8-1 最後の冒険です
地上で最も速いかもしれない生き物が、四人を車輪に乗せて引っ張っていく。
途轍もない速度だった――バキンバキン、と聞こえてくるのが足音なのか、それとも向かい来る暴風を硝子のように叩き割る音なのか、誰にもわからない。
ぐんぐんと黒髪の少年は――シオは、滑走路を駆け抜けていく。
登りの坂だ。彼の尋常ならざる脚力が彼自身を大地から突き放そうとして、しかし手にした四人分の重りのために、あるいは立ちはだかるように聳えるその勾配に助けられて、適切な歩幅で、最も速度に結び付く足取りで、その丘の頂へと五人を運んでいく。
三歩。
丘の切っ先が見えた。
二歩。
その奥で、いまだ大口を開けたままの巨大な魔獣が見えた。
一歩。
もう止まらない。
だから、彼は叫んだ。
「お、ォ、お、お――――!」
雲の底に、触れてしまうような高さだった。
大跳躍。
坂を上り切った小さなボールがそのまま宙に放り出されるような自然さで、彼は跳んだ。そのまま雲を抜けて月まで飛ぶかという勢いで、自然、荷台からは乗客の絶叫が――主にフェリシーとアルマのふたりから――響いてくる。
その声援に応えるようにして、飛距離は伸びに伸びる。
丘の切っ先から、飛んで飛んで、放物線を描くようにして――、
放物線を、描くようにして。
「お、落ち始めてる!! フェリシー、叫んでないで早く!!」
「えっ、嘘? もう落ちてる?」
「――――うわ浮いてる! 行くな行くな!」
それは頂点を過ぎて、落下を始めていた。
ひょう、と星が空を巡るように、つまり地平に墜ちていくように、一行は空から地へと行く向きを変えている。フェリシーは荷台から浮き上がって空に持っていかれそうになっているし、アルマがそれに気付いて必死に腕を引っ張ったりしているし、オズウェンとミティリスのふたりも重心を低くして投げ出されないように必死で、シオはもう自分の役割は終えたとばかりにリラックスした表情で、これから行く先をぼーっと見つめている。
それは、もちろん。
大きく開いた、魔獣の口。
「『星よ、星よ、星よ――引き付け離さぬ、強欲なる星よ!』」
遅れて、フェリシーが唱え始める。
「『我が与えたるは甘美なる誘惑――口付けまでの僅かな躊躇い、悦びのための一時の目眩!』」
一度二度、使ったことのある中級魔術。
ただし、短縮詠唱で、たっぷりの魔力を込めて。
「『待ち焦がれるなら尚惑え――リ・ディ・レイ!』」
かくん、と。
五人にかかる重力が、軽くなった。
少しずつ、彼女らはその速度を緩めていく……緩んでいくだけで、確かに落下は続いていく。どんどん落下は続いていく。魔獣の口、まるで先の見えない穴の中に、その身を投げていく。
ひゅうるるるるる、と。
信じられないような無防備さで、それは飛び込んでゆき――――、
「ふぎゃ」
「いってえ!」「着地成功だな」
「……よくあれで出力が保ったな」「い、生きてる……」
ばん、と音を立てて。
綺麗に綺麗に着地する。
そこは、魔獣の腹の中。
あるいは――――、
卍 卍 卍
「――――迷宮じゃん! 最初の賭けは私の勝ち!」
「待って、その時点で賭けになってたの?」
「え? 言ったじゃん、迷宮になってる『かも』って」
「『かも』は言ってない!」
雷で聞こえなかったの『かも』、と。
言いながら、フェリシーは着地のときにアルマの腰骨のあたりにぶつけた肋骨を擦りつつ、辺りを見回す。
そこは確かに、見慣れた迷宮だった。
「リーダーの読みはすごいな。まさか、『夜の風』の腹の中がこうなっているとは思わなかった」
「『そもそも魔獣の腹の中は全部こんな調子だ』って可能性もあるにはあるが……ま、とりあえずは何でもいいか」
「ええ。とりあえず消化液でみんな仲良く骨になるということはなさそうです」
普通の動物の体内構造とは、かけ離れている。
洞窟のような岩壁。それが複雑に、しかし整然と通路を形成している。生物であれば、口の向こうにあるのは大抵消化器官。しかし周囲を取り囲むこの壁は、とても何か消化に必要な物質を分泌しているとは思えないほど乾いている。そして嵐の目がいつもそうであるように、外の荒天などまるで介することはなく、不穏な空気の中に凪いでいる。
ここまではすでに、予想していたことだった。
「でも、十中八九こうだろうなとは思ってたよ。『宝箱』をそのまま食べる魔獣って見たことないし。ああいうことをするんだったら、内部で『宝箱』をそのまま保存して活かす機能が……こういう『迷宮化』みたいな状態になってるんだろうなって」
「十中一二が出てたら?」
「お疲れさまでした」
ヤバいよこいつ、というアルマの感想をフェリシーは「さあやろう!」の一言で掻き消す。
そして、いつもの工程から。
「ミティリスさん、索敵お願いします!」
「はい! 楽曲のリクエストは?」
特にないです、と答えれば、ではちょっとアップテンポのものにしましょうか、とミティリスは言って、背負っていた袋から弦楽器を引っ張り出す。
じゃららん、と彼はよく手入れされた爪でその弦を弾いて。
歌う。
「La――――TuLaLaLa-LaTaTa」
波が、空間に満ちていく。
音の波だ。彼の喉から、そして指先から生み出されていく美しい音。それが迷宮に浸透して、反響して、そしてその形を彼自身の下に返していく。ソナー。数多の冒険者が、これさえあればと羨まずにはいられない希少な――
「っと、早速来たな!」
「アルマ、よろしく!」
「フォローもね!」
――ただし、魔獣にもその居所を教えてしまう、という欠点を持つ技能。
近場にいたのだろう、早くも接近してきた魔獣の一団を、アルマが迎え撃つ。右凪ぎで先頭を斬り飛ばす。その力のまま肩のあたりに剣を担いで、左に斬り下ろす。勢いを殺さずにさらに回転――背中に襲い掛かろうとする爪牙をフェリシーの魔術矢が牽制して、並んだところに振り向きざまの横一線。綺麗に三体斬り飛ばし、とても現代型の冒険者とは思えないスムーズさで戦闘を終えて、息を吐き、
「強い。けど、バラついてない」
「ええ。魔力波長は内部で統一されています」
漏らした所感を、ミティリスが補強してくれる。
「どう? ミティリスさん。魔獣と『宝箱』は……」
「どちらも存在していますね。脚部までは魔力を使いすぎるので把握していませんが、少なくとも私たちがいる頭部……頭部? 頭部には密度を濃くして魔獣と『宝箱』が分布しています。高さがあるので立体構造が複雑になっていますが、許容範囲内でしょう。地図に起こしますか?」
「起こしてほしい……けど」
「残念、そんな時間はなさそうだ!」
アルマがさらに、駆け付けてきた魔獣を二体、三体と斬り捨てる。
その光景を見れば、決断までの時間はほんの僅かなものになり。
「よし、それじゃあ一応最終確認! 作戦名『子爵令嬢フェリシー・フェリアーモの――』……やっぱりこの名前やめない?」
「いいじゃん、そのまんまだし」「いいと思う」
「名前くらい冠しておけ。お前の責任だ」「素敵だと思いますよ!」
「――――作戦名『子爵令嬢フェリシー・フェリアーモの華麗なる転落』!!
概要を簡単に説明します!」
間違いのないように、フェリシーは最後の作戦会議をする。
「真正面からやってもこんな化け物を討伐できる火力はうちにありません! というわけでまずは『宝箱』を開きつつ魔晶を解放、『夜の風』の保有魔力を削いで弱体化を狙います!」
初めて見たときから――あの迷宮の捕食シーンを見たときから、彼女は思っていた。
あの巨大な魔獣『夜の風』が、迷宮を食らうことで、魔獣や『宝箱』を体内に取り込むことで成長しているなら、反対にそれを体内から取り除くことで力を削ぐことができるのではないか、と。
放っておいたら力を増して、手を付けられなくなるかもしれないけれど。
反対に、積極的に手を付けていったら、何とかできる範囲にまで逆戻しすることもできるのではないだろうか、と。
そしてこのメンバーなら――そして、自分のもうひとつの『奥の手』を駆使すれば、その『手付け』を達成できるのではないか。
迷いながら、リスクやら何やらを天秤にかけて抱えていたその思いが、借金返済の確定から来る万能感に浸る中で、とんでもない大きさになったものだから。
フェリシーは、身振り手振りも著しく、自信満々で作戦を続けていく。
「探索方法はいつもと同じ……にしたいけど! 今回はもう中に入っちゃったからいつもの入口前うだうだのパターンが使えません! 残念ながら、走り回りつつ『宝箱』を回収することになります!」
「それが普通のことなんだけどね」
「いつもと比較すると効率が悪くてイライラしそうになるな」
落ち着いて、とアルマが宥めにかかって、冗談だよ、とオズウェンが返しているのはそのままに、
「そして一回迷宮をすっからかんにするパターンも使えません! 五人連れだと流石に小回りが利かないので、『宝箱』を一箇所に集める方が効率が悪い――というか、それより先に取り囲まれます! というわけで、普通に『宝箱』を回収して、普通に『鍵開け』をしながら進んでいきます!」
「ミティリス。実際のところ、僕の脚だけでは無理そうなのか」
「……厳しいですね。できるだけ上手くナビゲーションはするつもりですが、『忍法リポップ封じ』も使えませんし、ただでさえ魔獣が普段より密集して配置されています」
接敵は免れないかと、とミティリスが言うので。
ではその場合は、ということで最後の策。
「――前後左右を取り囲まれて、どうにもならなくなった場合は!」
「フェリシーがどうにかする」「頼んだ、リーダー」
「ぶっ飛んでるよ、お前」「ほ、本当に大丈夫ですか……?」
「――私が何とかします!!!!」
さあ準備完了、と。
彼らは配置に就き始める。
シオがリアカーの持ち手を握り、これからの疾走の準備をする。
荷台にはオズウェンが乗り込んで、運び込まれてくる『宝箱』の処理に集中するべく体勢を整える。
ミティリスは楽器の弦を爪弾きながらリアルタイムでの索敵を継続しているし。
その音に釣られてやってきた魔獣を、アルマが淀みのない動きで迎撃している。
状況は、当然いつもの迷宮探索よりもずっと厳しい。
必勝のパターンが使えない……一網打尽にもできなければ、迷宮に対する適度なコントロールだって利かせられない。
そんな不利を覆すための『奥の手』を。
握り締めながら、フェリシーもまた、配置に就く。
「よし、それじゃあ最後の冒険です! みんな頑張っていきましょう!」
おーっ、と意気は返ってきて。
だからフェリシーは出発と同時、早速その『奥の手』を光らせて、使用する。
『奥の手』の名は、魔晶。
一度だけ背伸びして潜ったAランク迷宮産、『精錬』済み、換金前、屋敷の金庫からの持ち出しで。
またの名を。
超高級・魔力燃料。