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28.血と汗と涙の

 布を断つのは失敗できないが、縫うのならば、失敗すれば解いてしまえばいい。歪んでしまうことは多いが、ある程度細かな目で縫えるようになって、玉結びも5回に1回くらいしか失敗しないようになったので、カナエはようやく本番の布を縫うことになった。初めは縫い目が見えないように裏側から縫うので、それほど緊張しなくても良いと言われていたが、線を引いた上をちくちくとひと針ひと針縫っていくのは、気が遠くなるような作業だった。

 20歳の誕生日に、レオはカナエに振袖を作ってくれた。着物は直線縫いなので難しくはないと言われているが、それでも、刺繍をした布を柄が合うように縫い合わせるのは決して簡単ではなかったはずだ。

 細かなことを根気強く続けるのが得意ではないカナエ。困ったことがあれば、全部魔術で吹っ飛ばしてしまえばいいと考えるほどだが、縫物は魔術では吹っ飛ばせない。

 布を合わせて仕付け糸でしつけた状態で、縫製を教えてくれる職人が渡してくれるのに、なぜかずれてしまったり、違うところを引っかけて縫ってしまったり、なかなか作業は進まなかった。

 お昼ご飯はレオと食べるのが日課になっているので、王都の研究過程に飛んで、ついでに手直しした論文を教授に見てもらって、お弁当を食べる。午後の授業に行くレオを見送って、また移転の魔術で工房に舞い戻り、レオのジャケットを縫う。

 ジャケットだけだからまだましだが、タキシード一式縫うようなことになったら、カナエは気が狂っていたかもしれない。


「曲がってますね、一度解きましょう」

「またですかぁ」

「レオ様に美しいものを着て欲しいでしょう?」

「はい」


 飛び級したレオは研究過程の授業について行きながらも、帰ってきたら宿題を終えて、工房でカナエのドレス作りをする。そのときには、カナエも手伝うのだが、レオの縫うのの速さに目が丸くなってしまう。

 元々器用なレオと、不器用なカナエでは比べ物にもならないのだが、カナエの体型を美しく見せるドレスをデザインして、自ら作ってくれようとするレオに、少しはカナエも努力を見せたい。

 仕付けまでされた布をひたすら縫うだけの作業だが、何もしないよりはましだと、カナエは連日頑張っていた。

 秋になったがまだ暑さが残っていて、工房の部屋は蒸す。汗を拭いて、真剣に作業を続けるカナエの手の中の針は、布を通りやすいように細いものが使われていた。

 ひと針ひと針、丁寧に縫うのは慣れてきたが、どうしても力が入る。


「カナエ様、針が曲がったようです」

「わっ!? 力を入れ過ぎたのです!」


 呼吸をするよりも自然に魔術を使うカナエは、幼い頃から魔術を暴走させがちだった。その名残か、肉体強化の魔術も、懸命に作業していると、無意識に使ってしまう。

 何度目か分からない曲がった針を取り換えて、しばらく縫っていると、汗が垂れて目に入りそうになった。集中力が切れたのがいけなかったのかもしれない。

 手の中で、妙な感触がしたのに、カナエは袖で汗を拭きつつ、気が付いてはいた。

 遅れて激しい痛みが指先を襲う。


「いたーい!?」

「カナエ様!?」


 慌てた職人がカナエの手元を覗き込むと、針が折れて、ぶっすりとカナエの親指に刺さっていた。痛みで涙が出て、反射的に抜こうとするカナエの手を、職人が止める。


「レン様、来てくださいませ!」

「どうしたとね?」


 悲鳴を聞きつけて走って来たレンは、カナエの親指に深く刺さった針を見て、すぐに毛抜きを持ってきた。皮膚の中にほとんど埋まっている折れた針を、レンが慎重に毛抜きで抜き取る。


「痛いのですー!?」

「カナエちゃん、暴れんで。すぐ抜けるから」

「いーやーーーー!?」


 痛みに冷静ではいられないカナエに、レンは細い腕を押さえ付けて、素早く処置をして、針が抜けた後の血の出たカナエの指を消毒してくれた。


「布が硬くて、針が通らないなと思ったのです」

「それで、無意識に肉体強化を使ったっちゃね」

「そうみたいなのです……」

「カナエちゃん、小さい頃付けてた魔術を制御するガラス玉、今も持っとるね?」


 魔術を暴走させて生まれた家の離れを壊したカナエに、レンが作ってくれた魔術を制御する魔術具は、宝物としてカナエの宝箱に入っている。


「あるのです」

「あれを加工して、もう一回付けて作業しようかね。ごめんね、気が付かんで、可愛い手に怪我させてしまって」

「お父さんのせいじゃないのです」


 魔術を制御できない自分の不器用さに落ち込みながら、カナエはサナの部屋を訪ねた。指に大きな怪我をしていたら、レオにすぐに気付かれてしまう。早く治せる魔術薬をイサギとエドヴァルドに作ってもらうようにサナにお願いしようと思ったのだ。

 指の傷を見たサナは、呆然と立ち尽くしていた。


「カナエちゃんの指が……誰がこんな酷いことしたんや!」

「えーっと、お母さんは口が軽いので内緒なのです」

「信頼されてへん!? 可愛いカナエちゃんが怪我したなんて聞いたら、レオくんが泣くで」

「泣かせたくないので、エドさんとイサギさんにお薬を作ってもらえるように頼んでくれませんか?」


 カナエが直接頼みに行っても良かったが、二人は領主のお屋敷の薬草畑の管理人として働いている。仕事中にお邪魔をするのは申し訳ないというカナエに、サナは即座にイサギを呼び出した。


「ぶっすり刺さったんやな。傷は小さいけど深いから、すぐには治らへんで?」

「すぐに治して欲しいのです。レオくんに心配をかけたくないのです」

「そないなこと言われても……」

「うちの娘の願いが聞かれへんのか?」

「ぎゃー!? サナちゃん無茶言わんといてー!?」


 サナに凄まれて、泣きながら一緒に来ていたエドヴァルドに飛び付くイサギ。傷口を見て、エドヴァルドは飛び付いてきたイサギを抱き上げたまま、穏やかにカナエに問いかけた。


「これは針の傷ですね。レオさんに縫物をしていて、それを知られたくないわけですね?」

「そうなのです。サプライズで驚かせたいのです」

「カナエさん、レオさんのことを驚かせて喜ばせたい気持ちは分かります。けれど、怪我をしたことを隠されたら、レオさんはどんな気持ちでしょう? カナエさんは、自分が知らないところでレオさんが怪我をしていたら、どんな気持ちがしますか?」


 怪我をしたのはカナエの魔術が制御できなかったせいだが、隠そうとしているのは、カナエがレオを驚かせて喜ばせたいためだった。それが、隠すことでレオを悲しませるなど、カナエは考えもしていなかった。


「レオくんが、カナエの知らないところで怪我をしていたら、カナエは悲しくて、悔しい気持ちがするのです」

「今していることは教えられないけれど、今後怪我のないようにレンさんと協力して気を付ける。今していることは必ずレオさんに話すから、とお伝えするのはいけませんか?」

「いけなくないのです……」


 闇雲に隠すよりも、レオに正直に怪我をしたことは話して、今後ないようにすることと、怪我の理由を今は話せないけれど必ず今後話すと約束する。

 隠れてこそこそと工房に通っているのも、カナエには実のところ、合わない感じはしていた。隠しごとをしていることも、レオに話して、堂々とやった方がカナエには合っているのかもしれない。


「エドさんは、大人なのです」

「面白みのない意見と言われますが」


 苦いエドヴァルドの笑みに、カナエの頭を過ったのは、ナホが口にしたエドヴァルドの劣等感だった。


ーー本当は、レオくんに魔術具を見せるのも、自分で良いのかエドお父さんは迷ったみたいなんだ。エドお父さんは、小さい頃から自分が女性を愛せない、男性が好きだって自覚があったからね


「エドさんは、素敵な大人で、カナエもレオくんとエドさんとイサギさんのような、お互いに支え合える夫婦になりたいのです」

「そう言ってもらえると光栄です」


 他人と違うということは、ときにひとを傷付ける。

 魔術を暴走させるカナエも、小さい頃から自分は周囲と違うのだと悟っていた。サナとレンの元に引き取られてからも、実子ではないということで、使用人に陰口を叩かれたことがある。実子が生まれたら自分はいらなくなるのではないかと悩んだこともある。

 男性しか好きになれないと自覚していたエドヴァルドにも、ずっと葛藤があったのだろう。それを乗り越えて夫婦になったイサギとエドヴァルドは、とても幸せそうに見える。

 傷の治りが早くなる魔術薬をもらって、カナエはそれを親指に付けて、ガーゼと包帯で傷口を覆ってもらった。

 帰って来たレオは、カナエの怪我にすぐに気付いて、大きな手でカナエの手を何度も撫でた。


「どうしてこんな怪我したんや?」

「カナエの魔術の制御が下手だったからなのです。お父さんの魔術具を使って制御して、これからは怪我をしないように気を付けます」

「何をしてたんや? 俺のせいか?」

「レオくんを驚かせて、喜ばせたくて、カナエは今、頑張っているのです。その成果は絶対にレオくんに見せますから、もう少し、カナエに時間をください」


 涙ぐんでカナエの傷を心配してくれるレオに、エドヴァルドの言ったとおりに説明すると、すんと洟を啜って頷いてくれた。


「くれぐれも、怪我はせんといてな。俺の大事なカナエちゃんなんやから」

「はい!」


 まだまだ出来上がりまでの道は長いが、カナエはまた頑張れる気がしていた。

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