ミカとユユ
ここに、一人の少年がおりました。名前はミカ。彼は何でも持っています。顔はお父さん譲りでかっこいい。家は大きなお屋敷みたい。欲しいと思ったものは、お母さんに頼めば何でも買ってもらえる。したいと思ったことは、周りの人たちが何とかして、実現してくれる。そんな恵まれた子です。
しかし、どれだけすばらしい物をもらっても、どれだけやりたいことをやってみても、ミカは満たされません。その時その時は満足しても、時間が経てば、ぽっかりと胸に穴が空いてしまうのです。物も思い出でも埋められない大きな穴が。まるで心がすっぽり抜けたかのよう。だから、彼はいつも思っていました。
(ぼくの心はどこにあるのだろう。さがしたら、見つかるのかな)
ミカはたくさんの場所を探しました。自分の部屋を初めとして、いつもご飯を食べるダイニング、お母さんが大好きなお花がいっぱい咲いてあるお庭。もちろん、見て回るだけではなく、隅々まで探します。お父さんやお母さんの靴がいっぱい並んでいる靴箱も、ベッドの下、タンスの中も、一度服をすべて出して、しっかりと調べました。
だけど、ミカの心は見つかりません。 いつも掃除をしてくれる人たちが捨ててしまったのかも。ミカはそう思いました。なので、彼はその人たちに尋ねるのです。
「ぼくの心、すてちゃった?」
ミカの言葉を聞くと、皆が笑って言いました。
「いいえ、あなたの心はそこにありますよ」
ミカはそれを聞いて喜びました。ぼくが見つけられなかっただけで、ちゃんとあったのだと。心を胸にはめれば、この物足りない気持ちは消えるのだと、そう思いました。
けれど、それも一瞬でした。彼らがミカの心と呼んだものは、買ってもらった物と思い出たちでした。それらも一時期は心ではありましたが、今のミカにとって、心ではありません。もう永遠に、心にはなってくれないのです。
洗濯をしてくれる人たちに聞いても、ご飯を作ってくれる人たちに聞いても、お父さんと、お母さんに聞いても、答えは同じでした。皆、もうミカの心ではなくなったものを、心だと呼びました。でも、ミカの胸は虚しく空いたまま。皆が言うものが心だとは、どうしても思えません。心は、家の中では見つかりませんでした。
だとすると、家の外にあるのでしょうか。学校や公園、旅行したことがあるところを含めれば、もっと遠いところまで、家の外にはまだ探していない場所がたくさんあります。
でも、ミカは外に心があるとは思えませんでした。外で彼の胸が埋めることができたのは、彼がやってみたいことをした思い出だけです。彼には友達がいませんから、心になった思い出ばかりか、彼の心の在処を知っている人もいないでしょう。ミカは、心がどこにもないことがわかると、だんだんと、心を探すのを諦め、ついには心がないことすら、忘れてしまいました。
心が見つからないまま、少年は青年へと成長しました。ミカはより一層美しくなり、皆が彼の容姿や家柄を褒め称えました。
しかし、いつのまにか、彼の周りにはチクチクと鋭い針が、数え切れないほどありました。その美貌に惹かれ、ミカに声をかけてくる人もいましたが、近づいてしまったら、その針に刺されてしまいます。痛くて痛くて、彼の手を握ることすら、難しい。誰も彼の友達にはなれないのです。その様子こそ、まさに孤高とも呼ぶべきでありましょう。ミカは遠くから見て愛される、一輪の美しいバラのようでありました。けれど、ミカはどれだけ皆に愛されても、心は見つかりませんでした。
そんなある日、ミカの前に、一人の少女が現れました。彼女は、少し前に、ミカに声をかけてきた青年の姪で、彼が連れて来たのです。驚くミカに、青年は言いました。
「この子はユユ。この子ならきっと、君の心を見つけてくれるよ」
(そんなことを言われても……)
ミカは、ユユと呼ばれた少女を見つめました。彼女はかわいそうなくらいに震えています。怯えたような目に涙を浮かべ、ミカを見ているのです。ミカに良い印象を抱いているとは思えませんでした。
それに、忘れていたようなことを今更言われても、もうどうだっていいのです。もう見つからないと諦めたものを、また探す気にはなりません。ですが、何度そう言っても、青年はユユを連れ帰ることはなく、一人で帰っていきました。
ミカは、ユユと二人きりにされてしまいました。しかし、彼は確信していました。彼女はこんなにも怯えているのだから、直に離れていくと。けれどユユは、青年がその場を離れても、ミカの傍から離れませんでした。針が刺さらないくらいの距離はありましたが、決して彼女はそこから遠退くことはありません。ミカが別の場所へ歩いていっても、ユユは着いてきて、ミカが座ればユユも座ります。それでも、相変わらずユユは、ミカを怖がっているように見えました。
一日どころか、一週間、一ヶ月……季節が移り変わっても、ユユがミカの傍からいなくなることはありませんでした。どう見ても怯えているのに、決して去っていくことはない彼女に、ミカはとうとう尋ねました。
「どうして君は、ぼくの近くにいてくれるの?」
ユユは、驚いたようにミカを見ました。これまでに二人でお話をすることはなかったので、ミカが話しかけてきたことに驚いたのでしょう。ユユは声を出さずに固まってしまいました。ミカは、ユユの言葉を待ちました。
どれくらい経ったのでしょうか。きっと、それほど長い時間ではなかったでしょう。ですが、ミカにはとても長い時間のように感じられました。ユユの言葉が待ち遠しいのに、言わないでほしいとも思うのです。彼が、内心そわそわしながら待っていると、ついにその時は来ました。ユユは、ミカの目を見て、彼の問いに答えました。
「それはね、私にも心がないからだよ。昔、失くしちゃったんだ」
ミカは驚いて彼女の胸の辺りを見ました。すると、本当にそこには、ミカと同じように、ぽっかりと穴が空いています。けれど、どうしてでしょう。ミカの周りにある針が、彼女の周りにはありません。ただ、心が抜けた状態でした。そのことも、ミカは尋ねます。
「どうして、君には心がないのに、針がないの?」
「それはね、私は独りじゃなかったからだよ。私には叔父さんがいるし、友達もいる。でも、あなたは違うんだね」
ユユの言葉で、ミカは気が付きました。幼い頃は、友達はいなかったとはいえ、お父さんやお母さん、それに家の中にいた人たちのように、周りに話せる人がいました。しかし、どうでしょう。今は、彼の周りには、ユユ以外に誰もいません。彼は心を諦めてから、何でも一人でなろうと、だんだんと自分から人に関わらなくなっていました。そのように、独りに近づくにつれて、針が長く、鋭くなっていき、誰も近づけなくなってしまったのだと、ミカは気付けたのです。
ミカの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちました。孤独であると感じてしまったからでしょう。彼は、とても久しぶりに、心を見つけたいと思いました。満たされたいと思いました。けれど、どうしたらよいのでしょう。針はもう人が近づけないほど長くなってしまいました。気付くのが、遅すぎたのです。
(ぼくはもう、独りで生きていくしかないのかな)
ミカは不安に押し潰されそうな気持ちで、そう思いました。しかし、そんな彼の気持ちをも包み込むように、暖かく柔らかいものに、彼の手は包まれました。ミカがもう片方の手で涙を拭い、視界をはっきりとさせて見ると、それはユユの手でした。ミカの針で、無数の傷がついてしまった、その手。彼は思わず彼女に言いました。
「君の手が! ぼくから離れないと、もっと傷ついてしまうよ。はやく離れて、手当てもしないと」
ミカは傷つけてしまったことへの罪悪感と、ユユの手の痛みから、焦りました。それを見て、ユユは笑いました。そして、彼女はミカの手をより強く、握ります。
「あなたはとても優しい人なんだね。こんな大事なことも知らないで、あなたの針に怯えてた。だけど、もう怖くないよ。こんな針、ちっとも痛くない。ねえ、ミカ。私、あなたと一緒に心を見つけたい。二人で探せば、きっと心は見つかるよ。それに、二人でいれば寂しくないよ」
ユユの言葉を聞いて、少しだけ、ミカは自分の心が戻ってきたような気がしました。久しぶりに満たされたように思いました。その気持ちを大事に大事に、胸に置くと、彼は彼女に応えました。
「うん、ぼくも、ユユと一緒にいたい。二人の心を見つけたその後も、ずっと一緒に。ユユ、ありがとう。ぼくの傍を離れないでいてくれて、針の中のぼくの手を取ってくれて、ありがとう」
「私こそ、話しかけてくれて、一緒にいたいって言ってくれてありがとう……」
そうして、二人はゆっくりと、時間をかけて心を探していくことにしました。しかし、どうしたことでしょう。彼らが二人でいるようになって、一年も経たない間に、ミカの針はなくなり、二人の心も、ずっとそこにあったかのように、胸に収まっていました。彼らがずっと探していたものは、知らず知らずのうちに戻ってきたのですから、二人とも驚きました。いとも簡単に、彼らの目的は達成することができてしまいました。
ですが、それからも、ミカとユユはずっとお互いの一番近くに居続けました。もう二度と、二人の心が失くなってしまうことはありませんでした。二人はいつまでも、心から相手を想い、幸せに暮らしたのでした。