13.アナウサギの本能に目覚めた
「でへへへへー、かーわいいなー」
絵留はケージの前で頬杖をついて、俺をニヤニヤしながら眺めている。
こいつの気持ち悪さにも、すっかり慣れてしまったな。
最初の頃とは比べ物にならないくらい、リラックスできている。
「うさぎの箱座りって、かわいいなー」
俺は今、前足を内側に折り畳んで座っている。
これを箱座り(香箱座り)という。その姿が箱のように見えるから、その名が付いたらしい。
猫の箱座りは有名だが、ウサギもやるのだ。
猫と比べると、ウサギは前足が完全に見えなくなってしまうので、よりきれいな箱型になる。
前足が短いからだろうな。
この座り方は、すぐには逃げられない体勢なので、安心できる状況でしかやらない。
「おっ、九時になったね。じゃあ、始めよっか」
絵留はエプロンを身に着けると、「よっ」と言って、俺をすくい上げるようにしてケージから出し、正座をしている自分の膝の上に乗せた。
最近では、夜の九時になると、なぜか抱っこの練習をするのが習慣になっていた。
「うさぎの飼い主たるもの、抱っこぐらいできないとね。一緒に慣れていこう」
別に俺は抱っこは嫌いではないぞ。香水の臭いさえしなければ。
あと、おまえが下手な持ち方をしなければ。
絵留のリネン素材のエプロンを見ると、かなり傷ついている。
なぜかと言えば、俺が破壊したからだ。
こいつがどんなつもりで、抱っこの時にエプロンを身に着けるのかはわからないが、俺は「掘ってもいい」という意味だと解釈した。
実は俺は、掘るのが大好きなのである。なぜか。
ウサギには大きく分けて、「アナウサギ」と「ノウサギ」が存在する。
俺たちペット用のウサギは、ほとんどがアナウサギだ。
どちらも日本語では「ウサギ」とひとまとめにして呼ばれることが多いが、英語ではrabbit(アナウサギ)とhare(ノウサギ)で区別して呼ぶ。
アナウサギとノウサギは交配しても子供が生まれないほど、遺伝的には遠い関係にあるのだ。
アナウサギの特徴は、土を掘って、地中に巣穴を作って生活することだ。
危なくなったら、巣穴に逃げ込むのである。
アナウサギである俺が掘って掘って掘りまくるのは、本能なのだ。
リネン素材のエプロンは、そんな本能を刺激してくる。
ホリホリホリホリ。
「ちょっとビグウィグ、これ以上エプロンを傷をつけないでよ」
だって、掘りたくなるんだもん。
俺だって、普通の服を傷つけたりはしないよ。
「もう、しょうがないなあ。あまり手荒なことはしたくなかったんだけど」
絵留は不穏なセリフを吐くと、俺を抱え上げ、俺の腹を自分の胸に密着させるようにして抱きしめた。
俺の尻を左手で、背中を右手で支えている。向かい合って抱き合うような格好だ。
完全に密着させられてしまって、身動きが取れない。
だが、嫌な気はしない。抱っこは嫌いではないからな。
問題は、この後だ。
こいつは、俺をゆっくりと後ろに倒していった。
そして、膝のうえで俺を仰向けにした。
この「仰向けだっこ」をされると、体を拘束されているわけでもないのに、なぜか抵抗できなくなるのである。
「ふふ、大人しくなったね」
悔しいっ! こんな変態女にいいようにされるとは!
「その無表情がたまらないなあ」
俺は屈辱の表情を浮かべているつもりなのだが、全く伝わらない。
「じゃあ、今日はこのへんにしとこうか。遊んできていいよ」
絵留はそう言うと、俺を元の姿勢に戻し、床に下ろしてくれた。
いつも抱っこが終わると、部屋を散歩させてくれるのだ。
ふー、やっと終わったか。
さて、今日はどうするかな。
いつもと同じ部屋であっても、毎日微妙な変化はある。
物の配置が変わっていたり、知らない物が置いてあったりする。
テレビがついていることもあるし、カーテンが開いていて外が見えることもある。
今日は絨毯の上に新聞が広げて置いてあった。読んでいる途中のようだ。
どんな記事が載ってるのかな、と気になったわけではないが、俺は新聞の上にぴょんと跳び乗った。
その時、俺のアナウサギの本能が目覚めた。
足の裏から伝わってくる、ざらついた紙の感触。
足を動かすと、摩擦で紙が滑る。
その不安定さが俺を落ち着かない気分にさせた。
ガシャガシャガシャガシャッ!
思いっきり、掘った。紙はグシャグシャになった。
「ちょっ、ビグウィグ。まだ読んでないのに」
こんなところに置いておくのが悪い。
ガシャガシャガシャッ!
気持ちいいー!
掘るというよりも、紙をグシャグシャにするのが気持ちいい。
ビリビリビリッ!
紙を口にくわえ、派手に破った。
うひょー! いい音!
「ああ、破っちゃだめだよ!」
俺だって悪いことだとは理解しているのだ。
でも、やめられない。本能だから。
ガシャガシャガシャッ!
ビリビリビリッ!
「コラッ、いい加減にしなさい」
絵留が俺を捕まえようと近づく。
俺はダッシュで逃げた。
追われると逃げるのも本能である。
「待てー!」
絵留も本気で怒っているのではない。
その証拠に、楽しそうに笑っている。
俺と絵留は、しばらく鬼ごっこを楽しんだ。
なんだこれ、楽しいぞ。
「はい、捕まえた」
三分ほど追っかけっこをしたあげく、俺は捕まった。
もちろん、わざとである。
最後は飼い主に捕まえられてやるのが、ペットとしてのマナーなのだ。