表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼は死して尚、修羅を生く  作者: 夢現
第一章 明日の事を言えば鬼が笑う
5/16

第一章05 『足音』

 女神が見下ろす地上では、酒を煽り気を大きくした人間達が高笑いをしている。


 夜の喧騒を見下ろすビル群の上を、二つの影が一足跳びに跳び移っていく。重力を無視した跳躍はそれらの喧騒を置き去りにして、静寂だけを伴って闇の奥へと突き進む。


 緩やかな跳躍を最後に、屋上の縁へと音も立てず静かに着地する一つの影。それに続くように、もう一つの影がその隣へと降り立つ。


 雲が流れ半月が顔を覗かせると月光が二つの影を照らし、全身を隠していた黒いベールが引き剥がされ、二人の人間の姿が露わになった。


 一人は長髪を中心で分け、パーマをかけた二十代前半と思われる青年。


 長い身体がぬらりと闇に伸びている。


 彫りの深い顔つきをしていて、落ち窪んだ眼には濃い影がかかり、奥の方で鋭く光っている。

 顎に髭を生やした見た目は年齢以上の大人びた雰囲気を演出していて、はっきりとした顔立ちの中で、冷酷さを感じさせる薄い唇だけが借り物のように貼り付いている。


 ロング丈の黒いモッズコートを、几帳面に上までチャックを閉めて羽織っており、フードを飾りたてる茶色いファーが夜風に当たりゆっくりとそよぐ。

 黒いジーンズに黒い革のブーツという全身を黒で統一した装いは、青年を見事に闇に同化させている。


 もう一人は白い袈裟のような頭巾で顔を覆ったかなり大柄な男。


 その身長は大台の二メートルを優に超えている。


 七分袖の黒い外套を羽織り、腰のあたりを飾り帯で締めていて、その下に白い袴を着込んでいる。袴を膝下で括り足下には歯の高い下駄を履いており、地上全てを見下ろすように佇んでいる。


 その表情は全ての感情を捨て去ったように、完全な無だけを刻んでいた。


「あそこまで追い詰めておいてまさか見失うなんてな。あの落ちこぼれに一杯食わされたと思うと死にたくなるわ。なるわぁ」


 長髪の男が抑揚のない声でボソボソと喋りながら頭を掻く。


 大男の方は聴こえていないのか、聴く気もないのか、無表情で街を見下ろしたまま、何の反応も示さない。


「まだそう遠くへは行ってないだろ。根気よく氣の残滓を追ってくしかないわな。ないわなぁ」


 面倒くさそうに呟くと長髪の男は再び上空へと跳び上がる。その後を大男が続く。


 二人の姿は闇に溶け、二つの影となって夜空を駆ける。


 獲物を追いかけ月下を疾る彼等は狩人だった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 閑静な住宅街を二人の男女は歩いていた。


 戸建ての家々が建ち並ぶ住宅街は、音の一切を失ったように静まり返っており、明かりも疎らにしか見えない。


 舗装された歩道は、白色と橙色をした長方形の石が綺麗に敷き詰められ、幾何学的な模様が延々と続いていく。


 道路と歩道を隔てる柵の内側、歩道の上をゆったりと歩く宗馬。その少し後ろを小さい歩幅でチョコチョコと少女が付いてきている。


「何でずっと後ろを歩いてんだよ。一緒に歩いてんのに変だろ。つうか話辛いんだっつうの」


 いい加減我慢が出来ず、宗馬は肩越しに少女に向かって話しかける。


 少女は急に話しかけられて驚いたのか、大きな瞳を一層大きく見開いたが、すぐに元の表情に戻ると目を横に逸らす。


「知らない男の人の家に向かってるんですからそれなりに警戒も緊張もしますし、そのへんの乙女の心の機微というものをもう少し理解してくれてもいいんじゃないですかねまったく」


 頬っぺたをぷっくらと膨らまし、抗議の表情を浮かべる自称乙女。


「あーはいはい。乙女は大変ですねぇ」


「あー馬鹿にしましたね! 私ってばこう見えてまあまあ強いんですからね! 怒らせると恐いんですから!」


「あーはいはい。恐い恐い」


「くぅー、信じてないですね! もういいです!」


 ぷんすか腹を立てながらも、宗馬の横を並んで歩き始める少女。その態度がなんだか可笑しくて、宗馬の口角がフッと少しだけ上がる。


 宗馬が勝手に小柄だと思い込んでいた少女だが、こうして並んでみるとそこまでではなかったらしい。


 宗馬より少し低い程度か、宗馬の目線の高さに少女の頭があった。


 まだまともに相手の顔も見ていないと思い当たった宗馬は、横目に少女の横顔を眺めてみる。


 白い肌は闇夜に映え、控えめな鼻は形良くスッと伸び、その下で艶を持った薄紅の唇がキュッと結ばれている。

 少し俯いた眼からは長い睫毛が上に向かって力強く伸び、透き通った瞳へと視線を誘導する装置として過分に働いている。


 一歩進む度に、肩まで伸びた髪の毛がサラサラと揺れた。


 不思議な色をした髪だと思った。


 基本は黒色なのだが、光を吸い込むと魔法のように真紅に染まるのだ。それは苺のような紅ではなく、黒に寄り添う紅なのだ。


 だが何より宗馬が気になるのは、少女が持つリュックだ。


 何故かと言えば少女がそのリュックを背中ではなく前にかけていることもそうだが、少女が常にその状態であることだ。

 余程大事な物を仕舞っているのだろうか、まさに肌身離さずといった感じだ。


 宗馬が少女を観察していると、不意に少女が宗馬のほうを見た。

 別に悪いことをしていたというわけではないのだが、ジロジロと見てしまっていた手前、悪事を見つかった咎人のような心地がして宗馬は少し顎を引いた。


「そういえばまだ、お互いに名前も知らないですよね。私は二王頭栞(におうずしおり)十五歳です。二人の王の頭で二王頭です。王が二人ですよ!? どうですか、なんかすごそうでしょう」


 腰に手を当て胸を張り自慢気に話す栞。その勝ち誇った顔がなんともまあ腹立たしい。


「最初は仲良く治めてるんだけど、ちょっとした確執から主導権を争う内戦が勃発してどっちかが勝つんだけど、疲弊した隙に隣の国に滅ぼされそうな名字だよな」


「人の名字に勝手に変な黒歴史創らないでください! ていうかたった三つの漢字からよくそこまでの妄想ができましたね!?」


「俺は天竜宗馬、十七歳だ。天下の天にドラゴンの竜で天竜だ。どうだ超強そうだろ」


「むー。悔しいですけどちょっとカッコいい名字です」


 不服そうに顔を逸らすと、下唇に親指と人差し指を当てる仕草で考え込む。どうにかして宗馬にお返ししたいらしい。


「先輩の名字は、その。えっと、竜が……——」


 沈黙の後なんとか絞り出すには。


「竜が……天に召された」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「着いたぞ」


 宗馬が急に立ち止まると、栞は宗馬を一瞥した後、彼の視線の先の建物を見上げた。

 

「ここが先輩のお家ですか」


 伝統的な日本家屋のお屋敷は、歴史を感じさせる風格のある立派な佇まいをしていた。

 大きな屋根は瓦を隙間なく敷き詰めているにもかかわらず、その重さをなんとでも無いように支え続ける。

 正面には重厚な門を構え、木材を縦横に組んだ門扉は、通ろうとする者を試すように入口を固く閉ざしている。


『天竜道場』


 門柱には木でできた縦長の看板が掛けてあり、そこには達筆な字で天竜道場の文字。細かな傷や所々掠れた文字が、この道場の歩んできた歴史を教えている。


「先輩のお家って道場なんですね。なんか意外です。先輩ってもしかして実は強……いなんてことはないですよね。すいません忘れてください」


「おいお前。俺を立ててるようで実は見下してるよな」


「いえいえ。そんなことはない、はず、ですよ。多分、きっと、おそらくは」


「気まずそうに目を逸らすんじゃない。ほらさっさと入るぞ」


 宗馬が閉じた門を軽々と開け、さっさと中へと入っていく。


「まっ待ってください先輩!」


 置いてかれそうになり、慌てて宗馬を追いかける栞も門をくぐり中へと駆け込んでいく。


 中へ入ると正面に佇む二階建ての本館へと案内する道標のように、楕円形の石が地面にいくつも埋められている。道筋は蛇行しながら玄関へと向かってのびていた。

 立派な建物は家というよりは、お屋敷という呼び方が相応しいだろうか。


 向かって左側にある平屋の建物が道場になっているようだ。

 煮えたぎる闘志を胸に秘めた、武士や武道家を連想させる濃い茶色の外観は、道場には最適に思えた。


 どちらの建物にも明かりは灯っておらず、音が完全に消えている今、耳を澄ませば住人の寝息まで聞こえてきそうな気さえする。


 日付が変わってから大分経つ真夜中なのだから、当然と言えば当然だ。


「年に何回か道場で子供達が合宿をするから、道場に浴場やら洗濯機やら一通りあるんだ。そこだったら誰も気づかないだろうから、二王頭も気を遣わなくていいだろう」


「ありがとうございます、先輩」


 急に畏まって礼を言う栞は、真っ直ぐに宗馬の瞳を見ると恭しく頭を下げた。


 靴を脱ぎ、靴箱へ仕舞っていざ、道場へ入る。

 宗馬が入口すぐのスイッチを押すと証明が灯り、光が闇を追い出した。


 歴史を感じさせる外観とは裏腹に、中は新しく綺麗だった。


 床には畳が敷き詰められ、独特の青い匂いが香る。

 十人程が一度に鍛錬できるくらいの広さはあるだろうか。

 道場の端、壁際にはベンチプレスや鉄アレイなどの筋トレ道具が置いてあり、角っこの天井からはサンドバッグも吊るされている。


 畳の床を越えた先に扉があり、その奥に宗馬の言っていた浴場やらがあるのだろう。


「ちょっと待ってな。湯を沸かして、着替え持ってくるからよ」


 キョロキョロと道場を物珍しげに見渡す栞を残して、宗馬は道場の奥へと向かった。


 浴槽を洗い湯沸かし器を作動させ、自分の部屋から着替えを持って宗馬が道場へ戻ると、栞は宗馬が道場を出て行く前と同じ場所に立ったまま、右手で髪の毛先を弄りながら所在無さげにしていた。


「何してんの? お前」


「みっ見ての通り、『何もしてない』をしてるんですよ!」


 一見胸を張って堂々と宣言しているようだが、よく見るとその頬を赤らめている、どころか耳まで真っ赤だ。

 言ってる事は全くわからないが、赤く染まった表情が全てを物語っているので宗馬も追及はせず流してやることにする。


「ほら着替え。あと五分もすれば湯も沸くだろうよ。もし洗濯機使うなら勝手に使ってくれていいぜ。洗濯機の使い方くらいはわかるだろ」


 宗馬は用意した着替えを栞へと手渡す。


 着古したヨレヨレのトレーナーと機能性重視の地味なジャンバー、極め付けは裾の破けたジャージという、年頃の女子が着るにはかなり勇気のいるコーディネートだが、この際我慢してもらおう。

 武道一筋で生きてきた宗馬に、ファッションセンスを求めること自体が酷というものだ。


「あのっ! 今日は本当にありがとうございました! とってもとっても助かりました! 最初顔を見た時は目つきが恐くて、やばい人に会っちゃったなぁって思ったんですけど」


「おい!」


「ふふ。冗談ですよ先輩」


 栞は宗馬から受け取った着替えを大事そうに抱え込むと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ではお言葉に甘えてお風呂お借りします。私のことは気にせず休んでくださいね」


 栞はそう言い残すと道場の奥の扉を開け、浴場へと向かう。ゆっくりと扉が閉まった。が、すぐに少しだけ扉が開くと、栞がひょこっと顔を覗かせた。

 やはり悪戯っぽい笑みのまま、栞の薄紅色の唇がゆっくりと動く。


「覗いちゃダメですよ、先輩」


 流した視線の余韻を残しながら扉が閉まった。


 ――いや、マジで何言ってんのアイツ。


 フッと息を吐き出すと、宗馬はサンドバッグへと向かった。夜通しサンドバッグを打つのが、最近の宗馬の日課となっている。


 眠気はある。だが宗馬にとっては、寝てしまうことの恐怖のほうが遥かに強かった。


 もし眠ってしまえばその間、宗馬の体は宗馬の意思では動かすことも出来ず、意識も失われる。


 一分一秒を惜しんで生きる宗馬にとって、自分が自分を意識できないまま、勝手に失われていく時間は恐怖でしかない。


 ――もしその間に期限が来てしまったら。何も成さないまま、その無念を悔やむための意志も持たないまま終わりが来てしまったら。


 宗馬は絶望を抱えていた。それは一人の少年が抱えるにはあまりに残酷な。


 命を蝋燭に例えるのなら、彼のそれは誰よりも速く溶けていく。すっかり短くなってしまった蝋燭が溶けきって、火を消してしまうのは明日か今日か。はたまた一秒後か。


 いずれにしろ蝋燭が灯す命の火は余りに弱々しく、疲れ切った神様が溜め息でもつこうものなら、それだけで消えてしまうだろう。


 宗馬の命は風前の灯だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ