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鬼は死して尚、修羅を生く  作者: 夢現
第二章 百鬼夜行
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第二章04 『カカオ』

 午後六時を過ぎると辺りはすっかり暗くなり、家家の明かりが夜空の星をかき消そうと息を合わせたように煌煌と灯り始めた。


 いつもの通り上下ジャージ姿の宗馬とこれまたいつもの通り前にリュックを抱えた栞は、街灯が点点と置かれた歩道を並んで歩いている。


 天竜道場がある街の隣街、電車の駅にして三駅行ったところ。その駅から更にバスを乗り継ぎ、バスの停留所から十分程歩いた住宅地の歩道に二人は居た。


 栞の話では目的地――二王頭家の分家屋敷はもうそんなに遠くないということだった。



 宗馬は昨夜栞の眠る布団のそばで長い夜を過ごした。


 栞から離れることもできない宗馬は寝ている栞を起こさないようになるべく音を立てずに細心の注意を払いつつ、朝がやって来るまでの時間をどう使うか苦慮した。

 結果筋トレという結論に落ち着き、日が昇るまでの数時間を体作りに費やした――筋トレが果たして殭屍に効果があるのかは不明だったが、おかげで退屈な時間を過ごさずに済んだのだった。


 殭屍になって初めての夜を過ごしてわかったことは、人間の睡眠時間がいかに長いかということだった。


 一日六時間の睡眠を取るとすると、人生の四分の一は寝ていることになる。改めて数字にしてみると決して少なくない時間を意識のないまま失っていることになる。

 もちろん人間にとって必要な機能であり、休息を取ることは身体的にも精神的にも重要であろうことは宗馬も理解している。

 それでもやはり、人間の命の短さからすると必要な機能とはいえ不当な、過剰な命の搾取のように思われた。


 宗馬が筋トレに勤しんでいると、唐突に栞の体がムクリと起き上がった。

 上半身だけを起こしたまま暫くボーっとしていたかと思うと、コックリコックリと頭が揺れ始め、ハッと目覚めたかと思うとまた頭が揺れ始める。

 そんなことの繰り返しをひたすら二十分程も続けるとようやくのそりと立ち上がった。


 どうやら相当に寝起きが悪いらしい。


 起きているのか寝ているのか、いつもは大きな瞳を覗かせる真紅の眼は開いているのかも怪しい程に細められている。

 髪は四方八方に跳ね、どう寝ればそうなるのかまさしくボサボサという状態。頭のてっぺんから真っ直ぐにそそり立つ髪の毛は針金でも入っているのか、重力を物ともせず威風堂々と空に向かって伸びている。


「おはよーございます、先輩」


 どうやら眼は開いていたらしく、宗馬を発見すると気怠げな声で挨拶をした。


「おはよう。もうじき昼だけどな」


 やれやれといった様子で宗馬は朝の挨拶を返す。


「あれぇ……私そんな寝てたんれすねぇ……。とりあえず、顔洗って……きますねぇ」


 二日分の寝不足を一度に取り戻すかのような、実に見事な熟睡っぷりだった。


 道場の奥へとふらふらと歩いて行く栞は時折左右に大きく揺れる。


「大丈夫か? あいつ」


 宗馬は栞の後に続いて歩き引き戸の奥、洗面所に栞が入って行くのを見届けて扉横の壁に寄りかかった。


 道場の窓から陽光が差し込み、薄暗い道場の空間を斜めに切り取っている。


「先輩、お待たせしました」


 暫くすると洗面所から栞が出てきた。


 大きな眼は平常どおりに見開かれ、中心に輝く真紅の瞳はエネルギーに満ちている。

 エキセントリックな寝ぐせが猛威を奮っていた髪の毛も綺麗に整えられ、艶やかな髪が光を吸い込み黒と赤の耽美的なグラデーションを描いている。


 見事な変わりように唖然とする宗馬の様子を気にする素振りもなく栞は道場の中へと戻り、つい先程まで自分が寝ていた布団を几帳面にたたむと宗馬を振り返った。


「そんなに時間もないのでさっそく、今夜のお母様と弁慶救出作戦について話し合いましょう」


 真紅の髪は翼を広げたようにふわりと浮かび、半円を描いて振り返った栞の顔、その外側の軌道をなぞりながら宙を舞い、やがて翼をたたみ頬に優しく降り立った。


 栞は決意を固めた凛々しい表情で宗馬を見つめる。覚悟は握られた両手の拳に宿り、新緑の若葉のような畳から伸びた両足は根を張る大木のようにしっかりと大地を掴む。


 宗馬が栞の気概に同調し重要な話し合いのためその一歩を踏み出そうとしたまさにその時――。


 ぐうぅぅぅ。


 間の抜けた音が陽光照らす神聖な道場の中に響き渡った。


 宗馬の踏み出そうとした足がぴたりと止まる。

 音の発生源は宗馬ではない。

 だとすればそれはつまり――。


「ひゃうっ」


 栞がか細くも甲高い悲鳴をあげながら両手で顔を覆い、膝を抱えるようにして小さくなった。


「……その前に、なんか朝飯……昼飯でも買いに行くか」


「……ひゃい」



 二人でコンビニに行き、栞の朝食兼昼食を調達し道場に戻ると時刻はすでに正午を過ぎていた。

 道場の真ん中に陣取り、栞は自分の昼御飯を広げ、宗馬はその対面に胡座をかいて座った。


「私だけすみません、先輩」


 栞は申し訳なさそうに縮こまる。


「遠慮すんなよ。それに、そもそもこの体になってからは腹減らねぇし。だから俺に気にせず食えよ。二王頭は食わないと死んじまうんだからな」


「……はい。では、いただきます。先輩」


 宗馬は掌を上にして前に出し、ジェスチャーで促す。


 途端に栞の目が輝きだし「どれから食べようかなぁ」と独り言を喋りながら自分チョイスの菓子パンを物色し始めた。

 栞の選んだ菓子パンは全てチョコの味だった。

 惣菜パンしか食べない宗馬からすると、目を疑う光景だ。


 ――甘い。想像しただけで甘ったるい。塩気。圧倒的に塩気が足りない。チョコ。どれ食べてもチョコ。カカオ。圧倒的にカカオ。


 宗馬が軽いカルチャーショックを受けていると、栞はチョコチップメロンパンを先鋒に選び、ビニールの包装を破くと両手でメロンパンを持ちながら小動物のように小さな口でハムついた。


 一口かじる度ににへらぁと緩んだ顔で笑う栞の周りには花畑が見えそうである。


 栞の胃袋が一旦落ち着いたところで、時間もないので栞は引き続き昼食を食べながら、二人は今夜のことについて話し合いを始めた。


 まず宗馬は道士やその組織のこと、道術について、それから栞が蓬と対立することになった経緯など諸々の事情を栞から聞いた。

 

「仙道の札ってやつを三枚集めないと仙人になる為の試練に参加出来ないってわけか。つまり俺達は仙道の札を持った二人の道士から一枚ずつ手に入れるか、既に二枚以上持ってる道士から手に入れなければならない」


「そうです。そして持っている仙道の札を三回の鐘が鳴り終わるまで守り通さなければならない」


 栞の視線の先には栞がいつも大事そうに抱えていたリュックが置かれている。ナイロンの生地は昨日の戦闘の際に受けた爆風の熱によって所所が溶けている。

 そしてその中には栞の父創が残した仙道の札が入っている。


「なるほどな。案外面白そうだ」


「えぇぇぇ……全然面白くはないですよぉ」


 不敵に笑う宗馬に対しあからさまにドン引きした様子の栞が本日二つ目のパンであるチョココロネを手に、細めた目で宗馬を見ながら異論を唱えた。


「どっちみち三枚集めなきゃならねぇんだ。楽しんだほうが得だろ」


「そう……いうものですかね?」


「そういうもんだ。それに二王頭には成し遂げなきゃならない目標があるんだろ?」


 突然の宗馬からの話題転換に、大きな目を一層大きく開き戸惑いを隠せない栞。

 一瞬言葉をつぐんだ栞だったがしかし、意を決したように宗馬に強い眼差しを向けると、胸に秘めた覚悟を懸命に言霊に乗せた。


「私はいつかきっと大仙人になってみせます!」


「よしっ」


 頬を赤らめながら半ばやけくそ気味に叫んだ栞の大仙人宣言があっさりと宗馬によって受け入れられ、その予想外の反応に戸惑う栞が目をパチクリと瞬いた。


「ん? どうした、キョトンとして?」


「いえ……あの……すごくあっさりと受け入れられて驚いたといいますか……はい」


「なんで?」


「なんでって……それは大仙人になるというのはすごく大変なことで……多分私を知っている人が聞いたら、なにを馬鹿なことを、と笑われるだけだと思うので」


「俺と会う前の二王頭を俺は知らねぇし、どうせ目指すならやっぱ一番上だろ。だから二王頭の目標を聞いてむしろ俺は安心したぜ。これで俺も思い切りやれる」


「……先輩」


「まずは二王頭の母ちゃんと弁慶を解放して、仙道の札も守りきる!」


 宗馬は右拳を左の掌に打ちつけた。

 表情だけを読み取れば、少年らしいあどけない笑顔を浮かべる宗馬は年相応の無邪気さを残している。

 しかしその笑顔の奥には破壊の化身とも言える修羅の顔があり、実力に裏打ちされた絶対的な武力は栞に安心感と信頼感を与えた。


 素直に、率直に心強いと思った。

 そして自分も強くならなければいけない――宗馬の力になれるように、宗馬を助けることが出来るように。


「はい、先輩!」



 話題はいよいよ本題である今夜の救出戦のことに移った。

 ちなみに栞の選んだ三つ目、最後のパンはチョコクランチが上に乗ったたっぷりのチョコクリームを真ん中に挟んだコッペパンだ。


「まあ普通に考えたら、あのロン毛は二王頭の母ちゃんと引き換えに仙道の札を要求してくるよな」


「どうひまひょおぉ先輩ぃ」


 栞は今にも泣きそうな顔で宗馬に意見を求めるが、口にはしっかりとコッペパンを咥えている。


「……」


 白い目で栞を見る宗馬の瞳はその比喩とは対照的に、墨で塗り潰したかのように真っ黒だった。


「……まぁいい。とりあえず仙道の札はロン毛に渡す」


「えぇぇぇ!? 何を言っへるんれふか、へんぱい! ……あっこのチョコクランチすごい美味しい……仙道のふらを渡ふらんへぇぇ!」


「……」


 もきゅもきゅ……ごっくん。ぷふぅぅ。


「……美味かったか?」


「大変美味しゅうございました。我ながら最高の組み合わせだったと自負しております」


「……そうか」


 ――喋り方うっぜぇぇ。


 束の間の沈黙。


「そんなことより先輩! 仙道の札を蓬さんに渡すってどういうことですか!?」


 宗馬の発言を思い出した栞が慌ててその真意を問い質す。


「そのままの意味だよ。つうか人質が取られてるんだぜ。ほかに選択肢がねぇだろ」


「それは……そうですけど。でもっ……それでは弁慶を助けることが出来ないじゃないですか! それにお父様の残した仙道の札を失ってしまいます!」


「安心しろ。そんな穏便に終らせてやるかよ」


 宗馬がまるで悪人のようにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「? それはどういう――?」


「ロン毛はわざわざ分家の屋敷に俺たちを呼びつけた。それは俺たちを帰す気なんかさらさらねぇってことじゃねぇか? 勿論、本家のお嬢様を殺すなんてことはしないだろうが、鐘が三回鳴り止むまでの間監禁する、なんてことくらいはするかもしれん」


「そんな――っ」


「当然大人しく捕まってやる気なんかない! 先に手を出してきたのは奴らなんだ! あのロン毛も弁慶もぶっ飛ばして返り討ちにしてくれるわ! そして仙道の札も取り返す! これで万事解決じゃあ! フハハハハハハ!」


 宗馬の下卑た高笑いが道場に響き渡る。


「ちょっ、せん……ぱい? ていうか今、弁慶ぶっ飛ばすって……え?」


 ゴホン。宗馬は軽く一つ咳払いをしてから栞に向き直る。


「弁慶の正気が戻ったとして、穏便には終わらない可能性だってあるだろ。その時は闘うことになるかもしれないから……な」


 自分でも驚くほどに低くて渋い良い声だったという。



 若干のシコリを残しつつ話は進み、次は実際に戦闘になった際の作戦について話し合うことになった。


「弁慶は今、なんらかの道術によって人格を失っているようです」


「そのことなんだが、殭屍は道士の命令には逆らえないんだよな? だったらどうしてわざわざそんな人格を奪うような術まで行使する必要があるんだ?」


「それはおそらく……あくまで推測ですけど、弁慶の意思に反するような行動を蓬さんは行わなければならない、ということを蓬さん本人も自覚しているからではないでしょうか」


 栞は下唇に人差し指と親指を当てるお決まりのポーズを取りながら自身の推論を展開させる。


「? どういうことだ?」


「たしかに道士は殭屍に対して命令を強要出来ます。だけどそれには毎回氣を消費することになるんです。だったら人格封印の道術を行使してしまったほうが効率が良いと……そう考えたのかも」


「まあたしかに反抗から命令の強要なんて手順いちいち踏んでたら時間はかかるし、労力も相当だろうな」


「そう……ですね」


 だからこそ何故創は弁慶を蓬の殭屍にしようと考えたのか。

 死の直前の不可解な創の行動の数々、その答えが果たして今夜の闘いで明らかになるのだろうか。

 そして何より母は――紡は無事でいるだろうか。


 答えの解らない謎に思考の回路は焼き切れ、焦燥と不安に心の中は掻き乱され、それでも――だからこそ立ち止まることは許されないのだ。


「まずはその術を解かねぇと」


 声変わりを終え低く重くなった中に幼さを残す宗馬の声に、栞は思考の堂堂巡りから引き戻される。


「蓬さんが弁慶を操っているとしたら、操る余裕もないくらいに蓬さんを追い詰めることが出来れば弁慶に掛かっている道術は解けるはずです」


「となるとあのロン毛の攻略が先になるか」


「その役目、私にやらせてください」


 宗馬の視線と栞の視線が交錯する。

 栞の瞳には悲愴な覚悟が宿り、固く結ばれた唇の奥には噤んだ言葉が、心の内に閉じ込めた想いがあるはずだった。


「私が蓬さんを倒します。それまで先輩は弁慶を抑えてください。蓬さんの道術が解けて、弁慶が意識を取り戻したら先輩は弁慶の臍の下、丹田に埋め込まれた札をどうにかして取り出して欲しいです」


「……わかった」


「丹田の中の札が取り出せたら、私が弁慶に死屍奮仁を使います」


 栞と弁慶の間には宗馬には知り得ない絆が、過去がある。

 それでも最善を尽くす為に、母と弁慶を救う為に、弁慶との対峙を宗馬に任せてくれたのだ。

 せめて結果だけでもその想いに応えたいものである。何故なら結果に行き着くまでの過程においては宗馬の個人的な想いの為に拳を振るうのだから。


 弁慶を解放する――あの言葉だけはなんとかして実現させてみせる。

 宗馬は決意を新たにし、今夜の闘いに臨む。



 今日は夕方から道場に子供たちが武術を習いに来る。

 そしてその一時間前には宗馬の父であり、蒼龍滅神流前継承者の天竜鉄心(てんりゅうてっしん)がその準備の為に道場に来てしまう。


 宗馬は自分が死んでいて、道術によって殭屍というなんともファンタジーな存在になってしまったこと、栞とのことやこれからのこと、それらの複雑な事情を家族に話すのは今夜のことが落ち着いてからと決めていた。

 なのでひとまずは鉄心が道場へやって来てしまう前に、早めに天竜家を出発することにしたのだった。



 分家屋敷がある最寄駅近くのカフェで適当に時間を潰し、いざ分家屋敷へと出発したのがつい先ほど。


 歩道を並んで歩く宗馬と栞の表情にはそれぞれの覚悟の色が表情筋を使って表現されている。

 天竜道場を出発したばかりの頃よりは言葉少なに、それでもポツポツと言葉を交わしながら目的地へと歩いていく。


 ゴオォォォォン。


 厳かな鐘の音がすっかり日の落ちた空に染み渡っていくように響いた。

 耳で受け取る音の大きさ以上に身体の芯に響く、重たくて深い不思議な音だった。


「二王頭……今の音――」


「えぇ。一回目の鐘の音です」


 自然と二人は立ち止まり、同じように夜の空を仰いだ。


 栞から聞いた道士達の仙道の札争奪戦。

 言葉と想像でしか知らなかったそれが、急に現実味を帯びて宗馬の眼前に突きつけられたような気がした。


 ――想像していたよりも、残されている時間は少ないのかもしれない。


 再び歩きだした二人の歩調は心なしか先ほどよりも速くなっていた。

 意識したわけでもなく、それでも宗馬と栞はまるでなにかに急かされるように、二王頭家の分家屋敷へ向かう足を急がせた。



 時刻は午後六時四十五分。


 宗馬と栞が見上げる視線の先には二王頭家分家の屋敷が闇夜の中でもその存在感を放ちながら屹立していた。


 宗馬は勝手に日本家屋の建物を想像していたのだが(というよりも名家といえば日本の伝統あるお屋敷と決めつけていた。)予想に反して二王頭家分家の屋敷は歴史を感じさせるレトロモダンな洋館だった。


 上品さを積み上げたようなサンドベージュの石壁の建物は漆黒にも映え、窓枠の上端でアーチを描く緩やかな曲線と石壁を水平に走る浅溝の直線が安らぎの調和を魅せる建物は実に見事だ。

 屋敷の両端を一直線に貫く正方形の張り出した塔、その四隅から頂点に向かって収束していくような、青藍の屋根だけがまるで闇夜に吸い込まれていくように見えた。


 他人の家にお呼ばれされた際は約束の時間よりも多少遅れて行くのが礼儀だと聞いたことがあるが、こちらは人質を取られての訪問なのだから、そのような礼儀を律儀に通す必要もないだろう。

 十五分程早いが到着してしまったものはしょうがない。


 宗馬が栞と視線を交わすと、栞はリュックから札の入ったホルダーを取り出して腰に巻いた。そしてそのあと一度大きく深呼吸をしてから再び宗馬を見ると、覚悟を決めたのか小さく頷いた。

 宗馬も右端の口角を少し上げながら小さく頷き返し、二人を威圧するように立ちはだかる巨大な黒鉄の門へと向き合った。


 あちら側とこちら側、二つの世界を隔てるように二本の太い石造りの柱の間、その空間を黒鉄の槍が縦横に交差し、曲線が壮麗な模様を描いている。

 夜の雫が咲かせたような漆黒の花花が咲き誇る意匠は繊細な造りとは裏腹に、門の外に立つものに与える印象は荘厳で厳めしい。


 いざ呼び鈴を探してみるものの門柱にもそれらしいものはない。

 早速出鼻を挫かれたような心持ちをお互いが密かに共有しつつ、どうしたものかと首をひねっていると、二人の困惑を見透かしたように世界を隔絶していたはずの門扉が仰々しく、焦らすようにゆっくりと押し開かれた。


 宗馬は咄嗟に警戒レベルを上げるが、周囲に人の気配はないようだった。

 どこかに仕掛けてあるカメラで宗馬と栞、二人の姿を確認し自動で開く門扉を開けたのだろう。


 宗馬が栞を見ると、栞も宗馬を見ていた。

 どうやら進めということらしい。

 二人は周囲への警戒を怠ることなく、慎重に二王頭家分家の敷地へと足を踏み入れた。



 静寂だけが存在を許されたかのように、やかましい程にその存在を誇示していた。


 宗馬と栞は広い庭を慎重に進んでいく。

 両側を高い木木に囲まれた一本の道筋が、来訪者を丁寧に終着点へといざなっている。

 すぐ目の前まで迫る闇を、所所に置かれた明かりが既の所で追い払う。

 光と闇のイタチごっこに振り回されながら、それでも二人の足は着実に終着点へと向かって進んでいく。


「二王頭は分家の屋敷には来たことないのか?」


「はい……。お父様と叔父様――お父様の弟の二王頭蜂楽さんとはあまり付き合いがなかったので、蜂楽叔父様は小さい頃に一度会ったことがある程度で、蓬さんとは今回のことになるまで名前しか知りませんでしたから」


「……そうか」


 本家と分家といった、名家にあるような風習は兄弟の間にも様様なしがらみを作ることがあるのかもしれないし、そんな風習など関係なく単純に複雑な事情によっての疎遠なのかもしれない。

 しかし部外者でしかない宗馬には、そんなこともあるんだろう、という曖昧な、無責任な納得しか出来なかった。



 やがて道の拓けた先に、豪奢な洋館のその全容が明らかになった。

 ヨーロッパの片田舎に迷い込んでしまったかのように錯覚させるその洋館は、鼻につかない程度の壮麗さを自然に醸し出している。

 遠くから眺めたときにはわからなかった緻密な彫刻や装飾が、夜の闇の中でもその芸術性を誇っている。

 貴族の住んでいた屋敷、旧なんとか邸といった風に一般解放されていて、思わず写真撮影でもしてみたくなるような、そんな立派な、個人が住むには立派すぎる、もはや持て余すのではないかという屋敷だった。


 建物の中央下部にはどっしりとした石造りの階段がまずは来訪者を待ち受け、階段を登りきった先の床から伸びた四本の丸い柱が建物から飛び出したような三角形の重厚な屋根を支えている。

 正面からその屋根を見ると三角形の中に三角形の窪みがあり、その窪みの中には細やかで繊細な彫刻が施されている。

 その屋根の下に明かりに照らされた入り口、玄関はあった。


 煌煌と灯る明かりが、重くのしかかるような闇夜の中でまるで異世界へと繋がる入り口であるかのように、中心に置かれた扉の存在感を誇張していた。


 周囲を注意深く窺ったがやはり人の気配はなかった。


「外には誰もいないみたいだが、どうする? ――つってももう行くしかねぇんだけどな」


「……そうですね。行きましょう、先輩!」


 二人は意を決して洋館へと歩みを進める。


 柔らかい明かりに照らされた石造りの階段を一段一段ゆっくりと登ると、これまた細かな装飾の施された扉があった。

 ミルクキャラメルを溶かし固めたような伽羅色の扉は、サンドベージュの壁と心地よい調和を織り成している。


 扉の中心には二頭の龍が向かい合った真鍮製のドアノックハンドルが、扉の両側に吊り下げられたカンテラの淡い光を吸ってギラギラと輝いていた。


「二王頭家の家紋ですね」


 ドアノックハンドルを見つけた栞が顔を近づけて、お互いを貪り合わんばかりの二頭の龍をしげしげと眺めながらひとり言のように呟いた。


 西洋の英雄譚に登場するようないわゆるドラゴンではなく、日本や中国の伝説で語られる長い胴を持つ龍。

 龍が二頭、円形を描きながら互いの尾を絡ませ、互いに貪り喰らうように大きな口を開けて向かい合っている。

 胴の途中から生えている手を二頭共が中心に向かって伸ばし、円の中心に置かれた水晶のような玉を二頭の龍の手が支えている。

 そしてその中心の玉から垂れ下がる輪っかがつけられていて、どうやらその輪っかがハンドルになっているようだ。


 ――二王頭家も龍に関係があるのか?


「すみません。ではいきますね」


 宗馬が二王頭家の家紋を模ったドアノックハンドルをなんとはなしに観察していると、栞の細い指が真鍮製のハンドルを握った。


「おう」


 とりあえず宗馬は思考を中断し、扉の奥に待つであろう壮絶な死闘に想いを馳せる。


 コンコン。


 栞がドアノックハンドルを使って扉を二回ノックすると甲高い音が闇夜を優しく震わせた。


 少しの間を置いて伽羅色の扉がゆっくりと開き始め、漏れ出す光が少しずつ闇を切り取っていく。


 まるで雷鳴轟く曇天を駆け回る龍の慟哭のような、蝶番の金具が擦れ合う独特の音色が響く。


 光が四角く夜を切り取った向こう側、開かれた扉の奥に眩い光を背に佇む一つの影があった。


 宗馬と栞の全身に緊張が走り、瞬時に戦闘態勢に入る。


 佇む身体の輪郭をぼかす程の光量を背後から一身に浴びるその人物、その前面は背後から照らす光と同じだけの濃い影に覆われている。


 宗馬は瞬時に緊急事態に対応できるように集中力を高め、身体は力まないように程よくリラックスさせる。

 栞は腰のホルダーにそっと手を添え、目の前の人物の一挙手一投足を注意深く窺う。


「栞お嬢様。お待ちしておりました」


 二人が警戒していると、影は突然に深深と腰を曲げ、それはそれは大層綺麗なお辞儀を披露したのだった。 

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