ヨモギ氷
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねね、つぶつぶ。あたし思ったんだけどさあ、どうして「雪男」っていないんだろう?
――毛むくじゃらの大男の話くらい、古今東西、どこにでも転がっている?
いやいや、その手のイエティとかビッグフットをほうふつとさせるのじゃない奴よ。あの冷気とかを放って、相手を凍てつかせるタイプの「雪〇〜」ね。
ファンタジーなら、男の氷系の魔導士なんて履いて捨てるほど生み出されているでしょうけど、伝承とかだと凍らせる系男子って、なかなかいないような気がする。私の調べ不足なのかな。
そりゃ、見目麗しい女の人の方が、相手をほいほい釣りやすいでしょう。それでも美男子だって女を釣れるでしょうに、どうして「雪男」じゃあかんかったのか……。
その理由、少し気になって調べてみたんだけど、ひとつ奇妙な昔話を聞いてね。良かったら、耳に入れてみない?
むかしむかし。暑い夏の日。
とある山間の村に暮らしていた末っ子の五男坊は、畑仕事の手伝いの休憩中、ひとりの女性から声をかけられたらしいの。
見知らぬ、美しい女性からで戸惑う間に、女性は彼の手に折りたたんだ紙を握らせてくる。女性はそのまま立ち去ってしまうけど、彼は後を追う前に、手の中の冷たさの方へ意識を奪われている。
受け取った紙はほどなく、勝手に湿り出して彼の手をべちょりと濡らした。
紙を開いてみたところ、そこには氷漬けになったヨモギがひと房、包まれていたの。
霜がおりている、なんて次元の話じゃない。しっかりと形を保った直方体の氷があり、ヨモギはその中へ一分のスキもなく、とらえられていたのよ。たとえ氷室に寝かせ続けたとしても、これほど見事なものはできないはず。
意図が見えないのも相まって、彼の中には恐ればかりが膨らんでいったわ。勝手に手放すのも怖く、いったんは家族の下へ持っていく。一同も首をかしげるばかりだったけど、試しに触らせてもらったところ、ちょっとした異変に気がつくことになった。
このヨモギ。厳密にはそれを覆う氷。男が触れると、だらだらと汗を流すものの、おなごが触ると、それがぴたりと止まる。しかもいくら水を出しても、氷はいっこうに小さくなっていく様子を見せないの。
いよいよ下手に捨てるのはまずいと、家のどこかへ安置しようとして、無駄だと悟るのにさほど時間はかからない。つづらに入れようが、押し入れに入れようが、おなごの肌に触れていない限り、水が漏れ出続けて、家の中を洪水にしてしまうから。
おなごがずっと懐に入れれば、とも考えられたけど、濡れはせずとも寒気は止まず。おまけに、ふとした拍子で転がり出てしまったようで、家族が目を覚ますや家の中に、広く薄く水が張っていた……などということも。
個人がとどめ置くには、手に余る。かといって、完全に手の届かぬ場所に置くのも、たたりなどがあるのではないか。
村中で話し合われた結果、近くの山中。はるか昔に干上がった川の最上流に、埋められることになったのだとか。定期的に報告があげられる運びとなったけど、最初の報である10日後には、かすかではあるものの、すでに川へうるおいが戻ってきたことが判明したの。
ふた月が経つ頃には、川はかつての勢いを更に盛り返す勢いで、水を流していたとか。
仮にこのようなことになっても、簡単には溢れないよう堤の原型は作られている。もともとの急坂も手伝って、あふれ出る水はふもとへ。そして海まで注ぎ込み、日照りの際も乾くことなく水を運び続けたとか。
それから数百年のときが流れ、かの川の生まれが半ば伝説と化したころ。川の流域に住む女性たちに、ほんの少し奇妙な話が広がり出したの。
たとえ暑いさなかでもね、手足の先が妙に冷えるという訴えが出始めたの。実際に触れてみると、なるほど氷へじかに触れたような冷たさを持っている。毛皮の中に入れたり、火にかざしたりしてみても一時的な回復しかなく、当人たちも震えを感じるほどだったとか。
特に、女の日を迎えて間もないおなごの中には、群を抜いて危うい兆しを示す者もいたの。うかつに触れば、その箇所に強い疼痛を覚える。彼女らに世話された稲たちは、これまで健康に育っているものでも、たちまち色を失って枯れの一途をたどった。
極めつけが、手折った花がたちまちのうちに、凍り付いたということ。反射的に手を離したために、地面に転がった花は、すでに薄い氷の柱へ閉じ込められていた。そして間もなく、槌で叩かれたように、おのずから割れてしまうの。
症状を訴えるのは女性ばかりでも、確実に人数は増えている。このままでは将来に大きな影響が出るのは疑いなく、かの伝承を知る者たちは、時の修験者たちとともに、あの氷漬けのヨモギが埋められた、川の上流へ向かったの。
伝えられた通りの場所を掘ってみると、確かに氷漬けのヨモギが見つかったわ。けれど、話で聞いていたような、無色透明な氷の姿はそこにはない。
それは火照った人肌のような、薄い紅色がかっていたの。ヨモギの影はそれに隠されてしまい、かろうじて色に染まり切っていない、氷の上の部分から頭をのぞかせるだけ。
流域への通知と準備が成されたあと、長い長い菜箸が用いられ、水を出し続ける氷がのぞかれた。川はみるみる勢いを失い、やがて元通りの川床をさらすことになる。
氷の方はというと、何度も箸の触れている部分を凍らせ、砕いては地面へ転がり続けた。その様はまるで、不本意な場所から逃げ出そうとしているようにも思え、最終的にとある死火山の火口へ沈められたらしいの。
件の川水に触れなくなってから、おなごたちの冷えは少しずつ改善していったけど、完全には無くならなかったみたい。それどころか、彼女らの子供たちにはときおり、男女を問わず身体の冷えを訴える者が散見されるようになる。
それが今の世に伝わる、「冷え症」のおこりとされているとか。