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鬼は死して尚、修羅を生く  作者: 夢現
第一章 明日の事を言えば鬼が笑う
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第一章03 『路地裏の妖怪』

 呼吸をする度にカビ臭い香りが鼻の奥を針でねちっこく突いてくるような刺激を与えてくる。


 ロッカーと机と椅子が一つずつ置かれた些か簡素すぎる部屋の空気はどんよりと沈んでいて、どこか湿っぽい。

 そのうえ部屋の隅隅まで見えない綿をギュウギュウに詰め込んだように窮屈で、どうにも居心地が悪い。


 どこに身を置いても息苦しさを感じる部屋は、ただそこにいるだけで気を滅入らせるような、はた迷惑な呪いがかかっているようだ。


 この部屋で試合を待つ者達の負のエネルギーが少しずつ堆積してできたものだろうか。


 その呪われた部屋の中で天竜宗馬(てんりゅうそうま)は粛粛と帰り支度を進めていた。


 ――と言ってもそんなに手間はかからないだろう。


 替えのティーシャツと汗を拭くタオルを用意していたのだが、どうやらどちらも必要はなさそうだ。念のため宗馬は自分の匂いを嗅いで確かめてみる。


 ――臭くない。……うん、臭くない。臭くない……よな?


 少なくとも、部活終わりの男子学生のような酸味の効いたパルファンを漂わせてはいない。


 これでもし、道行く女性たちに「キャッ、この(おのこ)、真夏に熟成させた生ゴミのような胸糞悪いパルファンを発していますわよ!」と罵られてしまうのならば、その時は現実を受け入れ――たくはないが、諦めて残りの人生を強く生きていく他ない。


 潔く覚悟を決めた宗馬は荷造りを終えたリュックを机に置くと、先刻終えたばかりの試合に思いを巡らせる。



 悍ましく醜悪な何かが渦巻く空間は、宗馬がよく知った世界とは別の異空間だった。


 一級品ばかりを寄せ集めた大仰な空間と、あまりに異質な闘技場と銘打った檻、そこに群がる常軌を逸した狂気。


 ――気持ち悪い。


 異空間に足を踏み入れた宗馬の心に、ドス黒く粘っこい蛇に似たものがまとわりついた気がした。


 とにかくさっさと終わらせて一刻も早く帰りたい。


 対戦相手はボブというらしい。

 筋骨隆隆の体はなんとも立派だが、あれでは甲冑を全身に纏った状態で闘うようなものだ。俊敏で精緻な動きは期待できまい。


 だが、それより何よりとりあえず目がやばい。

 人を何人か殺めてらっしゃるような、いけないお薬を定期的に摂取されてるようなそんな感じ。


 カァァァァン!


 そんな事を宗馬が考えている時、唐突に鐘の音が甲高い音を出して鳴り響いた。その音にいち早く反応し、飛び出してくるボブという名の弾丸。


 ――マジか、以外に俊敏じゃねぇかよボブ。


 突っ込みを入れるその間にもう眼前に迫る鼻の膨らんだ顔。歯を食いしばり渾身のパンチを繰り出してくる。


 その動作を見終えてから宗馬の体は動き始めた。のだがそれでも尚、宗馬の拳のほうが速くボブの顔面にめり込み、その巨体を空中にふき飛ばす。


 真紅の噴水を吹き上げながら地面に激突するボブ。


 そのまま白目をむき、事切れてしまう。自身が上空に置いてきた鮮血が敗北の雨となってその身に降り注ぐ。


 ボブの顛末にはさして目もくれず、宗馬は自分の左胸に手の平を当て、鼓動の音を確かめる。何の問題も無く、正常に規則正しく役割を全うしている。


 ――どうやら今回もまだ、()()()ではなかったらしい。


 会場に充満していた熱気が一瞬にして冷え込んだ。呆気に取られる観客達をよそに一刻も早く退散したい宗馬は一言。


「終わったんだから早くこっから出せよ」



 闘技者の控え室として使われている薄汚いロッカールームに無事帰還を果たし今に至るわけだが、結局そこにも安息はなかったのだから救いようがない。


 全くもって碌でもない場所だ。


 早早に立ち去ろうと黒いジャンバーを羽織り、チャックを一番上まで閉め、リュックを持ち上げようとしたその時、部屋の使用者に伺いをたてるでもなく、乱暴に扉が開けられた。


「天竜 宗馬。先程の試合は実に見事だったぞ。まさかあのボブを一撃でノックアウトするとは」


 耳心地の悪いダミ声を、百メートルは離れた場所にいる相手に話し掛ける時の音量で話すおっさんが入ってくる。


 四頭身の体に暴飲暴食の成れの果てであろう、脂肪分百パーセントのポッコリお腹という漫画から出てきたようなフォルム。


 何を隠そうこのおっさんこそ、この異空間を地下に有する最高級ホテルのオーナーでもある、不動産王倉持重蔵(くらもちじゅうぞう)である。


 コンパスで円を描いたような輪郭に、細長い目と団子鼻を乗せ、下唇の腫れた口は左右不対象に歪んでいる。

 頭のてっぺんには、七三に分けた白髪が申し訳程度に乗っかっている。

 黒のタキシードに蝶ネクタイを締めていて、黒光りした尖った革靴が、見た目には不釣り合いなナルシシズムを感じさせる。


 その倉持に続いて厳つい黒スーツの男たち三人が、狭いロッカールームの中に入ってくる。

 倉持は自分を守る屈強なボディガードを常に従えているのだ。


「しかし次からは相手が誰であろうと一撃で倒すのはやめるんだ。観客が求めているのは、エンターテイメントだ。敵が弱いのであれば甚振るように壊す。観ているものは弱者の壊されていくその過程に娯楽を見い出すのだからな」


 黒い影が粘性の音を立てながら、宗馬の心に再び這いずるように近づいてくるのを感じる。


「私の言う通りにすれば人気も出る。そうすれば、うんと稼げるぞ」


 いくら金を積まれようと、この不快な環境に身を置くつもりなど宗馬には毛頭ない。


「こんな所に来るのはもう二度とごめんだ。最強の男と闘うことができると言うから来てみたが、拍子抜けもいいとこだ」


「次はもっと強い相手を用意する。ファイトマネーも倍払おう」


「くどいぜ倉持 重蔵。俺には時間がないんだ。アンタの金儲けに付き合ってる暇はない」


 リュックを背負い歩き出す宗馬は倉持の前で立ち止まると、無言で右手をさしだす。


「?」


「まだ今日のファイトマネー貰ってねぇ」


「ガキが調子に乗るなよっ!」


 荒荒しい声をあげながら、すかさず黒スーツが前に出てきて宗馬と倉持の間に割って入る。


 長身のその男は宗馬を見下ろしながら渾身の睨みを効かす。残りの二人が倉持を守るようにサッとその両側を挟む。


「いい。下がれ」


「しかしっ……!」


 落ち着いた声で倉持がいきり立つ黒スーツの男を窘める。


 男は宗馬に睨みを効かせたままに食い下がろうとするが、倉持の言葉は絶対で何より優先される。


 結局は自分の感情を押し殺し、宗馬と倉持の間から横に避ける。避けながらも宗馬への睨みは決して忘れない。


 この短い時間で随分と嫌われたものだ。


「受け取れ小僧」


 倉持は懐から封筒を取り出すと、それを宗馬の差し出した手の平の少し上の方に浮かせる。


 決して倉持から宗馬の手の上に置くことはしない。「貴様は端た金のために拳を振るい、金の亡者だと卑下するその者が稼いだ下卑た金の中からその報酬を得るのだ」と倉持の暗く淀んだ眼が囁くように訴えかけてくる。

 あえて宗馬に取らせようとするその底意地の悪さよ。


 ――糞ジジイが。


 今日は帰りに肉をたんまりと食べると決めていたのだ。


 宗馬の空っぽになった胃袋が今にも不機嫌な鳴き声をあげそうな気配。故に優先すべきはくだらない意地よりも食い気。


 ニンマリと笑うと宗馬は倉持の持つ封筒を手首のスナップを効かせて軽快に剥ぎ取る。


 既に宗馬の頭の中は赤身の肉がテラテラと汗をかく至福の光景に支配されていた。


 この切り替えの速さは宗馬の美点でもあり欠点でもあった。


 鼻唄混じりに扉を開けると、さっきまでのやり取りの全てを置き去りにして宗馬は部屋を出て行く。


 肉が彼を待っているのだ。

 否、彼が肉を迎えに行くのだ。


 取り残された四人の大人達。


 宗馬に睨みを効かせていた男は胸ポケットに手を突っ込むと、忍ばせている武骨な存在――拳銃を握る。


「あの小僧、殺りますか?」


 ドスの効いた如何にもな声でご主人様にお伺いをたてる忠犬。


「放っておけ。あの小僧を殺したところで金にはならん」


 ――あれは損得で動く類の人種ではない。己がうちの本能に従って動くこの世で最も愚かな人種だ。

 その本質は正義ではない。

 その証拠にここで行われる反社会的な行いの数々になんの興味も持ってはいなかった。放っておいたところで邪魔をしようなどという考えは持たないだろう。むしろ……――。


「代えのボディガードを探す労力の分損だろう」


 そう呟くと倉持は先程宗馬が出て行った扉から外へと向かう。


 二人の黒スーツが遅れまいとそれに続いた。


 圧倒的な武力を右手に握っているはずの男はしかし、主人の残した言葉を飲み込めず固まっている。


 聞き間違いではない――はずだが果たして。


 思考は散らかり頭の中は片付かないまま、ふいに男は自分の役割を思い出し、雑念を振り払うように慌てて主人を追いかけて走り出す。


 しかし歯に挟まる異物のようなシコリは、心の隅で暫く消えずに残っていた。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 夜は一層深まり、宙を漂う空気の粒子一粒一粒が濃紺に染まり世界に色をつけている。

 秋から冬に移り変わろうという季節、深く濃い青は日を追うごとに黒に近づいていく。

 しかし、こと大都会東京において夜の支配は行き届かない。支配に抗うように人工の光は明明と輝き、人人の活気は革命を高らかに歌う。


 宗馬は前前から気になっていた焼肉屋を目指し夜の都会を歩いていた。


 焼肉に心躍らせる嬉嬉とした表情は年相応の幼さを取り戻していた。

 それもそのはず、宗馬は先月十七歳になったばかり、本来ならば恋に部活にキャッキャウフフな青春真っ只中の高校二年生だ。


 だが宗馬の抱える事情はそれほど多くの選択肢を彼に選ばせてはくれなかった。


 だから宗馬は選んだ。


 数少ない選択肢の中から選び取った物の一つが食事へのこだわりだった。


 数ヶ月前までは栄養のバランスを意識した食事を心がけていた。

 それは舌から伝わる快楽の電気信号を貪る美食家然とした食事というよりは、頑健さと柔軟さを併せ持った理想の肉体を創り上げるための手段であった。

 文字通り味気の無いものだったのだが、毎日行う食事という行為を彩り、舌鼓を打つことの豊かさに心を向けられるようになってからは好きなものを好きな時に食べるようになっていた。


 自然と歩くスピードは上がっていく。帰り路を急ぐサラリーマンを抜き去るほどの驚異的な速度を記録する。


 コンビニが一階に入ったマンションを曲がり横道を進む。

 少し歩いたところで古びたビルとビルの間の裏道(うら若き乙女が一人で入ることはとてもじゃないがお勧めできないような)を行く。いつだったか偶然発見した近道だ。


 この道を過ぎれば目的の店まではもう目と鼻の先。


 もはや歩くというより小走りになっている。


 宗馬は堪らず、空っぽになった胃袋に自分の好物を詰め込んでいく至福の時間に想いを馳せる。


 ――そう、この足の生えた青いゴミ箱を過ぎればもうすぐ…………………ん?


 違和感に足を止める宗馬。


 ――待て待て、足の生えた青いゴミ箱って何だよ!?


 自分で自分に突っ込みを入れるおかしな状況然り、だがそれ以上に無視してはいけない光景があった気がする。


 逸る気持ちを抑え、来た道を少しだけ戻ってみると。


「ゴミ箱から足生えてんじゃん!!」


「ひぇっ!?」


 ちょっとやそっとのことでは動じないはずの宗馬が都会の夜に響き渡る声で高らかに叫ぶと、予想外に可愛らしい声でゴミ箱が叫び返してきた。

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