10.お客さんがやってきた(2)
「あ、いや、今のは、その……」
思わず後輩たちの前で本性を晒してしまった絵留は、なんとか弁解しようとするが、言葉が出てこないようだ。
後輩二人は、「氷の女王」の意外な素顔に面食らっている。
「先輩、か、か――」
か?
「かわいー!!」
西野が高い声で叫んだ。うるせえ。
「か、かわいい!?」
「だって、いつもクールな新井先輩が、うさぎのこととなるとあんなにはしゃぐなんて、かわいいですよ。ギャップ萌えってやつですね。黒井君もそう思うでしょ?」
「え? う、うん、かわいい……と思います」
いきなり話を振られた黒井君は、そう答えた。
まあ、そう言うしかないよな。
「そ、そうなんだよ。私、ビグウィグの前だと興奮しておかしくなっちゃうんだよね。まったく、罪なうさぎだよ」
絵留は仮面をかぶるのをやめたようだ。
おまえがおかしいのは元々だろうが。俺のせいにするな。
「まあ、それはそうと、黒井君もビグウィグをなでてあげてよ」
「は、はい」
黒井が緊張しながらケージの中に手を入れてきた。
そんなに警戒しなくても、かみついたりしないぞ。
「あ、確かにふわふわで、いい毛並みですね」
黒井のなで方は絵留よりも力強い。
悔しいが、絵留になでられるのが一番気持ちがいいな。
「そうでしょうそうでしょう」
絵留は自分がほめられたように喜んでいる。
う、いかん。おしっこをしたくなってきたぞ。
しかし、知らない人の前でするのは恥ずかしいな。
とも言ってられん。もらすほうが恥ずかしい。
ダンッ!
「うわっ」
俺はトイレに跳び乗った。
急に動いたので、黒井は驚いたようだ。
シャーッ。
ふー、すっきりした。
「すごい! トイレでおしっこしてる! 賢いんですね!」
西野があたりまえのことで驚いている。
もちろんウサギの知能は高いのだが、トイレを覚えるのはそれだけが理由ではない。
ウサギは同じ場所で排泄を行う習性があるから、トイレを覚えるのだ。
逆に猿の仲間は知能は高いんだが、トイレはなかなか覚えない。
樹上生活を行うので、排泄する場所を一か所に決める習性がないからだ。
「すごいでしょー。さっきも言ったけど、ビグウィグは教えてもいないのに、すぐにトイレを覚えたんだよ。部屋で遊んでる時でも、わざわざケージに戻っておしっこやウンチをするんだ。スプレーもしたことがないし」
「スプレー?」
「ああ、スプレーっていうのは、なわばりを主張するために違う場所でおしっこをして、匂いをまき散らすことなんだ。思春期のオスがよくやるそうだよ」
俺はまだスプレーをしたことはないが、今後どうなるかはわからんぞ。
あれは本能に基づく行動だから、どうしようもないんだよ。
「うさぎを部屋で遊ばせるんですか? 壁をひっかいて傷つけたりしませんか?」
それは猫だろう。うさぎも絶対にやらんとは言わんが。
「ビグウィグは賢いからそんなことはしないよ。そうだ、今から遊ばせてあげよう。黒井君、ケージの前からどいてあげて」
「あ、はい」
どうやら外に出してくれるようだ。
俺はケージから飛び出した。
いつものように走り回ってもいいんだが、まずはお客さんに挨拶するか。
つんつん。
あぐらをかいて座っている黒井の太ももを、鼻でつついた。
「わわっ、つつかれた」
「たぶん、邪魔だからどいてって言ってるんだと思う」
「あ、そうなんですか。ごめんね、ビグウィグ」
黒井は位置をずらしてくれた。
うーん、俺は挨拶をしたつもりだったんだが。
ウサギは鳴き声でコミュニケーションをとらないし、表情も変わらない。
自分の気持ちを伝える手段がとぼしいのだ。
今度はぺたんと座っている西野に近づき、左右の前足をその太ももに、ちょこんとのせた。
こんな何でもない仕草でも、人間は喜ぶことを知っている。
「きゃーっ、かわいいっ!」
「おおっ、これはすごいよ。警戒心が強いうさぎが、初めて会う人にこんなに慣れるなんて」
ちょろすぎる。
「ビグウィグ君、はじめまして。西野たんぽぽです。よろしくね」
変わった名前だな。
でも、挨拶をされたら返さないとな。
俺は西野の手をぺろっとなめてやった。
「やだ、かわいい!」
おまえ「かわいい」しか言えんのか。
「ほら、黒井君も挨拶しなよ」
「はい」
黒井は俺に近づき、手のひらを差し出した。
「ええっと。黒井一悟です、よろしく」
しょうがねえなあ。
俺は黒井の手もなめてやった。
「うわっ、くすぐったい」
そう言いながら、満更でもなさそうだ。
さて、挨拶も済んだし、走るか。
ダダダダッ。
びよーん。
俺はいつものように、走ったりジャンプをしたりして楽しんだ。
「うわっ、速い!」
「一メートルは跳びましたよ!」
二人の驚きの声が心地よい。
おそらく、絵留の奴は得意気にふんぞり返っているだろう。
びよいーん。
「ああっ、体をひねりながらジャンプしましたよ!」
まあ、こんなもんかな。
俺は三人のところに戻った。
黒井と西野は、不思議な生き物を見るような目で俺を見ている。
ウサギが走ったり跳んだりするのを、初めて見たのかもしれない。
じゃあ、これも見せてやるか。驚くぞ。
………………。
…………。
……。
バターン!
俺は座った姿勢から、突然横にバタンと倒れた。
「死んだ!?」
続きます。