17.毛が抜けてきた
ズボッ、ズボッ。
「すごいすごい、どんどん抜ける!」
絵留が楽しそうに、手で俺の毛をむしっている。
背中、おしり、そして頭。どこの毛をつまんでもゴッソリ抜けるのだ。
そろそろ冬が近づいてきた今、俺は換毛期、つまり毛の生え変わりの真っ最中である。
ウサギは、暖かくなり始める春と、寒くなり始める秋に大きな換毛期がやってくる。
今は秋も深まり、夏毛から冬毛に生え変わる時期だ。
この部屋は夏の間も、二十四時間エアコンが稼働していて涼しかったため、季節感はあまりないのだが、体はちゃんと冬に備えて対応しているようだ。
「次から次へと抜けるよ! ティッシュペーパーみたい!」
おい、興奮しすぎだ。
そんなにズボズボ抜いて、ハゲたらどうするんだ。
「手でむしってもダメだよね。ブラシを買ってこないと」
普段のブラッシングでは柔らかい豚毛ブラシを使っているが、それでは毛はほとんど取れない。
換毛期のウサギに対しては、ラバーブラシ、金属製のピンがたくさんついているスリッカーブラシ、コーム(櫛)などが必要になる。
「あ、逃げた」
俺は絵留の手を逃れた。
毛を抜かれるという行為には、本能的な嫌悪感を感じる。
俺は人間だったころ、抜け毛に悩んでいたんだろうか。
いつものように部屋を走り回ると、ふわふわと毛が舞った。
「すごいね、こんなに抜けるものなんだ。掃除が大変だなあ」
俺がケージに戻った後、絵留は掃除機をかけていた。
少し申し訳ない気もするが、こればかりはどうしようもない。
翌日、絵留はラバーブラシとスリッカーブラシを買ってきた。
夜の九時になると、「よし、やるぞ」と気合を入れてからエプロンをつけ、俺をケージから出し、いつものように抱っこを始めた。
そして、俺にとって屈辱の仰向け抱っこを終えたところで、ブラッシングが始まった。
正座をした絵留の膝の上に乗せられる。鼻をこいつの腹にくっつけるような体勢だ。
絵留はまずラバーブラシを手に取った。
まずは毛の向きにそって背中からおしりへ、それから逆向きにおしりから背中へ、ゆっくりとブラシを動かし、抜け毛を取っていく。
「うわ、すごい。いくらでも抜けるよ」
こいつは「すごい」ばかり言ってるな。語彙が貧弱なんだろうな。
「うーん、切りがないなあ。じゃあ、次はスリッカー使ってみようか」
ラバーブラシに続けて、スリッカーブラシでふわふわと浮いた毛を取っていった……のだが、俺は慌てて膝の上から跳び降りた。
「あ! 逃げちゃだめだよ」
おまえがピンの先端部分を皮膚にあてるからゾクッとしたんだよ!
この、ぶきっちょめ!
俺はそのまま部屋を走り出した。
ブラシの好き嫌いは、どんなウサギにもあるのだ。
「うーん、まあいいか。続きは明日ということで」
結局、この日のブラッシングは中途半端に終了した。
だが翌朝、絵留は俺の糞を見て衝撃を受けることになる。
「げえっ、ウンチがつながってる!」
丸い糞が、毛で数珠のようにつながって出てきたのである。
毛づくろいのときに毛を飲み込んだからだ。
ウサギは猫のように毛を吐き出すことができないので、糞と一緒に排泄することになる。
「大丈夫かな。毛がお腹の中で詰まっちゃったりしないかな」
絵留は不安そうだ。
このように糞と一緒に毛が排泄されていれば問題ないのだが、何らかの原因で消化管が正常に働いていないと、毛玉が胃腸の中に溜まってしまうことがあるのだ。
ひどい場合は、開腹手術で毛玉を取り除く必要が出てくる。
以前は毛玉が胃腸に溜まったことが原因で消化管の機能が低下すると思われていたが、これは順序が逆で、消化管の機能が低下したから毛玉が溜まるということらしい。
パイナップルやパパイヤを食べると、毛を消化させる効果があるという説もあるが、どの程度の効果かはよくわからない。今後の研究に期待するとしよう。
ウサギがペットとして飼われるようになった歴史はそんなに古くないので、研究が進むことにより情報は日々更新されていく。
だから飼育書を買うなら新しい版のものを買った方がいいし、ネットでも情報収集をしたほうがいいだろう。
昔は、ウサギに水を飲ませると死ぬなどと、無茶苦茶なことを言う奴がいたそうである。
「一応、先生に相談してみよう」
絵留はそう言って、数珠つなぎの糞をスマホで撮影した。
先生というのは、この間健康診断をしてもらった、獣医の五木先生の事だ。
あの後、二人は仲良くなったようで、なんとメールアドレスの交換までしている。
まあ、あの先生に見せるのなら構わないが、俺の糞の写真をSNSに上げるのだけは絶対にやめろよ。
こんな恥ずかしい事はないんだからな。
五木先生には、「食欲があって糞がちゃんと出ているのなら心配はないけど、もし食欲がなくなったなら連れてきて」と言われたようだ。
「これからはブラッシングを徹底的にやるからね」
絵留はそう言って、気合を入れた。
数珠つなぎの糞はよほど衝撃だったようだな。
はあ、仕方ないか。
俺だって毛を飲み込みたくはないからな。
おう、とっとと済ませろよ。
俺は抵抗せずに、ブラッシングを受け入れることにした。
だが――、
「ダメだ、切りがないよー」
絨毯の上には、抜いた毛の山がこんもりと積み上げてある。
それでも、まだまだ抜けるのである。
「今日はもういいや、遊んでおいで」
どうやら、諦めたようだ。
うん、徹底的にやりすぎるのは良くない。
何事もほどほどが一番だな。




