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心理学概論  作者: 空波 遥
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社会心理学

「ヴントさんが考えたように、心理学は科学だ。ボヤっとした覚え方や感覚に基づくものじゃない」

といった主旨の話を、教授は既に三回行っていた。いい加減進まないかと、僕はペン回しを始めた。

「じゃあ、今日は皆の好きな社会心理学の話をしよう。心理学の種類や分類の話もしたいが……。つまらないから次回にしよう」

ほとんど独り言のように言うと、教授はやっとペンを手に取った。

「前回怖い話をしたし、今回も怖い話から始める」

ホワイトボードには、スタンフォード監獄実験、とあった。聞くからに怖そうな名前だ。

「被験者を看守役と受刑者役に分け、生活してもらう。この生活を二週間行うという実験だ。もちろん、どっちの役にも前科者がいるわけじゃない。この結果は、衝撃的だった」

この教授は役者にでもなろうと思っていたのか、やたらと表情が豊かだ。そんなことをぼんやり考えた。

「実験中止だ。六日間で打ち切りになった。看守役が受刑者役をいじめ始め、さいご最後には禁止されていたはずの暴力まで振るい始めたそうだ。受刑者役の一部がADHDになったとか、看守役が中止を認めず暴れたとか言われているが、その辺は本当かどうかは怪しいな」

……。確かに怖い話だけど、前回の話の方が正直言って怖かった。

「ただ注意として一つ言っておくと、最近この実験結果は怪しいといわれている。いまいち信憑性にかけるというか、大げさすぎるというか。とにかく再現性に問題がある。もちろん、同じ実験は倫理的にできないから再現性もヘチマもあったものじゃない」

なんだ、と、僕は若干拍子抜けした。

「次に、アイヒマン実験。これは非常に再現性が高い実験で、ミルグラム実験とも言う。アイヒマンというのは、ナチスドイツのヒトラーの部下だった人だ。世界史を学んだ人なら、アウシュビッツ収容所という場所を聞いたことがあるだろう。そこの、いわば監督だな」

世界史は一年生までしか取っていないが、何かで聞いたことがある名前だ。語感がいいので頭に残っていただけだけど。

「ユダヤ人を強制収容し、大虐殺を行ったところだな」

語感がいいとかで覚えるものじゃなかったな。

「アイヒマンは、終戦後裁判にかけられて死刑になった。ここまで聞いて、アイヒマンという人物は一体どんな人だと思うか」

視線は、また僕と合った。

「ユダヤ人を許さない人か、単に残虐な人かのどっちかです」

僕は、できるだけ目線を下げてそう言った。

「うん、満点の回答だ。でも不正解。正解は、少し想像力に欠けたまじめな一般人だ」

一般人、という言葉が衝撃だった。

「だから言っただろう。再現性が高い実験だって。残酷な犯罪者にばかりこの実験をするわけにはいかないだろう」

そこまで言うと、教授はペンを置いた。

「では、ミルグラム実験はここまで。この実験内容を調べてくるのが宿題だ。ちゃんと割合も調べてくること。ちなみに、当時の精神科医の予想は0.1%だったそうだ」

何のことやら解らないまま、精神科医0.1%とだけ書き込んだ。僕もまた、想像力に欠けているのだろうか。

「次のは有名だから短めにいこう。フット・イン・ザ・ドアとドア・イン・ザ・フェイスという、セールスなんかがよく使う手法だ。まあドア・イン・ザ・フェイスを使う人は少ないが、ね」

これは知っていた。要求を上げていくやつと、下げていくやつだ。

「要求を上げていくものがフット・イン・ザ・ドア。下げていくものがドア・イン・ザ・フェイスだ。どちらにも成功率を高める要因があるが、ここでは割愛する」

教授は、表を取り出した。

「この表を見てくれ。フット・イン・ザ・ドアとドア・イン・ザ・フェイスの違いだ。成功率はフット・イン・ザ・ドアの方が高い。これは成功させるための制限が少ないのも理由の一つだ。だが、かかる時間はドア・イン・ザ・フェイスの方が短い。フット・イン・ザ・ドアは、依頼を一つ遂行してもらってから次へ行くが、ドア・イン・ザ・フェイスは、断られた直後に依頼するのが成功しやすいからだ」

なんとなくわかる。セールスも、「話を聞くだけ」とか言いながら商品買わせてくるからな。あの買い物は痛かった。

「あと二つだ。一つ目は、バランス理論」

 そう言うと、教授は三角形を二つ描いた。

「この理論は、三人の関係性について考えられた理論だ。互いの関係を、プラスとマイナスで表す」

 そこまで言うと、教授は

左の三角形の辺に、それぞれ+、-、-、

 右の三角形の辺に、それぞれ+、+、-、を描いた。

「左は、バランスが保たれている関係で、右はバランスが保たれていない、インバランスという状態にある。バランス理論は、プラスが多いといいわけではない」

 仲がいい人が多い方がいいと思うけどな。

「右の状態だと、双方と仲のいい人が、二人を仲良くさせようとするだろう。そうすれば」

 教授は、マイナスをプラスに書き換えた。

「これはバランス状態になる。バランス状態は、三人の関係性の積がプラスになる状態。インバランス状態は、これがマイナスになっている状態だ。さっきの例なら、仲の悪い二人のうちの一人が、悪口を言ってプラスをマイナスにしようとするかもしれない」

 すると、右の図になるわけか。

「このように、インバランス状態にある関係はバランス状態に向かおうとする。これをバランス理論という」

 思ったよりわかりやすい理論だった。ただ、三人共に仲が悪いとどうにもならない気がするな。若干のもやもやが残った。

「最後に、傍観者理論。これは日本人だと特にわかりやすい理論だろう」

 聞いただけでも、何となく日本人らしい感じがする。

「部活や運動会の練習の時に『声を出せ!』と全体に言われたとする。だが、君の近くにいる数名は声を出していない。君ならどうするか。という時だ」

 うーん、怒られるかどうかによるな。

「『あいつ出してないし、俺も出さなくていいか』と思う人もいるだろう。周りに人がいないからやらない、じゃなくて、『周りに人がいるからやらない、傍観している』というのが傍観者理論だ」

 日本人なら、という前置きがよく響いた。

「アメリカで起きた事件で恐ろしいものがある。住宅街で女性が殺害されたんだが、一部始終を見ていた住民が多くいたんだ。しかし、誰も警察に連絡しなかった。『誰かが通報すると思っていた』『みんな見ていたから私も見ていた』とばかり言っていたそうだ。極端な例だが、恐ろしさはよくわかるだろう」

 マイナス方向への想像力というのは恐ろしく早くはたらくもので、その光景が容易に想像できた。いや、僕はこの光景をずっと見ていたからだろう。

「今日はここまで。後味が悪いな。宿題を一つ追加しよう」

 とんでもないとばっちりが飛んできてしまった。


・スタンフォード監獄実験

・アイヒマン実験(ミルグラム実験)―調

・フット・イン・ザ・ドア/ドア・イン・ザ・フェイス

・バランス理論

・傍観者理論


「宿題はアイヒマン実験と、これを調べてくること」

 ホワイトボードには、自己開示の互恵性、と書かれた。

「これは日常生活にも使えるかもしれないな」

 僕は出席票に、もっと明るい実験を、と書いて提出しておいた。


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