2.可愛い王子様
目の前でくるんと巻いた癖毛の幼子が、「よいちょ、よいちょ」と言いながら庭に出来た花を植える前の土山に登っている。レイナは幼子が転ばないように助けながら、一緒に登っていた。
王宮に来たレイナとナホは、ラウリから衝撃の事実を告げられた。
「さっきまでミルカはお昼寝をしていたんですが、ベビーベッドから逃げ出したみたいで、今、みんなで探しているんです」
「またミルカくん、逃げ出したの?」
「脱走が上手になってしまって」
最近のミルカは興味の幅が広がって、色んなことがしたくてたまらなくて、隙あらば脱走しているというのだ。
「兄さんや僕や妹たちが、剣の稽古をしたり、護身術の稽古をしたりするのを、真似するので、危ないから遠ざけているんですが」
「遠ざけられたらやりたくなるのが子どもだもんね」
脱走したミルカは大抵、王宮の庭のどこかで自分なりに訓練の真似事をしているということで、捜索隊に加わったレイナは、整備中の庭の片隅で、新しい土を入れるために運び込まれた土山に泥だらけになりながら必死に挑戦しているミルカを見つけたのだ。すぐにラウリとナホに伝えるつもりだったが、ミルカが涙と洟で顔をぐしゃぐしゃにしながら崩れやすい土山を登っている姿に、レイナは自分の小さな頃を思い出した。
カナエを追いかけてレオが5歳で幼年学校に入った年、レイナはまだ3歳だった。体が大きかったし、5月生まれだからすぐに6歳になるからとレオは5歳で幼年学校に入れたが、3歳のレイナが幼年学校に入るのは早すぎた。3歳児にそんな理屈が通用するわけもなく、カナエとレオの背中を見送らなければいけないレイナは、悔しくて、悲しくて、自分だけ理不尽だと思っていた。
上の兄姉と歳が離れているし、小さすぎるからミルカが訓練に加われないのは仕方がない。仕方がないが、まだ小さなミルカがそのことに納得できるかどうかは、また別の問題だった。
「お鼻ちーんして。うちとお手手繋いで登ろか?」
「う! てて、ちゅなぐ」
ハンカチで顔を拭いてあげて、手を繋いで土山を登り出すと、ぷっくりとおむつで膨れたお尻をフリフリ、ミルカはよちよちと歩いて行く。涙の引っ込んだ黒い目は、凛々しく土山の頂上しか見ていなかった。
登り終えて満足すると、ミルカはやっとレイナの顔をしっかりと見上げた。
「だぁれ?」
「セイリュウ領の領主の娘のレイナや」
「れぇ?」
「そうや」
「らっこ」
登るので疲れてしまったのか、降りるときには抱っこを求めて両腕を広げるミルカを、レイナは抱き上げた。ふわふわと柔らかくて、小さくて、暖かくて、良い匂いがするが、ひと一人分なのだから重みはずっしりとあった。
「ちぃ、じぇた」
「おむつが濡れたんか? どうしたらええんやろ」
おしっこが出たと訴えられても、弟妹がおらず、小さい子と触れ合ったことのないレイナは困ってしまった。抱っこして王宮の中に戻ると、ミルカが見つかったことが伝えられて、ラウリとナホが戻ってくる。
おむつを替えようとラウリが手を差し出しても、ミルカは首をぶんぶんと振って、レイナの抱っこから下ろされることを嫌がった。
「教えるから、レイナちゃんにしてもらってもいいかな?」
「うちも覚えなあかんから、教えて、ナホちゃん」
汚れた服を脱がせて、ミルカをベビーベッドに寝かせる。畳んだおむつをおむつカバーにセットして、腰で留めると、続けて着替えをさせるのだが、おむつを替えるまでは大人しかったミルカが、ぷっくりカボチャパンツを履かせたり、シャツを着せたりする段階になると、ジタバタと暴れ始めたのだ。
「レイナちゃん、ミルカくんを立たせて」
「立って履けるんか?」
「ベビーベッドの柵を持たせてください」
立たせると自分で足を上げてカボチャパンツを履いて、シャツも自分で手を通すミルカ。ボタンを留めて清潔な服に着替えると、小さな両手で拍手をしてレイナを讃えてくれる。
「じょーじゅ。あいがちょ」
「どういたしまして。うち、褒められてしもたわ」
「れぇ、すち」
「好きって言われたわぁ、どないしよ」
こんなに小さくて可愛い子に好意を向けられて嬉しくないはずがなく、にこにこしてしまうレイナに、ラウリとナホが顔を見合わせる。
「ミルカ、家族以外にはなかなか懐かないんですよ」
「レイナちゃんが優しいからだね」
「ミルカ、れぇじゃなくて、レイナちゃん、ですよ」
「れぇた!」
上手に言えていないが名前を憶えてくれたことも嬉しくて、レイナはミルカの可愛さにメロメロになってしまった。お茶の時間には、自分が貰った焼き菓子を、力加減が分からずに潰してしまいながらも、ミルカはレイナに差し出してくれる。
「うちにくれはるん?」
「あーん!」
「嬉しいわぁ」
自分に妹や弟ができてこんな風になるのかという想像よりも、ミルカははるかに可愛く、レイナのことを純粋に好意を示してくれる。この小さな男の子が大人になったらどんな男性になるのだろう。
考えてから、レイナははっと気が付いた。
「あかんあかん、ミルカちゃんは王子様なんやし、うちは今年で12歳で、ミルカちゃんより10歳も年上やないか」
何よりも、「すち!」と好意を示してくれるミルカはまだ2歳にもなっていないのだ。貴族や王族が早く婚約をすると言っても、あまりにも早すぎる。
ぐるぐると思考が回っている間に、お茶の時間でローズが休憩をとって仕事から抜けてきた。軍服を翻し部屋に入って来たローズに、ミルカが駆け寄って「まぁま、れぇた!」とレイナを指さして紹介してくれる。
「サナの娘のレイナではないか。ミルカと遊んでくれていたのか?」
「ローズ女王はん、お邪魔してます」
「ミルカに乳を飲ませるので、レイナ以外は席を外してくれるか?」
「うち、おっても良いんですか?」
「赤ん坊が産まれるから、見に来たのであろう? 乳を上げるのも見ていくとよいぞ」
大らかに笑って、人払いをした後でローズは、軍服を寛げて豊かな白い胸を露わにした。抱っこされたミルカが、胸に吸い付いてお乳を飲む。
「もっと早くに乳離れさせた方が良いというものもおるが、まだミルカは2歳にもなっておらぬ。そのうちに、自分から欲しがらなくなるものだから、欲しがるうちはあげたいのが母心というものよ」
「ミルカちゃん、とても可愛いくて、良い子で」
「他の兄弟よりは大人しいが、この子もやんちゃだぞ? ダリアが『またお姉様に似てしまいましたわね』と頭を抱えておる」
性格と外見はリュリュ似だが、腕力がローズに似てしまった第一王子のユーリ。外見はリュリュ似だが、中身はローズと似ていて、腕力もローズに似てしまった第二王子のラウリ。娘のマーガレット、ジャスミン、ヴァイオレットは外見からしてローズにそっくりである。
末っ子で産まれてきたミルカは、ローズに似ないようにと、武芸から遠ざけて大人しく育てようとダリアが苦労しているのに、ミルカは脱走してまで自分を鍛えることに目覚めているとローズは笑っていた。お乳を吸うミルカを見るローズの緑の瞳は優しい。
「お母ちゃんのローズ女王はんが言うてもどないもならへんもんなんでしょか?」
「子どもなど、親の言うなりになるものではないよ」
「そうやな……うちも、お母ちゃんの言うこと、全然聞かへん」
セイリュウ領から魔術学校に通うことだって、サナだけから言われていたら、レイナは反発していただろう。父のレンに言われて、ようやく納得した。
「うちは、何をしたいのか、分からへんのです」
カナエは次期領主になるという将来が決まっていて、レオには工房の師匠を継ぐという目標がある。王都の魔術学校に通ってみたが、レイナは攻撃の魔術はサナの才能を継いで強いし、物作りも器用ではあるのだが、どちらもカナエやレオには程遠い。中途半端な才能しか持っていないことを思い知っただけだった。
「おうた!」
「すまない、ミルカ。リュリュは今休めなくて」
「おうた、おーうーたー!」
お乳を飲み終わったミルカが、ローズに強請っているが、異国の王宮で楽師だったというリュリュの素晴らしい歌声は真似できないと、身支度をしながらミルカに謝っている。
「なんのお歌が好きなんや?」
「みぃの」
「ミルカちゃんのことかいな」
「う!」
「ミルカちゃんのお父ちゃんは、ミルカちゃんのお歌を歌ってくれはるんか」
即興でミルカのために歌ってくれるリュリュに敵うはずもないが、レイナは「うーん」と唸ってから、拙く歌い始めた。
「可愛い可愛い、ミルカちゃん」
「あい!」
「ほっぺは林檎で、お手手は紅葉」
「う!」
「くるくる髪の毛、お目目もくりくり」
「きゃー!」
音に合わせて言葉を乗せるだけで、ミルカは大興奮して、お尻を振り振り踊りだす。歓喜の悲鳴を上げて、拍手をして踊るミルカの様子に、戻って来たナホとラウリは驚いていた。
「あんなに嬉しそうなミルカくん、見たことなかったな」
「本当にありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったで。ありがとうな」
はしゃぎ疲れてミルカが眠ってしまってから、レイナはローズとラウリに挨拶をして、ナホと一緒にセイリュウ領に帰った。
音楽の道に進みたい。
誰かが歌って踊る曲を作りたい。
レイナが将来を決めるのは、もう少し後のこと。
年末にミルカが2歳の誕生日を迎える頃、レイナにも弟か妹が生まれる予定だった。
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