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5-4 全然足りません



 入ってきたのは、青年という言葉がこれほど似合わない十代も珍しい、という男だった。


 焦げ茶色の髪に、銀縁の眼鏡。

 上品と高貴を煮詰めたベースに、少しの尊大さを足したような、大人びて整った顔立ち。


 顔は小さく、手足はやたらに長く、九頭身はあろうかというスタイルは、それと交換で魔術学園の制服百着分は貰えそうな高級服を全く己の支配下に置いている。


 総じて、いかにも特一級の貴族らしい男。

 その名は、インガロット・イングレディオ。


「インガロット、というと」

「さっきフェリシーさんが仰っていた方、ですよね」


 シオとミティリスが言うのを聞きながら、茫然とフェリシーはインガロットを見つめている。


 なんでここに。


 借金返済の旅に出るのでしばらく生徒会はお休みします、と伝えてあるのに。


「ど、どうしたんですか。副会長」

「どうしたもこうしたもあるか。言ったとおりだ。ドアベルが壊れているから呼び出しができなかった。ノックをしようと思ったらそもそも鍵がかかってすらいない。何か不測の事態があったのかと思って中の様子を見てみれば、突然金物を叩いたような不審な音が響いてくる。……で、駆け付けてみればお前はいつものように能天気な面をして口を開けている。閉じろ」

「わ、私の勝手でしょ! 私の口なんですから!」


 しかし言われた通り、フェリシーは口を閉じる。

 そして、改めてインガロットの姿をつむじから爪先までまじまじと見て、


「めっちゃ濡れてるじゃないですか。傘差すの下手ですか」

「黙れ。途中で急に降られたから、傘を持っていなかっただけだ」

「え、歩いてきたんですか」

「あ、フェリシーさん。タオルなら私が取ってきますから、お話を続けてもらって大丈夫ですよ」

「…………」


 ぬるっと廊下に出て行こうとしたところを、ミティリスに先を越される。

 うふふ、と謎の笑いを溢されたのに何か得体の知れない居心地の悪さを覚えながら、フェリシーはインガロットに向き直る。


 まあ、一応。

 一応私が、もてなしてやらなければならないのだろう。


「じゃ、適当にそのへんに座ってください。お茶とか、もし欲しければ――」

「ミティリスが今さっき淹れていってくれた。リーダーから出してくれ」

「…………どうぞ。もし欲しければ」


 悪いな、と言ってインガロットがそれを受け取る。

 すぐに戻ってきたミティリスからタオルを受け取ると、さらに「すまない。床を汚してしまった」と言い、「いえいえ、お気になさらず」の言葉まで引き出している。


 いい人じゃないですか、と言いたげな笑みでミティリスがこちらを見てくる。さらに彼は「これでお揃いですよ」と言わんばかりに、まだオレンジジュースが残っているのをさておいて、インガロットと同じお茶を出してくれる。


 どんどん居心地が悪くなってきていた。

 親が授業参観に来たときとか、アルバイト先に友達が来たときとか、そういう感覚にすごく近い。


 落ち着くためにそのお茶に口をつけながら、フェリシーは、


「で、どうしたんですか。突然」

「貴様、冒険者稼業で荒稼ぎをしているらしいな」 

「ごほっっ!!!! げほっ!!!!!!!」

 滅茶苦茶噎せた。


 がんばれ、と言ってシオが背中を擦ってくれる。彼の中で自分が『大丈夫』なことはすでに確定していて、さらなる自助を求められていることをフェリシーは知る。


 で、その頑張りの成果として、喉を健全な状態に戻した後に、


「な、なんで知ってるんですか……」

「当然だ」

「ストーカーですか」

「そんなわけがあるかっ! 迷宮都市で実名で求人をしているんだ。少し調べれば誰でもわかる」


 荒稼ぎはただの鎌かけだ、とインガロットは平然として言う。

 なんで日常会話で鎌かけなんてしてくるんだろう本当に陰険な人だなあ、とフェリシーは思う。


「で、実際どうなんだ。現時点でいくら稼げている」

「二億ちょいくらいです」

「げほっ!!!!!!! ごほっっ!!!!」


 今度はインガロットが噎せた。

 仕方がないので、フェリシーは「しっかりしてください軟弱者」とその背を擦る。


 げほごほやりながら、涙目でインガロットは顔を上げて、


「あ、相変わらずどういう動物なんだ、貴様は……」

「なんで一回『人間』の箱から出して『動物』にしまい直したんですか?」


 インガロットは答えない。

 代わりに、質問を重ねてくる。


「そうか……まあ、貴様のびっくり箱ぶりは今に始まったことではないのでこの際置いておく。そちらのおふたりはパーティメンバーか?」

「びっくり箱呼ばわりについては後で詰めますけど、そうです。こっちがシオくん」

「シオだ。こんにちは、王子様」

「…………? 俺は王家の者ではないが」

「気にしないでください。ちょっと変わったところのある子なので。で、こっちがミティリスさん」

「初めまして。ミティリスと申します。今は執事の真似事もしていますので、何でもお言いつけください」


 いやそこまではしなくていいよ、とフェリシーは言っておく。たかだかこんなオンボロ屋敷の一室を貸しているくらいで執事も何もない。その律義さに呆れるやら感心するやら何とも言えない気持ちと、そんな表情で。


 それから、インガロットの方に向き直る。

 すると彼が驚いたように目を丸くして、ミティリスのことをじっと見つめていることに気が付いた。


「君は…………」

 信じられない、というような声。


 一目惚れでもしたのかな、と思ってフェリシーはミティリスの方の反応を窺う。

 すると彼も驚いたような顔で口元を押さえて、しかしそれから指一本を唇の前に立てるようにして、


「おや。どこかでお会いしましたか? でも……」

 しーっ、と言ってウィンク。


 明らかに、何かを秘密にされていた。


 これで秘密にできると思われているのがちょっと腹立たしい……が、実際に何を秘密にされているのか、フェリシーはわからない。そしてとりあえずのところ『実はミティリスの方が本当の王子様だった!』という展開はなさそうなので(流石に王族の顔や名前くらいは知っている)、一旦わからないままで保留してしまう。この状況で新情報を発生させたくないというのも、また真なる気持ちなのだ。


 思うところは同じだったのか、「まあいい」とインガロットも視線を切って、


「それだけ稼げているなら、不要な気遣いだったらしいな」

「気遣い……? 副会長が……?」

「ではもうここに用はない。失敬するとしよう」


 がたっ、と立ち上がろうとするインガロットを、「ああっ、うそうそ。失敬失敬」とフェリシーは引き留める。


「やー、優しい先輩を持って私は幸せ者だなー。……で。なんですか、気遣いって」

「……未来省の気象観測台が予言を出した」


 言って、インガロットは一枚の紙を懐から取り出して、こちらに見せてくれる。

 それは、ある公文書の写しらしかった。


「これ……天気予報ですか?」

「ああ。三日後から、この地域一帯が嵐に見舞われる。かなりの規模だ。だから――」


 フェリシーが、シオとミティリスのふたりと一緒になってその文面を読み込んでいる間に。

 恐らくは、と言ってインガロットは、結論を口にしてしまう。




「安全上の都合から、明後日あたりに当面の迷宮使用禁止令がギルドから言い渡されるだろう。

 解除される日も定かではないから、まだ目標金額に達していなかったら駆け込みでやることもあるだろうと知らせに来てやったんだが、無駄足だったようだな」




 何も。

 何も、フェリシーは言葉を発することができなかった。


 ただ、頭の中には走馬灯のようにこれまでの日々が駆け巡っている――求人、面接、顔合わせ。再面接からの浅知恵と失敗の日々。しかしその失敗こそが知識の源泉であったことを知ったあの結実の瞬間――そして走馬灯の馬よりも速く迷宮を駆け巡った、あの騒がしく、何らの忍びもない滅茶苦茶な時間の全て。


 たぶん、シオとミティリスのふたりも同じで。

 言葉は失われ、部屋の中、空間を隅々までひちひちと、感情が満たしていく。


 すなわち。


「…………おい、待て。二億も稼いでおいてなんだその、」

「……三億……」

「さっ――、ではお前、まだ!」


 こう。




「――――お金も時間も、全然足りません!!!!!!」




 叫んで、がたりとフェリシーは立ち上がる。インガロットの両肩をガシッと掴んで、ぐいぐいと迫るように質問を浴びせかける。


「どういうことですかっ! 何時何分何十秒誰が誰の許可を得て何をどうして決めてこれから私はどうなるんですかっ!」

「落ち着け! そんなことを訊いて何の意味がある!」

「ないのか! じゃあいいや!」


 インガロットが「禁止令の発令はほぼ確実。解除期日はその被害の程度にもよるが、長ければ今月末まで」と的確に必要な情報だけを唱えてくれるのを左耳で訊きながら、フェリシーは口を使って「ミティリスさんっ、計算は!」と訊ね、そこから右耳で報告を聞く。


「……厳しい、ですね。Aランク迷宮の中でも巨大なものを選んで攻略すれば可能性はあるかもしれませんが、ただ――」

「だよね! ちょっと待って、考えるから!」


 マズいマズい、とフェリシーの頭脳が再び熱を帯びて回転を始める。


 駆け込みでAランク迷宮。これはだいぶ厳しい。最近一度だけ調子に乗ってやってみたはいいものの、迷宮内部が広すぎて途中から完全に手に負えなくなっていたのだ。取れるだけ取って出てきたそのときの実入りは確かに多かったけれど、それすらビギナーズラックの影響が多かったように思われて、これならBランク以下を回し続けた方が良いとパーティが全会一致したくらいだ。迂闊に頼りにはできない。


 別の地域に遠征に――遠征だけで日数を消費する。それに同じことを考えたパーティが多々あった場合、ソロ攻略をねじ込む隙間がなくなって、このパーティの必勝作戦が使えなくなる可能性がある。こういう場合の冒険者業界の動向がわからない以上、確実な作戦にはならない。


 解除までの期間が短くなることに賭けるか? それではダメだ。「こうなったらいいな」は作戦ではなくただの祈り。もっと具体的で、実現可能性を自らコントロールできる計画を――、



「――いやそっか! 確かめるのが先だ!」

 そこで、気が付いた。



「どうするんだ、リーダー」

「ちょっと私、今から迷宮地帯に行ってくる! それで嵐になったときどのくらい被害が出そうか、地形見てくるよ! あといけそうだったらAランク迷宮もちょっと確認してみよう!」


 そうだ、とフェリシーは思う。

 まずはそこから作戦を組み立てるべきなのだ。


 状況を把握できていないうちから動き出したって失敗が積み重なるだけ――迷宮探索それ自体はそのスタイルだって構わなかったけれど、今回は猶予期間が輪をかけて短い。できる限りの周辺情報を得てから検討するが吉。


 時間がない。

 そうと決まれば。


「副会長、ほんっとーにありがとうございました!」

 まずは、お礼から。


 フェリシーはインガロットに深く頭を下げる。これほど貴重な情報を、普段は気位の高いこの人が雨に濡れるのも構わずに届けてくれたのだ。ここで感謝の念が湧かない方がどうかしている。今まで誤解していた。これからは神様天使様インガロット・イングレディオ様。先輩に対する深い尊敬の意を持って接していこうと固く心に誓う。


「別に構わん。大した手間ではない。だがお前、本当に――」

「ごめんなさい! 後でちょっとじっくりお礼の方は! 一刻を争うので、ええと、シオくんとミティリスさんは――」

「一緒に行こう。僕も天候に関しては多少役に立つ」

「私もできればついていきたいんですが――」


 ちらり、とミティリスがインガロットを見る。

 すると彼は、間髪入れずに溜息を吐いて、


「――構うな、全員で行ってくればいい。俺も少し、ひとりになって考えたいことができた」


 一緒に出るぞ、と言ってくれるから。



 すぐさま走って、屋敷は後に。

 いつだって人生は大急ぎなのである。



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