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8.書き換えられた帳簿

「カナエちゃんは何で領主になりたいと?」


 講義と講義の合間の移動時間に、ポツリとオダリスが零した言葉に、最初カナエは答えるつもりはなかった。無視して歩き去ろうとすれば、オダリスは追って来ない。

 「次期領主様」ではなく「カナエ」と名前を初めて呼ばれたことに気付いて、カナエは足を止めた。オダリスのだらしなくボタンを三つ開けたシャツの首元に、例のネックレスが光っている。


「女の領主なんて、つらいだけやないとね。子どもも育てないかんし、仕事もせないかん。現セイリュウ領領主は、出産で死にかけたのに、一ヶ月後には仕事に戻らされたっちゃろ?」


 そんなつらいことを何故自ら望んでするのか。

 理解できないと呟くオダリスは、コウエン領の元領主がリアムに施したような育てられ方をしてきたのだろうか。

 コウエン領の工房を取り仕切っていたペトロナは女魔術師である。仕事をしながら出産も育児もしたに違いない。育て上げた息子を工房の後継ぎにするつもりだったのに、コウエン領の元領主が決闘で負けたせいで、逃げ出すしかなくなった。


「カナエは、セイリュウ領を技術者が育つ場所にしたいのです」


 振り返って答えると、オダリスが横に並ぶ。レオのように長身で、褐色の肌に黒い髪のオダリスは、コウエン領出身のレンとも雰囲気が似ていた。

 引き取られた当初、魔術を制御できないカナエをサナは鍛え上げて制御できるようにしようと考えていたが、幼い子どもに苦行のように魔術の制御を教えるのは可哀想だと、レンはカナエの魔術が暴走しないように制御装置となる魔術具を作ってくれた。あの日からカナエはレンのことが大好きで、サナには反抗期を続けている。


「カナエのお父さんは優しくて、小さな子どもに無理をさせるよりも、魔術具でなんとかなるならそうしようとしてくれました。レオくんも、カナエに魔術具を作ってくれます」


 壊れてしまったブレスレット兼指輪を、デザインを変えてまたレオは作ってくれている。制作途中のものを見せられて、サイズを確かめるために手に嵌められて、カナエは幸せな気持ちになった。


「魔術具は、誰かを守りたいという気持ちで作られているのです。親が子どもを守りたい、好きなひとを守りたい、そういう気持ちで作られた魔術具が、もっと誰の手にも渡るように、技術者を育てる領地にしたい。おばさん……現領主もそう思っているはずなのです」

「全部の魔術具が、守ってくれるなんて……」

「オダリスくんの魔術具は、違うのですか?」

「うるさい!」


 泣き出しそうな顔で踵を返して逃げて行ったオダリスを追えば、講義に間に合わなくなってしまう。問い詰めたい気持ちはあったが、まだ問い詰めても何も答えは出ない気がして、カナエはオダリスを追いかけなかった。

 講義室に入ると、ナホとリューシュに挟まれる。


「遅かったですわね」

「ペトロナの件、聞いた?」

「聞いたのです。オダリスくんとデシレーちゃんは、ペトロナの孫なのでしょうか?」

「そこまでは分からなかったのですわ」


 工房の記録からペトロナに息子くらいの年齢で、後継者にしようとしている魔術師がいたことは分かったのだが、彼の家族については工房の記録なので、載っているはずもなかった。

 記録を処分する暇もなく逃げ出したペトロナは、それだけやましいことがあったのだろう。


「弟子たちをこき使って、給料も碌に払わないで、自分だけ私腹を肥やしてたんじゃ、コウエン領の技術者も衰退するよね」

「一度、ジュドーさんに記録を見せてもらいに行っても良いですか?」

「いつでもいらしてくださいませ」


 工房の記録については、レンが工房の師匠(マイスター)なので、魔術をかける宝石や貴金属、ビーズや布や糸や紐の仕入れ、薬草の使用量など詳しく書き記しているのをカナエは知っている。

 薬草の中には、魔術を高めるものや、使い方次第では麻薬のような効果のあるものまである。どこまで正確に記録が残されているかは分からないが、自分の目で確かめてみたくはあった。


「リューシュちゃん、領主は大変ですか?」

「カナエ様からそんな言葉が出るとは思いませんでしたわ」


 問いかけにリューシュは愉快そうに笑った。領主になってからリューシュがどれだけ忙しくしているか、カナエは間近で見ている。知っていると言えば知っているのだが、リューシュの口から聞いてみたかった。


「勝手が分からないことはたくさんありますわ。女だから、若いからと馬鹿にされて相手にされないこともあります。それでも、わたくしには、ジュドー様という素晴らしい夫であり、工房の師匠(マイスター)である方がいてくださいますのよ」


 惚気られてカナエはリューシュの幸せそうな姿に、レオと自分の未来を想像してみた。領主のサナと工房の師匠のレン、領主のリューシュと工房の師匠のジュドー。


「コウエン領に来てくださるのは久しぶりですわね。レオ様とラウリ様もお誘い申し上げてくださいませね」

「ラウリくんの弟、服、喜んでたよ!」


 去年生まれたラウリの一番下の弟に、コウエン領から守護の魔術のかかった幼児用の服一式を贈ったリューシュとジュドーは、織物産業でコウエン領を復興させている。

 数日後にカナエとナホとラウリとレオがコウエン領を訪ねると、ナホとラウリとレオにジュドーから贈り物が用意されていた。


「レオくんは南瓜頭犬を飼ったって話やけん、犬用の服。ラウリくんには大根マンドラゴラ用の服。ナホちゃんには、テンロウ領領主様ご夫妻に、蕪マンドラゴラ用の服」

「ありがとう! お祖母ちゃんの蕪マンドラゴラ、元気すぎて服を汚すって困ってたんだ。着替えができて嬉しいよ」

「僕の大根さんにも良いんですか?」

「サナエ、服やで!」


 大喜びで受け取る中、南瓜頭犬の名前を読んだレオに視線が集まる。


「さ、サナエちゃんって、仰るのですか?」

「サナ様とカナエちゃんを合わせたような……」

「ええ名前やろ?」


 カナエがサナに反抗しているのは、誰でも知っていて、セイリュウ領は現領主と次期領主の不仲を解消させるために、実子と婚約させているのだという噂まで立っている。そんなことは露知らず、無邪気に微笑むレオに誰もツッコミを入れられない。


「き、記録を見せてもらうのですよ」

「一応、残ってるのは全部持ってきとるっちゃけど、かなり杜撰で、横領があったかどうかもよく分からんっちゃんね」


 お茶を飲みながら、ジュドーが渡してくれる記録の書かれた帳簿を捲っていくカナエ。レンの工房でよく見る薬草や素材の名前と金額が並んでいるが、荒れたコウエン領においてそれらは貴重品だったので、多少金額が高くてもおかしくはないので、不審な点が見当たらない。


「ペトロナは几帳面なひとだったみたいですね」

「意外とちゃんと帳簿が残っとる」

「……待って。これ」


 何かに気付いたナホが、紙の上を指でなぞった。書かれたインクが指先に込められた魔術で解けて、変容していく。


「この月に仕入れた薬草と、使った薬草、数があってるように見えるけど、魔術で一度インクを消して、書き直されてるよ」

「ナホちゃん、よく気付いたのです……他にもありますか?」


 よくよく目を凝らしてみると、インクに微量の魔術の痕跡が残っている。

 仕入れた薬草の種類も、異様なものが混じっていたりした。


「守護の魔術具以外を作っていたみたいやね」

「呪いの魔術具……」


 原則的に魔術具はひとを守るためにしか作ってはいけないようになっている。例外として、武器などは攻撃性の高い魔術を込めるが、それ以外で、相手の魔術を封じたり、健康を害するような呪いが蔓延っていた時代があるので、アイゼン王国では、呪いの魔術具の生産と使用は禁止されている。

 だが、ひとの憎悪とは怖いもので、蹴落としたい相手のために、呪いの魔術具も需要があるという事実は変えられなかった。

 ローズ女王は自らも呪いの魔術具で妹を救えず他に助けを求めたり、呪いのかかった魔術具をベビーベッドの下に隠されて息子のラウリを生後すぐに死なせそうになったりしたこともあるので、呪いのかかった魔術具については厳しい法律を定めていた。


「これを知られたら困るから、逃げたっちゃろうね」


 いわば無法地帯だったコウエン領の領主が変わったら即座に逃げ出したペトロナが、呪いの魔術具を作っていたこと、そして、オダリスとデシレーが監視の魔術のかかったネックレスを付けていることで、この三人が繋がった。


「もう一度、お父さんにあの魔術具を解析してもらうのです」


 もしかすると、師匠だったペトロナの魔術の痕跡を、レンが覚えているかもしれない。小さな望みをかけて、カナエはセイリュウ領の実家に帰った。


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