18.イライラして足ダンした
パチン。
ダ――ン!
パチン。
ダ――ン!
「もう、ダンダンうるさいなあ。近所迷惑になるから、静かにしなさい」
おまえこそ、何でわざわざ俺のケージの前で爪を切るんだよ!
そのパチンパチンという音が不快なんだよ!
ウサギはスタンピング(通称:足ダン)と呼ばれる行動をする。
頭や体は動かさず、後ろ足をダン!と床に叩きつける動作だ。
俺が今やっているのがそれだ。
ウサギの足の力は強力なので、飼い主が驚くほど大きな音を立てることがある。
このケージの床は金網なので、ダーーン!と、辺りに響き渡るほどデカイ音が出るのだ。
なぜ足ダンをするのか?
それはウサギに聞いてみなければわからない。
一般的に言われているのは、危険を察知したときに仲間に教えるため、何か不愉快なことがあるため、飼い主にアピールしたいことがあるため、などの理由があるそうだ。
俺の場合は、絵留が爪を切るパチンパチンという音が耳障りなのだ。
だからイライラして、その音が聞こえるたびに足ダンしている。
だが、絵留は俺の足ダンの意図を察することができず、トンチンカンな解釈をしてしまう。
「うさぎは何かを警戒している時に足ダンをするんだっけ。でも、特におかしなものは無いし、物音も聞こえないし……」
そう言って辺りをキョロキョロと見回す。
「ひょっとして、この部屋に幽霊がいるの?」
…………え?
なんでそんな発想が出てくる?
「そっか、うさぎは人間には見えないものが見えるんだよね。それで私に危険を教えてくれてるんだね」
俺は、自分のコミュニケーション下手がやるせなかった。
ああ、言葉を話せたらなあ。
そしたら、足ダンなんかせずに、「ここで爪を切るのをやめろ!」と言えば済むんだが。
それにしても、こいつは時々バカになるな。いくらなんでも幽霊はないだろ。
そんなものがいるわけがない。
俺は自然科学の法則に反することは、一切信じないのだ。
…………。
……。
いやいや、それじゃあ俺の存在はどうなる。
中身が人間のウサギなんて、幽霊以上にあり得ないだろ。
そもそも、俺はいったい何者だ?
俺はペットショップで絵留に初めて会った瞬間、前世で人間だったことを思い出した。
だが、なぜ絵留に会ってからそれを思い出したんだろうか。
それまでは、普通にウサギとして生きていたはずだ。
絵留に会う前、ウサギとして生きていた頃のことも、ぼんやりとだが覚えているんだから。
俺は人間として思考しているにもかかわらず、やってることは完全にウサギである。
牧草は食うし、盲腸糞も食うし、時々毛づくろいせずにはいられないし、目を開けて寝るし……、
いや、最近は目を閉じて寝てるな。もう、この環境にもすっかり慣れたから。
「でも大丈夫だよ、ビグウィグ」
絵留は俺を安心させるように言う。
「この部屋に出る幽霊といえば、お父さんとお母さんしか考えられないから。だから、それは全然怖くない幽霊なの」
たしか絵留の両親は、一年ほど前に交通事故で亡くなったんだったな。
こいつは俺に対して弱気な姿は見せないが、その心の中には大きな悲しみを抱えているはずだ。
こいつも大変だったよな。
両親が死んで妹と二人っきりになってしまい、その妹はまだ高校生だったから、自分がしっかりしなければならなかったんだ。
事故の後始末があったし、喪主として葬儀を取り仕切らねばならなかった。
その後、心を閉ざし気味だった妹の心のケアには特に気を遣っていたな。
とはいえ自分も仕事があったからあまり構ってやれないし、受験生である妹が勉強に集中できるように、静かな環境を用意してやる必要もあったし……。
こいつだってつらかったはずなのに、その胸の奥の悲しみを必死で隠している様子が、見ていて痛々しかったな。
………………。
…………。
……。
ちょっと待て!!
見ていて痛々しかったってなんだ!? 俺が見たことがあるはずはないだろ!?
ここに来た時に両親が事故で死んだってことは聞かされたが、そこまで詳しい話を聞いてはいない。
だが、今の俺の頭の中には、その頃の絵留の姿がまざまざと浮かんでいる。
まるで、その目で見たことがあるかのように……。
どこで見た……?
以前に絵留に会ったことがあるのか…………?
…………………………………………。
――ああ、そうか。
ついに俺は、全てを思い出した。
俺は、前世が人間で、ウサギに生まれ変わったんだと思っていたが、そうじゃない。
人間だった俺は、死んだ後に成仏できず、魂は現世に取り残されていた。
この世に未練を残していたからだ。
娘たちのことが心配だったんだ。
だから、ずっと娘たちを見守っていたんだ。
魂だけの存在となっていた俺は、ウサギの体に飛び込み、その肉体を得た。
その時、そのウサギの魂と融合してしまった。
結果、俺はウサギとしての性質を継承し、自分についての記憶は失ってしまっていたのだ。
そこまでしても、俺は絵留に会いたかったんだ。
――だって俺は、絵留の父親だから。




