明日はきっと雨になる
文章を読むのが苦手な男子高校生による、初めての作品です。まだまだ小説と呼べる程立派なものではありませんが、時間がある時にゆっくり読んで頂けると幸いです。
「ねぇママー。お空ってなんであんなに大きいのー?」
子供の声が聞こえた。彼はその少年の声によって目が覚めた。そういえばもう朝か。太陽の光が満遍なく地面を照らしている。少しも陰るのを許さぬほどに、強く堂々と照らしている。
彼はまだ目覚めたばかりの身体を起こしてその小さな体に不似合いな大きな翼を広げて、大空へ旅立った。
ささやかな寒さが匂う季節になってきた。彼は大空を飛び続けある程度の高さまで行ったところで町を見下ろした。町には様々な人がいた。一人で会社に向かう人、楽しそうに会話しながら学校へ向かう女子高生達、朝の散歩をする老人、犬を連れて走る人。誰もが昨日と同じように新しい一日を迎えようとしていた。
彼はこの町が好きだった。この町は海に面しているが少し奥へ行くと山もあり、自然に囲まれながらも人が多く住む栄えたいい町だった。
彼がこの町に来てしばらく経つが彼に友はいなかった。彼らにとってこの町より住みやすいところがあったからだ。この町は栄えてはいたが、彼らにとってはたしかに居心地は良いとは言えないのかもしれない。彼は孤独になると分かっていながらもこの町に残ることを決意した。この町の景色や人の優しさに気づき魅了されていき、気が付けばこの町を離れたくなくなっていたのだ。
しばらく空を飛び続け彼は山の近くの病院にやってきた。町の端に位置するこの病院はこの町では最も大きく、ある病室の窓からは町が一望できるというらしい。彼はこの病院のとある老女に会いに行った。いつの日かふと休むために近くの木に止まったことをきっかけに習慣的に彼女の元を訪れるようになっていた。友のいなかった彼にとって彼女との交流は貴重なものだった。ましてや人間との交流などとは。彼は彼女から多くのことを学んだ。言葉は分からないが彼女の放つどこか温かく善を引き付ける不思議な雰囲気があった。もはや彼女は彼の恩人と言っても差し支えない。町に残ったのは彼女がいたからというのもひとつの理由だった。
彼女がこちらに気が付くと寛大な笑顔で
「おやおや。今日も来てくれたのかい?ありがとう。」
と言った。彼はその時の彼女の表情を忘れられなかった。なんだろう。いつもと違う気がした。向けられた笑顔も言葉もいつもと変わらないはずだが、今日は見えない何かがいつもと違う気がしたのだ。
しかし彼の性格上、考えても仕方のないことは考えないようにしていた。彼には理解できなかったのだ。考えても分からないことを考えるより生きるために目の前のことに目を向けたかった。丁度看護師も来たことだし彼は病院を後にした。
再び大空へ戻って彼はこの町の中枢をなす閑静な住宅地を目指していた。その住宅地の周辺は先程までの自然に囲まれた光景とは違い、大きなビルが立ち並ぶ近代的なところだった。彼はその町の住宅地にひっそりと存在するコイン精米機を目指していた。あそこは毎日大量の米が散乱している。
この時間に行けば大量の零れた米にありつけるはずだ。案の定米は大量にあり、しかし不思議なことに彼以外誰もいなかった。だが目の前の米を見逃す訳には行かない。彼は米に飛びついた。
道に散乱した米を全て食べきり幸せな気持ちで満ち足りていた彼だが、先程から何者かの視線を感じていた。彼は目の前の路地裏の暗闇に目を向けた。鋭く光る、二つの点が見えた。それが段々と大きくなり次第に姿を現した。猫だ。なるほど。彼以外に誰もいなかったのはこういうことか。猫は彼らにとって最悪の生き物でありできれば出会いたくはなかった。まったく、用心深い奴だ。こちらが食べるのを待って油断しきった所を狙って来た訳か。彼は咄嗟に飛び立ち急いで逃げ出した。しかしそれに呼応するように猫は素早く反応し全速力で追ってきた。どうやら簡単には逃がしてくれなさそうだ。
しかし彼は自分に翼があることを忘れてはいなかった。猫に捕まるより前に、大きく羽ばたいて上昇すれば簡単に逃げられる。そう思っていた。だが大きな二つの目を光らせたそれは彼が羽ばたくよりも前に大きく跳躍していた。全く、なんて筋力してるんだ。このままでは捕まってしまう。刹那、彼は上手く身を捩り間一髪で猫の手を避けた。そしてそのまま全力で羽ばき押し切る。
花火を打ち上げるように、彼は勢いよく空へ。猫はそのまま落下していった。
猫の筋力と執念は相当なものだったが、彼の判断力と繊細な飛翔技術の勝利だった。
陽の光が町に午後の淡い影を生み出した。猫との激闘を終えたその後しばらく町を飛び回るが時刻は夕方になりつつあった。彼はこの町の奥にある少し大きめの山に向かっていた。その山を少し登ったところにある公園では、この町と夕日を見渡せる木がある。彼は定期的に夕日を拝みにそこへ行く。
彼はいつものように大木に止まりながら絶景を眺めていると、下の公園で遊ぶ3人の子供が目に止まった。彼はその子供たちを見て自分にも友がいたらどのような生き方をしていたのだろう、などと考えていた。羨ましくはなかった。彼は他と関わるのが苦手だった。他との関わりを回避しようとしてきたほどだ。子供たちを見たからと言って後悔や悲痛の念はなかった。誰にだって自分の意に反するようなことを無意識に考える瞬間はあるだろう。今とは違う自分、存在しない別の自分。どんな一生、どんな感情を抱いていたのか、彼は考え込んだ。
時間とは実に都合よく過ぎていく。あんなことを考えている時なんて特にそうだ。あっという間に日が落ち公園で遊んでいた子供達もいつの間にかいなくなっていた。一日の終わりが近づいていた。
太陽は仕事を終え、暗い闇だけが残されていた。やがて町にあかりがともり人々はみなそれぞれの場所へ帰っていく。彼もまた帰るために飛んでいた。
風が冷たかった。季節のせいだろうか。寒さというものは時に心を傷つける。心が冷え込んだ時、温めてくれるのはなんだろうか。
帰り際に、あの老婆がいる病院を通りかかった。いったいなんだ。妙に騒がしいではないか。彼女がいる病室だけやけに明るい。彼は朝のように木に止まり病室を観察した。寝たきりの彼女の周りを数人の人間が取り囲んでいた。涙する者、ただ呆然とする者、様々だ。彼女はピクリとも動かない。朝とは大違いな無表情なまま、静かに目を閉じていた。
その瞬間、何かが弾け飛んだ。彼はそれまで心にあった何か大切な温かいものが一瞬で消し飛んだ気がした。初めて味わう感覚だった。言葉で表現しようもない、考えても仕方のないどうにもならない感覚。彼の中に雲がかかった。
重く暗い雰囲気に耐えきれず、彼は空へと飛び立った。彼は衝撃と動揺を隠せなかった。全てを理解するにはもう少し時間が必要だった。今まで当たり前であったものが当たり前でなくなること。しかしそれでも時は無常にも歩みを止めず、世は何事もなかったかのようにこれまでと変わらず秒針を刻む。
きっと前向きに生きなければいけない。これまでと変わらず。彼はそれを理解していた。だけど今は。少しづつ、ゆっくりと歩めばいい。
月のあかりが雲の間からぼんやり滲んでいた。彼は夜空を飛んでいた。ああ。あの笑顔がもう一度みたい。彼の目に映る町の夜景が、ぼんやり滲んできた。風が棘のように鋭く、突き刺さるほど冷たく吹き荒れていた。ああ。この風の様子じゃ、明日はきっと雨になる。
孤独と言うのは本当に悪いことなのでしょうか。この作品ではそんな孤独や心というものを「彼」で表現しました。暗く、切ない結末ではありましたが、読者の皆さんには是非、そんな中での明るい光を見つけて欲しいのです。
皆さんの大切なお時間を使って読んで頂き、ありがとうございました。