5-1 ふんふふんふ~ん
拝啓 お父さん お母さんへ
小春がうんたらこーたらでどーたらこーたらですが、いかがお過ごしでしょうか。
娘です。
いかがでしょうかとか訊いておいてなんですが、お金のことで頭がいっぱいで季節のことなんて気にする余裕はないと思います。それとも諦めて毎日お花見パーティですか? それはそれでいいと思います。疲れてると思うので、ゆっくり休んでいてください。
でも、お金の方はどうにかこっちの方で間に合いそうなので、心配しないで大丈夫です。
別に慰めのための嘘とかそういうことではないです。
あと、後ろ暗いことをしているわけでもないです(銀行強盗とか、そういう法に触れることはしていません)。
ただ、ちょっと己の有り余る才覚と根性で合法的にお金を荒稼ぎしているだけです。
今のところ目標額三億のうち、二億テリオンが確保できました。
私が借金の話を聞いた時点で残り六十日。
今の残りが十五日であと三分の一も残額があるんじゃ間に合わないじゃないか!とお思いでしょうが、ご心配なく。お金稼ぎは自転車と同じで走り出しが一番遅く、また炎と同じで消えかけに一際大きく輝くのです。ふたつ合わせて燃え盛る火の車です。計算通りです。何ならオーバーランして、二千万テリオンくらい余分に持って帰ってくる計算です。
次の報告は必ずもっと良いものになることでしょう。首を長くして、楽しみに待っていてください。
任せておきなさい、この私に!
敬具 フェリシーより
(追伸)
領内の果樹園さんから、こっちに差し入れをいただきました。
ちょうどそのとき私が不在で別の方が受け取る形になってしまったんですが、改めてふたりの方からお礼を言っておいて貰えると助かります。
果樹園さんのお名前は――――
卍 卍 卍
「ふんふふんふ~ん♪」
鼻歌を歌いながら笑顔でスキップして街を歩く十六歳が人からどう思われるか。
そんなことは一切お構いなしに、フェリシーは今日も健やかに生きていた。
平日。時刻は珍しく午前十一時半。非常に人間的な時間帯である。
昼のコアタイムに向けて飲食店という飲食店が営業を開始している。道行く人々はどこか忙しそうでありながら、しかし「まあなんだかんだ言ってまだ午前中だしな」という余裕をたたえていたり、あるいは「まだ午前中なのか、帰りたい……」という気だるさを携えていたりする。
店の前を通れば「いらっしゃいませ」の言葉が聞こえてくるし、民家の前を通ればどたばたと掃除する音が、噴水広場の前を通れば一番近所の犬がそのさあさあと流れる水の音に耳を立てているし、散歩中の別の犬がその犬においっすおいっすおいらっすとばかりにわんわん吠えかけていたりするし、酒屋の傍では背の曲がり始めた老人たちが酒瓶に振り回されるようによたよた歩きながら四十年前と全く同じ流れから全然違う会話に移行しているし、春休みを満喫する子どもたちは坂の上の街路樹から落ちる花びらと追いかけっこして、これ以上楽しいこともこれ以上幸せな場所もないとばかりにきゃはきゃは笑い声を上げていたりする。
総じて、平和な。
万事何事もなく快調な、街の風景。
その真ん中、石畳の上をたんたかたんたんと一際平和に横切るようにして、八時間前に十数度目の死線を超えてきた魔術師はゆく。両手には買い物袋。中には卵が二十個にチーズとトマト、あとはジャガイモ。
空は、ここ最近にしては珍しく晴れている。
春の陽光あたたかい、どこにでもあっていい、幸せな一日。
フェリシーは今、屋敷への帰路をそうしてゆっくりと歩んでいて、
「あれ。どしたのふたりとも」
その途中で、行き会った。
「こっちの台詞なんだけど。何そのふざけたスキップは」
「これは親切心からのアドバイスなんだが、キャラクターとビジュアルで吸収できる奇行の範囲にも限度ってものがあるぞ、後輩」
アルマとオズウェン。
真っ赤な髪の少年めいた青年と、灰色の短髪の体格の良い青年が、傘を片手に道の向こうからやってきたのである。
ふたりはやや「こいつと知り合いだと思われるの嫌だな」という気配を滲ませている……が、上機嫌のフェリシーには全くそんなことは関係がない。彼女はいつものように距離を詰めて、親しくふたりに話しかけにいく。
「まあまあ。いいじゃん、お金があれば何でも」
「加速度的に汚い金持ちになってるんだけど」
「金が入った途端に成金のメンタルになれるのはある意味才能だな。適応力がものすごいのかもしれん」
ていうかもう起きてたんだ、出かけてたの気付かなかった、と。
観念したのか、アルマが普通に会話を始める。
うん、とフェリシーは頷いて、
「精……、あ、いや。いつもの仕事やってたから」
「え、また朝までやってたの? 迷宮からぶっ続けで作業すんの、絶対身体に悪いって。ちゃんと寝なよ……」
「や、でもあれ、なんだかんだ言って時間かかっちゃうから。早め早めにやっておきたいんだよね。ていうか手元に置いておくのが嫌。さっさと換金しちゃいたい」
「気持ちはわかるが、栄養剤と仮眠に頼るのはほどほどにして、どこかでまとまった睡眠は取っておけよ。単純にフェリシーの作業量は俺たちより多いわけだからな。残りの期間も倒れないようにしっかり体調管理しておけ」
「う……はい。おっしゃるとおりです。帰ってご飯を食べたらがっつり寝ます……」
と、そこまで言ったところでふとフェリシーは気が付く。
もう十一時半で、それほど待たずに昼ごはん(という名の、通常であれば起床直後ご飯)の時間だというのに、このふたりは。
「どっか行くの? 用事?」
「あ、うん。オレの方がメインで」
「俺は付き添いだ。まあ、もう知らん仲でもないしな」
どこ行くの、と訊けば。
アルマは、こう答える。
「前の職場。四大の『赤』」
「…………当職場では、全面的に転職は禁止されております」
「法に反してるでしょ」
不安から出た治外法権宣言を、違う違う、とアルマは軽く流して、
「なんか退職処理のところで不備?があったらしくて。一回来てくれって言われたんだけど、オレそういうのわかんないからさ」
「俺がついていって見てやるわけだ。誤魔化してそうなら上手いこともぎ取って一割貰う……そういえばフェリシー、税金の処理はどうするつもりなんだ?」
「え?」
「ギルドを通さない取引だと自分で税処理が必要になるだろ。会計士は雇ってるのか?」
すうっ、とフェリシーの顔から血の気が引いた。
そしてふらっと倒れ掛かったところを、「あぶねっ」とアルマが右手を、「しっかりしろ」とオズウェンが左手を掴んで、止めてくれる。
「か、考えてなかったとか言ったら……」
「だろうな」
「言ってよ早めにっ!!!」
フェリシーの頭脳が、急速に回転し始める。
全然その分を勘定に入れていなかった。税金。税。どのくらい取られるんだろう。三億稼げばオッケーのつもりでいたけれど、いやたぶん実際それで一旦首の皮は繋がるけれどそこから――、
「心配するな。大したことじゃない」
しかし、オズウェンの落ち着いた声が、その回転を緩めてくれる。
「余計に稼いだ三億じゃなく、災害損失からの借金を補填するための三億なんだ。ちょっと腕の良い会計士なら上手く処理してくれる。……いざとなったら俺が代行してやれなくもないが、正直面倒だからな」
色々終わったらちゃんとしたのを探しておけ、と。
まるで頼れる先輩のように、アドバイスもしてくれるから。
ほーっ、とフェリシーは胸を撫で下ろした。
「今のうちに言ってもらってよかったっす……。年末に心臓止まるとこだった……」
「止まっても生きてそうだよね」
「ああ」
「どこに『ああ』の要素があった?」
そんなこんなで、「じゃあいい人を見つけたら他のみんなにも紹介します」と話はまとまって。
三人は、これから向かう方向に少しだけ爪先を動かす。
「じゃあお昼ご飯、ふたりが戻ってくるまで待ってた方がいい感じ?」
「ううん。適当に食ってきちゃうよ。長引いたらアレだし」
「りょーかい。ミティリスさんには言った?」
ああ、と頷くふたり。それならよし、と頷き返すひとり。
そこでようやく、フェリシーはふたりの持ち物に意識がいった。
「そういえば、なんで傘? こんなに晴れてるのに」
「ん? ああ、シオが降るから持っていけって」
「あいつの天気予報は当たるからな」
これから雨になるんだろう、と。
オズウェンが空を見るのに、フェリシーも釣られて上を見る。
今のところ、淡い青に白い雲。珍しく荒天とは呼び難い空模様。
だとしたら急にどわっと降ってくるのかもしれないな、と思うから。
「じゃあ私、降られる前に帰ろっと。ふたりも帰り気を付けてね」
「りょーかい」
「そっちもスキップしてて転ぶなよ」
「任せなさい。私はスキップの達人……」
言って、フェリシーはふたりに手を振って、再び屋敷への帰路に就く。
その雨の気配が、何を運んでくるのか。全く想像もしないままで。