3.マンドラゴラでも
大理石の手すりを少女のように可憐なラウリが握り潰したのは、見間違いだったことにするとして、オダリスはゴボウマンドラゴラを追い掛けて隣りに並んだ。逃げ出そうとすればもっと早く走れるはずだが、ゴボウマンドラゴラはよちよちとゆっくり歩いていた。
コウエン領の容貌の貴族の男性は、オダリスよりもかなり年上で、ゴボウマンドラゴラのことを「裏切った」と言っていた。追い掛けて捕まえて、とりあえずコウエン領の家までゴボウマンドラゴラを連れて帰ると、母に頼んで見ていてくれるように言う。
「俺はジュドー様にマンドラゴラを届けんといけんけん、母さん、そのひとがどこか行ってしまわんように見とって」
「ライラ様も攫われたって言うし、物騒だものね」
「ぴゃあぴゃあ」
「ごめんね、連れて行けんっちゃん。連れて行ったら、材料と間違われてしまうかもしれんけんね」
同行を断られて、項垂れて顔を上げないゴボウマンドラゴラを膝に乗せて、家で糸を紡ぐ母。ゴボウマンドラゴラが大人しくしているのを確かめて、オダリスはジュドーの工房に仕入れたマンドラゴラを届けた。
コウエン領領主の屋敷は、領主の姉が行方不明ということで、混乱していた。元夫の貴族も指名手配されているが、行方が知れないという。
「見つかりそうですか?」
「見つけるつもりやけど、しばらくは工房も休んで、探索に専念せないかんね」
見習いとして仕事に入るはずだったオダリスを指導するジュドーがいないので、週末は完全に空いてしまったオダリス。妹のデシレーは移転の魔術をまだ自由に使える許可をもらっていないし、新しくできた女友達と遊ぶのが楽しいようで、青春を謳歌しているのを邪魔したくはない。
王都の寮に戻ればゴボウマンドラゴラと離れることになるので、この週末のうちにオダリスはゴボウマンドラゴラの呪いを解かなければいけなかった。
「もし、呪いが解けんでも、うちにおったら良かよ。マンドラゴラの姿は不本意かも知れんけど、俺は毎週戻ってきて、呪いを解く方法を探しちゃるけんね」
家に戻って、糸を紡ぐ母の膝の上でゴボウマンドラゴラは元気がなかった。よく見れば萎れてきている気がする。
「この子、枯れよらんね?」
「呪いのせいで早く枯れるかも知れんって、ナホちゃんも言ってたわ」
枯れかけているから、もう逃げる気力もないのだと気付いて、オダリスは慌てた。会場からオダリスの手をすり抜けて逃げ出そうとしたときにはあんなに元気だったのに、非常階段から一人行ってしまおうとしたときには既にゴボウマンドラゴラは走ることもできなかった。
急いで鞄から栄養剤を出して、水の入ったグラスと差し出しても、ゴボウマンドラゴラは受け取ろうとしない。このまま枯れて萎びてしまうことを望んでいるのかも知れない。
ゴボウマンドラゴラの姿のままで生きるのは、つらいことかもしれない。元に戻れないと絶望してしまうのも分かる。
「飲んでくれんね? あなたにも、大事なひとがおるっちゃない?」
「びゃや……」
あくまでも拒否しようとするゴボウマンドラゴラの姿に、オダリスはハッと息を飲んだ。
「好きなひとが、おるっちゃない?」
「ぴょえ!?」
「そのひとに自分を気付いてもらえなくて、絶望しとるとか、そういう話やないとね」
「びゃあびゃあ!」
手を振って否定しているが、オダリスは自分の考えはあながち間違っていないのではないかと思っていた。想う相手がいて、それが叶わないなら、真実の愛を求めても与えられるはずがない。
性別も、容姿も分からず、意思疎通すらできないゴボウ。
「生きる価値がないなんて、思ったらいかんよ? あなたは、自分の命の危険を冒して、俺を二回も助けてくれた勇気のある、素晴らしいひとやないね!」
「ぴゃー!」
「栄養剤……マンドラゴラが飲むようなもんやけん、ひとだったあなたには抵抗があるかもしれんけど、生きてたら、新しい恋も生まれるかもしれんとよ? あなたを愛するひとがどこかにおるかもしれん」
「びゃや!」
聞きたくないというように手を振り払ったゴボウマンドラゴラに、グラスが落ちて砕けて水が飛び散り、栄養剤の入った容器がごろごろと床を転がる。蓋が閉まっていたので栄養剤の中身は無事だが、ガラスが床に飛び散ってしまって、ゴボウマンドラゴラは自分のしたことに青ざめているようだった。
「片付ければいいけんね。母さん、濡れた雑巾、持ってきてくれんね」
オダリスの母が濡れた雑巾を持ってきてくれている間に、ガラスのカケラを拾うオダリスの指が切れて、赤い血が滴った。ポタポタと溢れる血に、椅子から飛び降りたゴボウマンドラゴラが、近寄って自分の体に生えている髭のような根っこを引き抜いて、揉んで、傷口に塗ってくれた。
「あなたの体の一部やないね。痛くないと?」
「びゃびゃびゃ……」
「俺は、ちょっと切ったくらい平気やけん、あなたは人間っちゃから、体の一部を軽々しく差し出したらいけんよ」
「ぴゃー……」
悲しげに鳴くゴボウマンドラゴラの円らな瞳から涙が溢れる。水分を失って、ゴボウマンドラゴラはますます萎れていくようだった。
もしかすると、ナホの言う通り、このゴボウマンドラゴラはスキンヘッドでムキムキの男性かもしれない。しかし、今はそんなことは関係なかった。
「あなたは優しくて、強いひとやね。自分の命も顧みず、俺を助けてくれて、俺の痛みを思いやってくれて」
心の美しいひとには違いない。
オダリスは床に転がっていた栄養剤を手に取って、蓋を開ける。土臭くとても飲めたものではないそれを口に含んで、ゴボウマンドラゴラの小さな口に口付ける。
その様子はどう見ても、オダリスがゴボウを齧っているようだったが、二人は真剣だった。
口移しに飲ませた栄養剤は、口の大きさが違いすぎて、溢れてしまったが、ある程度は飲ませられた。
「まっずっ! これは、確かに、飲みたくないね」
口の中に広がる苦味とえぐみと土臭さに、吐き気すらしてきそうで、笑い出したオダリスに、ゴボウマンドラゴラも笑っている気がする。艶々と元気を取り戻したゴボウマンドラゴラに安堵しているオダリスは、次の瞬間、悲鳴を上げて飛び上がってしまった。
「ぎゃー!? 服! 服ー!」
「どうしたとね?」
「母さん、この方に服をー!」
ゴボウマンドラゴラがいた場所には、褐色の肌に黒髪の細身で美しい女性が座り込んでいた。服を着ていなかったゴボウマンドラゴラと同じく全裸で、驚いて黒い目を見開いてオダリスを見上げるその女性に、見覚えがあるような気もしたが、女性の全裸をまじまじと見ていいはずもなく、慌てて顔を逸らして部屋から出て行ったオダリスを、彼女は呼んでいたようだった。
母に服を着せてもらって、サイズも合わないが靴も借りた彼女は、オダリスに深々と頭を下げた。
「コウエン領領主の姉、ライラと申します。元夫に王都で捕まり、ゴボウマンドラゴラになる呪いをかけられて、マンドラゴラ品評会で売られるところでした」
売られて仕舞えば、魔術薬の材料としてバラバラにされるか、自分が人間だと知られることもなく飼われるか。どちらもライラとしての人生の終わりを意味していたので、必死で逃げ出したが、追い付かれそうになっていたところを、オダリスが見つけてくれた。
「呪いを解く条件は、『マンドラゴラでも構わないと心から思う相手に出会う』ということで、わたくしは、最初から諦めておりましたの」
あの男の思惑で死にたくはないが、マンドラゴラから元に戻ることは不可能だ。
「コウエン領の元領主をご存知でしょう? わたくしは、16歳で年上で愛人のいる男に嫁がされました。出戻りで、純潔でもなく、男性などもう愛せないと思っておりましたの」
性別も、容姿も分からない、意志の疎通さえ難しいゴボウマンドラゴラにされて、自分を愛する相手などいないし、自分が愛せる相手など現れるはずがないと絶望していた。元が人間であることが分かっても、ライラの姿に戻れば幻滅されてしまうかもしれない。
「出戻りとか、純潔やないとか、言わんでよ。俺は、勇気あるゴボウのあなたに惚れたんやけん」
性別も、容姿も分からなくても、意志の疎通ができなくても、ゴボウマンドラだったライラの行動は非常に勇敢で、心優しかった。元がどんな人間でも構わないとオダリスに思わせるくらいに。
「驚かれた、でしょう?」
「び、びっくりは、しとるよ。ムキムキでスキンヘッドでも構わんって思ったひとが、こんな美女とか、ある意味、反則やん?」
「わたくしは、美しいですか?」
「めちゃくちゃ綺麗やし、めちゃくちゃ美しいし……心も、美しいし」
両手で顔を覆うオダリスは、ライラの全裸を見てしまったせいか、真っ赤になっていた。
「年上で、離婚歴がありますのよ? お母様も、そんな女を、息子に近付けたくないでしょう?」
「私は、ペトロナの息子の妻だった女です。息子はペトロナの孫です。ライラ様こそ、そんな相手を側に置く覚悟がありますか?」
「そんなこと……」
「俺も同じやけん。そんなこと、よ。そんなこと、どうでもいい、そうやろ?」
手を取ったオダリスにライラが恥じらって俯く。
「領主の屋敷まで送ってくださいますか?」
妹とその夫にオダリスを紹介したい。
ライラの言葉に、オダリスは背筋を伸ばして「はい」と答えたのだった。
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