とある修羅の・・ 第1章関連那古屋周辺地図
う~む、二次創作ではないだろう、と思っております。
九州のとある修羅が姫様と共に信長の元へとやってきてます。
のじゃ長とひで爺の成長を楽しみにしながら、自分の確認のために第1章の関連地図を作ってみました♪
地形的な特徴をいくつか解説しておきましょう。
まず熱田神宮周辺から古渡城周辺は少し高くなっているようで、古来より人々が住んでいたとされています。西側の中洲地帯に比べれば、生活しやすさには格段の違いがあったと思えます。
佐屋路以南は大きな中洲地帯かつ大きな泥田地域だったことが想定できます。天保絵地図でも開拓新田村名が沢山出てきます。
長島攻めとかようやったなぁという感じがひしひしとしてます♪
木曽川の本流は津島の西側に流れていますが、勝幡城や上下流に向けて網の目のようにあった自然流路を利用した水路が作られていたようです。
「津島湊」として発展した理由は地理からも窺えます。
津島の発展は牛頭信仰で有名な「津島神社」の鳥居前町であったことも、もちろんのこと見逃せません。
ちなみに参考にした天保絵地図とは、江戸時代の物であり、正確に言えば戦国期とは違うのですが、地名確認、道や川の流れを想定する場合には十分に参考になると考えて使用しております。
これで地名確認しながら国土地理院をチェックして海岸線を想定した私を褒めちゃってくださいwww
さて、作品に出てくるノッブの配下達も那古屋周辺が主になってます。
林家が拠点としたとされるのは沖村ですが、清州城への近さなども信長へ近づかなかった理由かもしれませんね。
大河ドラマの「利家とまつ」にて前田家の荒子城が描かれる場面があったので、もう少し山がちというか丘っぽいところという想像をしてましたが、海岸線の側だったんですねぇ。
佐々家や平手家に比べれば新規開発組として成長したのかななんて考えてます。
※中一色村
池田恒興としてますが、正確には地名のみ正しく、配下に一色村住人有(wikiより)からの想定。
ああ、確か古渡城破却から末森城新築という話を聞いたような気が…、ちょい汗が出てきましたなぁ♪
※参考
・国土地理院地図
・天保国絵図 国立公文書館デジタルアーカイブ
・wiki他