4-5 大儲けの時間だ
「ぶっつけ本番か。どう考えても正気じゃないな」
「練習だったとしても正気じゃないですよ」
オズウェンとミティリスのふたりが何とかかんとか話しているが、しかし今さら何を言う、とフェリシーは思っていた。
午前三時を過ぎた頃。
暗い迷宮の前で、いつものように佇みながら。
だいたいが、とフェリシーは改めて思う。
初めから正気ならざる目標を掲げていたのだ。二ヶ月で十五億。どうしようもない三歳児が考えた夏休みの宿題消化スケジュールの七百六十倍は酷い。当然そんなものは普通の神経では達成できない。だったら、まともな神経をして相手をしてやる理由なんて、どこにも存在していない。
やってやろうじゃないか。
ぎゅうっと白くなるほどに握り締めた手の内には傘。立っているのは三人。後ろには撥水シートをかけた秘密兵器。バラバラと降るのは春の夜明けの少し前、冷たい雨。
目の前でうじゃうじゃと群れる魔獣の向こうから、作戦段階『①』――全ての『宝箱』を回収したふたりの忍者たちは、帰ってきた。
「回収しゅーりょー! プロセス③! 〈其は黄金にして――」
「④の準備も万全だ! そっちも構えておけ!」
「オッケー! 打ち合わせ通りオズウェン先輩は私と、ミティリスさんは楽器を!」
「眩暈がしてくるな」「責任重大、ですね。全員が」
アルマとシオは、いつものように。
シオが前に出て、注意を引き付ける。その間にアルマは例の剣をびかびか光らせて、適切な間合いに入っていく。
ここで緊張するのは、そこから素早く別の行動を取らなければならない三人。
正確に言うのであれば、もう全てを開き直って堂々としているフェリシーを除いた年長組二人ばかりが、獲物に飛び掛かる直前の獣たちのように、身を固くして構えている。
「〈此は抗刃――死王を討ちて戴冠する、最も新しき理の刃!〉
――――決めるぜ! シオ、当たるなよ!」
「問題ない、最速で行け!」
そして、抜群のコンビネーションで。
その空前絶後の魔術剣は、大威力を解放する。
「――――〈開闢剣・原初の火〉!」
「先輩ゴゴゴゴゴゴゴーゴー!!!」
「ああ、大儲けの時間だ!」
最初に動き出したのは、フェリシーとオズウェンのふたりだった。
爆発の熱気も冷めやらぬうちから、フェリシーは秘密兵器に向かう――撥水シートを取る。その間に既にオズウェンは秘密兵器の持ち手を掴んで、迷宮の中に運び込んでいる。
「鳴らします! 皆さん急いで!」
その次に動いたのは、ミティリス。
彼もまた迷宮の中に突入し、弦楽器をこれでもかというくらいにかき鳴らす。「LaLaLaLaDaDaDa――♪」ととても冒険中に聴けるものとは思われない美声を領域一帯に響かせ始める。
「行け行け行け行け積め積め積め積め!!!!」
それに共鳴するかのように、フェリシーは言い立てて、急き立てた。
言葉の通りに、ミティリスを除く四人は動いている。途轍もなく素早い。急いでいる。慌てている。この人間たちの余命はもうあと二十分しかないんです、これが最後なんですと何も知らない天使が説明されたらそのまま信じざるを得ないような形相で行動している。
そして、その行動が一体何なのかと言うと。
彼女たちは集められた『宝箱』を、拾っては積み上げている。
持ち込んだ、秘密兵器の上に。
「急げ急げ急げ急げ急げ――シオもうスタンバイ!」
「了解。位置に入る」
「フェリシー! 俺も積み上げ構築に入る!」
「おけー! 残り十、七、五――」
「『再出現』が始まりました! 状況は――想定通りです! 最初は六番ルート!」
他の人間がどういう状況にあるか、もはやフェリシーは目視では確認できなかった。それぞれが思い思いに叫ぶ言葉を聞きながら、それが真なる情報であることを信じて、自分にできることをする。
残りの『宝箱』は三つ。
一個を拾って積む。オズウェンが「これで最後か!?」と叫ぶ。あと二個、と伝えるより先にアルマが「次ラスト!」と叫び返す。
そして、最後。
フェリシーは、アルマと一緒になって最後の『宝箱』を積み込んだ。
「先輩!」
「構築完了! これで動かない!」
「シオくん!」
「いつでも行ける」
「ミティリスさん!」
「ナビゲーション、準備オーケーです!」
準備という準備を終えた。
そして最初の冒険と同じように、①から④までのプロセスがすでに終了し、⑤番が進行を始めている。
この作戦は、ここから。
新たな⑥番を、始めるための試み。
最後に、フェリシーは問いかけた。
「アルマ!」
「ああ!」
だから、スタートを告げる合図として、アルマは答える。
「――――準備できたけど、マジで頭おかしいと思う!」
リアカーの横で、きっぱりと。
卍 卍 卍
つまり、と。
始めてしまえば、それを受け取るための言葉はたったひとつしかない。
これは、複合案だった。
一週間積み上げてきた失敗の複合体。それがフェリシーが考え出し、五人全員が必死になって取り組んでいた作戦の正体なのだ。
リアカー。
そう、リアカー。
一番最初にアルマにやらせるつもりで、しかし本人が「無理に決まってんでしょ」と無下に断ったがために、試されることすらなかった案。
それが、この作戦の核。
アルマにひとりで周らせて『宝箱』を回収するという初めの案が、廃棄され、打ち捨てられ、しかし必要とされたがために、その実行のタイミングを変えて『再登場』した。
プロセス③――魔獣を一掃したのち、その場にある『宝箱』をリアカーに積み込んで。
プロセス⑤――魔獣が寄せてくるのを、しかしシオの脚力に物を言わせて突き放しながら、荷台に乗ったオズウェンが『宝箱』の『鍵開け』を行っていく。
古今東西、こんな状況を作り上げた冒険者はいないはずである。
移動した先で、怯えるように『宝箱』を開けるのではない。
安定した環境を構築して、集めた『宝箱』を開けるわけでもない。
全く不安定な状況で、移動しながら。
すでに集め終わった『宝箱』を、順番に解錠していく。
プロセス⑥。
『全てを握りながら逃げ続ける』という、全く新たな領域。
もちろんプロセス⑥は様々な障害を孕み、それを克服できるかどうか、これからフェリシーたちは試されることになるわけだけれど。
作戦名だけは、もうすっかり決まっている。
『走れ。人生に追い付かれるよりも速く』
卍 卍 卍
「ウォオオオオオオ!!!!! ガァアアアアアッッ!!!」
「開いた開いた開いた次次次!」
「なんで上手くいってるんだよこれ!!!」
この作戦の最初の障害は、「そもそも迷宮中の『宝箱』を載せたリアカーがまともに走るのか」ということに尽きる。
まずもって、推進力。
並大抵の重さではないのだ。リアカーに載せて進みやすくしてなお、通常の貧弱冒険忍者たちでは十人がかかっても一歩と進むことはできまい。その程度の重さは、少なくともここにある。
「シオくんだいじょぶ!? 疲れてない!?」
「問題ない。むしろちょっと楽しい」
「よかったあ!」
が、シオにとってはまるで関係がないらしい。
全力で走ったことがないにもかかわらず、これまで自分より速い人間を見たことがない少年――四大大手にいたアルマが思わず『シオ』という名と四大の出身らしいという情報を聞いただけで、思わずその顔を見ずにはいられないような、卓越した走力型忍者。
彼の脚力を以てすれば、この作戦の一番の無茶ポイントが、簡単に乗り切られてしまうのだ。
そしてそんな推進力で動かされていると、そのへんで買ってきたようなリアカーが『宝箱』全部載せという異常な状態に耐えられるのか、という問題が出てくるわけではあるが、
「ねえフェリシーこれ崩れるって! なんかぐらついてるもん! 後ろいたら死ぬって!」
「気にするな!」
「気にするわ!」
「ガッギッッゴァアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
「オズウェン先輩が大丈夫って言ってるん「オガアッッッアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」じよう! 万物を!」
「なんて!??!」
理屈はわからないが、大丈夫だった。
なんとなくできそうだな、と思ってオズウェンに訊ねたところ本当に実現してくれた。『はこいりおひめさま。』で行った『宝箱』によるバリケード作成の応用である。爪楊枝で橋を架けたりする発想と似たようなもの……上手くリアカーの荷台部分に『宝箱』を積み込んで、振動で崩れないように設計してくれた。理屈も説明してもらったけれど、細部はともかく全体原理はよくわからなかった。傍目には何がどうなっているのかわからない。でも機能している。
というわけで、リアカーは問題なく動いていた。
シオがものすごい勢いで牽引して、その荷台にはぐらぐらと『宝箱』が載っていて、さらにオズウェンも荷台に搭載されて、とんでもない怒声を上げながら次々『鍵開け』を成功させている。
「そろそろ包囲されます! 右から抜けましょう!」
「りょーかーい! シオくん、準備しておいて!」
「了解。できるだけのことはしてみよう」
最初の障害がクリアできれば、次の障害が出てくる。
それは当然、『追ってくる魔獣をどう跳ねのけるか』ということである。
後ろから来るのは問題ない。ただ走っていれば、追い付かれることはない。そのくらいの速度は普通に出ている。
問題は、逃げ道を塞がれることだ。
顔合わせの攻略で発生したあのどうしようもない状況……どれだけの速度で走っていても、『走っていい道』がなくなってしまえば、どんな忍者も無力化される。
だから、作った。
「ミティリスさん、『忍法』効いてる!?」
「今のところは! 問題が出てくれば報告します!」
弦楽器を鳴らしながら時に歌い、時にナビゲーションを行うミティリス。
彼の役割は単に敵の位置を把握して行く先を決めるのみではないのだ。
『忍法リポップ封じ:蜘蛛の型』。
迷宮内にあらかじめ魔力伝導性の高い糸を設置し、鳴らす。それによって魔獣の『再出現』を阻害する――一度はそもそも糸を張る時間が足りないこと、全域に魔力を流し続けるにはミティリスの魔力量が心もとないことを理由に失敗に終わった作戦が、帰ってきた。
今度は、全域に闇雲に張るのではない。
『走っていい道』を残すために、全方向から魔獣が襲い掛かってくるポイントを作らないよう、ひっそりと計算高い蜘蛛のように、部分を選別した上で、糸を張ったのだ。
こうして、ほとんどの問題はクリアされた。
残る問題は、たったふたつだけ。
「――っぶね! 飛び道具やめろ卑怯もん!」
「はあ!?」
「そっちに言ってない! フェリシー結構めんどくさいな!?」
ひとつは、後方から散発的に射出されてくる遠距離攻撃。
しかしこれもまた、計算通り跳ね返せている。手の空いているフェリシーは魔術学園の現役生徒であり、遠距離戦は不得手とするところではない。そして実は〈開闢剣〉の発動による前提条件の確定という大役を担ったところであるアルマも、これで済んだと思うなよとばかりに酷使されている。具体的には、オズウェンが開けて捨てた『宝箱』を拾い上げて、シールドとして活用していたりする。
だから、最後の難関。
そこまで彼女らは、辿り着いた。
「来た来た来た来た! シオくんいける!?」
「行ってみなければわからない」
「確かに!」
「確かにじゃダメだろ!! こっちもサポートするからシオ、死ぬ気で曲がれ!!」
「どうやって私たちサポートするの!?」
「あるだろ色々――気合いとか、色々!!」
曲がり角。
草原を走っているわけではないから――区切りの明確にある迷宮の中を走っているから、いずれは直面を強いられる空間。
後方から走る来る魔獣に追い付かれないために、安全な減速は許されず。
リアカーに載った大量の『宝箱』を抱えた状態で、それを曲がり切らなければならない。
「――じゃあ、気合いを入れて行く」
そして、シオは突っ込んだ。
ズガガガガ、と凄まじい音を立てていた彼の足の裏が、地面に触れたままで止まる。止まろうとする。
ズィイイイイイ、と一瞬凄まじい音が立つ。地面が鉋をかけられたように捲れていく。牽引者の急減速にリアカーは対応できず、当然慣性が働いて、シオと荷台の間の距離が近付く。シオが横を向く。振り回されるようにリアカーも凄まじい勢いで――咄嗟に気付いたフェリシーが魔術を使わなければまず間違いなくタイヤ部分はぶち壊れていただろうという勢いで――その方向を変える。
しかしそれだけではリアカーも、そしてシオ自身もまた、慣性を殺し切れない。
そのことに気付けたから、フェリシーは。
「――――『グランド・ライズ』!」
「――ッ! 了解!」
咄嗟に、土属性の魔術を唱えた。
『忍法リポップ封じ:水遁型』で周囲の傾斜を作るのに使ったのと同じ魔法だ。地面の構造に対するアプローチ。本当に咄嗟の短縮詠唱だから、まるで大した効果は与えられないけれど、
「壁を、駆ける――!」
一時しのぎの足場として、車輪が通るスロープとして。
また行動の指針として、シオを導くくらいのことはできる。
勢いを殺さないままシオは、目の前の壁に降り立った。
何も知らなければ、重力が九十度方向を変えたように見えただろう――ぴたり、と慣性のままに壁に吸い付いている。『グランド・ライズ』が整えたルートをシオは上手く通って、車輪をつかえさせることのないまま、リアカーまでその壁に器用に吸い付けている。
問題は、ただひとつ。
「やば、引っかか――」
車輪以外の部分。
横倒しになったリアカーの荷台は、このコーナーの幅ほとんどギリギリの高さまで、『宝箱』を積み上げていたということで――、
けれど。
「シオ!! 後ろから押し込む、そのまま行けェ!!!」
「ありが、たい――!」
『宝箱』は、迷宮を容易く削る。
その性質については、『はこいりおひめさま。』の失敗から学んでいたから。『土遁の術』に活かされることもなく、そのまま消えてしまいそうな知識だったけれど。
自分達で試行錯誤して知ったことだから、ちゃんと全員が、覚えている。
「お、オ、オ――――!」
ダン、ガン、ドン、と。
無理矢理に、シオは進む。
ガリガリガリ、と『宝箱』が迷宮の壁を削る。摩擦が勝つか、脚力が勝つか。削る削る、押し込む押し込む押し込む。フェリシーは壁から地面へ誘導するスロープの作成を大急ぎで行って、もうひとり手の空いているアルマは、最後。
後ろからそれを、蹴飛ばすようにして。
「い――っけえええっ!!!!」
だだん、と荒々しい音を立てて。
シオとリアカーは、地面に着地した。
「いっ、」
ガラガラガラ、と。
車輪が何の問題もなく回り続ける音が耳に届けば。
フェリシーの言うべきことは、ひとつだけ。
「ぃぃいいいいいいよっしゃあああ!!!!!」
「喜んでる場合じゃ――カバーカバーカバーカバー! 後ろ後ろ後ろ詰まってる詰まってる!」
「上手くいった……ふふ」
「ガァアアアアッ!!!! ゴォアオオオオッ!!!!!」
「TaLaLaLaTuLaLa――……すみません。私も次のコーナーまで荷台に乗ってもいいですか?」
勿論、たったそれだけで安心することはできないのだけど。
たまたま上手くいったわけではないけれど、上手くいくためには最大限の努力を何度もしなければならない、そんな綱渡りの冒険が、彼らのしていることなのだけど。
ただ、まあ。
このあと結局、フェリシー一行は全ての『宝箱』を開けて、無事迷宮を出ることができたのだから。
五人の珍奇な冒険者たちの、あるべきパーティの姿をとうとう発見したのだから。
この冒険は、一番の難所であるここを超えた時点で、こう締めくくってもいいはずである。
すなわち、大成功。