9.お客さんがやってきた(1)
「でも、どうしよう。ニンジンの葉は、スーパーで売ってないんだよね」
絵留は、俺の大好物がわかったものの、どうやって入手しようか考えているようだ。
「うーん、また黒井君に頼むしかないかなあ」
黒井というのは例の、実家が農家だという後輩だろう。
お願いします、絵留さん。その後輩に頼んでください。
俺は心の中で必死にお願いをした。
「うん、ビグウィグのためだもんね。頼んでみよう」
よっしゃあああ!
翌日の午後七時ごろ――。
部屋の電気がついて明るくなった。
絵留が帰ってきたようだ。
俺はその時すっかりリラックスしており、目を閉じて寝ていた。
誰もいなくて静かだったのに加え、ここでの生活にもすっかり慣れてしまったからだ。
ふああああ。
俺は体を起こし、前足を突っ張るように伸ばして、でかい口を開けた。
「うわ、おっきなあくび!」
当然、あくびぐらいはする。
ウサギが大きく口を開けることはあまりないので、初めて見る人は驚く。
「ね、もう一回やって」
絵留がスマホを構えて、こちらに向けた。
無茶言うな。
「ちぇっ、だめかあ」
諦めたようにスマホをしまった。
「そうだ、そんなことより、大変なことになったんだよ!」
絵留は困ったように言った。
「黒井君にニンジンの葉をもらえないかお願いしたら、心良く引き受けてくれたんだ。葉は売り物じゃないからいいですよって」
おお、やったじゃないか。
ありがとう、絵留。
ありがとう、黒井君。
「でも、黒井君がビグウィグを見てみたいって言うんだ。私もお願いを聞いてもらった後だから、断れなくて。しかも、それを聞きつけた他の後輩の女の子も見たいって言い出して」
俺は見世物じゃないんだがなあ。
「それで今度の土曜日、黒井君と、もう一人の西野さんて女の子が、ウチに来ることになっちゃったんだ」
うーん、知らない人と会うのは、あまり気が進まないんだがな。
俺は恥ずかしがり屋なのだ。
「そんなわけだから、ちょっとうるさくなるけど我慢してね。大丈夫、私がついてるから」
仕方ないな。
俺は覚悟を決めた。
そして土曜日の午後――。
「お邪魔します」
「うわあ、ここが新井先輩のマンションなんですね。素敵です」
絵留の後輩たちがやってきた。
男の方が黒井だろう。
ぼさぼさの髪に、野暮ったい黒縁メガネをかけている。
青白い顔で、いかにも気弱そうな感じだ。
女の方が西野か。
茶髪のショートボブで、背が低く、子供みたいに見える。
顔は十人並みだが、目がキラキラしていて、かわいらしい。
「わーっ、この子がビグウィグ君ですね。かわいー!」
西野が俺を見て、歓声をあげた。
「西野さん、少し声を抑えてもらえるかしら。うさぎは大きな音に驚いちゃうの」
「あ、ごめんなさい」
「いいのよ。これから気をつけてくれれば」
ん?
なんか、絵留の様子がいつもと違うな。
絵留はローテーブルをケージの前に出して、座布団を用意した。
「どうぞ楽にして。今、お茶を用意するわ」
絵留はいつもの変態っぷりが影を潜め、落ち着いた雰囲気を出している。
ああ、そうか。
こいつは人前では態度が変わる奴だったな。
絵留は部屋を出て行った。
「それにしても、あの新井さんがうさぎを飼ってるなんて、正直、この目で見るまで信じられなかったよ」
黒井が意外そうに言うと、西野も同意した。
「そうだよね。『氷の女王』の意外な一面かな」
氷の女王?
ひょっとして絵留のことか?
ぶひゃひゃひゃひゃ!
あの変態女、外ではどれだけ猫かぶってるんだよ。
「うん、案外、一人のときはうさぎに話しかけたりするのかも」
「まさか、あの先輩に限って、それはないよ」
あるんだな、これが。
「それにしても、かわいいね、この子」
男にかわいいと言われてもなあ。
まあ、褒め言葉として受け取っておこう。
「そうだね。それにおとなしいよ。やっぱり厳しくしつけられてるのかな」
しつけなんて、されたことないなあ。
「お待たせ」
絵留がお盆を持って入ってきた。
「あの、先輩、この子なでてみてもいいですか?」
「いいわよ、まず私がやってみるから、よく見ててね」
そう言って絵留は、ケージに手を入れ、いつものようになで始めた。
「こうやって、頭から背中にかけてゆっくりとなでるの」
ごろーん。
俺はうつ伏せになって、足を伸ばした。
「あれ、なんだか平べったくなりましたね」
「なでられるのが気持ちいいからなんだよ」
絵留の口調が変わった。しかも、頬がゆるんできている。
おい、表情を引き締めろ。
氷の女王の名が泣くぞ。
「でへへへへ、かわいいなー」
おい、変な声が出てるぞ!
「先輩?」
絵留はハッと我に返った顔になった。
コホンと一つ咳ばらいをすると、後輩に場所をゆずった。
「それじゃ西野さん、やってみて」
「はい」
西野が手を入れてきたので、俺は体を起こし、前足をそろえてうずくまった。
「あれ、起きちゃいました」
「知らない人だから緊張しているのよ」
そのとおりだ。俺は人見知りなのだ。
絵留なら慣れてるから安心なんだが。
「大丈夫だから、なでてみなさい」
西野はおそるおそるといった様子で、なで始めた。
絵留よりも優しいなで方だ。
もっと力をいれてもいいぞ。
「うわ、気持ちいい。ふわふわですね」
「でしょでしょ! ビグウィグはうさぎの中でも特に毛並みがいいんだ。それに見てよ、この顔。かわいいだけじゃなくて、知性を感じるでしょ。うさぎって、君たちが思ってる以上に賢いんだよ。名前を呼べば来るし、トイレはすぐに覚えるし、牧草がなくなりそうになったらケージをひっかいて教えてくれるし、私が仕事から帰ってきたら両手をついて迎えてくれるし、それに――」
おい、地が出てるぞ!
「せ、先輩?」
後輩二人があっけにとられているのに気付き、絵留は顔を引きつらせ、そして赤くなった。
やっちまったな、おい。
続きます。