8-2 もっと頑張っていこう
「あぁあああーーーー!!! 今が人生で一番楽しぃいいいーー!!!!」
意外なことに、一番最初に壊れたのはアルマだった。
開始して四十分程度が経ってからのことである。
その間ずっと姿はバレバレ。全力疾走。忍者の『忍』をどこに置いてきたのかという勢いでドカドカ爆音を立てながら一行は移動している。休む暇はひとつもない。さっきまでずぶ濡れだったシオの髪はすれ違う風で完全に乾かされて、音のクオリティだけは一切落とさないミティリスの白い喉仏にも汗の雫が伝って、『宝箱』が敷き詰められた荷台で立ち上がるオズウェンの暴れぶりはもはや見るに堪えない。
しかし、このあたりは実のところ、いつもの冒険風景とそう大差はなく。
大変になっているのは、むしろ雑用係のふたりの方。
「アルマくん! 右の角の先に――」
「オッケーやった!」
「フェリシーさん、真っ直ぐ行った先に一団が――」
「『エア・ブラスト』! ――もう一発かぁ!」
ミティリスの的確なナビゲーションが光り、光るたびにものすごい勢いで動かされる。
アルマは横道から魔獣が飛び出してきて交通事故が発生するより先に、シオが出している一定速度を上回る短距離ダッシュを見せて、その先で魔獣を討伐するなり牽制するなりして走行ルートを確保、四人が通過した後に再び猛ダッシュして一団に追い付き、その途中に『宝箱』があれば拾って、後ろから攻撃が来ていればそれで防いで、来ていなければ荷台に放り投げて、またミティリスのナビゲーションが光る。動く。光る。動く。光る。動く。光り、
「あっはははははっははははは!!! いやマジで無理!! 誰か殺してくれ!!」
壊れた。
無理からぬことではあった。
いくら彼が一流の冒険者とはいえ、明らかに時間当たりで許容可能な運動量を超えている。普通の冒険者なら肺が破裂してついでに身体全体も風船みたいに破裂してなんだかわけのわからないことになるところを、日頃の積み重ねと気合と根性と危機状態に脳のあたりでびしょびしょに分泌される謎の物質で誤魔化しているのである。
そのうえ『夜の風』の体内は広大で、いまだにあとどのくらいで終わるかの目途もつかない。海の底の深い穴に身体を潜らせて、次に息継ぎできる場所がどこなのかも知らないまま必死に泳ぎ続けているような状況。となればこうなってしまうのも本当に順当なことで。
「――アルマ!」
だから。
雑用係二号として、一定速度で並走しつつ似たようなことをしているフェリシーは、彼にこう声をかける。
「もっと頑張っていこう!!!!」
「血とか涙って知ってる!?!!」
いやもうキツイキツイキツイ、とアルマは叫ぶ。
肺が破ける脚が破裂する腕の骨と肩の骨がゴリゴリ削られて皮と肉だけになる――そんな泣き言を大声で口にしながら、しかし前へ後ろへ的確に役割をこなし続けている。
気持ちはわかる、とフェリシーも叫び返している。
「私もヤバイ! こんな動いてるのになんか寒くなってきた!」
「それもう死ぬやつだよ!! ――左やった!! 前やって!」
「かな!?! 死ぬかな、私!!? 『エア・ブラスト』!!」
「足りてない、もう一発!! オズウェン『宝箱』パス!」
「『エア・ブラスト』!! ――あっ、死ぬ! 気持ち悪くなってきた!」
「んじゃ荷台に一瞬乗れ!! シオ、いける!?」
「余裕だ。いつもより軽い。アルマも辛いなら乗れ」
「オレが乗ったら――」
「いえ、アルマくんも休息を! しばらくセーフティルートです!」
ほら、と言ってミティリスがふたりの背中を押す。
おおう、とそれに抗う力も保てず、浜辺に打ち上げられたアザラシのようにふたりはそこに転がり込む。
「おう、ようこそ俺の王国へ。まあゆっくりして――――がぁあアああッ!!!!」
「国が乱れてる……フェリシー、危ないからもうちょいこっち……」
「ちょ、ちょっと待って。心臓が冷たくなってきた……」
「なおさら動きなよ、危ないから……」
少しだけ、呼吸を整えるための時間があって。
それから言われた通り、フェリシーは比較的疲労の軽い上半身を使って、ずーるずーると移動する。
荷台。
『宝箱』が床板のように敷き詰められて、その上にはオズウェンが『鍵開け』によって奪い取ったこの迷宮の蓄え……魔晶が、飾り砂糖のように無造作に散らばっている。
「いいや、このへんのやつ使っちゃお……」
そのうちのひとつを、フェリシーは寝そべりながら手に取って。
小さく、呪文を唱える。
「――――『エクス・トラクト』」
「……それ、人体に影響とかないの?」
「……純度高いやつだと、バケツの砂糖水一気飲みしたみたいな感じ……」
「死ぬよ。もう五回も六回も」
「死にそう……」
使ったのは、『抽出』の魔術。
『エクス・トラクト』――魔晶から魔力を引き出す魔術。それを使って、淡い光の中でフェリシーは使った分の魔力を補充している。
彼女が今掴んだのはそれほど純度の高くない、オズウェンが『宝箱』から出したばかりの魔晶。Aランク以外の迷宮も『夜の風』は取り込んでいたのだろう、持ち込んだ『精錬』済みの魔晶と比べれば引き出せる魔力量は大したことはないけれど、しかし一気に飲み込むよりも小まめに補給していた方が身体に優しいと彼女は学んだ。
持ち込み分は急速回復が必要になったとき用に取っておこう、と。
思いながら、少しずつ体温も取り戻して、彼女は身体を起こす。
「……魔晶、ちょっと荷台に溜まっちゃってるなあ。アルマ、元気あったらそのへんのやつ適当に捨てちゃって」
「今のどこの冒険者に聞かれても顔面ぶん殴られるよ」
「今ここに駆け付けて手伝ってくれる人なら別に顔面ぶん殴られてもいいかも」
確かに、と言いつつアルマは素直に指示に従ってくれる。
『宝箱』から回収した魔晶は、もうすでに迷宮の支配下からは――『夜の風』の保有する魔力の枠からは外れている。
となると、移動総重量の軽減のためには、雑に捨て去るというのも選択肢に入ってくるわけで――
「それー! あ、転んだ。これいいかも。どんどん投げよう!」
「よし来た。そーれ! ……今の、総額何テリオン分くらい?」
「聞いたら人生壊れちゃうよ」
「…………人生でこんなことやれるのもこれが最後か! 楽しもう!!」
おらおらおらおら、とふたりは投げまくる。そーれそーれと投げ捨てる。生活費にして一年、二年、五年――――どこの冒険者が見ても紫色の泡を噴いてぶっ倒れる光景。うふふあはは。しかしこんなに楽しいことはない。壊れている。
「――お楽しみ中のところ、申し訳ないんですが」
が、壊れ続けてはいられない。
「はい。戻ります」「休んでてすみませんでした」
「あ、いえ。休めるときはどんどん休んでもらいたいんですが……」
すみません、とミティリスは言って。
緊張の隠し切れていない声色で、頭の中の地図を探るように目線を泳がせながら、口にする。
「――そろそろ、完全に取り囲まれます。限界まで粘りはしましたが、あと二回ほど角を曲がれば――シオくん、次の突き当りを右です!」
「了解」
「『グランド・ライズ』! ……ということは、そろそろ私の出番ってことですね」
「いけんの?」
訊いたのはアルマ。
それにフェリシーは、じんわりと『抽出』の魔術を掌の中で発動しながら、ふぅううう、と息を吐いてこう答える。
「いくよ。もちろん。……大丈夫。なんか私、今日めちゃくちゃ調子良いし」
「……おっけ。それじゃ信じるよ。――あ、オズウェン! あと十個くらい開けたら一旦ストップね!」
「ゴォオオオオアアアアアアアアッッッ!!!!」
「あとでひっぱたいとくからこっちは気にしないで、集中しといて」
「あと四十秒です! シオくんは停止の準備を!」
「了解。徐々に減速するので、後方のケアを厚く頼む」
一応、とフェリシーは魔術矢を後方の天井に撃ち込んで、一部を崩落させておく。
しばらく集中するから、自分は後方のケアに参加できない――あの程度の小規模な破壊では大した足止めにはならないだろうと思うけれど、一応。
アルマとミティリスへのサポートと、これからの予行演習を兼ねてやっておいて。
後は集中して、呪文を唱える。
「――――『リ・リース』」
「――次の角を左! 必要ならさらに減速してください! あと二十秒!」
「問題ない、このまま曲がれる」
フェリシーの手の中で輝くのは、今度はもっと高純度の魔晶だった。
しかもそれはこれまで見せた『精錬』の魔術の輝きとも、『抽出』のものとも違う。研ぎ澄ますでも整えるでもなければ、吸い取るでも注ぎ込むでもない。
ただ、溢れ出す。
『解放』の魔術。
「オズウェン! そろそろ時間だ……って、」
「ちゃんと聞いてたよ。『宝箱』の移動だろ。準備しておく」
「あと十秒!!」
魔晶から、魔力が解き放たれていく。
そしてそれは、『抽出』のときの速度とは比べ物にならない。あちらが水差しからコップに注ぎ込む作業だとしたら、こちらはもっと直接的で、方向性がない。ただ水差しの底を切り取って、中の水を宙に放り出してしまうような魔術。
「五!」
「――――『風よ、風よ、風よ!』」
けれど、それで構わない。
「四!」
「想定ポイントに到着した、停止する!」
「『吹き荒ぶ、万象枯殺の忌み風よ!』」
どこにも、留め置く必要なんてないのだから。
「三!」
「降ろせ降ろせ降ろせ! 床の上!」
「任せな、体力は有り余ってる」
「『我が示したるは大いなる力――――征服する竜の手!』」
膨大な魔力を『抽出』して、人や物の器に固定しなくたっていい。
「二!」
「シオもサンキュー!」
「問題ない。――これで、敷き詰め終わったか」
「『畏れの理、我が手中――汝、縊り殺しの死の技法!』」
ただ漂ってさえいれば……それだけで。
「一! ――フェリシーさん!」
だって。
「『支配を此処に――命じるままに大挙せよ!』」
今すぐその魔力は、使い果たされてしまうのだから。
「――――『ストーム・ブラスト』!!」
『夜の風』にも負けないくらいの烈風が、床の上に敷き詰められた『宝箱』を、上から叩く。
そして、大地が崩壊した。