0303:三日目(C)
島の東部の大半を占める草原の真ん中で、二人の少女が向かい合って立っていた。陽菜は目を閉じて精神を集中させており、奈菜は姉を心配そうに見守っている。
「ここから南西に二人、南の方に二人……。性別は、待って――。それぞれ男女の組に分かれてるよ、多分」
「それだけ分かれば十分です。さすがです、姉さん」
姉は目を開き、腕を真上に伸ばし大きく深呼吸をして新鮮な空気を肺に入れた。
「どうしよう?」
「――ここは、二手に分かれましょう」
妹が口に拳を当ててしばらく考えてから言う。
「南方は総じて海岸線まで森が続いていましたが、南西は確か池がある辺りですよね? 姉さんはそこに誘導して自分の有利な地形を取ってください。もう片方は私が行きます。木々が茂っている方が好都合なので」
「オッケー。あたしはお姉さんだから大丈夫だけど、奈菜ちゃん一人で大丈夫?」
「はい。気をつけてくださいね、姉さん。くれぐれも挑発に乗らないように」
「冷静沈着なあたしには無用な心配ね。絶対勝ち残って二人で旅行行こっ」
「はい、楽しみにしています。また後で」
挨拶が終わると、二人は地面を蹴って散開した。昨日のような失敗は許されない。先程までのにこやかな表情から一転し、姉妹共に厳しい顔をしている。
陽菜は南西に、奈菜は南に向けて一直線に駆けていった。
地面にはコケが生い茂り、葉々が空を覆っている。目に入る全てが鮮やかな黄緑色。神秘的な雰囲気を醸し出している。
暗緑色の池には生き物の気配がせず、見える限り一面に生えた木々から鳥の声はなく、辺りには風で葉が揺れる音と、俺達が地面を踏みしめる音しかない。
この広大な森の中で、俺達は自分達が異質なものであると感じていた。
池の縁に立っていた一際大きな広葉樹の下に腰を下ろした。涼子も立ったまま木に寄りかかって体を休める。
「予想したとおりの面子で来ると思う?」
彼女と何を話したらいいか考えを巡らせていたが、涼子から話しかけて来た。クラスではあのようにクールを気取っているが、素はよく話す娘なのかもしれない。
「その予定だけど……」
「分かってると思うけど、そうなった場合一番危険なのはあんたなのよ。それなのにこんな作戦を考えるなんて、たいした心臓をお持ちで」
「そうだな。でも、氷室も何だかんだ言いながら付き合ってくれるんだな」
「たいした心臓をお持ちだから。――さて、くだらない話も終わり。一番目の賭けは成功だったようね」
無機の空間に足を踏み入れた第三の異物の姿を確認し、涼子は目を細めて幹から体を離した。池の向こうから陽菜が一人で歩いてくる。
「よう、何でこの場所が分かったか不思議?」
彼女はいつもの調子で手の平をこちらに向け挨拶をして、足を止めた。
「別に。朝そんなこと言ってただろ」
俺も立ち上がり戦闘に備える。
「何を隠そう、雷神は起電力を生じるだけじゃなくて、電流を感知することもできるのだよ」
「ご親切にどうも。だけど人の話は聞こうな」
何を隠していない。石炭がなくても一人でヒートアップしていくこの機関車は、妹というレールがないと一人で暴走しかねない。
「あたし達が別々になったからって、有利になったなんて勘違いはしてないよね? 五行にも四元素にも無い大自然の力、一筋縄じゃあいかないよ」
「身をもって痛感したよ。光の速さと一撃必殺の破壊力、まして俺の能力じゃ不利ときた」
「でしょでしょ?」
「でもな、自然と違って使っているのが人間である以上、お前にも弱点ができる。天狗してると痛い目を見るぞ」
「おもしろい、やってみな!」
池の向こうにいる陽菜が右手を前に突き出す。四つの光球が作られ、俺と涼子それぞれに一本ずつ雷撃が放たれた。雷に飲み込まれる前に、俺達は示し合わせたように池の周りに沿って反対方向に走り出す。
「はっ!」
涼子が池から離れながら、左手を振って青い火球を放った。火の玉は揺らめきながら真っ直ぐ陽菜に向かっていくが、彼女は避けようとしない。
「こんなへなちょこ!」
火球のルートに、横向きに雷撃が放たれる。閃光と雷音が収まると、火球の姿は完全に消滅していた。
「どんだけ桁外れなエネルギー持ってんのよ……」
涼子は舌打ちをしながら木々の中に姿を隠した。追おうとした陽菜だったが、俺の姿を捉える。
「まずは斉藤から――!」
池沿いにこちらに走ってくる。彼女が俺の左右を指差すと、今までよりも大きい光球が現れた。
「頼む、防いでくれ!」
両手を広げ水の壁を作る。遮蔽してくれることを期待しているが、果たして不純物の混ざっていない蒸留水でも電気を流してくれるのだろうか? 心配はあるが、これが成功すればこの先の作戦で大いに役に立つ。
光球が一本の柱に還っていく。一面が白に染まり、空気が裂ける。
雷撃が水の表面に触れた瞬間、俺は何かに殴られたような衝撃を感じながら宙を舞っていた。
体中を打ちつけながら地面を転がる。木の幹に背中をぶつけて止まった。
「っあッ?!」
「大丈夫?!」
涼子が逆さまになって天井を走ってくるのが見えた。
「あぁ、なんだ一体、何が起きた?」
視界に星が散っていたが、動くのに支障はなさそうだ。なんとか逆さまになっていた体を起こして頭を上にする。涼子が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「そのへなちょこが斉藤の能力? あははは、自爆してやんの!」
陽菜が腹を抱え、涙を流しながら笑っている。挑発しているのか、素でやっているのかいまいち分からない。
「もしかして、水蒸気爆発? テンプラ油に水をかけるとなる……」
涼子が手を差し出しながら口を開く。
「そうか……、失念してたな。――いや、待てよ、これは使えるんじゃないか?」
手を引っ張ってもらって立ち上がった。
液体、気体、固体の三相は密度が異なる。水蒸気爆発は、液体が一瞬で蒸発し、体積が爆発的に膨張することで衝撃波が発生する現象である。水は液体の方が固体の氷よりも体積が小さいから、その効果が顕著に現れる。
ならば人為的に相変化させることで圧力波を生み出すことはできないか。
いつものように氷の球を作り、上に放り上げた。
「即興の弾丸だ!」
氷の球が眼前を通り過ぎていく瞬間に、球の後方で相転移を起こし、その圧力で前方に射出する。その姿は、まるで前に突き出した両手が砲身の大砲のようだった。
「ひっ?!」
しゃがんだ陽菜の後ろに立っていた木に、氷の球がめり込んだ。とっさのことで、雷撃を放つ余裕がなかったらしい。
「すご……」
即興にしては十分すぎる威力だった。撃った本人が一番驚いている。
「やるじゃない」
姿は見えないが、木々の奥から涼子の声が届く。
「棄権すれば見逃してやるぞ!」
「はん! そんなちんけな大砲思いついたくらいで調子に乗っちゃってさ!」
陽菜の闘志に火をつけてしまったようだ。彼女は両手を前に突き出し、次々に光球を生み出し始めた。
二つ、四つ、六つ……、まだ増えていく。俺の周りに浮かんでいる光球、その数――十個。なんと全部の指を使ってきた。
密集して浮かんでいる光球は、どれとどれがセットか分からず、雷撃のルートが全く予想できない。
「棄権したって見逃してやらないもんね!」
「っ……」
始まるのは、五本の光の柱、雷撃の連発。
まず一発目が後方で炸裂する。光を見てから避けることなど不可能だ、光球の変化と勘を頼りに、光の間を駆け抜ける。
走りを妨げるように放たれる二発目。上方で火花を散らすそれを身を屈めて避けたが、足が止まってしまう。
同時に炸裂し、広範囲を抉る三発目と四発目。思い切り地面を蹴って飛び出し、間一髪のところでかわした。勢いを殺せずに地面を転がる。
倒れているところを狙って放たれた五発目。水の盾を張る。
「ぐぁ……!」
水蒸気爆発の衝撃で地面に叩きつけられた。体中に激痛が走る。これでも雷を直接くらうよりはマシだ。
消耗しながらも、なんとか五本の雷撃自体からは逃げきった。ようやく反撃のチャンスが訪れる。
「おらっ!」
両手の手の平を前に向けて、氷の球の大砲を撃ち出す。先程よりも早いモーションで撃ち出すことができた。
腕が軋む。相転移の圧力変化が関節に負担をかけている。
「もう効かないよ!」
落ち着いている陽菜が、横向きに放った雷撃で氷の球を一瞬にして蒸発させた。
「ちっ……」
「今度は上手く避けられるかな?!」
再び浮かぶ十の光球。この体では、今度こそ全部避けられるとは思えない。
引いた足の靴に水が浸み込んでくる。背後には池。足を踏み入れれば、容赦なく感電させられる。
――絶体絶命。
「出せる光球は、それで全部?」
氷の弾を凝結させようとしている横で声がした。木々の奥から、十三の青い火球を円を描くように浮かべた涼子が歩いて現れる。
「囮?!」
「しっ!」
火球が一斉に発射され、十三の直線を描いて陽菜に迫る。
「なんのー!」
俺の周りに浮かんでいた光球が消え、陽菜の前に移った。
網のように交差して雷撃が放たれ、圧倒的なエネルギーによって火球が全て打ち消される。
「はぁ、はぁ――。残念だったね、作戦通りにいかなくて」
「そうかな?」
平然とした表情の涼子が、再び木々の間に隠れる。
「おりゃ!」
俺もすかさず、前に向けていた手から氷の砲弾を放った。
「はぁ、っ!」
陽菜が反応して雷撃で迎撃する。しかし砲弾は溶かしたものの、雷撃は以前より小さくなっていた。
「はぁ、はぁ――。あれ……?」
ようやく自身の異変に気づいたようだ。
「ずいぶん陳腐な雷だな」
泥と打ち身でボロボロの顔で笑ってやった。陽菜は息を切らせ、心臓の位置を爪を立てて押さえている。
「はぁ、エコって言って欲しいね……!」
なんとか右手を前に出して四個の光球を作ってくるが、二つは本人の意思に反して消えてしまう。
「っ……?!」
放たれる一本の雷撃。先程の五本の雷撃に比べれば全然大したことはない。小さな光の線をあっけなく避けた。
「はぁ、なんで――?!」
陽菜は痛みと苦しさに耐え切れずに膝をついた。
「限界だな」
「はぁ、はぁ――、何が?!」
「生き物は動くたびにエントロピーが増えてく。普段なら食事と排便でエントロピーを減らして平衡を保っているけど……」
諸行無常。万物は時間の経過と共に混沌へと移り行く。それでも生物が形を保っているのは、秩序を取り込んでいるからに他ならない。
泥をはらいながら陽菜のもとに歩いていく。彼女がうつ伏せに倒れた。
「後先考えずにそんなド派手にエネルギー使ってたら、平衡なんて保てるわけないでしょう。これ以上続けると、生命の維持に必要な部分にも影響が出るよ?」
能力の使用が、体の崩壊を速める結果となった。――まぁ要するに、魔法を使うにはHPを消費するっていうことだ。
涼子も木々の間から出て歩いて来た。
「はぁ、はぁ――、初めからコレを狙って?」
「あぁ。予想以上にお前がタフで、ちょっと危なかったけどな」
本当は『ちょっと』ではなく、本気でやばかった。涼子があのタイミングで出てきてくれなければゲームオーバーになっていただろう。
「はっ――。斉藤のクセに、やってくれるじゃない……。でもね、あたしのこと見誤ってるよ」
陽菜が不適に笑った。土に爪を立て、地を掻き、這うようにして、おぼつかない足で立ち上がる。
「あたしは絶対に負けない、奈菜ちゃんの為にも……!」
祐太達が戦闘を繰り広げている場所の東に位置する森の一帯では、比較的背の高い針葉樹林が密生している。準貴とさくらはその中央辺りを陣取り、倒れた幹に腰を下ろしていた。
「朝から様子が変だぞ、お前」
「えぇ? ソンナコトナイヨ」
隠し事が下手な奴だ。口元を緩めた。
「祐太と氷室のことか?」
さくらが祐太のことを好きだというのは、普段から接していれば誰でも分かることだ。いや、一人分からない奴がいたか。まぁとにかく、初心と鈍感な組み合わせのせいで、当人達の仲は一向に進展していないわけである。そんなことだから、俺はさくらが第三者の介入を快く思っていないのではないかと思っていた。
「それが半分……」
半分正解。残りの半分に思い当たることがない。
「あとの半分は?」
「ハァ……」
さくらは大きなため息をついている。
「『半分は優しさでできています』ってか……」
ちなみにこっちの、残りの半分はトウモロコシのデンプンだったりする。
話したくないことなら、深追いする気はない。俺もため息をついた。
「準貴こそ、最近真央ちゃんと上手くいってないんじゃない?」
今度はさくらが尋ねてくる。心配したつもりが、心配されてしまった。
「そうだな……。どうすりゃいいか分からないんだよ、付き合ったもののさ」
エr――美少女ゲームなら選択肢を選べば勝手によろしくやってくれるが、現実ではそうもいかない。映画や美味い飯屋なんかを調べて、デートのコースを考えたりしていたが、結局のところ切り出せずにずるずると来てしまっていた。いい加減愛想を尽かされたかな、なんて思って顔を合わせ辛くなるもんだから、余計に深みにはまっていく。
「別に特別なことなんてしてくれなくてもいいの。ただ一緒にいてくれればいいんだよ……」
――恋する乙女の台詞は、なかなかヘヴィだ。
「なんか自分に言ってるみたいだね。はぁ……」
沈黙する二人。ずいぶん暗い雰囲気になってしまった。
その時、遠くで雷の音が轟いた。かなりの距離があると思うが、地面も木々も振動している。
「始まったみたいだな」
「予定通り陽菜ちゃんがあっちに行ったみたいだね。でも、奈菜ちゃんがこっちに来なかったらどうしよう?」
陽菜と奈菜が二人で祐太のもとに向かっていたら、作戦は成り立たない。ふと、視界に一人の女の子の姿が映った。
「面白くないですね、斉藤さんの思惑通りというわけですか……」
木々の間から姿を現したのは、奈菜だった。ここまでは作戦通り。
「よぉ、さっきはこっ酷くやってくれたな」
素早く幹から立ち上がり、ポキポキ指を鳴らす。慣れないことをするから手が痛い。
「チンピラみたいな台詞ですね。――準備する時間は十分にあげたつもりですが、ただ喋っていただけですか?」
どうやら彼女は近くで様子を伺っていたようだ。さくらの言葉に動揺していて、気付けなかったらしい。
奈菜の方から、土を巻き上げた少し強めの風が吹いている。
「手を出してみれば分かるんじゃないか? その勇気があればの話だけどよ」
「そうですか、ではこちらから参りましょう」
吹きつけていた風が細く狭まっていく。直感でその場から離れた。
線のように収束した風が、先程座っていた丸太に鋭い傷をつける。
「かまいたちか!」
スタンディングスタートのように腕を引く。地面を踏みしめる。
強脚。効果の一つは下半身の強化。片側二十五の筋肉の動きを意識することで、人間離れした脚力を得る。
跳躍。次の瞬間、地面数箇所を爪先を突き立てて砕き、目に留まらぬ速さで奈菜の後ろに回り込んだ。
「だが、当たらなければどうということはない!」
ヤクザキックのように重心を前に乗せた前蹴りを放とうとする。
奈菜が左手の手の平を向けてきた。手の中で生み出された高密度の渦が、空気を揺るがせながら拡散して強風を吹き出す。吹き付ける風に動きを封じられ、バランスを崩して後ろに転がった。
「これでも避けられますか?」
勝利を確信した声を出し、両手を振り上げる奈菜。
俺の周りの空気が細く収束し、無数の空気の刃となって押し寄せてきた。かまいたち同士の間隔が狭く、抜け出す隙間がない。
しかし奈菜には悪いが、これでは決め手には程遠い。立ち上がり、右足を高く振り上げた。
猛スピードで蹴りを繰り出し、かまいたちを次々に削ぎ取る。
効果のもう一つは、絶対防御(命名、俺)。地震・雷・火事・親父、下半身に対するあらゆる干渉を無効化する。これのお陰で人離れした跳躍にも耐えられ、蹴りの反動も無く、マラで釘も打てる。
全ての刃を相殺し、上げていた足を下ろす。
「大丈夫?」
さくらが駆け寄ってきた。
「祐太の作戦通り、アレを頼む」
「分かった!」
奈菜が何かを察たのか、飛び退いて俺達から距離をとった。
「えいっ!」
さくらの掛け声と共に、木々が作っていた影が広がっていく。影は繋がり、闇となる。奈菜を残して辺りが真っ暗になった。
「なっ……?!」
奈菜はその現実離れした光景に驚いていた。俺も感心していた。
「あたしはこれを維持するので精一杯だから、後は任せたよ、準貴」
「サンキュー」
唯一の明かりを頼りに奈菜のもとへ駆け出す。そう、奈菜だけが闇の中で姿を露にしているのだ。
彼女は音でこちらを探ろうとしているようだが、暗闇の中で高速で移動する俺は捉えられるものではない。
「うおらっ!」
一気に距離を詰め、軸足で地面を踏みしめながら回し蹴りを放つ。しかし奈菜の周囲に発生した強風に軌道を逸らされた。
「っ!」
奈菜が蹴りの放たれた方向にかまいたちを放つ。土を散らして地面を抉った。
「リーダーは誰だ? 姉はアレだからな、奈菜じゃないのか?」
かまいたちが放たれたのと反対の方向から声をかける。
「……」
奈菜の足元に軽い渦が巻き、地面が整えられる。
「降伏しろ。あっちも祐太がうまくやってるはずだ、どのみち――」
「リーダーは、姉さんです。姉さんを悪く言う人は許しません……」
奈菜が両手を開き、後ろ髪を揺らして羽のように軽く回る。途端、強力な風の渦が発生した。
渦は徐々に大きく強くなりながら、周囲の草や木までも巻き上げていく。
「気をつけて、あれは……」
下がっていたさくらが叫ぶ。俺は苦笑いをしてその巨大な螺旋を眺めていた。
「――竜巻だ!」