7.カナエの涙
生まれてすぐから、カナエはレオを知っている。サナの従弟のイサギとその婚約者のエドヴァルドがいたので、自由に行って良いと言われていた薬草畑で珍しいものを見つけると、レオに見せに行ってベビーベッドのレオに見せていた。
鈴パセリをちりんちりんと鳴らしたカナエに、最初は驚いて黒いお目目を真ん丸にして、それからきゃっきゃと笑ったレオの可愛さを、カナエは覚えている。泥団子でも、粘土でも、折り紙でも、作ったものをお目目をキラキラさせながらカナエのところに持ってきて「あげゆ」ともじもじと渡してくれた姿を覚えている。
学年が3年生に上がって、カナエが魔術学校を卒業して研究過程に進んだ年度の始めに作ってくれた、手首と指輪が繋がった、細い紐で編まれた瀟洒なレースのようなブレスレット兼指輪は、カナエの宝物だった。
魔術具は普段から着けていないといざというときに効果を発揮しない。
壊れてしまうのがもったいなくて、カナエがそれを着けていないと、レオは悲し気な顔をするので日常的に着けているが、汚れたりしないか、カナエはとても気を付けていた。
「おばさん、レオくんに付きまとわないでくれる?」
3歳も年下のデシレーに対抗するのは大人げないと自覚しているし、レオからもらったブレスレット兼指輪があれば、何を言われても平気だとカナエはデシレーを完全に無視していた。相手にされなくて悔しいのか、デシレーはカナエの後を付け回す。
昼休みにレオとお弁当を食べた帰り、カナエは魔術学校の校舎から研究過程の校舎に午後の授業のために向かっていた。リューシュは今日はコウエン領の令嬢たちと食事をして、ナホはラウリと二人で食べると言っていた。
「本当に格好良かったっちゃけん、レオくん。私のこと、王子様みたいに助けてくれて。王子様やなくて、領主様の息子さんやけど。結婚したら、私もセイリュウ領のお屋敷に住むっちゃろか」
夢見がちな14歳の少女の言うことである。
突っ込む価値もないと魔術学校から研究過程の校舎に繋がる階段を足早に登っていると、オダリスに道を塞がれた。
午後の授業が始まる時間も近いので、横切って通り過ぎようとすると、デシレーに挟まれる。
「浮気な婚約者より、俺の方が良かろう?」
「いい加減にしてください。邪魔なのです」
いつも止めてくれるナホもリューシュもその場にいない。
デシレーに付きまとわれてただでさえ苛々していたカナエは、魔術を暴発させる寸前だった。編みかけの術式に気付いたオダリスが、防御の術式を編んでいるのには気付いたが、それより先にカナエは魔術を発動させる自信があった。
「お兄ちゃん、危なか!」
「ひゃ!?」
術式を編んでいることは、魔術学校で学んでいるデシレーにも分かったらしい。思い切り突き飛ばされて、カナエは階段から転げ落ちていた。
ぱきんっとブレスレット兼指輪に編み込まれたビーズが砕けて、紐が弾けるのを感じる。怪我一つなく階段の踊り場に座り込んだだけになったが、カナエの身を守って、レオの作ったブレスレット兼指輪は砕けて千切れてしまった。
「なんてことをするのです!」
「それはこっちのセリフやないと? お兄ちゃんを魔術で攻撃しようとしたくせに!」
「カナエが通るのを邪魔するからなのです」
「セイリュウ領の女は物騒って本当やったっちゃね。怖かね」
先に術式を編んで、臨戦態勢に入ったのはカナエなので、自業自得なのだが、大事なブレスレット兼指輪が壊れてしまって、ショックで涙が滲む。
まだカナエに迫って来ようとするオダリスを押しのけて、カナエはさっさと研究過程の校舎に入った。ゼミでの授業なので、ナホもリューシュも別々で、側にいてくれない。
自分が暴走しがちなのは自覚があったが、大事なレオの作ってくれたものを壊してしまったことに落ち込んで、カナエは授業が終わって家に帰って、部屋に閉じこもってしまった。
研究過程に入ってからは別々の部屋になっているナホが、お茶の時間にも出て来ないカナエを心配して覗きに来る。
「カナエちゃんの好きなスコーン、レオくんが焼いてるよ?」
「食べたくないのです」
答えて、カナエは机についてレポートを書いていた。勉強に集中している間は悲しさを忘れるが、ふと手首を見て、もうそこにブレスレット兼指輪はなく、ポケットの中に千切れた紐だけが残っているのに虚しさを覚える。
おやつも食べていないのできゅるきゅるとお腹が鳴くのも、こんなに悲しいのに空腹は覚えるのかと自分が情けなくなる。
「カナエちゃん、ドア、開けてー!」
「レオくん?」
「ドア開けられへんねん。開けて?」
ノックの音もしないで、扉の外から声がして、カナエは部屋の扉を開けた。両手いっぱいにお茶とスコーンのセットが乗ったお盆を持ったレオが、カナエの部屋に入って来る。
テーブルの上に手際よくお茶セットを広げて、まだ温かいスコーンを渡されると、カナエの目からほろりと涙が一粒落ちた。
「お腹空いてたんとちゃう? って、どないしたんや!?」
「カナエは……カナエは、自分を制御できないのが悔しいのです。レオくんが作ってくれた指輪……」
ぐすっと洟を啜ってレオに千切れた紐を見せると、ぱぁっとレオの顔が明るくなった。お日様のような笑顔に、カナエの涙が引っ込む。
「ちゃんと、壊れたんやな? 俺の魔術具は、カナエちゃんを守ったんやな? やるやん、俺! お父ちゃんに負けてへんと思わん?」
「オダリスくんに、道を塞がれて、カナエは苛々していて、魔術で攻撃しそうになったら、デシレーちゃんから、階段から突き落とされてしまったのです。カナエのせいで壊れたのです」
「また、作らせて。何度でも、何度でも、カナエちゃんのために作らせて」
宝物のように手を大きなレオの手で包まれて、カナエはこくりと頷いた。暖かなレオの手に、悲しみが薄らいでいく。
何度でもレオは作ってくれると言ってくれる。カナエの身の安全を一番に考えてくれる。壊れても着けているものの身を守ることが、魔術具の役割で、カナエの身を守って壊れたことが誇らしいと言ってくれる。
「お父ちゃんとお母ちゃんから、通信が入ったんや。ペトロナには、息子がおったんやて」
スコーンにたっぷりのアプリコットのジャムを付けて、紅茶と一緒に食べると、カナエも落ち着いてレオの話を聞くことができた。コウエン領の領主の工房で働いているジュドーは、過去の記録を必死に探してくれた。その結果として、ペトロナには息子がいて、その息子は工房で優遇されていたという。
「結婚して、子どもがおってもおかしくない年や。俺らと同年代のな」
「オダリスくんとデシレーちゃんは、仲の良い兄妹のように見えたのです」
魔術で攻撃しようとしたカナエも相当過激だが、兄のためにカナエを階段から突き落としたデシレーも相当過激だ。
「肩を持つつもりはないんやけど、二人で協力せな生きて行かれへんかったら、絆も強くなるよな」
「ペトロナに支配されてるという、ことですか?」
コウエン領元領主に優遇されていた兄のリアムと、虐待されていた妹のリューシュは、仲が良いとは言えなかった。リアムはリューシュが虐待されているのを、にやにやと嘲笑いながら見ているような状況だった。
「誰も守ってくれへんかったら、兄妹で助け合うしかないやろ?」
「ご飯があって、学校にも行かせてもらっているからといって、家庭でどうなっているかは、分からないですからね」
見える場所は傷付けられていなかったが、リューシュは父親のコウエン領元領主に鞭で叩かれていた。デシレーとオダリスの着けている魔術具は、カナエがレオに作ってもらったもののように、攻撃されて壊れるようなものではなく、二人を監視するための呪いがかかっているものだ。
それだけでも、二人が守られる対象ではないことを示している。
オダリスは年齢的には成人しているが、デシレーはまだ14歳。親の庇護が必要な年齢である。カナエだって年齢的には成人しているが、サナとレンの庇護を受けて研究過程に通っている。
「誰も助けてくれないと思っていたら、荒むのです」
物心ついたときには、魔術を暴走させるので離れに一人閉じ込められていたカナエは、サナとレンが迎えに来るまで、親の優しさにも暖かさにも触れたことがなかった。最初にサナがカナエに厳しいことを言ったので、今も根に持って素直になれないが、サナとレンがカナエを愛して大事に思っていることだけは身を以て知っている。
「二人は、俺らの敵やなくて、助けなあかん相手かもしらへん」
カナエとレオの仲を裂くように命令されているだけで、自分の意志ではないのかもしれない。
レオの言葉に、カナエはペトロナをおびき出す方法を考え始めていた。
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