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8.覗くつもりはなかったけれど

 レオが熱を出したので、その日の夕食はレオは自室で、それ以外の家族だけで食卓に付いて食べた。


「しゃむいの」

「さむいのですか? おふとんをもっともってきてもらいますか?」

「だっこがいーの」


 大きな黒い目から涙を流しながら、ぽてぽてと部屋を抜け出して、レオがカナエの元にやって来たのは、レイナの夜泣きが激しくなって、子ども部屋に移された3歳になってすぐの頃だった。夏なのに汗をかきながらも「寒い」と主張するレオに、カナエもすぐに気が付いた。


「さみしいのですね」

「しゃみちい?」

「カナエも、ひとりでねるのはさみしくて、おとうさんにないたことがあります」


 7歳のカナエが抱き上げると、汗ばんだ額をレオが胸にこすりつけて来る。涙が零れて、カナエのパジャマの胸が濡れた。


「カナエとねましょう」

「かにゃたと、ねんこ」


 抱き締めて眠ったレオはもう泣いていなかった。

 お布団をお漏らしで濡らされても、夜中におしっこで起こされても、カナエはレオと一緒に寝た。

 別々に寝るようになったのは、レオが5歳で幼年学校に入ってからだった。


「あかちゃんやないから、ひとりでねらなあかんのやって」


 「おまえ、おねえちゃんとねてるんか? あかちゃんやないか」と同級生に冷やかされたレオは、4月が入学式で、5月には誕生日が来るので、他の同級生よりも一つ年下だということに気付いてもいなかった。目にいっぱい涙をためて、我慢して一人で子ども部屋に寝に行くレオに、カナエは声をかけた。


「ねむれなくなったら、いつでもきていいのですよ?」


 しかし、カナエの心配は無用だったようで、今度は一人で眠れないレイナがレオのベッドに入り込んできたようで、レオはそれ以降カナエと寝ることはなかった。

 あの日、寂しかったのは、カナエの方かもしれない。

 昔のことを夢に見て、真夜中に目を覚まして眠れずに、顔を洗いにバスルームに行ったカナエは、扉を開けて悲鳴を上げてしまった。


「ぎゃー!? レオくん、服を着てください!?」

「うわー!? カナエちゃん!? ノックしてやー!?」


 風邪を引いて寝込んでいたので昨夜から顔を合わせていないレオが、汗をかいて気持ち悪いのでシャワーを浴びに来たのに気付かずに、カナエは盛大に扉を開けてしまったようだ。ほこほこと湯気を上げるレオは、下半身に下着一枚しか履いていなかった。


「み、見てしまったのです……」


 廊下に慌てて出て真っ赤になったカナエに、近くの部屋からレイナが眠そうに出て来る。


「何があったんや、カナエちゃんもお兄ちゃんも……はっ!? お兄ちゃん、カナエちゃんになんかしたんかー!?」

「ぎゃー!? なにもないのですー!? レイナちゃん、声が大きいのですー!?」

「カナエちゃんもめっちゃ声が大きいで!?」


 叫び合う姉妹の声は両親の部屋にも届いていたようで、ユナとリンを抱っこして、サナとレンが走ってやってくる。


「どないしたんや、カナエちゃん、レイナちゃん?」

「レオくんは?」


 問いかけに、パジャマを着たレオがバスルームから出てきた。急いでいたのか、ボタンを掛け違えているが、それもまたカナエには服が乱れているようで、心臓が跳ねる。


「シャワー浴びて着替えてたら、カナエちゃんが扉を開けてもうて……」

「見てしもたんか!?」

「レオくん、見られたとね。大丈夫?」

「下着は履いてた! 如何わしく言わんとってー!」


 両手で顔を覆うレオに、慌てふためく両親、その両親の腕の中で泣いてしまったユナとリンに、その場は混乱していた。


「熱が上がると困るから、お兄ちゃんははよ寝に行って。お父ちゃんとお母ちゃん、お兄ちゃんとカナエちゃんに限って、なんもないで。カナエちゃん、お兄ちゃんの裸くらい見慣れてるやろ」

「み、見慣れてはいないのですよ!」


 お淑やかに大事に育てられているとはいえレオも男の子なので、上半身裸や薄着で屋敷をうろつくことがある。それを今までは全く気にしたこともなかったのに、カナエはレオの下着一枚の姿がちかちかと過って仕方がない。

 褐色の濡れた肌の色気、胸の厚み、肩の鋭角的なライン、引き締まった脹脛……。


「レオくん、ごめんなさい!」

「妙に謝らんとって?」

「か、カナエは、卑猥な子だったのですー!」

「ひ、卑猥って、なんやー!?」


 レオの下着姿に心拍数が上がってしまった。そのことを後悔して部屋に走り込むカナエを、レオが追いかけてきた。

 扉を挟んで、レオは無理に中に入ってこない。


「その……カナエちゃん、俺の身体、嫌やなかったってことやろ?」

「凄くかっこよかったのです……好みなのです」


 正直に白状すれば、扉の向こうでレオが飛び跳ねたのが分かった。嬉しいことがあるとぴょんぴょん飛び跳ねるのは、幼い頃と変わらない。


「ほんまか? 俺はカナエちゃんに好かれる男か? 合格か?」

「産まれたときから合格なのですよ」


 隠せるはずなどなく全部吐き出してしまうと、レオの顔が見たくなって、カナエは自分から扉を開けていた。風邪も治まったようなので、レオがカナエの部屋に入って来る。

 深夜に二人きりなので、扉を閉めずに開けっぱなしにしているレオに、カナエは紳士的でときめいてしまった。


「俺な、ちょっと考えてたんや」

「カナエのことですか?」

「カナエちゃんのこともやけど……俺、風邪もひいたことなかったやろ?」


 健康には気を付けているし、感染症の予防薬はできる限り接種している。そのために、レオもカナエもレイナもほとんど病気はしたことがなかった。大人でも摂取できる予防薬はサナもレンも接種しているので、二人も仕事が忙しくて疲れ切って寝込むことはあっても、病気になることがほとんどない。


「カナエちゃんは、実の両親のこと、覚えてる?」

「実の……カナエはお父さんとお母さんを実の両親と思ってます。産んだひとのことは、ほとんど覚えていません」


 物心つく前から離れに押し込められて、充分な食事も衣服も与えられず、身体を洗うのは夏場に庭で水浴びをしたのが数回で、それ以外は覚えもない。


「カナエは、魔術が強すぎて、暴走してしまっていたのです。それで、閉じ込められて、食事を持ってくるとき以外、あのひとたちと顔を合わせたことがありませんでした」

「そうやったんか……カナエちゃんは俺のお姉ちゃんやって最初から思ってたから、実の両親とか考えたこともなかったわ」


 レオがそれを考えるきっかけになったのは、イサギとエドヴァルドとナホの元に引き取られたタケのことがあったからだった。カナエの実の父親とタケの父親は兄弟だった。つまりは、前のセイリュウ領の領主の息子たちである。魔術の才能がサナに劣るので次期領主に選ばれず、前妻と共に屋敷も追い出されてしまった彼らが、領主についてどう考えているかは分からない。


「タケちゃんはお父ちゃんとお母ちゃんとお姉ちゃん、病気で亡くしたやろ? 最初はそのこと話してたって言うから、良い両親とお姉ちゃんやったんなら、新しい家族ができても、無理に忘れることない、思い出せるもんがあったらいいんやないかって、ナホちゃんとラウリくんに相談されたんや」

「……カナエとタケちゃんは違いますからね」

「そうや。でも、協力してくれへんのやて」


 タケを領主の屋敷のマンドラゴラ畑に捨てたのは、カナエの両親ではないが、止めなかったことで咎められるのを恐れて、カナエの両親はタケのことも、両親と姉のことも、関わりがなかった、知らなかったで通している。

 深夜の領主の屋敷に入り込んで、子どもを捨てていくというのは、確かに許される行いではない。咎められるべきなのだろうが、そうすればますますカナエの両親は口を閉ざすだろう。


「タケちゃん、ナホちゃんのことをお姉ちゃんと思ってますよね。きっと良いお姉ちゃんだったのでしょうね」

「ナホちゃんみたいな良いお姉ちゃんがおったんやったら、尚更、タケちゃんが大きくなってもそのことを覚えとるようにしてあげたいんや」


 レオにはカナエという強くて優しい姉がいた。

 一人で寝るのが怖いと泣けば抱き締めて眠ってくれる、揶揄う子がいればやっつけてくれる、困ったことがあれば話を聞いてくれる、嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる、新しいものを作って持っていけば褒めてくれる。


「俺にとって、カナエちゃんの記憶がなかったらと思ったら、タケちゃんのこと、他人事と思えへんで」


 もしも、カナエが引き取られていなければ、レオの姉ではなかった。婚約者にもならなかった。そう考えると、タケにも支えとなる家族の記憶があってほしいと、レオは思ったのだ。


「レオくん、着いてきて、くれますか?」

「カナエちゃん、ええの?」

「タケちゃんは、カナエの従弟なのですよ」


 実の両親に会いたいとは思わなかったが、タケの両親や姉の遺品を貰うことができるのならば、会うことも厭わない。

 決意したカナエをレオが抱き締める。


「カナエちゃんは、優しくて、強くて、俺の誇りや」


 そう言ってくれるレオがいるからこそ、カナエは存分に強く振舞えるのだと、レオは気付いているのだろうか。

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