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6-2 何をしてるように見える?



「全員『隠密』! すぐ!」

 アルマの声が響いてすぐに全員が反応できたのは、普段の冒険でも咄嗟の戦闘指示を行うのは彼だったからだ。

 現場リーダーの指示に反発しない。そういう反射神経は、当然この一ヶ月半の超スピードの日々の中で、全員の身体と意識に染みついていた。


 だから、フェリシーが疑問を持つのは、その『隠密』の魔術を自分自身に使ってからのことになる。


「な、何…………?」


 本当に、竦み上がるような振動が一帯に走ったのだ。


 ずずん、と響いて揺れた。ただそれだけのことで、迷宮地帯の荒れ果てた林の、葉という葉から全ての雨粒が振り落ちた。ばばん、ずばば。差していた傘に上から引っ叩かれたような衝撃が走る。持ち手が滑って取り落としそうになる。目を上げれば傘布は矢を浴びせかけられたように穴まみれになっているのでは、と不安になる。滝の中にうっかり突っ込んでしまった小鳥のような気分になって、恐る恐るフェリシーは三人の仲間と視線を交わし、


 最後に、アルマを見て言う。


「ていうか、なんで隠密――」

「静かに。……剣が、震えてる」


 言って彼は、己の腰元に手をやった。

 あの超威力の魔術剣を可能にしている、アルマの奇妙な、金紅の剣。


 それが今。

 何かに反応しているかのように、鞘の中でカタカタと震えていた。


 何かフェリシーもその光景に不吉なものを感じる……が、アルマは傘をその場に落として、雨をまともに食らいながらどこか遠くを見つめるばかり。何もそれ以上言ってくれないので、フェリシーは近くに立つシオに小声で話しかける。


「今の、雷が落ちたのかな」

「いや。そういう感じではなかった。それに何も光っていない」

「地震にしても妙だったな。いきなり本震から入ったぞ」

「…………いえ、これは。何か、妙な……」


 唯一思い当たるところがあるらしいのは、ミティリス。

 彼は難しい顔で、耳を澄ませるように瞼を瞑っていて。


 それからハッ、と弾かれたように顔を上げた。


「これは――」

「マズい、来る!」


 何が、と口にする暇もなかった。


 叫んだアルマに手を引かれる――一瞬視界の隅に、彼がもう片方の手でシオを引っ張ったのが、そしてミティリスがオズウェンに同じことをしたのが見える。


 歩くとか走るという言葉より、倒れ込むとか、飛び込むとかいう言葉の方が実態としては近い。急な移動。どうにかしてついていこうとして、無意識にフェリシーの足は泥を跳ね上げるようにして蹴りつける。



 そのすぐ傍を、ものすごい突風が吹き抜けていった。



「わ――――」

 口にした言葉は、そのまま喉の奥に押し返されてくる。


 ばしゃり、と水溜まりに膝がつき、手のひらもつく。傘の骨先がずぶり、と泥に刺さる。ぐわり、とさらに遅れて一層大きな風が吹いて、弾き飛ばされそうになるのをアルマの手を強く握って、どうにか堪える。


 そして、声がした。




「コ――――ォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオォオ」


 きっと地獄に鳴る音があったら、こういう音なんだろうとフェリシーは思う。




 鉄の扉を強く叩いたときの、震えのような音。あるいはその門が開いたときに、ひとりでに鳴り響くような音。


 ぶわんぶわんと、共鳴するようにこの一帯が揺れている。そしてそれはフェリシー自身すら例外ではない。強い風を真っ向から受けたように頬がびりびりと震える。腕の皮の、奥の肉の、さらに奥の骨を、電流を帯びた金属の棒でゴリゴリとなぞられているような感覚。


 身が竦む、というのはまさにこのことで。

 けれど生存本能は、確かに彼女に、その音の正体を見極めさせた。



「――――何、あれ」



 全く知識にない姿だった。


 黒く聳え立つ、見上げても見上げきれないほどの巨体。

 非対称な、遥か塔のように伸びる七本の脚。


 多脚の生き物と見れば、多くの人間がそうするようにフェリシーはまず蜘蛛を連想する……が、細部はまるで違う。


 てらてらと輝いているのは、単に雨に濡れているからだけではなく、恐らくその表皮自体に金属のような光沢を持っている。

 金色にいくつも光るのは瞳のように思われて、しかしそれは自分より大きなものを見ることを想定しない――というより、『自分より高さを持つ生物がこの世にいない』ことを理解しているのだろう、地上を見下ろすように胴、あるいは頭の下の方に集中して配置されている。


 そして、何より。

 頭のてっぺんについた、大きな牙。


 それが角ではなく、確かに牙だとわかるのは。

 それを突き刺すために、蜘蛛がその大口をばっくりと開けたからで――。




 フェリシーは。

 ついさっきまで自分たちが調査していた迷宮に、その魔獣がかぶりつくのを、目の前で見た。




 ガン、ゴン。

 ガガガ、ゴガガガガガ。


 脚と牙を器用に――否、不器用に使って、その魔獣は迷宮を破壊していく。

 攻撃とか、そういう普通の感覚では捉え切れない。迷宮とは地形で、その地形に対するアクションは、攻撃ではなく天変地異として彼女の目に映る。


「た――」


 それでも、何とか。

 この場を取りまとめる人間として、フェリシーは次の行動指針を口にした。


「退却、します。ヤバすぎ」

「おっけ……。こっちはまだバレてない。安全に離脱しよう。オレに任せて」

「リーダー、大丈夫か。背負うか」

「だいじょぶ、ありがと……」


 もう傘なんて持ってはいられない。

 フェリシーは泥をぐいっと押し込むようにして立ち上がる。足元が滑りそうになるのをお得意の気合と根性でねじ伏せて、しっかりと腰を入れて自らの足でその場に立つ。


 そして、オズウェンとミティリスのふたり。

 少し距離があったから、自分の言葉が聞こえなかったのだろう。いまだ目の前の光景から視線を外せずにいるふたりの方に、近付いて。


 こんこんと、背中のあたりを叩いてから。


「ふたりとも、逃げるよ。小屋番の人も回収して、ギルドに報告しなくちゃ」

「……――フェリシー。お前にはあれが、何をしてるように見える?」

「何って、それは……」


 見たままでしょう、と。

 暴れに暴れて、迷宮を破壊するくらいの大暴れをしているだけでしょう、今はそれより一旦逃げましょう――そういうことを、フェリシーは言おうとして。


 その前に、一足跳びに気付いてしまった。


「迷宮が、消えたのって」


 それはきっと、初めからそれを調べに来ていたオズウェンの目には、容易く映った真実で。


 そして最悪の予想にも繋がってしまう、最もあってほしくない、事実。


「変、調」

 ぽつり、とミティリスが呟いた。


 雨が眼に入るのにもまるで構わず……瞼をずっと開けたまま、彼は。

 魔獣が急に攻撃の手を止めて、その長い足を存分に伸ばして、空を食らうようにしてその大口を上に向けるのを見て。


 茫然と、口にする。




「魔力波長の、チューニング――?」


「ウォ、ゥオォォオォォォォウゥォォォオォオオォォォオォォォォォオオオォォォオオオオォオォォオォォオォォオォォオォォオォォオォォオォォオォォ」




 真っ黒な風が吹く。

 吹き飛んでしまった方がまだマシに思えるような、音の波状。空の雲がずっと遠くまで散らされてしまわないのが不思議に思える、咆哮のようなその振動。


 終われば、一気に。

 最悪の予想が、実現されていく。


 先ほどまではあの蜘蛛の魔獣の攻撃に耐えていた迷宮が。

 ずぶり、と今度は抵抗なく、その脚に引き裂かれていく。


 果実の皮が、剥かれていくような光景で。

 当然、その後にされることは決まっている。


「魔獣と、『宝箱』が、」


 ばらばらと。

 魔獣の脚から、ずっと上空にある大口に放り込まれていって。


 どんどんと目の前で膨れ上がっていく魔力の気配――もはや、誰しも理解せずにはいられない。


 この魔獣は。




「迷宮を――――食べて、る」





 呟いて、次の瞬間フェリシーは、四人に合図して街へと踵を返す。走り出す。


 咆哮を機にさらに勢いを増した、身体に穴が開いてしまいそうなくらいに冷たく痛い雨の中、懸命に彼女たちは行く。



 伝えるために。



 このままでは取り返しのつかないことになる、と。



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