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7.レオの微熱

 サナが産むのに難儀するほど産まれたときから身体が大きめのレオは、母乳をよく飲み、離乳食もよく食べて、すくすくと健やかに大きくなった。子どもが感染しやすい病気については、サナの教育方針として惜しむことなく、予防薬が出来上がっているのならば接種させるようにして、セイリュウ領全体でも死亡リスクの高い小児の感染症の予防接種は無料で行っていた。


「上のもんが手本を見せな下のもんには広がらへん。レンさんがしっかりとってくれはった、育休産休もそうや」


 おかげでセイリュウ領では乳幼児の死亡率が下がって、タケも両親と姉を失ったが本人の命は救われた。

 手厚いサナとレンのおかげで、カナエもレオもレイナも、ほとんど病気をしたことがなく、虫歯の一本もなく、特にレオは風邪もひいたことがないような健康優良児だった。

 ことの発端は、雨の中、姿が見えなくなったスイカ猫のサラだった。

 春なのに土砂降りの雨が降る中、サラは夕方になっても屋敷に戻ってこない。普通の猫ならばともかく、スイカ猫は濡れるのを嫌がらないはずなのだが、サラは普通のスイカ猫の二倍はあろうかという太りっぷりだったので、泥水にはまって動けなくなっている可能性もあった。


「俺、ちょっと探してくる」

「レオくん、レインコートと傘を忘れないでください。カナエも探すのです」

「私も行くわ」


 レオとカナエとレイナで探したのは、サラが他のスイカ猫を気にして通っている中庭の薬草畑。広い薬草畑には、水を引くための水路も側溝もあった。


「おった! 側溝にはまって抜け出せんくなっとる!」


 見つけたのはレオで、身体の丸い横幅がぴったりと側溝にはまってしまって、抜け出そうにも雨水が押し寄せてもがいているサラを、側溝の中に降りて抱き上げて救い出した。


「水かさがかなりあったのです。一人で降りたら危ないじゃないですか」

「俺、背が高いから平気やと思ったんや。心配かけてごめんな」


 胸までびしょ濡れで側溝から上がるレオをカナエが手を握って、魔術で筋力強化をして引き上げ、レイナがサラを受け取って薬草保管庫で調合の仕事をしているイサギのところに診せに行った。


「水は飲んでるけど、スイカ猫やから、水くらい平気やって。栄養剤飲ませて、暖かくしてたら元気になるって言うてたわ」

「サラちゃんが無事で良かったわ」


 ずっと飼いたかったスイカ猫。

 一匹目は収穫時期の前に連れ去ってしまって、尻尾の蔦を切って栄養が取れなくして、飼えなくなってしまった。

 二匹目はテンロウ領の王都の別邸に迷い込んできたが、他のひとが買ったものだった。

 ようやく二年かけて育てたサラを大事にしているレオは、心底ほっとしたようで、自分が着替えるのも忘れてびしょ濡れのままで、まずサラに栄養剤をあげていた。

 結果として、レオは翌日熱を出してしまった。


「うちのレオくんが熱やて? お母ちゃん、仕事休むわ。死なんといて、レオくん!」

「お母ちゃん、大げさや。ちょっと風邪ひいただけやん」

「熱が出て、喉が痛くて、頭が痛くて、身体の節々が痛くて、鼻水が出るやなんて、尋常やないで!」

「それを、風邪って言うんやで?」


 大げさだとレオに言われ、冷静にレイナに突っ込まれても、サナは落ち着かない様子でイサギとエドヴァルドを呼び寄せていた。


「ただの風邪や。お腹は下してないか?」

「それは平気や」

「食欲はありますか?」

「めっちゃあるわけやないけど、食べられんほどではないで」

「そんなら、大丈夫や。人参か、大根、処方するか?」


 早く治るように人参マンドラゴラか大根マンドラゴラを処方しようとするイサギに、レオは南瓜頭犬のサナエを抱き締めて、ふるふると頭を振った。マンドラゴラや南瓜頭犬、スイカ猫は、レオにとっては可愛いペットのような存在である。

 貴族社会でマンドラゴラを愛玩することが高尚な趣味になったのは、イサギの人参マンドラゴラがローズの元で飼われてからだが、その後爆発的な広がりを見せて、食用と愛玩用は今やはっきりと分かれていた。イサギが育てるものは、本人は食用にしても全く構わないし、サナなどは当然のように母乳の出がよくなるよう蕪マンドラゴラを毎日すり潰して飲んでいるが、あれだけ個性豊かなマンドラゴラを薬剤にするためとはいえ調理するのはレオには抵抗があった。

 風邪を引いたのは初めてだが、きちんと水分と栄養を取って、安静にしていれば治る。そう聞いていたので、レオはその日一日、自室のベッドで静かに過ごしていた。

 うつらうつらと眠っていると、白い手がレオの額に触れた。


「おかあちゃん……?」

「蜂蜜レモン水作って来たで。飲めるか?」

「ん……ありがと、喉からからや」


 体を起こしてグラスを受け取ると、魔術で作った氷がカランと音を立てて、冷たく中身が揺れるのが分かる。汗びっしょりになって眠っていたようで、蜂蜜の甘さが引き立つすっきりとしたレモン水を飲むと、レオは息をついた。


「カナエちゃんて呼ばれるかと思うたわ」

「カナエちゃんは研究過程に行っとるやないか。お母ちゃんも仕事やのに、抜けて来てくれたんか?」

「ユナくんとリンちゃんにお乳をあげたついでや」


 母乳を飲ませる時間は休憩をとっているサナは、飲ませ終わった後でレオの様子を見に来てくれた。飲み終わったグラスを渡してお礼を言うと、サナが笑う。


「お母ちゃんて呼ばれるのは幸せやなぁ。レオくんは、初めて呼んだのがカナエちゃんやったもんな」


 小さなレオはサナに「お母ちゃんやで?」と言われても、レンに「お父ちゃんって呼んでくれんと?」と言われても、うまく言えなかったのだが、初めて呼んだのは「かにゃた!」と真っすぐにカナエを見てだったので、サナが崩れ落ち、レンが大笑いしていた。それだけ、レオにとってはカナエの存在が大きかったのだ。


「お父ちゃんがな、お母ちゃんのこと、『美の女神(ミューズ)』て言うてたの知ってる?」

「なんやそれ!? レンさんったら、なんで本人に言ってくれへんの!?」

「見てるだけで作りたいもんが浮かんでくる。このひとを美しく飾りたい、このひとの美しさをもっともっと引き立てたいって思うんやて」

「いやー! レンさんったら、嬉しいわぁ」


 工房に通ったり、性的な知識を教えてもらったり、レオはレンと話すことが多くなった。父親としてのレンだけでなく、サナという女性に惚れている男性としてのレンの姿も、レンは見せてくれるようになっていた。


「カナエちゃんも、俺の『美の女神』なんや、きっと」


 カナエの身に着けるものを作りたい。

 カナエに似合うものを作れるのは自分が一番だ。

 魔術具製作者としてはまだまだ勉強中で力不足だが、カナエへの思いだけはレオは負ける気がしない。


「ほんまに、レオくんはレンさんそっくりやなぁ」


 優しくサナの黒い瞳が微笑んで、癖のあるレオの髪を撫でた。身長はレンを超えるようになっても、レオはサナから生まれてきたことに変わりない。


「テンロウ領の王都の別邸で、お母ちゃんとお父ちゃんと離れて暮らしたやろ? 多分、あれが俺の反抗期やったんや」


 ラウリと同室で、カナエとナホと四人、子どもだけで使用人の手を借りながら過ごした三年近く。両親と離れている間に、レオは自分が成長できたと感じていた。


「カナエちゃんが万年反抗期やから、レオくんに反抗期はないかと思うてたわ」

「俺も反抗するんやで」


 言ってから母子で笑い合って、レオはまたベッドで眠りに付いた。

 風邪がうつるといけないので、夕食は部屋に持ってきてもらって食べたが、持ってきてくれたのは使用人でもサナでもなく、レンだった。


「体はそんなにきつくないけど、ユナくんとリンちゃんに会えへんのは寂しいから、はよ治りたいわ」

「これ全部食べて、お薬飲んだら、明日には治ってるっちゃないかね」

「頑張って食べる」


 トレイの上の食事は、お粥にお味噌汁に魚の煮つけに野菜の煮たものと食べやすいように柔らかいものが用意されている。箸を持って食べていると、レンがレオに顔を寄せる。


「サナさんに言ったっちゃろ?」

「あかんかった?」

「いけんくないけど……ちょっと恥ずかしいかな」


 夕食の席でサナはレンに詰め寄って、自分を『美の女神』と言ったことを白状させたらしい。


「レンさんが子どもが産まれても、うちのこと『お母ちゃん』やなくて、『サナさん』て呼んでくれて、『美の女神』って思ってくれはるのは嬉しいわ」

「サナさんは俺にとっては、永遠に美しいひとやけん」

「お婆ちゃんになっても言うてな」


 惚気るサナにレイナとカナエが微妙な顔をしていたという。


「カナエちゃん、お婆ちゃんになってもかわええんやろうなぁ」


 ぽぅっと頬を染めて呟くレオは、何歳になってもレンのようにカナエを『美の女神』と思っているのだろうという自覚があった。

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