3-3 高貴なるご令嬢ことフェリシー・フェリアーモ様
ぱあっ、と光って。
彼女の指の中には、少しばかり白がかった、それほど形だって変わらない魔晶が残っている。
それは見た目には、すごくささやかな変化で。
だから、すぐにその変化の価値を理解できたのは、やはりたったひとりになる。
「………………どこまでだ?」
オズウェン。
ついさっきまで最も乗り気ではなかった人物……彼が、今は目を見開いて。
じっと、水色になった魔晶を、見つめている。
「まさか、最終までいけるのか」
「あはは、まさか……」
そして、『きっとこのお金に煩い人なら、この魔術の価値がわかるのではないか』と思っていたから。
フェリシーは余裕たっぷりに、彼の質問に答える。
「中途半端な魔術を、こんなに自信満々に持ち出したりしないですよ」
「フェリシーくん!!!!! どうやら俺たちは一生涯の親友に出会ってしまったようだな!!!!!!!!!!」
そこまでとは思わなかったので、ちょっとびくっとした。
オズウェンの反応はすごかった――初めて獲物を捕らえた大型の猟犬のような無邪気な笑顔を振りまいた。瞬く間に立ち位置が変わり、ついさっきまではアルマら三人と同じ方を向き、つまりフェリシーに相対するような形だった彼は、しかし今や隣に立っている。あたかも十年来の友人のように、あるいは気心の知れた秘書のように、ごくごく自然に、こちらの側に立っている。
「いやあ……人が悪いな。それを先に言ってくれればよかったのに。どうして黙っていたんだい?」
口調まで変わっている。しかも、だいぶ胡散臭い方向に。
「いや、まあ……なんだかんだ言って、グレーじゃないですか。だから求人票に書くの、ちょっと躊躇っちゃって」
「ああ、確かにそうか! いやあ、そんなことまで考慮できるなんて、フェリアーモ子爵家もこんなに優秀なご令嬢がいるなら向こう百年は安泰だな!」
「……あと、まあ。人数割りの都合上、小銭目的の人が入っちゃうとどうしても目的達成が難しくなっちゃうので」
様子を見てました、とフェリシーは言った。
別に言い訳ではなく、最初からうっすら念頭にあったことではある。いまオズウェンたちに見せたとおり、十五億を稼ぎ切れる、と口にできるだけの土台はある……が、それは当然『楽して十五億稼げる』わけではなく、『死ぬほど頑張ることで十五億を得られるようになる、そのための前提を整えられる』という程度のものに過ぎないのだ。
「なるほどな」
オズウェンは、その意を汲んだ、というように頷く。
今度は胡散臭くなくて、最初に会ったときのような、落ち着いた調子で。
「動く額がでかいだけに、中途半端なやつが入ってきても邪魔、ってところか」
「いや言い方……でも、実際途中で『ついていけない』とかで金庫の持ち逃げとかされちゃうと、本当に詰んじゃうので」
「正しい判断だ。で、性格が破綻した文無しの崖っぷち野郎ばっかりだってわかったから、ここで手札を晒してくれた、ってわけか」
「いや言い方」
さっきそっちが言ってたことだぞ、と言われて。
あれそうだっけ、もしかして口が滑ったかな、とフェリシーは記憶を探ろうとして、
「――あのさ、もしかして今の、『精錬』?」
そのときアルマが、口を挟んだ。
見れば、オズウェンを除いた三人……アルマ、シオ、ミティリスは、こちらの手の中にある水色の魔晶に、見定めるような視線を注いでいる。
不思議そうな様子から見れば、恐らくアルマ以外はその魔晶の変化に心当たりがないのだろうと思われるけれど――しかし、
「『精錬』……私は寡聞にして知りませんが、」
「オズウェンがその反応ということは、金になる技術なのか」
そのくらいのことは、ミティリスとシオのふたりも理解してくれているらしく。
「オレも、直で見たことがあるわけじゃないけど。その……魔晶を換金するのが冒険者の収益発生スタイルだってことはわかるじゃん?」
「ええ、わかります」
「で、その換金ってギルドの窓口でやるでしょ?」
「ああ……なるほど」
わかったかもしれない、とシオが頷いて、
「その先の工程の話なのか、これは」
「そのとおりだとも!!!」
勢いよくそれに応えたのは、オズウェンだった。
なんだこの人、とフェリシーは半目になって隣を見ていた。
「魔晶は確かにギルドで換金される。しかしその魔晶は単にギルドで消費されるだけに留まらず、様々なところで使われている。アルマくん、一番大規模にそれが扱われるところはどこだかわかるか?」
「何その口調……まあ、一番は『サプライヤー』じゃないの。魔力インフラの供給施設」
「そのとおり。小口のやり取りも様々に存在するが、一番はそれだ。俺たちが迷宮で命からがら、あるいは余裕たっぷりに拾ってきた魔晶は、『サプライヤー』の魔術設備によって魔力を適宜抽出され、各ご家庭に豊かな生活を提供している」
「公民の授業?」
「さて、そこまでは現代社会でいわゆる常識とされるラインだが……シオくん」
はい、とシオが背筋を伸ばした。
真面目だな、とフェリシーは思う。自分は講義中に指名されると大体「えっ」という反応から入ってしまう。
「では魔晶は、直接ギルドから『サプライヤー』に売り渡されていると思うか?」
「……今までの流れからすると、違うように思う」
「そのとおり。実はギルドと『サプライヤー』……あるいはその他の魔晶消費者の間には、必ずひとつ以上の中間業者が入り込む。それでは俺たち『冒険者がギルドに売り渡す額』は『最終消費者に売り渡される額』と比べて、どのくらいだと思う?」
「…………八割、くらいか?」
「ミティリスはどう思う?」
「半分くらいでしょうか」
うむ、とオズウェンは満足げに頷いて、
「一般的には、二割程度だ」
そのとき、特にアルマの表情がすごいことになっていたのを、フェリシーは見た。
こういう顔をもし自分が原因で誰かにさせてしまったら、多分死を覚悟しなければならない。今後命の危機に陥らないためにも、あるいはすぐさま逃げ出せるようにしておくためにも、しっかり覚えておこうと思う。
「に……んなっ、にわっ、」
「まあそう怒るな。別にそこまで理不尽な搾取がされてるわけじゃない。俺も思うところはないでもないが、他人の仕事に敬意を払えなくなったら人間は終わりだ」
そう言って、オズウェンは本当に公民の授業みたいな説明を始める。
まず迷宮の管理運営のためにギルドの取り分が――またその土地の領主や国に危険管理として――さらに販路の調整として商会が手数料を――と、まあこのあたりは関係ないから、彼は軽く飛ばすように説明して、
「だが、ここで最も大きな問題となるのは『魔晶はそのままでは消費できない』という特質だ。そこで、こちらの高貴なるご令嬢ことフェリシー・フェリアーモ様のお力が輝いてくる」
三秒、フェリシーは待った。
が、特に誰も『高貴なるご令嬢』に関するリアクションをすることがなく、またオズウェンも「そこからは自分でするのがいいだろう」とここに来て謎の控えめさを見せてきたので、おほん、とひとつ咳ばらいをして、高貴な説明を始めることにした。
「まあその、簡単に言っちゃうと『サプライヤー』にしても何にしても、魔晶から魔力を抽出しようとすると、迷宮の色がついてるのが邪魔になってきちゃうってことで……わかる? この色の話って」
「魔力の波長、とか?」
「あ、そうそう」
アルマの言ったのに、フェリシーは安心する。そこのところがわかってくれているなら、話は早い。表情を見る限り、シオとミティリスのふたりも大丈夫そうだった。
「魔晶って、収拾された段階では大きさも波長もバラバラで、単純な燃料としては扱えないんだよね。だから標準規格に合うように加工する必要があって……」
「それが『精錬』?」
「ものすごく希少な技能だ」
そしてオズウェンは、『自分からアピールするのは恥ずかしいな』と思ったところに的確に差し込んでくれる。
「魔力インフラの大部分と違って、いまだに自動魔術化の進んでいない領域だ。資格試験も存在するが、魔術系では最難関のひとつだな」
「フェリシー、資格持ってるの?」
「あ、ううん。年齢足りてないから」
受験可能年齢が十八歳からだ、ということをフェリシーは伝える。
また、それと同時に、
「ただ、資格って加工作業自体には必要なわけじゃないんだ。結局ちゃんと規格に合ってるものが出てくればみんな文句ないし、適合テスト自体は誰でもできるから」
「俺も流石にこのあたりは明るくないが、資格が必要になるのは指定業者法人で専門職として従事する場合、だったか?」
「です。だから銀行とか、商会とか……あとは『精錬』の困難工程だけ『サプライヤー』でやる場合もあるから、そこでもそうかな。大きな貴族家……武門とかがやってるらしいんだけど、そこがお抱えの魔術師にやらせる分にはセーフ。資格不要」
業界的にはちょっとグレーっぽいんだけど、と付け足して、情報提供を終える。
他にも色々と説明しようと思えばできたけれど、一気に話しても入ってこないだろうと思われたから、このあたりで。細かなことは置いておく。たとえば、さっきオズウェンの言った「最終まで」というのはどういう意味なのか(答:『精錬』にもいくつか段階が存在し、最後まで行える魔術師は資格取得者の中でも多くはないので、その確認)とか、なぜ十六歳の自分がこんな高等魔術を使えるのか(答:父から「手に職つけておくと困ったときも安心だな」母から「これが一番儲かるんだって」と雑なアドバイスを受けて、しかも割と早い頃から偶然独学可能になってしまった上に気質体質にも適していたから)とか、これだけできたら家が吹っ飛んでも生きていけそうなのにどうしてこんなに必死なのか(答:『精錬』有資格者の主な就職先は金銭関係に厳しく、放蕩貴族NGの場合が多いため、範囲攻撃で詰むから)とか、そういうことは、またの機会に。
「……なるほど。それでは、私なりにまとめさせてもらいたいんですが」
重要なのはつまり、ミティリスが口にするようなこと。
「通常、ギルドの窓口を通して行う魔晶の『精錬』作業をフェリシーさんが行える。これによって、私たちの取り分が増える、と」
「はい、そうです。あ、あと一応最終消費者に渡るまでの販路の方もうちで確保してあるので、参加してくれる人は差し支えなければそのルートを使ってもらえるといいと思います」
「仲介手数料はどのくらいになりますか?」
「いえ、特に。コネで直売りなので」
しばらく、誰も何も、言葉を発さなかった。
窓の外で雨がどうどう降って、風がびゅうびゅう吹いて、窓がぼたぼた鳴っているから、かえってものすごく静かに感じられる。
その時間に名前を付けるなら、たぶんこういうものになる。
算数の時間。
「最後に、確認しておきたいんだけど」
言ってアルマが、手を挙げる。
では、ということでフェリシーは手のひらを『どうぞ』の形にして、発言を許可する。
「最終売値の二割が、普通の冒険者の取り分だったんだよね」
「うん」
「で、フェリシーの力と取り付けた販路があれば、その八割取られる中間部分を省略して直接売れるわけなんだよね」
「そうそう」
「ということは、五倍ってことだよね」
信じられない、というように。
恐る恐る、片手を開いてそろそろ上げるアルマに、フェリシーは。
にっこり笑って、こう答える。
「力を合わせて三億の働きをして、十五億を山分けしましょう!
ひとり当たり、報酬は三億テリオンです!!」
嵐にも負けないくらいの歓声が、オンボロ屋敷の面接室を満たして。
捕らぬ狸のどっこいしょ。旅は道連れ、世の中お金。