天文年間の尾張国想定地図
最近お気に入りの「とある修羅の転生事情~信長公記異聞録~」へとお届けしました♪
戦国尾張関連で役立つならばご利用くださいな^^
なんか偉そうに絵図とか入れてしまってるけど、まぁただの地図です。
信長関連で話を始めることを想定し、天文年間(1532年~1555年)から天正初期まで使用可能かと思います。
天正十四年(1586年)に起きた木曽川の大洪水により、その流路は現在のように羽島市の東となったとされます。これにより尾張国葉栗郡は木曽川によって二つに割かれたため、羽柴秀吉により美乃国に編入羽栗郡と改称されたとのこと。
これを一旦済ませた後に気付いたため、木曽川、揖斐川、長良川含めてすべてやり直しました。ツラカッタ…。
本来ならば現地調査が必要な部分もあるのですが、当然割愛と言う名の無視を決め込み、ググって図書館へ行って国土地理院様をじっくり眺めて想定しました。
川の部分だけは絵といっても良いかもしれませんねぇ。
江戸時代に遺されています天保国絵図の尾張国分を見ますと、○○村新田などの記述も多く見られ、干拓による新田開発が進んでいる事が分かります。
これは地名などを確認しつつ海岸線を想定する場合にかなり役立ちました。
大河の「利家とまつ」にて荒子城のイメージが強くて、もっと山がちな方面かと思ってましたが、熱田西南海岸線近くにあったのは笑いました。思い込みと刷り込み怖いッス。
ちなみに天文年間にて織田家及び尾張国絡みを年表にしたのが以下。
wikiさんありがとう。
天文四年(1535年) 12月5日 守山崩れ。尾張守山に滞陣中の松平清康、陣中にて誤殺。
天文十二年(1543年) 8月25日 ポルトガル船の種子島漂着と鉄砲伝来(1542年説あり)。
天文十五年(1546年) 12月20日 室町幕府13代将軍に足利義輝が就任。
天文十八年(1549年) 2月24日 美濃国斎藤道三の娘濃姫が尾張国織田信長に嫁ぐ。
天文十八年(1549年) 11月8日~9日 三河安祥城を今川氏に奪われる。信秀の庶長子であった城主・織田信広は捕らわれ、織田氏は三河から締め出された。
天文十八年(1549年) 11月27日 三河の松平領が今川義元の支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が今川の人質として駿府へ出立。
※なろう内の小説に使用していただければ幸いです。
※参考地図
・国土地理院
・天保国絵図尾張国 国立デジタルアーカイブ