間か、それとも八時間か――


「――フェリシーさん! ここが最後の階層みたいです!」

「嘘!? やったあ!!!! なんか一気に元気出てきた!!!!」

「出すぎだろ。人間の身体そんな仕組みしてないよ」


 そこに、朗報が舞い込んできた。

 絶えず周囲の構造を探り続けているミティリスからのお墨付き――ここが、『夜の風』の頭部の底の底。


 この階層を探索して、九回目の『ストーム・ブラスト』を撃てば、それで終わり。

 そういう目途が、とうとう立ったのだ。


「あと一セットでしょ!? 余裕余裕!!!」

「そんなわけないだろ頭おかしいよ」

「あ、アルマはちょっと休憩してていいよ! 最後の詰めだから、体力溜めといて!」

「それは助かるけど――」


 オレが抜けて大丈夫なの、とアルマが訊く横で。

 すでにフェリシーは荷台から飛び降りて、右の手を光らせている。


「『リ・リース』! 『アロー・レイン』!!」

 わっ、と濃い魔力が漂って、ふっ、と無数の矢に変わり、後方の魔獣を蹴散らしていく。


 多少なり魔術の心得がある者なら、彼女が何の誇張もなく『一気に元気が出て』絶好調にあることがわかり。


 そして今の一瞬で、二百万テリオンくらい吹っ飛んだこともわかる。


「……………」

「ついでに魔獣の数も減らしておこっか! あ、ていうかそもそも、もう出ちゃって大丈夫!? 削り切れてる!?」

「アルマくん次第ですね。……シオくん、少しの間、私も乗ります!」

「気にするな。好きなだけ乗れ。今日は車が軽い」


 フェリシーと入れ替わりで、ミティリスが荷台に乗り込む。

 アルマはオズウェンから彼を庇うようにして座る位置を変え、またフェリシーも、一旦後方への魔術(及び金銭的価値)の撒き散らしをやめて、並走の体勢に入る。


 しゃらん、とミティリスの指が、楽器の弦を震わせた。


「Si――――うん、やっぱりそうですね。魔獣が再起動を始めています」

「再起動?」

「恐らく、私たちと遭遇した際に吸収した迷宮の消化に時間をかけていたんでしょう。今は体外で……というのも変な言い方ですが、『夜の風』が脚を動かし始めています」


 ととと、と細かく彼は指を動かしながら、


「そうなると、私たちが削った分を『夜の風』がさらなる捕食で補ってしまう可能性があります。これ以上は時間をかけるだけ不利になるでしょう」

「いや、捕食した分を……ああ、いや、そっか」


 アルマと同じタイミングで、フェリシーも納得している。

 口は上にあるのだ。迷宮がさらに取り込まれたとして、少なくとも一時的にはそれは最上階に落下する。そしてここまで来てしまった自分たちに、今更『上に戻る』という選択肢はない。


 それなら、と。


「あとはアルマくんの魔術剣頼りです。かなり厳しいルートを進んで魔晶を回収できたのと……どうやら途中で撃破した魔獣の補充や、フェリシーさんの崩落攻撃の修復にだいぶ魔力を費やしてもいるようです。試算としては……」


 当初遭遇時の、とミティリスは前置きをして、


「二割」

「二割!?」

「いけそうじゃん、頑張れアルマ!」


 ええ、とミティリスもまた、手応えを感じているように頷いて、


「通常の迷宮ならばここまで下がらないと思いますが、『夜の風』は捕食で力をつけたからでしょう。『宝箱』の解放がかなり大規模に力を削いでいます。どうですか、アルマくん。いけそうですか?」

「…………いける、とは言い切れないけど」


 でも、と。

 呼応するように震え始めた赤の魔術剣に、アルマは手をかけて。


「〈開闢剣〉の最大出力なら、可能性は――」

 言いかけた言葉は。

 言い終えることなく、終わってしまう。




 そのとき、迷宮が震えたからだ。




「え?」

「なっ――は? 今の……」

「僕ではないぞ。普通に走っているし――」

「チッ、手こずらせやがって……なんだ今、揺れたな」


 ずずうん、と鳴って、ガタガタと壁が、天井が、床が軋みを上げる。

 明らかに、これまでとは違う振動。フェリシーの『ストーム・ブラスト』にも匹敵するような揺れだが、しかし彼女はそれを今、当然発動していない。ゆえにそれは、正体不明の広域振動。


 それで、フェリシーはアルマにかけようとしていた応援の言葉を喉の奥に引っ込めた。


 まあやるだけやってダメだったら尻尾巻いて逃げようよ――最後の詰めを一人で任されることになる彼の、プレッシャーを抜くつもりだった言葉。それを、一旦のつもりで。


 けれど、これからのミティリスが発する警告によって。

 もう、その言葉を口にするタイミングはなくなってしまう。




「――――自傷だ! 全員固まれ、放り出されるぞ!!」


 彼の言ったとおりのことが、そのとき起きた。




 フェリシーは咄嗟に荷台に飛び乗った――ミティリスが率先して荷台の面々を一箇所に集める。そしてシオにもまた「絶対に手を離すな!」と聞いたことのないような大声で呼び掛ける。



 それと同時に、バゴン、と音を立てて、彼女たちの足元の地面が陥没した。



「え――」

 その一現象で、フェリシーは即座に理解してしまう。


 自傷、というミティリスの言葉。

 迫りつつあった再起動。

 自分たちの現在位置。


 体内に侵入してきた異物の居場所がわかっているとき。

 殻の一枚を破ってしまえばそれを叩き出すことができると魔獣が理解しているとき。


 そのとき取られる行動は、と。


 理解したからこそ、彼女もまた、叫ぶことができた。



「――――『リ・ディ・レイ』!!!!」




 瞬きできないほど僅かな猶予の後。

 迷宮の底が抜けて、一行は空に放り出された。




卍 卍 卍




「〈其は黄金にして赤熱する灼火の剣〉――」

 ここしかない、と告げていたのは彼の勝負勘だった。


 アルマ。真っ赤な髪の、五人の中で最も洗練された冒険者。

 状況を理解する前からすでに彼は剣を抜いている。


 直感が告げていた――勝負を決めるなら、ここしかない。

 ここに、追い込まれたのだと。



「〈汝は求める――荒涼、寂寞、不変の地〉」


 位置関係は下の下。

 上方、空に蓋をするようにして『夜の風』が聳える。一方で五人は夜の虚空に放り出されて自由落下。フェリシーが咄嗟に唱えた『リ・ディ・レイ』――落下速度減衰の魔術がなければ、すぐさま地面の上で潰れたトマトになっていたに違いない。


 狙うは『夜の風』が自分たちを排除するために、自ら開けた頭部の底。

 いまだ癒えること敵わぬ、その大穴。


 下から上に、撃ち込む形。

 足場も不安定。


 けれど、ここで仕留めなければならない。



「〈然れども我は掲げよう――此は光彩〉」


『夜の風』は再起動を果たした。あの巨体が自分たちを狙って動き始めたとすれば――そしてあの初遭遇のときの烈風を引き起こす速度で襲い掛かってきたとすれば、もはや再びこの高度まで……〈開闢剣〉を頭部に直撃させることが可能な間合いまで詰めることは敵わない。


 ここが、最後のチャンスで。

 そのチャンスを作ってくれたフェリシーたちの期待に、応えなければならない。



「〈平伏する勿れ――汝が双眸開きて篤と視よ!

  此は抗刃――死王を討ちて戴冠する、最も新しき理の刃!〉」


 できるだろうか。

 祈るように、彼は強く、強くそれを握り締めた。


 赤熱する両手剣――信じている。初めて出会った日から。初めてその使い方を理解した日から。


 けれど、それは決して盲信ではないから。


 夜の風そのもののような、吹き荒れるこの暴威を前に。

 あまりにも巨大な魔獣を、たったの一撃で討ち滅ぼせるのか。アルマにだってわからない。


 だから――――


「全、力、で――!!」

 彼は、それを腰に構えて。


 全身全霊で以て、解き放つ。




「輝けェ!!

 ――――〈開闢剣・原初の火〉!!!」




 地表全てを焼き尽くすような劫火が、剣とともに空を裂き。



 それを『夜の風』の脚の一本が弾いてしまうのを、彼は見た。



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